第九話 平助、数を盛る
僕の隣に佐久場さんが現れてから。あっという間に一週間とちょっとが過ぎた。
いや、あっという間と言うにはあまりにも濃厚だった。
どぎついタイプの、ラーメンだった。例えるなら、家系ラーメンか。
まあそれもそのはずだ。
佐久場さんとの契約履行が、あれからもう一回あった訳で。
しかもその一回、やらかして殺されかけた。
一応やらかしそのものは佐久場さんの望みで、お互い合意の上だったことなんだけど。
暴走したかがりさんがそんな抗弁で止まるはずもなく。
危うく股間を切除されるところだった。よく生きてると、自分でも思う。
そんなこんなで迎えた今日は、二月十四日。
聖バレンタインデー。
モテない男にその事実を突きつけ、処刑を行うあの日である。
真実かどうかも分からない宗教挿話に、製菓会社がもっともらしいキャッチコピーを添えて。
女子の純心を弄ぶかのように、売上の向上へ突き進む。
全くいただけない話だ。
で、そんな光景は僕の目の前でも繰り広げられていた。
「はいマサキ。これあげる。作るのはキツいから市販の奴だけど、ラッピングだけは凝ったから」
「うおっとぉ? 本命チョコキター!」
昼休みの屋上。繰り返す内に、いつの間にか恒例になっていた四人飯。
全員が食べ終わって一息ついた頃。
顔を朱に染めつつも、栄村さんが雅紀へ向けてチョコを投げ渡した。
当然のように本気でキャッチし、喜ぶ雅紀。
そんなリア充の茶番に、僕は。
「なお、これで本命チョコは十個目である。リア充爆発しろ」
暗い喜びと共に、倍に盛った個数をつぶやいてやる。
当然、栄村さんは怒り出した。
身内ノリだからこそできることだが、溜飲は下がる。
「マサキィ! やっぱりそのチョコ返しなさい!」
「平助! 倍盛りは酷えだろ! 貰ったのは五個だけです! 多分義理も混じってます!」
雅紀が言い返しつつ逃げ出す。
当たり前だ。彼女からの本命チョコを、返す訳がない。
「貰ってることそのものがアウトよ!」
負けじと栄村さんも叫び返す。
重なる恨み節。たちまち始まる追いかけっこ。
そんな姿を横目に、僕は佐久場さんの方を向いた。
横座りで、太ももにはハンカチ。お重ではなく、少し小さめの弁当箱を手にしている。
あの三段重はなかったよなと、今でも思う。
「すみません、騒がしくて」
若干言い訳じみているが、とにかく謝罪はしておく。
でも、佐久場さんはクスクスと。ツインテールを揺らして笑っていた。
普段よりも少し幼く見えるが、これはこれで、可愛い。
「どうしました?」
クスクスと笑う彼女が気になって、僕は聞いてしまう。
多分、好意的な反応だとは思うのだけど。
「ああ、いえ。他意はございません。でも。微笑ましいなあって」
佐久場さんは、淀みなく答える。うん、やっぱりそうだった。
それにしても。微笑ましい、かあ。
自分でも、やり過ぎたかなと思うのだけど。
「家の都合上、ああいうイベントには縁が薄かったものですから。見ていても、楽しいのです」
そんな僕の表情を読み取ったのか、佐久場さんが言葉を継いだ。
なるほど。家の都合なら……。いや、待て。
そういえば、かがりさんはメイドで、佐久場さんを呼ぶ時は『お嬢様』と言っていた。
もしかして佐久場さんは、僕達が知らないだけで。実はイイトコの娘さんなのではないだろうか。
気付けば最後。様々な過去のパーツが収束していく。
「あっ……。その、ちょっとお耳を貸していただけませんか?」
しかしその思考は、佐久場さんの申し出によって中断させられた。
唐突な申し出。
秘密が守れるか、視界を見渡す。雅紀が、逆エビを食らっている最中だった。
僕の理性さえ除けば、大丈夫。
そう確信して、身体を佐久場さんに寄せた。
香水かなにか、いい匂いが微かにして。
佐久場さんが、僕の耳に顔を寄せる。
身体が軽く触れ、胸の感触で僕はざわつく。
もう何回も寄り添ったはずなのに、それでも危ういものがあった。
「……明後日の夜なんですけど。お暇でしたら、即座に私の家に来て欲しいのです。大丈夫です。これはかがりにも睨まれない行為です」
奏でられる吐息が、僕の心臓を押し潰さんばかりで。
今までも色々と声を聞いてきたけど、新しい扉が開けそうだった。
かがりさんが、時折変態じみた行動になる理由も。少し理解できてしまった。
頬が熱い。股間が熱を帯びそうになる。
でも返事が最優先だ。
表情を隠すように、佐久場さんに寄り添い。軽く腰を引いて。
「承知しました。金曜日はバイトもないので、準備を済ませたら即行きます」
震えが残る声で、そっと耳元に返事をする。
佐久場さんの身体が、かすかに震えていることに気づく。
なんだ。佐久場さんも、そうなるじゃないか。
「失礼しました」
どちらからともなく、謝罪の言葉。
至福の数秒間が終わる。佐久場さんが、なにもなかったかのように元の位置に戻る。
僕も深呼吸して、必死に表情を保つ。
しかしこの時、僕の視野は狭まっていて。
向いていた視線には、全く気付けなかった。
「あだだだだ! 折れる! 折れます! 死ぬううううう!」
雅紀のタップと懇願の声が、屋上に虚しく響いていた。




