第七話 平助、メイドに連行される
三段重を食らわされたお腹を抱えつつも、なんとか無事に授業は終了した。
最終時間の頃にはなんとかこなれて来て、このくらいならどうにかなりそうだ。
佐久場さん目当ての野次馬が集まる教室をくぐり抜け、校舎を飛び出し校門を抜ける。
通学路とは反対の方向へと出て、商店街へ入った。
アルバイト。それは学生における小遣い稼ぎの一つだ。ただし僕の場合、生命線である。
この収入がなければ、僕は一人暮らしを続けられない。
意地を貫くためにも、それだけは避けたかった。
夕食時を迎えて、にわかに活気づく商店街。
東京の片隅故、若者で満ちることはあまりない。
だが、この街では十分繁華街で。混み合うことには混み合っている。
押しの強い売り子達をすり抜けて、僕は道を進む。
中ほどまで来ると、ようやく目的の場所が見えた。
『味自慢 中華そば』と描かれた赤い暖簾と、古風なガラスの引き戸。
古式ゆかしき中華そば屋である。
引き戸を開けて、大将に挨拶した。
「大将、すみません。遅れました」
僕はこの店で、で週三回程働いている。
接客と皿洗いしかできないが、それでも大将は良くしてくれていた。
「おう、平ちゃん。待ってたよ。悪いけど、すぐ入ってくれ」
「分かりました！」
即座に着替えて皿洗いに入る。
大将の仕込みが終われば、すぐに開店だ。
大将と女将さん。そして僕。店のメンバーは、三人なので。
「平ちゃん、二番にチャーシューメン三つ！」
「はい！」
一つをこなせば、休む間も無く次の指示。
「ごめん平ちゃん、先に四番片付けて！ 次が待ってる！」
「はい！」
時には少し癖のある酔っ払いもいる。
「オウ、平。ビール飲むか？」
「コラ！ 学生さんだよ！」
しかしそんな時は大将か女将さんが、即座にストップを掛けてくれていた。
店は小さいが、大抵は常連でいっぱいになる。
半年近く働いているから、大体の客とはすっかり顔なじみだ。
だからちょっと立て込むと、あっという間に閉店だ。
「平ちゃん、それ洗ったら上がっていいよ。まかない準備しとくから」
「ありがとうございます」
二十一時半。最後の洗い物に手をかける僕に、女将さんからの声。
給料だけなら他にも高い店がいくらでもある。なのにこの店を選んだ理由。
それは、アットホームな空気と。
「うぉっ！？ チャーシューこんなに乗せちゃっていいんですか？」
「構わないさね。学生さんが細かいこと気にしちゃならんよ」
「平ちゃん、チャーハン持ってくから先食っとけ」
大将が腕を振るって作ってくれる、豪気なまかないにあった。
貧困学生には、このカロリーがありがたいのだ。
「お疲れ様でした。また明後日来ます」
昼食でアレだけ腹が膨れたのに、かなりの量だったまかないが腹に入る。
実に不思議なことだ。
挨拶をし、ガラス戸を引く。
商店街を出て、星空を見上げて。
充実感を抱きながら、ゆっくりと帰り道を……。
「止まれ」
行けなかった。横合いから声。しかも、朝耳にした声だった。
このままゆっくりと帰らせて欲しかった。
せっかくバイトの時間はバイトだけに打ち込めたのに。どうしてこうも悲惨なんだ。
「疲れているところ悪いが、ゆっくりとこちらを向け。そして、私について来い」
「かがりさん、でしたっけ？ いくら人通りが少ないとはいえ、もう少し穏便にできませんか？」
朝の口論の記憶を頼りに名前を聞きつつ、僕は問うた。
有無を言わせない声色に、怒りの感情が漏れてしまう。
しかし不本意ながらも。身体は声の方向へと向けた。僕だって、死にたくはない。
「バイト先に乗り込まれなかっただけでも、ありがたいと思え。名前についてはその通りだ。私は、軽井沢かがりという」
あ、それは本当に助かった。
でも口に出して言うのは嫌なので、心の中で礼を言っておく。
かがりさんの姿は、テレビで見るような、タイトなスカートに黒のスーツ。
いわば、ＯＬスタイルだった。
朝は分からなかったが、長い髪を後頭部で纏めていたようだ。
「逃げ出しても、気配で分かるからな。後、ペースを上げろ。私の三歩後ろにつけ」
歩くテンポかなにかで距離を察したのだろう。
前を向いたまま、かがりさんが言った。
恐ろしい。まさか本当に、忍者なのか。
「先に言っておく。いや、恐らくは承知だろうが。私は忍者由来の訓練を受けている。抵抗は無駄だと思え」
心を読んだのか、追い討ちの言葉が僕に刺さる。
なるほど、そういう事だったのか。
しかし納得しかけたところで首を振る。
違う、そうじゃない。
そもそも僕は、この展開に疑問を持つべきなのだ。
「抵抗はしません。でも。この状況は、一体？ 殺そうとしていた人間を、どこに連れて行くつもりですか？」
僕の質問に、かがりさんの背中が動いた。
「貴様を殺すためだと、言ったらどうする？」
ほんの少しの間の後。帰って来たのは、トーンの低い言葉。
それと同時に、朝と同じオーラが漏れだして来た。
つまり、僕を人気のない場所に連れて行き……ダメだ。僕は死ねない。
「逃げます。抵抗します。それでもダメなら、警察に駆け込みます。殺されるのだけは、ごめんです」
真剣な言葉で、僕も返した。
タダで死んでやる気はない。そう思わせないと、舐められる。
現に今歩いている通りも、人気の少ない路地だ。
かがりさんは、いつでも僕を殺せる。
そう思って損はない。
だが、気付けば殺意は消えていた。
「安心しろ。今は殺さん。お嬢様が、貴様を待っている」
その声は、ハッキリと聞こえた。そして、後半の声はより聞き取れた。
「つまり、『契約の履行』ですか」
早いとは思いつつも、僕は答えた。
表情は読み取れない。しかし、かがりさんの首が縦に動く。
「そうだ。不本意ではあるが、お嬢様たっての願いだ。だから、お前を殺す訳にはいかない。お嬢様の悲しむ顔は、二度と見たくはない」
「なるほど」
僕は理解した。
かがりさんの、愛は重い。しかし、ギリギリのところで分別は付けられるようだ。
暴走キリングマシーンとかではない分、厄介ではあるが。
ともかく、現時点で僕が死ぬ事はないようだった
