三話 冒険者・依頼
生活や文化から何から何まで異なるこの異世界で、言語が違う加能性は十分にあり得る。話が奇跡的に通じたからと言って異文化圏で安心すべきではなかったのだ。
ミコトは自分の浅慮を恨んだ。
「……」
穴の開くほど見つめられた用紙がミコトに返事を返す気配はない。
「……どうする」
冒険者への第一歩が文字でつまずくという事故に頭を抱えるミコト。いくら考えても現状、とれる行動は二つだった。
一つは素直に読み書きできないと言う。
二つはペンを取り適当に書いてみる。
――駄目だ。二つとも到底アイデアと呼べる代物じゃない。
一は自分がこの世界の人間でないことを真っ先に疑われる可能性がある。もちろんそうなると決まったわけではないが……転生したのだと漏らしてしまったが最期、狂人だと疑われて通報されてもおかしくはなかった。土地が土地なら最悪魔女裁判のように火炙りにされる可能性も無きにしも非ず。
だからといって二は駄目だ。短絡的な行動は魔女裁判行きだ。
魔法を間近で見たばかりで魔女裁判とは、傍から見れば些か滑稽だが、それほどミコトは焦りと混乱を感じていた。
しかしどちらにしろ疑われる。
それならばとミコトは意を決し、包み隠さず話してしまおうと口を開いた。
「あの!」
「あの、」
「代筆しましょうか?」
・
・
・
「すみませんお手数をかけます」
「フフッ、いえいえ。読み書きができない方は特に珍しくありませんよ。それにさっきの方々と比べればね」
「あはは……」
やはりその艶やかな微笑みの下に疲労感を感じさせないよう隠していたのだろう、愚痴を溢しながら受付嬢が用紙に情報を書き付けていく。ミコトはかいた冷や汗をぬぐった。
なんにしても、これで冒険者登録はうまくいきそうである。受付嬢からの質問――出身などひやひやするところもあったが遠い辺境の名前も無い寒村だとごまかした――も全て答え終わり、あとは彼女に任せればいいだけ。彼はほっと胸を撫で下ろしつつこの登録が終わった後のことを考えて、チラリと後方の掲示板の方に顔を向けた。
依頼掲示板の周りには依然として目をぎらつかせた冒険者たちが集まっていて、割のいい仕事を取り合ったり吟味したりしている。あの密度では張り付けられた依頼の紙一つ取ることすら一苦労だろう。目をこらすと彼ら、"ジブリールの剣"も苦労しているようで、がたいの良いリーダーのアッセンとスキンヘッドのゴーントはまだしも女性陣は近づくことさえ困難そうにしていた。とくに身長が低いエミリーは灰色の髪を揺らしてぴょんぴょんと飛びはねているがその甲斐空しく、前に居並ぶ冒険者たちで完全に阻まれている。彼女の周りだけなにやら和やかな空気が流れている気もするが……彼女とて食いぶちを稼ぐために必死なのだ。
そんな彼ら一行がうまくいくよう祈っているとどうやら終わったようで、ガリガリと走っていた羽ペンの音がとまり次にカランと小気味の良い音がした。
「はい、承りました。これで当組合での登録は完了です」
「ありがとうございます」
「登録料として"五十マルクス"頂きますね。……いえ、支払いは今すぐでなくても大丈夫ですので」
「ありがとうございます……」
再び取られたペンで余白に-50Mと書きこまれた羊皮紙を受付嬢から差し出され、ミコトはいそいそと四つ折りにして無くさないよう内ポケットにしまい込む。借金である。
「ミコト様は冒険者歴なしということですが、どういたしましょう。組合の説明は?」
「冒険者組合の説明ですか? ぜひお願いします」
「賢明ですね。コホン、ではここ王都冒険者組合の説明を始めさせていただきます」
まずあちらをご覧ください――と示されミコトは後ろへ振り返った。
依頼掲示板だ。人だかりは一向に減らずそれどころか逆に増加を見せている。
