愛情と憎しみ
話し終えるとお父様は下を向きプルプルと震え、お母様は非常に良い笑顔でどこか遠くを見ていた。自分の不甲斐なさが後ろめたかった。もう少しリディやマノンの言動に注意を向けていれば。もっと婚約者と良好な関係を築けていれば。後悔ばかりが頭を過る。
「しかし、アンリエットがマノンさんを庇って自白したとはいえまともな証拠もなく有罪判決とは……此方の根回しが間に合わなかったのもあるが、随分と用意周到だな」
お父様は苛立ちを隠す様子もなく溢した。わたしは震える手で紅茶を飲みながら頷いた。
「実際には、リディの申し立ては事実と妄言が入り混じっているのです。ただ、今回の記念パーティにおける傷害事件とわたしの自白は紛う事なき事実。それが決定打になってしまいました。それによって曖昧だった妄言が事実であると……そう判断されてしまったのではないでしょうか。何よりリディにかなりの同情票が入っていたようですし、侯爵家が味方になれば、打てる手はもうなかったかと……」
わたしの知る『事実』はマノンによる暴言、わたしがリディに講義を受けさせるために鍵をかけ閉じ込めていたこと。その二つだ。裁判で初めて知った『妄言』は、講義や訓練、剣舞踊に参加させてもらえないなどの嫌がらせ、突き飛ばされて暴言を受ける、拉致監禁など。中途半端に事実を織り交ぜているのでいやに現実的だ。
「お父様、お母様、わたしは自分のプライドの為に魔女となり必ず復讐します。聖女たちの為にと甘んじて受け入れたとはいえ、誰がこのような老婆の姿でたった10年の余生を生きる事ができるでしょう。このままではまたご迷惑をかけてしまいます。 ……わたしはどのような処罰でもお受けします。老婆となったわたしが、伯爵家のために役立つことはないでしょう。どうか……どうかこれ以上ご迷惑をおかけする前に、縁をお切りください」
座っていたソファから立ち上がり、床に膝をついて頭を下げる。自分の細くなった手首を見ながら二人の言葉を待つが、いつまでたっても反応がない。頭を持ち上げようとした時、ぐいと襟元を持ち上げられ身体が浮き上がった。
「お前の望みは私達と縁を切ることなのか!? どうして私達を頼らない! どうして何もかも一人でやろうとする! お前は大事な一人娘なんだ。迷惑をかけられるくらいで倒れる私達ではない!」
お父様の目から大粒の涙が零れ落ちていた。お父様から目を離す事ができなかった。お父様はお母様に制され、やっとわたしから手を離した。
うずくまりゴホゴホと噎せる。侍女に手伝われなんとかソファに座りなおし襟元を正した。
「……すまない、カッとなってしまった。ちゃんとお前の話を聞こうと決めていたのに、ダメな父親だ」
「いいえ、お父様のお気持ちはとても嬉しいです。けれど、魔女の存在はそれほど簡単に片付く問題でもないはず。もしわたしが伯爵家の保護のもと魔女に弟子入りすれば、親類はもちろん、大公閣下にも説明を求められることでしょう。なので……形式的にでも伯爵家から絶縁されるべきだと思ったのです」
そしてとある筋から『古の魔女』と連絡をとり弟子入りを承諾してもらっている事、直ぐにでも伯爵家へ迎えに来る事を伝えた。
「そうか。そこまで話が進んでいるんだな。 ただ、お前が私達の娘であることは変わりない。絶縁など建前上であっても考えることもないし、親類も大公閣下のことも私がなんとかする。だから私達も可能な限り支援しよう」
その言葉にまたわたしは涙を流した。
そうして長かった帰省初日は終わりを告げた。
(少し肌寒くなってきたわ……)
わたしは庭園を散策していた。老婆になって以来、日が昇る前に目が覚めてしまうので早朝の散歩を日課にしている。ちなみに夜は食後には眠くなるのでまともに起きていられない。早寝早起きの魔女だなんて、とんだお笑い種だ。
庭園は隅々まで手入れが行き届いている。そんな中でわたしが一番お気に入りなのが、大きな木とその根元に広がる芝生だ。その大きな木は庭園の中で最も奥にあり、庭園の入口や邸からの視線を遮ってくれる。
芝生の上で手足を投げ出し座り込んだ。知らず知らずのうちに気を張っていたのか、大きな溜息が溢れる。
ふと、元婚約者の顔が頭をよぎる。侯爵家の彼らの望みがこの魔力であることはわかっていた。魔力の強さは遺伝する訳ではないと研究成果が出ているとはいえ、聖女を娶りたがる貴族は多い。一種のステータスのようなものだ。大公閣下の采配で婚約したときわたしは14歳で、その時点で次期筆頭聖女であった。それ以来、定期的に社交の場に連れ添って参加したり、大公宮殿に来訪の際に顔を合わせたりと少しずつ距離を縮めていた。と、わたしは思っている。
あの二人がどこで出会ったのかもわからないけれど、二人に抱いていた僅かな好意も今では全てかき消え、憎悪に変わっていく気がした。
突然ばさりと羽ばたく音がした。わたしが見上げた先には真っ黒な羽を休め此方を見つめるカラス——レイブンがいた。
「レ、レイブン様、おはようございます。このような所で何を?」
感傷に浸っていたところを見られ、気恥ずかしい。咄嗟に話しかけてしまったけど、レイブンはこの姿で話す事が出来るのだろうか。
そんなことを考えていると、レイブンはばさりとわたしの隣に降り立ち、足でぽふぽふと芝生を叩いた。足首には筒が固定されており、そこには丸まった紙が入っていた。
「あら、これは……アルバ様からの手紙ですね。ありがとうございます」
わたしは手紙を開いた。
『2、3日中に古の魔女が行く。俺も立ち会うから準備を。酒も用意しておけ』
アルバらしい簡潔な文章にくすりと笑いが漏れる。
遂に古の魔女に会うことができる。美しかった艶やかなブロンドの髪は、今では殆どが白く変わってしまった。準備などとっくにできている。ふつふつと湧き上がる憎しみを堪え、伯爵令嬢らしい微笑みを浮かべレイブンに頭を下げた。
仕事の都合で次の投稿は2日後になります。
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