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3.現場検証

「突然にも関わらず訪問の承諾をいただきまして、ありがとうございます」


 まったく心がこもっていない挨拶は、被害者である栄美子が住んでいた部屋の玄関先で行われた。一応頭は下げるが、お辞儀と呼べるだけの角度には到底達していない。相手にもその無感情な瞳が見て取れたことだろう。

 重い腰を上げた九瀬は、それでも一度決めると行動は素早く、すぐさまどこやらどこかへと電話を掛け約束を取り付け地下鉄に飛び乗り、おおよそ三十分後には事件現場に到着していた。


「……いえ。栄美子がなぜあの男に殺されねばなかったのか。どうか、解明してください」


 客を客とも思わぬ態度の九瀬であったが、母――恵子は意に介せず深々と頭を下げた。その丸められた背中には、愛する一人娘を亡くした憂いがありありと表出している。

 真琴は慌てて九瀬の分まで丁寧に応じた。


「さて、始めるか」


 素早く靴を脱ぎずかずかと上がりかまちに入り込む。そして短く細い廊下を早歩きで進み、すぐに停止した。


「栄美子さんが刺されたのはここですね」


 足下に向かう九瀬の視線の先には、白い花が生けられている花瓶があった。献花のつもりなのだろうが、場所が場所だけに足を引っかけそうで危なっかしい。


「はい。一週間経つのでもうすっかり片付いてしまいましたが」


 たしかに、フローリングの廊下は顔がかすかに映るほど綺麗に磨かれており、惨劇の気配はすっかり消えていた。それでも、真琴には母親の『しまいました』という語尾に洗い流しがたい切なさが聞いて取れた。

 だが九瀬は事件以外にとんと興味がないらしく、


「そうですね。ここから新たな証拠を見つけるのは厳しそうだ」


 とあくまで淡々と述べ、花瓶の脇を擦り抜けリビングに踏み込んだ。

 栄美子の部屋の間取りは至って典型的なワンケーである。廊下とリビングを区切る扉のすぐ左右にトイレの扉とキッチン。リビングは六畳であり、三十間近の女の部屋としては非常に手狭である印象を真琴に与えた。だが、それと同時に一人のヒモを強靱な意志で支える生活の匂いというのも感じられた。

 リビングに入るとすぐ右側に大きな机が設置されている。部屋の広さと比較すると不相応と言えるほど立派な木製の机で、椅子も革製でリクライニング可能なものを置いていた。デザイン的には飾り気に欠けたあまり女らしくなく、実用性やコストパフォーマンスを重視していたようである。

 九瀬は机の片隅に備え付けられている小さな棚に目を付けた。母に断りを入れてから、並ぶ本の表紙を素早く確認していく。そして一冊の大学ノートを引き出した。


「事件当日、机の上に置かれていたノートというのはこちらですか」


 慌てて背後から覗き込む真琴。そこにあったのは表紙の真ん中に『日記』とだけ、綺麗な字で書かれたものだった。そんな話聞いてなかったと唇を尖らせそうになるが、よく考えればここまで細かいことを説明してくれる親切さを求めることが間違いだと思い直す。

 母親は少し目を丸くして驚きを露わにした。


「ええ、そうですが……。私、ノートの題名までお教えしましたか?」

「いえ。推測ですらない希望的観測ですよ。ただ表紙を一目見て、これだけは明らかに異彩を放っていた」

「異彩? どういうことですか」


 真琴の目にはただのノートにしか見えないそれが、どういう異彩を? 尋ねると、九瀬は棚からもう一冊同じ種類のノートを取り出した。

 その表紙には、『日記 2016・4~』とある。


「日記は他にも何冊か存在しているが、最初に取り出したこの一冊だけ日付が書かれていない。同じノートが並んでいる中で、判別するには日付を確認するしかないだろう。それを書き忘れることなど普通は有り得ない。何か、作為的なものがあったのだろうと推測できる。とはいっても、事件当時にこのノートを使っていた根拠は何一つないのだがな」

「作為的に日付を書かなかったことに、何か意味があるんですか」

「もちろんある。日付を書かない日記なんて使い物にならないだろう。逆に言えば、このノートは日記以外の何かを書くために使われていた可能性が高い」

「なるほど。で、一体何を?」

「それは俺でなく、こいつが教えてくれるだろう」


 トントンと軽く指で表面を叩き、そして軽い調子でページをめくった。

 そこに綴られていたのはまさしく《愛》を体現したような言葉の数々。

 たちまちの内に、真琴の瞳は湿り気を帯びていくのであった。

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