第六話 平助、自分の意を告げる
栄村由美。かつての僕の想い人は、基本的に誰にも優しい。
だが、上辺だけの優しさではない。えぐるような質問から、本心を引きずり出すこともある。
それもまた、彼女なりの優しさだった。
「お近付きになりたいの? それとも、近くにいるのが苦しいの? 交際したいの?」
矢継ぎ早の問いかけに、僕はたじろぐ。
しかし栄村さんは、その程度では一切動じない。
むしろ引けば引くほど、押して来る。
「それとも今までのような、ヌルい学生生活のままでいいの?」
「ヌルいって……!」
あまりの言い草に、反論を試みる僕。
「ヌルいわよ。交友を広げる。なにかに打ち込む。色々できるのに」
しかし身も蓋もない正論が、僕を容赦なく封じ込めた。
バイトはやってるんだけどなと、見当外れの反論が浮かぶ。
栄村さんは距離を詰め、僕を下から見上げていた。
なのに、答えられない。僕は結局、どうしたいのだろうか。
金品を返してしまえば、自由だった。
下校の時点で逃げておけば、なにも起きなかった。
なのに僕は、逃げなかった。目的もなく、流されてしまった。
早く平穏に返るため?
事情を知りたかった?
なんのことはない。ただの受け身の行動だ。
その証拠に僕は。
佐久場さんへの態度一つすら決められていない。
「さあ、聞きましょう。どうしたいの?」
答えられない僕。
見上げる栄村さん。
雅紀は腕を押さえたまま、僕達からやや距離を置いている。薄情者。
息を吸って。吐いて。僕は、決めた。
たった一つの好奇心を、自分で認めることにした。
「知りたい、です」
単純で原始的。だが、根本的な欲望だった。
「あの人を知りたい。なにが好きで、なにが嫌いか。どういう生き方をしてきたのか」
言葉を選び、少しずつ紡ぐ。
栄村さんも、うなずいていた。
ただ、単刀直入を聞きたかったようで。
「うんうん。で、結論は?」
「……興味があります」
言葉を間違えたくなかった僕に、一気に切り込み。
僕は結局、逆らえなかった。
「そう、分かったわ」
それだけ言うと、栄村さんは雅紀の方へと向かい。
そして雅紀の。痛めつけた方の腕を、軽く叩いた。
「あいた! なにをする!」
痛がる雅紀に向かって、軽く屈む姿が僕にも見える。
きっと、僕には決して見せない顔をしているのだろう。
「マサキ。今日はお昼、屋上ね。ビッグゲストをご招待するわ」
「はあ? 弁当なんてどこでも……。分かった! 言うこと聞くからそんな顔をしないでくれ!」
声は聞こえるが、こちらからは雅紀のオタオタした顔しか見えない。
それが僕には微笑ましく、悔しかった。
「交渉成立。平助。アンタもお昼は屋上ね」
再びこちらを向く栄村さん。
「いいけど、なにするのさ」
僕は、素直に疑問を口にする。
「いいのいいの。同性の強み、見せてあげるんだから。さあ、マサキ。置いてくわよ!」
「あ、ちょ。待てよ! 俺達カップルだろ!?」
女性に引きずられて急加速するカップル。
その姿を、見えなくなるまで見送って。
僕は一人、同じ制服を着た人混みに紛れて行った。
***
考えるまでもなく当然の話だが、今日も佐久場さんは隣の席にいた。
いわく、教科書は明日には届くらしい。
正直、ホッとしていた。
時期が時期なので、修了式まで続く可能性も否定できなかった。
男子の視線はおっかないが、今日が最後ならまだ耐えられる。
「あの、もう少しこちらに寄せて下さると」
「ああ、ごめんなさい」
ついでに。昨日の会話もあって、事務的な会話なら楽にできるようになっていた。
今日の彼女は、おさげにメガネ。女学生風。
あまり美少女然としていないので、昨日と比べれば遥かに穏やかだった。
そうして、無事に昼休みはやって来た。