「王都での冒険者業には大きく分けて"二つ"の仕事が存在します」
「二つ、ですか」
「はい。あの掲示板に貼り付けられた『依頼』をこなすというのが一つ、これは王都だけでなく他の一般的な冒険者組合にも存在します。内容としては主に個体数が増えすぎたモンスターを狩ったり、足りない物資を自然から頂いてきたり、ですね。決して自然破壊を目的としているわけではないので、しっかり各管理する組合を通してください。掲示板から取ってきた依頼の紙を私どもまで持ってきてくだされば対応致します」
「なるほど、わかりました」
「そしてもう一つがあちらです――」
受付嬢が示す方へ、顔を向けるミコト。
その先には受付があった。一つだけ大きく離され、奥まったところにあるそれは今ミコトがいる受付や他の受付とは全く違う雰囲気が漂っているようだった。心なしかあの座っている受付嬢の表情も固く見える。
「あの受付で?」
「はい。今、ミコト様が見ていらしたあの奥の受付です。あれが王都にのみ存在する『遺跡探索』の受付になります」
「遺跡、探索? 何故その仕事が王都のみなんです?」
「貴重な遺跡の管理を全て王都とわれわれ王都冒険者組合が仕切っているためです。あの受付で申請しないと探索はおろか立ち入ることもできないようになっております」
「仕事は読んで字のごとく、探索です。未開の遺跡を調査したり、前時代の"遺物"を持ち帰って、帰還することが仕事になります」
「それって多分、危険ですよね」
ミコトはひくつく顔を抑えて言葉を発した。
「遺跡のランク、前情報によりますが、はい。なのでその分見返りも大きくなっています。探索の際に得た取得物、遺物などは帰還後にそのまま手に入りますし、遺跡に関する新しい情報ならこちらで高く買い取りさせていただくことになっております」
「ふーむ、一攫千金のチャンス、か。まさに冒険者ってかんじですね」
「命有っての物種ですけどね。かといってEランクの遺跡にはがらくたしか転がっていないみたいですが」
「がらくた……それでさっき借りた五十マルクス?を稼ぐのは」
「無理でしょう。Eランクのがらくたですから、かき集めてもせいぜい一マルクスになるかならないか」
「いち……おとなしく依頼取りにいきます」
「そうした方がよろしいかと。あっ、遺跡だけでなく依頼にも冒険者の方にもランクというものがございまして、現在のミコト様のランクはEからとなっており受けることが可能な依頼はEランクのみですのでお間違いなく」
「Eランクか」
「以上で説明は終わりますが他に何かありましたら何なりと」
「では、Eランクだとたとえばどんな依頼があるか教えてください」
「そうですね……危険度の低いモンスターの討伐や、あとは王都の外にしかない植物などの採取などがメインかと」
「ありがとうございます」
「他には何か?」
「うーん、いえ、とくにないですね。説明ありがとうございました。依頼取りに行ってきます」
「はい。いってらっしゃいませ」
「良い依頼があるといいんだけど……」
受付嬢に見送られるミコト。
そのまま掲示板の方へ足を向ける。
「うわぁ……」
掲示板着くなり、ミコトは感嘆ともうめき声ともとれる声を上げた。わかっていたことだが掲示板周りはやはり人だかりが尋常ではない。近くで虫の動きを観察するような嫌悪感があった。さきほどまではどこか他人事のような目で見ていたミコトだがいざ対峙するとその密度に圧倒され、中へ飛び込むのを躊躇せずにはいられなかった。
ちなみに人だかりの中に四人組の姿はもう見あたらない。彼らは無事に依頼をもぎ取れたようだ。
「うう、くそっ、俺も頑張らなくちゃ。一応、今は借金してるわけだしな」
登録料の五十マルクス以上稼げる良い依頼がとれますように。それから宿代も食事代も稼ぐ必要がある、ミコトは自然と祈りながら人だかりに踏み出した。
