執行
手枷が手首にめり込みヒリヒリする。刑務官と研究所の衛兵に連れられ、真っ白な部屋に入室した。少し待て、と2人が退出した後、キョロキョロと部屋の中を観察した。
真っ白な部屋には、大の字で固定するのであろう硬そうなベッドと、これまた真っ白な鍵付きの棚と手洗い場があるのみ。扉の反対側には大きな鏡があり、ボロ切れをまとい手枷をつけたわたしが映っていた。
(あぁこれは魔法の鏡ね)
教会へ手伝いに駆り出された時に懺悔室の裏で見たことがある。相手に知られず裏から覗き見るだなんて悪趣味だなと他人事だったけれど、まさか自分が覗き見される立場になるだなんて。
自称被害者と侯爵夫妻、その息子の元婚約者辺りが居るのだろう。わたしが老婆になるのを見たくてたまらない、という顔をしていたし。
ガチャリと鍵が開き、先程の刑務官と衛兵が戻ってきた。最後尾から現れたのは、白衣を着た小柄な青年だった。
「じゃあ始めるからさっさとそこに寝て」
彼はベッドを顎で示し、そそくさと準備を始めた。
刑務官に手伝われ大人しくベッドに横になると、手枷が外された左手に点滴を打ち始めた。
「……生を吸い取る魔石は精神と身体に莫大な影響を及ぼす。念のため睡眠導入剤で眠ってから使用する。起きて問題なければ終了だ」
とても簡潔に、そしてめんどくさそうに説明された。
どのくらいの時間がかかるのですか、と口を開こうとすると目の前がぐるぐる回り出し、そのまま真っ暗になった——
————喉が渇いた。
頭がぼうっとして何も考えられない、ただただ喉が渇いていた。
そっと目を開けると、室内は暗くどこにいるのかわからないけれど、あの白い部屋からは移動したようだ。カーテンの向こうが少し明るい。
「……あの、だれか……」
誰か居ませんか、そう聞こうとした声が驚く程しわがれていて声が出ない。ゲホゲホと咳き込んでいると、いきなりカーテンが開いた。
「やっと起きたか」
あの時見た白衣の青年だった。白衣は着ていないし、何故か髪はボサボサだった。
「お前3日も寝てたんだぞ。死ぬ気か」
そう言いながら水差しから水を注ぎ手渡された。受け取った手が目に入り、驚きで震えた。皺だらけで血管は浮き、腕もくっきりと骨ばっている。血色は悪く、白かった肌もくすみ見る影もない。手が震えるのは驚きのせいだけではないようだ。熱いものが込み上がってくるのをぐっとこらえ、そっと水を含んだ。
「もうすぐ朝だ。日が昇ったら検査する。それまで休め」
青年はすぐに出て行った。わたしはそれをぼんやりと眺めていた。
窓の向こうから朝日が昇ったころ、青年が見習いの少年を連れて戻ってきた。今度は白衣を着ている。10歳くらいの少年に車椅子を押されながら向かった先には、『光の儀』で触れたあの聖杯があった。魔力がなくなったことを確認するため、わざわざ大公宮殿から借りてきたと言う。
「じゃあ、触れてみてくれ」
7歳の時には聖杯の半分まで魔力が溜まり、100年に一度の逸材だと騒がれたものだ。筆頭聖女となった時には聖杯から今にも溢れるほどの魔力があった。推定80歳の今では底が潤うこともないだろう。震える右手を左手で支えながら、そっと聖杯に触れた。
————ピィィィィィィン
部屋中に聖杯が共鳴する音が響いた。驚いてすぐに手を引っ込めるとその後を追うようにぼたぼたと聖杯から魔力が零れ落ちた。
(と、止まらない……)
焦って隣に立つ青年を見上げると、深く深く眉間に皺を寄せていた。
部屋が水浸しになった頃、やっと聖杯から溢れる魔力が止まった。何が起こったのかわからなくて居心地悪く車椅子の上で小さくなっていた。
先程から青年は微動だにせずこめかみを押さえ続けている。
「……アンリエット・バルバストル」
「っはい」
青年に初めて名を呼ばれ、身を強張らせた。
「無かったことに」
「……はい?」
「無かったことにしよう」
意味がわからなくて首を傾げた。わたしはいわば犯罪者だ。聖女リディに対する殺人未遂、暴行傷害罪、拉致監禁等々……全て冤罪だろうと有罪判決は出てしまっている。無かったことになど出来るはずもない。
「アルバ様、いくらなんでも説明が足りないんじゃないですか」
ずっと黙ったままだった見習いの少年が初めて口を開いた。そしてわたしの正面に回り込み、目線を合わせてきた。
「アンリエット様、ご挨拶が遅れてすみません。アルバ様の側近で神官見習いのレオンといいます。この方はアルバ様でこの研究所の所長を務める神官です。アルバ様はとっても言葉が足りない上に口が悪いので、ご気分を害されたならすみません」
「い、いいえ、大丈夫です。ありがとう。ところでなかったことに、と言うのはどう言う意味なんでしょうか?」
ちらりとアルバを見てからレオンに聞いた。アルバは未だ考え込むようにしていたが、突然顔を近づけてきた。
「魔力が無くなっていないことがバレると、お前は自由の身になることはない。あの馬鹿侯爵家が騒ぎ立てるとこちらも迷惑だ。聖杯の結果を改ざんして、お前の魔力はほぼ無くなったということにしよう」
つまり、協力関係ということか。こちらとしては有難い申し出だけど、アルバにはデメリットばかりでメリットはないんじゃないの? そう問うとニヤリと笑った。
「普通なら魔力量は20歳をピークに落ちるはずが、とんでもない底なしとなった。俺からすれば絶好の研究材料だ。その研究に協力してくれたら、悪いようにはしない」
後のないわたしは、この悪魔のような申し出に頷くことしかできなかった。