A Mad Tea-Party
気が付くと、そこは狂ったお茶会だった。
「おや、漸く気が付いたのかい、アリス」
呆れたようにそう言って彼女を一瞥するのは、真っ白な髪のひとりの男。彼女よりもいくつか年上に見える彼は、紅い瞳を皮肉気に眇めて笑っていた。
「……だれ……?」
霞がかった思考のまま目を瞬かせ、彼女は辺りを見渡した。
「何よここ……」
知らない場所だ。ビビットカラーで構成された空間は、馴染みがない。広いのか狭いのかよくわからない空間に、きゃらきゃらと子どもの笑い声が耳障りに響く。混沌としていて、なのにテーブルと彼女の座る椅子だけが無機質な白で、逆に浮いてしまっている。
キャンディを模した花が咲く様に、飴の翅をもつ蝶の舞う様に、彼女は呆気にとられた。
ふと、彼女は自分が見慣れない赤と白のエプロンドレスを纏っていることに気付く。足元も白いストッキングに真っ赤な靴。適当に結わえていた癖のある髪は解かれ、リボンカチューシャが嵌っていた。
「何これ……さっきまで、制服だったのに……」
「どうしたんだい、アリス。まだ寝惚けているのかい?」
顔を上げると、男は彼女を馬鹿にするように鼻を鳴らした。
テーブル向こうの男は燕尾服にシルクハットという見慣れない格好。白い手袋を嵌めていて、左目にモノクルを着けている。
「……アリス……?」
「君のことだ」
彼女は緩やかに首を横に振った。僅かに残っていた眠気を振り払い、男を見上げる。
「私はアリスじゃないわ。私は」
「いいや、アリスはアリスだ。それ以上でもそれ以下でもない、間違うことなくアリスだ」
「……君は誰なの?」
「私かい? 私は……白兎だ」
皮肉気な表情はそのままに名乗られた名前に胡散臭さを覚えつつ、彼女は自分から尋ねたにも拘わらず、気のない返事をした。
手慣れた様子で真っ白なカップに注がれる茶は、色だけを見れば紅茶だろうか。妙に甘ったるい匂いが漂ってくる。
「どうぞ」
「…………どうも」
彼女は不審に思いつつもカップを手に取ると、恐る恐る口を付ける。
紅茶だと思っていたものは、甘ったるい匂いに反して酸っぱかった。
「ここは何処?」
「ここは狂ったお茶会だ。狂った者たちが集うお茶会さ……今は私たちしかいないがね」
白兎は飄々と宣うと、自分もカップに口を付けた。酸っぱい紅茶を眉ひとつ動かすことなく嚥下する。
「狂ったお茶会があるのは不思議の国、現ではない、夢の世界だ。ここで起こることは全て夢だ」
「……まあ、この場所が現実って言われても腑に落ちないし」
少なくとも、ツギハギだらけのビビットカラー猫が、アスファルトの上を走っていることはない。ましてやその目が、釦でできているだなんて。
「夢はその人の過去や願望を反映するって聞いたことがあるけど、この夢は意味が解らないわ」
「この世界には意味なんてないさ……本人が望まない限り、ね」
「……よくわからないわ」
「その内わかるさ」
そう言って、白兎は徐に懐から何かを取り出した。金色のよく手入れのされた懐中時計。この世界で初めて見る秩序あるものに、彼女は身を乗り出した。
「懐中時計なんて初めて見るわ。普通は腕時計だもの」
「おや? それは何処の普通だい? 少なくとも私の普通はこれだ」
白兎はにやりと笑みを浮かべると、彼女の胸元を指さした。見ると、先程まではなかった金色の懐中時計が首からぶら下がっていた。ローマ数字の並ぶ文字盤を廻る鋭い針は、丁度Ⅻ時になろうとしている。
「もう今日が終わってしまう。狂ったお茶会はお開きだ。また今日が始まる前にお開きしないと、狂ったお茶会が狂ってしまう」
「……終わるの? 始まるの? どっちなの?」
「それは私にもわからない」
白兎が澄ました顔で肩を竦める。白い手袋の指先が音を立てると、ビビットカラーは端から崩れ始めた。
「今日はもうお開きにしたいね。お休み、アリス。よい夢を」