聖女の意地
翌日に建国記念パーティを控えた夜、扉えをノックする音が聞こえた。
(こんな時間に誰?)
リディだった。リディの顔を見るのは数日ぶりだ。お互いに顔を合わせないようにしていたからかもしれない。
「アンリエットお姉様にお伺いしたいことがあるんですー」
「……何かしら」
「次期筆頭聖女って誰ですか?」
突然何を聞くんだろう。リディが聖女となってすぐにマノンを任命したのは知っているはず。年齢的にも実力や人望的にも彼女以上の人は居ない。
「マノンよ、変更はないわ」
「そうですかー……ならしょうがないか、引きずり落とすしかないですねえ」
「っ! あなた一体何をするつもり!?」
ふふふ、と可憐な笑みを浮かべながらリディは言った。
「最底辺からここまでやっと上り詰めたんですよ? 全てをわたしのものにしたいだけ。それにはあなたもマノンも邪魔なの。その為の切り札ももうわたしの手元にあるわ。あなたは大人しく引退してくださいな」
そういってリディは部屋を出ていった。歴代の聖女たちが作り上げてきたものを、自分の欲望のためにぶち壊そうとしている。許せない。何を犠牲にしてでも大切な聖女たちを守ってみせる。
翌日、宮殿内で建国記念パーティが催されていた。例年パーティの締めくくりには、聖女たちによる『剣舞踊』が行われる。魔力を纏った剣を使って一糸乱れぬ舞を披露するのだ。困ったことに、リディは剣舞踊の稽古にも参加しなかった。そのためリディを除く6人で舞うことになる。
わたしたちは大公閣下の側で、次々と挨拶に訪れる貴族と歓談していた。先程からリディの姿が見えない。すると突然人混みをかき分けこちらに向かってくる二人の姿が見えた。リディは艶やかな黒髪によく映える真っ白なドレスを着ている。どちらかと言えば童顔でかわいらしい印象を受けるリディだが、今夜の装いはまるで貴婦人が主人と共に夜会に出席する時のような妖艶さだった。
剣舞踊の衣装で参加する聖女たちを一瞥し、隣を颯爽と歩くエドゥアールの腕に絡みつく。
エドゥアールは大公閣下の前に進み出て、右手を体に添え一礼した。それに続き隣のリディも流れるような所作で裾を摘み会釈した。
「久しいな、ユゴーの長男坊。……お前の隣に居るのは、うちの聖女ではないか? 何故お前と共にいる?」
「大公閣下、ご無沙汰しております。この度は聖女リディとの婚約を認めていただくためご挨拶に参りました。以前の婚約者の家には本日婚約破棄の申し入れを行いました。閣下の大切な聖女を貰い受ける為、ユゴー家はより一層公国に尽くしていく所存です」
エドゥアールは胸を張り高々と宣言する。周囲の貴族たちは状況が読み込めずざわざわと様子を伺っていた。エドゥアールの目には、大公の後ろに控えているわたしも、少し離れた所に居るバルバストル伯爵夫妻のことも目に入ってはいないのだろう。大公閣下は頬を染めるリディと溜息をつき足元を見つめるわたしを一瞥し、エドゥアールに向き合った。
「お前の私事を、このような盛大な記念パーティで持ち出すなど言語道断。教育が足りんのではないか? ユゴー」
くるりと振り返った先には、顔を青白くさせ額に大量の汗をかいたおじさん、もといユゴー侯爵が立っている。
「も、申し訳ございませんッ! 責任を持って処理させていただきますので、後日改めてお詫びに伺わせていただきたく……」
「よい、何度も其奴の顔を見たくはないわ」
ケラケラと笑いながら大公閣下が上座の席へ戻っていった。見守っていた貴族たちもそれを見て元の場所へ戻っていく。
婚約者であるはずの男のやりとりをぼうっと見つめていたわたしは、いつまでもそこに立ち尽くしていた。
パーティも佳境に入り、『剣舞踊』が始まった。
刃渡り30センチ程の模造刀に魔力を込め、6人の聖女達がそれぞれ舞台へと立つ。色とりどりの光を纏うもの、明るく点滅するもの、美しい陽炎を発生させるものもある。そしてわたしは、模造刀を自身の身長ほどに伸ばし、蛇のように緩やかに操った。
それぞれの特性を生かした模造刀で踊る剣舞踊は、見る者を魅了した。たった8歳から18歳までの少女達の織りなす剣舞踊は、まるでたくさんの蝶が舞う姿を映しているようだと、誰かは言う。
剣舞踊も終盤になり、6人で大きく両手を振りかぶったところで、会場の端からキャーーーッと叫び声が上がった。
(な、なに? 今の声はまさかリディ?)
