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2015年2月8日
内容を少し修正いたしました。
大きく変わっているわけでもないので、内容には支障がありません。
修正前「茶狐が叶の名前を知っていた」
修正後「茶狐は叶の名前を知らなかった」
俺は茶狐ちゃんの手を引き、俺の家へと舞い戻った。
靴を吉田さんの家に置いてきてしまったが、新しい靴を買えばいいか。金は腐るほど持っているしな。
息を切らしながら、玄関にそのまま上がる。すると、ちゃっかりとエプロンを身に纏った叶が目の前に現れたのだ。正直、「お前は俺の正妻かっ!」とか突っ込みを入れようと思ったが、突っ込みを入れている余裕がなかったのでやめた。
「まったく。バルサミコ酢か顔にくっついていることくらい、教えてくれたっていいでしょう! それも私が顔を洗っていた瞬間に、無双さんどこかに行ってしまわれていたようですし。失礼ですよ! ぷんぷん!」
膨れっ面で俺を睨んでくる叶。ぷんぷんとか……いつの時代だよ。
「仕方がないだろう。吉田さんに拉致られたんだから」
「吉田さんに? 無双さん、何かやらかしたんですか-?」
叶はニヤニヤしながら俺にそう言ってくる。お前は小学生か!
事情を叶に説明しようとしたが、俺よりも先に口を開いたのは茶狐ちゃんであった。
「ほよよよよ~! ニジイロタケ、見つけましたですぞ~! ……でも、何故〈キノコの娘〉になっているのでしょうか~? 君の〈キノコの娘〉姿、初めて見ましたですぞ~」
俺の後ろからひょこりと顔を出す茶狐ちゃんを見て、叶の表情がみるみる変わっていく。
「埃原茶狐?! どうしてここに……」
「私がこっちの世界に来ているのは、願いを叶えるために決まっていまする~。君の居場所は、粉奈無双クンにお世話になっているホコリタケ達が教えてくれたのですぞ~」
「……そうでした。この世界のキノコと同種の〈キノコの娘〉は、胞子を飛ばして連絡を取れましたね」
その会話を聞いて、やはり埃原茶狐と言う人物が叶と同じ〈キノコの娘〉だと確信する。吉田さんの芝生が枯れたのも、茶狐ちゃんがホコリタケの完璧なコスプレをしているのも、すべて彼女がホコリタケの〈キノコの娘〉たと言うことを物語っているのだ。
「と言うことは、だ。茶狐ちゃんが俺の名前を知っていたのも、俺が庭で育てているホコリタケちゃん達から聞いていたってわけか」
「あれ~? 私、会ったときにそう言ったじゃないですか~」
「そんなもん、知るかっ! 第一、〈キノコの娘〉なんて昨日知ったばかりなのに、すぐ理解出来ないわっ!」
俺が茶狐ちゃんとそう話していると、叶がゆっくりと口を開いた。
「なんで、〈キノコの娘〉を連れてきたんですか。無双さんは願いを叶えたくないんですか?」
「え? いや、叶えて貰うつもりだけど……」
「言ったでしょう?! 誰かの願いを一度だけ叶える、と。誰かの願いを、たった一度だけ……ですよ?」
真剣な面持ちで話す叶に対して、俺は首を傾げる。
「え? 採った人間が一度だけ叶えられるんでしょ?」
「無双クン、話を聞いていたのですか~? ニジイロタケちゃんは『誰かの』と主張していますぞ~。つまりは、横取りして、願いを叶えて貰うことも可能ってことですぞ~」
茶狐ちゃんは八重歯丸出しで微笑みながらそんなことをさらっと言ってのけた。
「よよ、横取りって……」
「五年前は赤松かほりがニジイロタケを見つけたのですが~、猫ノ下ゼラに奪われて『寒天スイーツ食べ放題』という願いを叶えて貰ってましたぞ~」
赤松かほりに猫ノ下ゼラ……? 前者はたぶんマツタケの〈キノコの娘〉と予測できる。後者はきっと「ネコノシタ」と呼ぶ地方もあるから、ニカワハリタケの〈キノコの娘〉に違いないだろう。
一瞬、「寒天スイーツ食べ放題」とはなんぞ? と思ったが、それよりも「横取りをされると、願いを叶えられないかもしれない」ということに危機感を抱いた。
「じゃ、じゃあ、お前は俺から叶を奪う為にここまで来た。ってことなのか?」
「ほよ~、このニジイロタケちゃんは叶と言うのですか~。そうですぞ~、その叶に願いを叶えてもらうためにここに来たのですぞ~」
それを聞いた俺は即座に茶狐から手を離し、叶を抱き寄せる。
「ちょ! 無双さん?!」
「ここ、これは俺のだ! ちち、力ずくで奪ったって渡さないからな!」
俺は顔を真っ赤にした叶を力一杯抱きしめると、茶狐に向かって宣戦布告をした。だが、茶狐はほんわか笑っているだけで何をしてこようともしなかった。
「力ずくなんて、私にはできませぬぞ~。私は目も見えませぬし、耳もなんとなくでしか聞えませぬ~」
「嘘を吐くな! 俺や吉田さんと普通に接していたじゃないか!」
「それは長年の感、と言うヤツですぞ~」
「じゃあ、なんで芝生はわかるんだよ!」
「芝生だけは本能でわかるのですぞ~」
