第二十六話 平助、裁縫をする
既に彼岸も近いけど、それでもまだ日暮れは早い。ファミレスに到着し、ひとまず落ち着いた頃。外はもう真っ暗になっていた。
「なるほど……。『たまたま色々と隣だったから、相談にも乗って欲しい』。そう言われたのか」
雅紀の言葉に、僕は首を縦に振った。相談の内容がアレなだけで、嘘は吐いていない。自分に言い聞かせる。
「平助、私にも行動できないほど奥手だけどね。ま、情は移るか」
栄村さんも口を挟んでくる。でもその前半、余計です。
後。佐久場さんに関しては行動とかそういう次元の話じゃない。ある意味、結論から話が始まっている。って、言えたら楽なんだが。
僕は黙って頷いた。二人は顔を見合わせ、渋い顔をした。
「それにしても。好意っぽいものは見せられてるくせに、行動できないってよ。そりゃ横からかっさらわれても文句言えねえって」
「しかもスペック的には多分優位でしょ? 特にお財布面。平助、お金はむしろお世話してもらう方だものね」
図星過ぎる。特にお金が辛い。
しかし、僕だって踏ん張りたいのだ。踏ん張りどころばかりなのは、自分が悪い。
「まあまあ、俺達までいじめちゃ、平助が真っ白になるからな。現実的に行こうぜ」
「そうね。現実論で行きましょう」
ああ、助かった。実際危なかった。でも。プライドをズタズタにしてでも、ここは乗り切らねばならない。覚悟って、重いんだな。
「そういう訳でだ平助」
「アンタ、佐久場さんに告白しなさい」
そんな僕の視線を絡め取った二人は、とんでもない要求をふっかけて来た。
「はあ!? そんなバカな。どうしたらそんな結論になるのさ」
僕は反論する。声が大きくなり、周囲の目が向く。
おかしい。佐久場さんを翼くんから守りたいだけなのに、なぜ僕が佐久場さんのつがいに収まらなければならないのか。いや、ある意味理屈としては正しいのか。
「いや、お前がバカだから」
栄村さんが指で僕を鎮め、雅紀からは無情の宣告が与えられる。身を乗り出され、顔が近くなる。言葉が、続く。
「良く考えろ。お前は別に、佐久場さんが嫌いではない。むしろ惹かれている」
僕は頷いた。お京さんにも言われたが、今なら確信を持って言える。その通りだ。
「んで、その人が気に食わない事が。起きようとしている。お前。まだ分かんねえのか? もっぱつ殴るぞ」
雅紀の目が殺気を帯びる。考えろ。雅紀はさっき、俺に『覚悟を持て』と言った。つまり。
「なあ、雅紀。栄村さん」
「なんだ?」
「なにかしら?」
僕は、水を飲み干し、喉の詰まりを押し流す。そして、口を開いた。
「二人の言いたかったこと、ようやくわかった。確かに僕には、覚悟が足りなかったよ」
告げる。気付くのが、遅すぎた。僕はそこまで、頭が悪かったのか。思考が回っていなかったのか。
「そうか。どうする」
雅紀が問う。その目から、殺気はとうに消えていた。僕は相手の目を見ながら、言葉を返す。
「告白はちょっと考えるけど、僕もちゃんとしないといけない。ビビってちゃ始まらない。踏み越えてくる」
その言葉は、普段の僕にはありえないほど。力強く押し出された。
***
「ただいま」
自室のドアを開ければ、いつも通りの部屋。綺麗ではないが、一応整頓はされている。母と住み続けた、大切な我が家だ。僕は畳に制服を投げ捨て、横になった。
「ズル休みしてたから、久々だったのにな。済まない」
雅紀との喧嘩で、ズボンはボロボロになっていた。小さな穴、大きな穴。糸のほつれ。ため息を吐いて、裁縫箱を手に取る。縫いながら、僕は思考を巡らせる。
「告白、か」
ポツリと呟く。さっきは踏み越えると伝えたけれど。「好きだ」という告白だけは、違う気がした。
「好き」と言うよりは、「力になりたい」。「助けたい」。そういう言葉の方が似合う気がする。
「『汝の隣人を愛せよ』だったっけか……」
どこかでかじった、聖書の一節。そうだ。僕が佐久場さんに感じているのは。隣人愛なのだ。確かにそれ以上のことはしているし、惹かれている面もあるけど。
「佐久場さんは、綺麗で。美しくて。嫋やかで。料理ができて。エッチな時はエッチで。こんな僕を選んでくれて」
色々と振り返る。あの人は、素直で。正直で。いつもなにかに耐えていた。
なにかとは、家族からの視線だったのか。自分の中に棲む、サキュバスの血だったのか。それは僕には分からない。
だが、選ばれたことには応えようと思った。
あんなに真面目な人が、苦しんでいる。自分は選ばれた。頼まれた。ならば。
「少しでも、助けになりたい」
またつぶやく。言葉にしないと、消える気がした。針が肌を刺す。痛む。それを敢えて、深く刺した。
「翼くんを、踏み越えよう」
ようやく、決意の言葉が飛び出した。決戦の日は、いつだろうか。僕はスマートフォンを手に取った。佐久場さんとかがりさん。どちらにしようか少し迷って。結局後者に電話をかけた。
「なんだ、貴様か。私はお嬢様のお風呂ウォッチングに忙しいのだ。後にしろ」
そうだった。この人もある意味ライバルだった。むしろ想いの強さでは勝ち目のない相手だった。
しかし今は死活問題。そもそも佐久場さんが場にいないのなら、実に好都合だ。
「盗撮は犯罪ですよ? それより。翼くんの転居は、四月でしたね?」
「うむ。手続きは実家で済ませて、拠点だけをこっちにするらしい。まだお嬢様は抗議しているが、監視役も兼ねると聞いたぞ」
やはり時間がない。やって来てからでは、遅すぎる。
「止めようとするなら、すぐにでも動かないといけませんね」
僕は提案する。意志は本人に伝えるべきだが、打ち合わせも重要だ。
「どうする。そちらさえ良ければ。今すぐにでも、会合に切り替えるが」
「そうですね。今日はともかくとしても、明日はバイトだから……」
今すぐはちょっと無理だ。正直ヘトヘトで、体中が痛い。だけど、遅くなり過ぎてもマズい。
「よかろう。貴様のバイト先へ行く。久々にラーメンを、チャーハン大盛りも添えて食べたくなった。よし、餃子も付けよう。明日二人で、そちらに伺う」
「えっ」
まさかの結論に、僕は言葉を失った。
「いや、ちょっと待って下さい。明日は修了式なので、僕は午後一杯バイトなのですが」
「金は落とす。なんなら貴様を注文する。金があるとは、そういうことだ」
金持ち目線のセリフに、僕は危機感を抱いた。大将達を、どうやって説得すればいいのだろう。
「そうだ。そうしよう。あそこの飯は絶品だからな。今から涎が垂れておる。おっと、お嬢様がそろそろ出てくるか。切るぞ。また明日」
一方的にまくしたてられ、反論できず。
電話は無情な音をツーツー鳴らして。
「どうしよう……」
スマートフォンを手にしたまま、僕は薄汚れた壁を見つめていた……。