会場は騒然としていた。エドゥアールに支えられるリディの右腕から血が流れ落ちている。真っ白な美しい衣装がどんどん赤く染まっていく。その側には剣舞踊で使用されている模造刀が落ちていた。
直ぐに衛兵が駆け寄るが、リディは大丈夫だと言うように手で制し舞台を指差した。
「舞台から刀が飛んできたのっ! ……どうして、マノン」
リディに向けられていた視線が一気に舞台上にいるわたしたちに向けられた。わたしの直ぐ側にいるマノンがぶるぶると震えている。
「……リディとりあえず先に手当をしよう」
「いいえエド様、わたくしは大事ありません。仮にも聖女、自分の力で血も直ぐ止まります。それよりも今ここではっきりさせねばなりません。……マノン、貴女は以前よりわたくしに対し暴言や嫌がらせを行ってきました……アンリエットお姉様にご迷惑をおかけするからわたくしは我慢するしかないと……そう思っていました」
リディは体を震わせながら嗚咽を漏らした。エドゥアールはそんなリディの側に寄り添い肩を抱いている。その様子を見守る観客からは憐れむような視線が投げられていた。
「っけれど! こんな方法はあんまりです! 確かに、エドゥアール様の婚約者の座をアンリエットお姉様から奪ってしまったのは事実です。……ですが、魔力を纏った刀を事故に見せかけ投げつけるなど、聖女の風上にも置けません!」
目に涙を浮かべマノンを睨みつける。マノンは右手に握ったままだった刀をカランと落とし膝をついた。
「も、申し訳ございませんでした……! ま、まさかこれ程の怪我を負わせてしまうなんて——」
そう言いかけたマノンの前にわたしは立ち塞がった。聖女として誰にも負けないようにと鍛え上げられた微笑みを浮かべ、大丈夫、とマノンに呟いた。
「マノンが行なった暴言や今回のことも全てわたくしの指示です。マノンを使いリディを追い出そうとしたのです。全てはわたくしの責任です」
庇うように歩を進めリディの前で立ち止まると、口の端でにやりと笑うのが見えた。
彼女の思惑通り事が進むのは気に食わないけれど、今回必要な犠牲はわたしだ。
「な、なんて事だ……リディの美貌や失った婚約者の座を羨み、命を狙うなど! 衛兵! 直ぐにこの女を捕らえよ!」
エドゥアールが叫ぶと待ち構えていた衛兵達がわたしを取り囲んだ。舞台上でマノンが何かを訴えているのが聞こえた。優しいマノンだから、今回のことで自分を責め続けてしまうんだろうな。
「事実なのか」
人混みが左右に別れた先に、眉間に深く皺を寄せた大公閣下が佇んでいる。
「はい、大公閣下。これまでのご恩を仇で返すことになってしまい申し訳ございません。どのような処罰でも厳粛に受け入れます」
「……連れて行け」
わたしは頭を下げて、衛兵たちの後に続いた。震える膝も潤む瞳も伯爵令嬢のプライドで抑えつけ、微笑で観客たちの視線に耐えた。
「……ごめんなさい」
聖女達の泣き喚く声を背に、ぼそりと呟いた声は誰にも届かなかった。
少し長くなってしまいました。
過去編はここまでです。