四時間目の体育を終えた僕は、下駄箱に隠していた財布を手に購買へ。
適当にパンを購入し、約束通りに屋上へと向かう。
階段と屋上を隔てる鉄のドア。
開けると、一面の青空と、高所ならではの強風。
踏ん張り、見上げて。そのままコンクリートを歩く。
三つの人影がすぐに見つかった。
一瞬戸惑う僕だが、すぐに思い出した。
朝の一件で、栄村さんがビックゲストとかなんとか言っていたっけ。
と、いうことは。三人目は……。
答えが見えて、僕は来た道を戻ろうとした。
心の準備が、足りてないのに。
しかし。
「『知りたい』と言ったのは、平助よね?」
栄村さんに、縫い止められた。
振り向けば、そこに居た。
佐久場さんが、栄村さんの横で昼食をとっている。
「いつの間にお誘いを」
「さっきの体育、ウチのクラスと合同授業でしょ? その時に決まってるじゃない」
そうか。体育を終え、教室で着替えて。
それから屋上へ向かったとしても。
購買は混雑するから、僕より早くてもおかしくない。
「平助、いいからお前も座れ。由美に睨まれてて辛いんだ」
雅紀が口を挟んだ。体育の時とは違い、若干虚ろな目をしていた。
早速余計なちょっかいを出したのだろう。
なるほど。栄村さんが、雅紀と佐久場さんの間に座っている。
「はいはい、平助は佐久場さんの隣よ。今回の目的から考えてもね」
栄村さんが僕を促す。
本心を言えば、問題だらけだ。
しかし、ボロを出す訳にはいかない。
「失礼します」
「どうぞ」
仕方なく佐久場さんの隣に座るが、反応は素っ気ない。
自分から他言無用の件を振っただけに、彼女からボロは出ないだろう。
つまり、僕達は共犯者。この理解ができるだけでも、正直助かる。
そんな事を考えながら、僕は購買で買ったカレーパンを開ける。
するとまたまた、栄村さんからの声。
「平助、また購買のパンなの? 一人暮らしでしんどいのは分かるけど、栄養が偏るわよ?」
「分かっちゃいるけど、色々難しいんだよ。家計だって楽じゃない」
学生の一人暮らしは、大変に難しい。
怠けている訳ではないが、全てのことをこなし続けるには限界があった。
実際、今日も洗い物が水に浸かったままで。洗濯も、二日に一度が限界だった。
「平助の意志だから、文句は言わないけどさ」
「由美。あんまり言い続けると、目的がどっかに行っちまうぞ?」
たちまちお説教始まりかけたが、雅紀が止めに入ってくれた。
助かった。
この件ではもう何回も揉めていたが、考えを改めるつもりはない。
「ん? ああ、そうね。平助、そんな貴方にプレゼントがあるわよ?」
雅紀の言葉で落ち着きを取り戻した栄村さん。
目線で、『佐久場さんを見ろ』と訴えて来た。
よく分からないまま、その通りにする僕。
目にしたのは三段重。
佐久場さんが、途方に暮れていた。
「ゆっくりゆっくり食べていたんですけど。お腹が、そろそろ……」
限界なんです。と言いたげに、彼女は言った。
一段目の八割で、限界を迎えたらしい。
残念な事に、僕には犯人の予想がついてしまった。
あのメイドさんなら、善意でこれくらいやりそうである。
「食べてあげれば? 私もマサキも、手伝うからさ」
「俺の負担がキツそうなんですけ……ハイ、タベマス」
栄村さんからアドバイスが飛び、僕はうなずいた。
茶々を入れた雅紀は、栄村さんに思いっ切り睨まれて。
渋々援護に加わった。
「佐久場さん、僕達も手伝うよ」
「ありがとうございます。助かります!」
お礼の声が胸にしみる。
気力がもりもり湧いてくる。
僕達は手分けして三段重に挑み。
「満腹すぎて。眠い!」
「俺もだ、平助。つらい」
結果、午後の授業でしんどい思いをするハメにあった。
ともあれ、表向きの接点ができたのはありがたい。
今はメシ友。これから先、ゆっくり距離を詰めればいい。