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第一話 平助、転入生に出会う

 三十分後。僕は通学路にいた。

 床ドンに蹴飛ばされた後に時計を見たら、もう時間がほとんどなくて。

 急いで手紙と封筒を隠し、制服に着替えて、家を飛び出した。おかげで朝食もとれてない。


 高校へ繋がる一本道。そこかしこで生徒がおしゃべりしていた。

 僕もまた、おしゃべりに興じていた。相手からの、一方的な会話だけども。


「おーい、松本さんや。平助さんや。人の話、聞いてますか?」

「悪い、聞いてなかった」

 

 飯田雅紀いいだまさきの、低い声。

 小学校からの友人の声は、実に男らしい声だ。

 正直に言えば、羨ましい。


「ボケボケじゃねえかよ」


 雅紀は口をとがらせ、恨めしそうに僕を睨む。

 罪悪感と威圧感が、僕を震えさせる。

 雅紀の体格は、僕よりも遥かに大きい。


「ま、いいや。大サービスで、もっかい、話してやる」


 しかし睨んでいたのはほんの数秒。

 気を取り直した様子で、雅紀は再び会話を切り出した。

 実際聞いていなかったので、助かった。


「『紅い瞳の女』の噂、聞いたことあるか」

「多少は」


 最近このあたりで聞く奇妙な噂に、僕は軽くうなずいた。

 朝からの疲れもあって、ややつっけんどんな受け答えになっている。

 八つ当たりのようで、よろしくはない。罪悪感が、また首をもたげた。


「じゃあ、話は早いな」


 そんな僕の気持ちも知らず、雅紀は語り続けた。

 僕はこの友人が嫌いではない。

 嫌いではないが、思うところはあった。


「紅い瞳をした女が、夜な夜な薄着で出歩いている。それも美人」


 知っている。うなずきで、僕は答えた。

 だろうな、と雅紀も笑う。

 しかし直後。僕は脇に抱え込まれた。


 僕の見上げた目の先で、雅紀の口が、静かに動く。


「んで、だ……。ここからが新情報なんだ」


 僕は息を呑んだ。どうやら、相当の特ダネらしい。

 雅紀はことさら声を潜めて、僕に言う。


「うっかりその女に見惚れるとな。紅い瞳に絡め取られ、童貞を奪われるんだとよ」


 その言葉を認識した瞬間。僕の思考は停止した。


「いやー、被害者は羨ましいな。俺も出会ってみたいもんだぜ」


 素早く離れた雅紀が、のんきな言葉を紡いでいる。

 冗談じゃない。僕は。

 背中を流れる嫌な汗。現実が、僕の心身に刷り込まれていく。


「どうした?」


 雅紀の声が、遠い。コイツには、現実感がないのだ。だけど、教える必要もない。

 アレは夢だ。帰ったらお金も手紙も消えている。

 そう信じ込んで、平静を保とうとするけど。


「おーい? 平助ー?」


 雅紀の呼びかけも、遠くにしか聞こえなかった。


***


 後のことは、ほとんど覚えていなかった。

 気が付いた時には、始業のチャイムが鳴っていた。

 僕も雅紀も、自分の席に座っている。


 どこをどうやってとか、雅紀への埋め合わせとか。考えることはあるけれど。

 でも、それ以上に。童貞泥棒の件が、意識に残ってしまう。

 つまり、僕は。


 しかし考えは打ち切られた。

 バーコード頭の担任が、気だるげにやって来て。

 教卓の前で、声を出す。


「よーし。前向けー。ホームルームだ。今日は転校生が居るぞー」

「転校生!?」

「嘘だろ、この時期に?」


 抑揚のない声。しかし教室はおしゃべりに満ちていく。

 転校生というワードが、生徒を刺激しているのだ。


「静かにしろー」


 再び抑揚のない声。しかしおしゃべりは止まらない。

 雅紀も喋っている。僕はただただ、周囲を見ていた。

 隣は空白地帯で、特に話す相手もいない。


「……まあいい。入ってきなさい」


 諦め混じりのその言葉で、ようやく会話が止まった。

 なんのことはない。皆、転校生が見たいのだ。

 ドアの方向に、視線が集まる。


「失礼します」


 穏やかな声が、教室に響く。

 静かに、ドアが開いた。


 しかし僕は、心臓の鼓動を抑え込んでいた。

 その声に、聞き覚えがあったのだ。

 自分は昨晩、あの声を聞いている。


 細い指。紺のセーラー。セーラーを押し上げる、大きな胸。

 湧き上がる男子の歓声が、遠く聞こえた。

 

 続いて顔。綺麗な顔で、目鼻立ちもよい。

 瞳は蒼。しかしそっくり紅色に変えると、そのもので。

 

 最後に長いポニーテール。解いた姿を、僕ははっきりと覚えていた。


「っ!」


 口の中で声を押し殺し、立ち上がりたい衝動をこらえる。

 まだだ。ここで確認しても、皆に不審がられるだけだ。


 ともかく、転校生は教師の隣に立った。

 皆の目が、そちらを向いている。僕ですら、注目していた。


「よし。じゃあ自己紹介をよろしく」

「はい。佐久場澄子さくばすみこと申します。短い間になりますが、よろしくお願いします」


 教師に促され、転校生は自己紹介と一礼をする。

 その仕草は丁寧で、男共ですら、余計な茶々を入れられなかった。


「黒板、失礼しますね」


 転校生が、自分の名前を書き付けていく。

 やはり。その書体にも、覚えがあった。チョークとペンの違いこそあれ、非常に似ていた。

 だが、もどかしくとも。悪目立ちはしたくなかった。


 名前を書き終わり、転校生が前を向く。

 ポニーテールが揺れると、更に美しさが際立って。


「佐久場さーん、彼氏居るのー?」

「家どこ?遊び行きてえ!」


 ついに男共が動き出してしまった。下世話な質問が、次々と飛んでいく。

 あまりにも気軽過ぎて、僕は引く。いや、積極性は羨ましいけど。


「あー、お前達。ちょっと落ち着け。もうすぐ授業だ。えーと、佐久場の席は」


 担任は教室を見回して。僕の所で止まった。

 

 しまった。僕の隣は。

 先月の席替えで、たまたま生まれた空白。

 そこに担任は目をつけたのだろう。


「よし、松本の隣に決定。佐久場、問題があったら言って欲しい」

「特には」


 あまりの急展開に、僕はぶっ倒れそうだった。

 ついでに男子の視線がキツい。雅紀も睨んでいる。

 お前は彼女がいるだろ。自重してくれ。


 だがそんなこととは関係なく、佐久場さんはこちらに向かっていて。

 その足が一歩動くごとに、男達は目の色を変えていた。


「よろしくお願いしますね」


 声が、僕の思考を引き戻す。見ればやはり、美人だった。

 しかし見惚れる訳にはいかない。

 彼女が『本人』なのか、まだハッキリしていないのだ。


 僕は姿勢を正し、教壇を見た。もうすぐ、授業が始まる。

 隣のことは一旦頭から追い出す。

 そうしないと、今にも教室から飛び出しそうだった。


 しかし。


「申し訳ありませんが……。私、まだ教科書がないんです」

「あー。そうか。松本、隣のよしみで見せてあげなさい。机、寄せてもいいから」


 そんな思いとは裏腹な結末が、結局僕には訪れてしまった。

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