茶狐はそう話すだけで本当に何もしてこない。と言うよりも、その場から一歩も動こうとしないのだ。
俺はその姿を見て叶を抱きしめる力を弱めた。
「無双さん、茶狐さんの話は本当ですよ。彼女は人間達の勝手な迷信のせいで目が見えなくなり、耳もあまり聞えなくなっていってしまったのです」
「……迷信のせい?」
「はい。神様が人間の信仰がないと力を発揮できないのと同じです。私達〈キノコの娘〉は人間の迷信も大きく影響して姿や性格などが決まるのです」
それを聞いて今更はたと気が付く。茶狐は終始笑っているが、その笑顔はどこかしら寂しそうに見えたのだ。
確かに「メツブシ」とか差別的意味合いで呼ばれることがあるホコリタケ。海外でもそのイメージを持つ人は少なくないのではないだろうか。ましてやフェアリーリング病を発症させる原因菌の一つである。だから芝の手入れを生業としている人達には、よく忌み嫌われているのだ。
「私は人間との関わりが少ないから、そう言うことがないのですが。ですが、茶狐さんのように影響を受けてしまう〈キノコの娘〉も多いんです」
「影響といっても、たいして気にしていないのだけど。……でも、やっぱり普通に動き回って過ごしてみたり、人間に嫌われない生活もしたいとは思うのですぞ~」
そう言って、にぱっと笑う茶狐。そんな話を聞いてしまったらその笑顔の裏がどことなく寂しそうにしか見えなかったのだ。
「もしかして、茶狐ちゃんの願いって……」
「わはっ~。お恥ずかしながら、なのですぞ~」
それを聞いた瞬間、俺の心は揺らいでしまった。
ずっとそんな状況を耐えてきた茶狐ちゃんに叶を渡した方がいいのでは?
そんな想いが湧き出すと、いきなり叶に胸ぐらを掴まれる。
「騙されないでくださいね。今話したことは事実ですが、茶狐さんの願いはそれじゃありませんから!!」
「だけど」
俺は叶に真顔で言い返そうとした。だが、それよりも先に叶が言葉を発する。
「駄目です。私知っているんです。茶狐さんの願いは『この世界の人間をフケだらけにする』って」
「いやいや。こんな良い子がそんなくだらない願いをするだなんて」
「こんなくだらない願いでも、それが茶狐さんの願いなんです」
「いやいやいや。くだらなすぎるでしょ、そんな願い」
「ちょっと……、人の願いを『くだらない、くだらない』とか失礼ですぞ~っ!!」
俺と叶が喋っていると、急に茶狐ちゃんが横から入って来た。
――って、待て。「人の願い」…………だと?
その言葉を聞いた瞬間、俺はどちらが正しいのかすぐに判断が付いた。
「茶狐……、信じた俺が馬鹿だった」
「ほええ~?! 上手くいくと思っていたのですが……」
茶狐はしょんぼりと肩を落す。だが、肩を落したくなったのは俺の方だった。
「ホコリタケが……茶狐がそんな悲しい目に遭ってたなんて、と思ったら悲しかった。俺は元からホコリタケのことを『メツブシ』とか、差別的用語で呼ばれるの、気に入らなかったし。だから本気で心配したのに、その気持ちを踏みにじられた」
「べべべ、別に踏みにじってないですぞ~!」
茶狐が大慌てでそう言っているが、俺の目頭がなんだか急に熱くなってきたのがわかった。
「本気で心配したのにっ! ……なのにっ!!」
俺の頬を温かい何かが伝って、こぼれ落ちていく。それを見てか、茶狐は余計に大慌てで両手を振った。
「ななな泣かないでくだされ~!! ほほ、本当にごご誤解ですぞっ~! 確かに……、確かに目が見えないのも、耳がよく聞えないのも辛い。だから、今さっきまでは人間をフケだらけにして、少しでも嫌がらせしてやろう~とか、思っていたのですぞ。――でも」
俺が涙を拭っていると、茶狐は満面の笑顔を俺に向ける。そして、八重歯を見せながらこう言った。
「無双クンのような人間も居ることがわかった。――それに、目が見えないのも、耳がよく聞こえないのも嫌いじゃない。だから。だから、もう私の願いなんてどうでもいいのですぞ~」
茶狐の屈託ない笑顔を見て、余計に涙が流れ落ちる。
「ちょ! なんでそんなに泣いてるんですか!」
「ほよよ~、そんなに泣かないでください~! 私が悪かったのですぞ~!」
今出てきた涙は、別に茶狐のせいでと言うわけじゃなかった。
茶狐の本心を聞けたことが、嬉しかったのだ。それでも前向きに人間と向き合っているから、こんな迷信を流してしまった人間と向き合ってくれているから。
――だから、俺は嬉しくてつい泣いてしまったんだ。
我ながら、二十五歳にもなって泣きじゃくるとは恥ずかしい。よくよく考えれば、それがキノコのことで泣きじゃくっているのだ。
でも、こうしてキノコの本心を聞くことができる。キノコオタクな俺にとって、キノコと会話できることはまさに夢のようだ。
――それだけで、俺の願いは叶えられているような、そんな気がしたのだった。
next;キヌガサタケ~クイーン・シルキー~
次回から、かなり不定期になります。
ご了承くださいませ。