第五話 平助、メイドと遭遇する
朝が来て、鳥が鳴く。
カーテン越しの朝日を受けて、僕は薄い布団から身を起こした。
「もしかして、昨日のことは全て夢とか」
子どもじみた、僅かな期待を胸に秘めて。
恐る恐る日めくりカレンダーに目をやる。
しかしカレンダーは。無常にも今日を示していた。
「ですよね」
一言漏らしてうなだれる。
昨日の出来事は夢じゃなかった。
当たり前なのは事実だけども、叶うなら夢であって欲しかった。
「うう、寒い」
ならばもう仕方ない。現実を見よう。
幸い、今日はきちんと服を着ていた。
万一、二日連続で朝イチ全裸だったら。首を吊っていたに違いない。
急ぎ足でトイレとシャワーを済ませると、再び最低限の食事を作る。
高校生には辛いけど、お金がないと意地も張れないのだ。
「いただきます」
「ごちそうさま」
家には誰もいないのに、どうしても抜けない習慣。呆れるけど、仕方がない。
食事を終えると、通学カバンの整理に取り掛かった。なるべく荷物は減らしたい。
お、今日は体育がある。助かった。少しだけ、普通にしていられそうだ。
とにかく昨日は大変だった。
ならば、今日は反動がやってくるはずだ。
さらば厄日。こんにちは、ラッキーデー。今日こそ、平穏な一日を……。
「お嬢様! せめてお車に! ここから学校は遠いのですよ!」
「いくらかがりの言葉でも、それはできません。ここはお屋敷ではないですし、行先も普通の学校です。歩いて参ります」
……送れなさそうな予感がした。
口論は右側の窓から聞こえる。
アパート内ではない。隣の一軒家だ。長いこと、空き家だったはずなのだが。
声色は結構ハッキリとしていた。
片方が聞き覚えのある声という事実には、目をつぶりたかった。
塀越しにも関わらず、よく通る声だった。
少しだけ考えた。
このままでは、アパートの住人がいつか怒鳴り込みに行く。
その時困るのは? 間違いなく、一番近い部屋に住む僕である。
「まさかね」
聞き覚えのある声に疑念を抱きつつ、急ぎ足で着替えて飛び出す。
そして三分後。
「なんで本当に本人なんですかね」
「いや、すみません。昨日手続きを済ませたものでして……」
見事に僕は後悔していた。
佐久場さんが、目の前で微笑んでいた。
玄関先で、僕はうなだれている。
「えーと。この度越して参りました、佐久場と申します。よろしくお願いします」
昨日と同じ制服におさげを添えて、「隣人」としての挨拶をする佐久場さん。
この場合どうすればいいのだろう。笑えばいいのだろうか。
でも話は進まない。ひとまず。
「隣のアパートの松本です。よろしくお願いします」
一旦隣人としての礼を返し、僕は改めて聞いた。
一応小声で、近寄って。
「と、ところで誰かと口ケンカしてたようですけど。一体なにが……って、うわあああぁ!?」
佐久場さんと玄関の隙間をぬって、手裏剣が僕の足元に刺さった!
一体何が起こったのか。
飛び退く余裕もなく、僕は玄関の奥を見る。
「これは威嚇です。即刻お嬢様から離れて下さい」
するとそこには、悪鬼がいた。
鈍感な僕でも分かる、殺気ムンムンのオーラ。
地の底から響く、殺意そのものの声。
佐久場さんがそっと体をどけて。
僕にも、悪鬼の正体が見えた。
ロングスカートを翻すメイド。
黒を基調とした服に、白のエプロン。
背は高く、髪にはヘッドドレス。
ただし、その手には手裏剣があった。
あまりにもミスマッチ。
メイドに、手裏剣。忍者なのか。
「かがり! お客様になにをするのです!」
「お嬢様に近付き、あわよくば口説こうとする不逞の輩。仮に天が許そうともこのかがりが許しません。否、即刻殺します。お嬢様は私が守ります。トイレであろうが、風呂場であろうが。火の中であろうが、草の中であろうが。仮にお嬢様のスカートの中であっても、必ずお守りいたします」
ヤバい。
直感が囁いた。従者の愛で僕が死ぬ。
この後、確実に惨殺される。
ああ。せめて母さんに、もう少し優しくしておけばよかった。
さよなら母さん。最後はケンカ別れだったけど、愛してるよ……。
目をつぶって脳内に遺書を残し、恐る恐る目を開ける。
だが、僕は生きていた。
むしろ僕をほっぽらかして、主人とメイドが口論していた。
天運、我にあり。
佐久場さんには申し訳ないが、今の内に帰ってしまおう。
抜き足差し足で離脱すると、僕はそのまま学校へと飛び出して。
「ま、そんな話が朝イチであったんですよ雅紀さん」
そして今に至る。
散々だったさっきのできごとを、口混じりに語る僕。
だが雅紀の反応は、どういう訳か「おこ」だった。
「やっぱり昨日何かあっただろ、お前。いや。それ以前の問題だ。佐久場さんが隣の家とか羨ましいぞ。ハゲちまえ」
軽いヘッドロックを食らって、バタつく僕。
だけど、後ろから女性の声。
「マサキはまず落ち着く。後、ハゲろとかそういう事言わない」
そうだった。雅紀と合流するのはいつもの話。
だけど、今日はもう一人いた。
黒のボブカット。
メイクをしていないように見えるのに、輝く肌。
大きな瞳に、ピンクの唇。
雅紀と同程度の、女性にしては高い身長。
スレンダーな体つき。
そして誰にでも優しい性格。ああ、今でもこの人は変わっていない。
栄村由美。
中学からの友人で、かつて僕が好きだった人。今は悔しいけど、雅紀の彼女。
あのクリスマスの直後から、二人は。
「なんだよー。コイツの隣に、容姿バツグンの転校生だぜ? そりゃ羨ましいですよ」
「私がいるのに。なに言ってるの、よっ!」
「いだっ! そ、それはやめてくれ、って言っただろ? 平助、止めてくれ!」
諌められてもなお減らず口を叩く雅紀。その腕に、見事なアームロックがかかった。
栄村さんは、優しい性格に似合わず武道一家の出身である。
必要と判断すれば、実力行使もためらわない。
「気にはしてないけどさあ。さっきの言葉を謝罪してくれた方が、止めやすいんだけど」
若干『ざまあみろ』とか思いつつ、僕も栄村さんの肩を持つ。
僕のために怒ってくれたんだ。ちょっとぐらいの意地悪は、許されていい。
「あああ! 分かった! 俺が悪かった! 平助、ごめん! 許して! 腕が、腕が折れる!」
いよいよ腕が極まった雅紀。
イケメンが台無しになる、すごい顔をしていた。
これ以上はマズい。
「栄村さん。そろそろ解放してあげて」
「いいの? まあ、本人が言うならそうするけど」
僕がとりなしに入ると、栄村さんはあっさりと技を解いた。
雅紀は腕を押さえ、涙目になっている。
関節技って、怖い。
そして、栄村さんの矛先はこちらに向いた。
身体を翻して僕の方を向き、笑顔で問いかけて来た。
「で、平助はどうするの? いえ、どうしたいの?」