『きたぞ……』
『あぁ』
場がざわついている。タイミング的にはちょうど、組合員が新しい依頼を掲示板に追加するそのときだった。この時を待っていたと言わんばかりの勢いでハイエナのような人だかりが歓喜の吐息とともに揺れる。組合員も彼らが血気に逸っていることは理解しているので、迅速に貼っていくもやはり待ちわびていた彼ら冒険者にとっては緩慢な動きに見えていた。だが貼り終えるまで待つのは暗黙の了解。
そして最後の一枚を張り終えた瞬間、どっとその均衡は崩れた。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』
『右行け!!』 『左行け!!』
『あれは俺のモンだ!』『どけ、俺のだ俺の』
『もっと他のあるだろ!!』『奪え!! 奪え!!』
『は な せ!!』
待っている間に、大勢の狙いは左右の、それも両端に分かれていたようだ。
良い条件らしい両端の依頼に彼らはワッと群がり、掲示板を少し離れたところから見据えるミコトの前はさながら――
「海が割れるみたいに開けた……」
某預言者が杖を振り上げ海を割ったときのように、あれだけの人だかりが綺麗に左右にわかれて、ミコトが進む道をつくりだしていた。
「お」
ミコトはまっすぐ進み、その先にある依頼をその目で捉えた。
依頼の内容は言語がわからないので読めないが、右下の欄に60Mと書いてある。
六十マルクスだ、と口に出す前にミコトはその依頼を掲示板から剥ぎ取っていた。
「戻ろう、すぐ戻ろう」
左右に別れた波は徐々に収束をみせている。争奪に負けてあぶれた大多数が、他の依頼に目をむけはじめたのだ。
ミコトは握りしめたその依頼を受注するため急いでその場を離れ、さきほどの受付にとんぼ返りする。
振り返ると、もう道はなくなっていた。
「ふぅ……」
受付に戻り、ミコトは少し上がった動悸を抑えるため息を吐いた。日頃の運動不足、それからあの熱気におされて冒険者の卵の彼の心臓は早鐘をうっていたのである。
「あら、ずいぶん早く帰られましたね。依頼は」
「取ってきました。お願いします」
彼女の言葉に食い気味にそう言って、ミコトは依頼の紙をつきだした。依頼を持っていると後ろから奪われそうで怖いというのがミコトの正直な気持ちで、早く依頼を受付に通したかったのだ。
まさかこの短時間で依頼がとれているとは思わず、つきだされた紙にきょとんとしている受付嬢。しかし目の前の紙は依頼の紙だと、ハッと気づくといずまいを正して丁寧な動作でミコトからそれを受け取った。
「……あの人集りから? 今度の新人は期待できるかもしれませんね。依頼は……なるほど、キノコ狩りですか」
「あぁよかったキノコ狩りの依頼だったんですね。報酬しかよめませんでしたよ」
ミコトは肩をすくめながら言った。
「比較的良い条件ですよ。ええ、この依頼であればランクは関係ないようですし……はい、受付完了いたしました」
またも小気味のよいカランと音が聞こえる。
「依頼内容を読み上げてもらっても?」
「かしこまりました。内容としましては――カワラダケという珍しいキノコを五本。それ以上に採れた分も買い取り可。場所は樹海、この王都の東門から依頼人が出す馬車に乗ればわかるそうです。注意事項としては、他の冒険者も雇う予定なので問題事を起こさないように――とのことです」
「(他の冒険者か……)ありがとうございます、わかりました。とにかく東の門ですね」
「はい。装備の方は?」
「ただのキノコ狩りだし必要ないでしょう? では、いってきます」
「あっ、何が起こるかわからないし武装くらいは! ……行っちゃった。私の見込み違いだったかしら。……神の加護の導きがありますように」
「初仕事だ、頑張ろう!」
東の門を目指し、ミコトは意気揚々と外へ出る。