第十一話 平助、月を見る
夜更けの公園。空は暗く、風は冷たい。
さっきも思ったが、間違いなく雪の前兆だ。
それにしてもかがりさん、自由行動してもいいのだろうか?
「なに、雪が降るまでは付き合わせんよ。後、今日はたまたま半休だ。お嬢様は別の護衛が見ている。監視カメラは、たっぷり仕掛けてあるがな。ぐひょっ」
一瞬聞こえた奇声を、僕はスルーした。
犯罪の香りもしたけど、そっちもスルー。
聞きたいことは多くあれど、必要な会話に絞りたかった。
「で、なんの用です? 帰って寝るだけとはいえ、僕も暇じゃあないんです」
刺々しい物言いになってしまったが、とにかく話を進めたかった。
もう一つ言うと、学生服の下が凄く寒い。
明日は、もうちょっと着込むことにする。
「そうだな。では単刀直入に聞こう。明後日、お嬢様に招かれたな?」
「はい」
ダッシュで間合いを詰めるような問いかけ。
しかし僕は、ノータイムで切り返す。
この人相手に嘘を吐いても、ロクなことにならない。経験が、そう言っていた。
「そうか。明後日は、新月だ。お前はその意味を聞かされているのか」
天上の月は、もうかなり細くなっている。
それを見上げて、かがりさんは口を開いた。
「ええ。本人の口から。確かに」
僕も、月を見上げて答えた。あの日の記憶を、今一度思い出す。
***
あの日、あのS・Cで。佐久場さんはこう語った。
「……と、まあ。基本的にはそういう話なのですけど」
かなり過激なものも含まれていた、佐久場さんの告白。
しかし僕は、言葉を受け取ることしかできなかった。
ドン引きどころではない。感情が凍り付いていた。
無論それは、今思えばという話で。
あの時は脳がパンクしていたのだと思う。
聞き取る以外になにもできなかった、というのが正しい言い方になるだろう。
「ですが。新月の夜だけは、事情が変わります」
コーヒーのおかわりを貰ってから、彼女は再び言葉を紡いだ。
真剣な目は、なに一つ変わっていない。
「新月の夜。空より見下ろす神の眼が消える夜。私に流れるサキュバスの血が、完全に目覚めるのです」
「……つまり、どうなるのです?」
その問い掛けは、ワンテンポ遅れた。
普段の暴走と、なにが違うのか。
どうしても気になった。
「正直、覚えていることは少ないです。私は自分の中に流れる血を。肯定できておりません」
佐久場さんは、飲みかけのコーヒーに口を付けた。
どことなくキスの顔を思い起こさせるものがあり、一旦目をそらす。
「……目を覚ました時に、複数の殿方が周りに倒れていたこともありました。私の覚えのない場所で、私の覚えのない殿方と。一夜を過ごしていたこともありました。おぼろげな記憶の私は。男を誘い、魔性の力で。殿方の精を、食らっていたのでしょう」
佐久場さんは目を伏せ、過去のことを語る。
本来真面目な彼女にとっては、なにがあっても話したくないことだろう。
「私は、私を理解しているつもりです。ですが、新月の私だけは。どうにも理解ができません。普段の暴走はある程度抑えが利きますが、新月の夜に関してはどうにもならないのです」
それはきっと、暴走ではなく。『覚醒』なのだろう。
この時、僕はそう当たりをつけた。とはいえ優先順位は暴走の方だった。
あの時はそっちの衝撃が大きかったのだ。
「……その『どうにもならないもの』を、僕になんとかして欲しいと?」
当時、僕が返した質問は、今にして思えば、バカにも程がある問いかけだった。
まあ仕方ない。あの時の僕の思考じゃ、アレが限界だったと思う。
「そう仰られても、文句は言えませんね」
佐久場さんは、再びコーヒーに口を付けた。
それきり、この件について語ろうともしなかった。
僕も、暴走の方へと意識を引き戻した……。
***
「忘れてはいませんが、少々思い出すのに時間がかかりました」
僕は、正直に打ち明けた。
素直でよろしい、と言いたいのだろう。
かがりさんは、静かに頷いた。
「新月の夜だけは、なにが起こるか分からん。かつても今も、私はその日だけお世話から外されている」
月を見上げたままのかがりさん。
その表情を、僕は横目で見た。
しかし頬を伝うものに、押し戻される。沈黙が、場を覆った。
「松本平助」
一分ほど経ってから、ようやくかがりさんが口を開いた。
「私は、お前が嫌いだ」
「ですよね」
僕は、平然と返した。
あんな出会い方で、好かれてると思える方が不思議だ。
「だが、悲しいことに。お嬢様は、貴様を選んだ」
言葉は。選ぶように、紡がれる。
彼女は相変わらず、月を見ていて。
「松本平助」
もう一度、同じ呼び掛けをされる。
この人がなにを言うのか。少しだけ気になった。
「恥を忍んで言う。お嬢様を守る者として、お嬢様を支える者として。私と手を組んで欲しい。こちらとしても、余程でない限りは貴様に危害を加えたりはしない。お嬢様についても、教えられるだけのことは教えてやる」
僕は、沈黙した。夜
風が、言葉を押し流す。
未だに、かがりさんの表情は見えない。でも、言いたいことは分かった。
かがりさんはかがりさんなりに、冷戦状態を良くないこととしたのだ。
だから、敵意を飲み込もうとしている。
わざわざ呼び出したのは、そういうことだ。
「承知しました。ですが」
「む?」
意図が分かれば、答えは簡単だ。
僕だって、股間切除とかはされたくない。命は守りたい。
だけど。
「佐久場さんについての話は、本人の意志を待ちたいと思います。カンニングは、好きじゃないので」
問われてなお、声は落とさず。
月から目を離して、言葉を紡ぐ。
そうだ。僕は佐久場さんを知りたくて、あの四人飯の場を作ってもらったんだ。
だから、カンニングはズルい。
佐久場さんだって、きっと喜ばない。
「そうか」
彼女の返事は短かった。
その目は、月を見たままだった。
「少しだけ、貴様を見直した」
ただ、最後に付け加えられた一言。
それが彼女の真意だったと思いたい。連絡先を無言で交換し、解散した直後。
雪がしんしんと降ってきた。




