チェシャ猫と窮鼠一本勝負
キッキから預かった鍵でアルファベットルーム内のエレベーター。
降下中の箱の中で竜宮健斗は相川聡史と二人っきりでいた。
お互いに話すことはなく、今はただ目の前の旗に向かっていこうと閉じた両開きのドアだけを見ていた。
そして降下終了の合図と共に左右の扉ではない壁の部分に身を隠すように移動する。
エレベーターのドアが開くと同時に攻撃されたら危険だとお互いに分かっているのだ。
ドアが少しずつ開く中、視線だけを目の前に広がる地底の墓場に注ぐ。
金銀だけではない煌びやかな鉱石で飾られた墓石達。鍾乳洞のように大口を開けたような穴。
天井に突き刺さった水晶が淡い光で照らし、墓石を洗うための川が涼やかな音を立てている。
その真ん中、墓石のない場所、紛れるように旗が立っていた。守るための柵も壁もなにもない。
無防備な状態で野晒しというのが合っていた。待ち受けているはずのロボットの姿すらない。
これではまるで無料配布していますと言わんばかりの、少し警戒してしまうぞんざいな置き方だった。
「あれ…とっていいのか?」
「いや罠だろう。馬鹿でもそれくらい気づけよ馬鹿」
<にゃあの存在に気付かない時点で二人ともお馬鹿さんにゃ>
聞き慣れない甲高い機械音声。今エレベーターにいるのは竜宮健斗と相川聡史の二人だけのはずである。
青い西洋竜のセイロン、黒猫のキッドは別の作戦で密かに別れている。だから機械音声があるはずがない。
あるとしたら敵のロボットだけだか、姿は一度も認識していない。だからエレベーターの中から聞こえるはずがない。
しかし甲高い機械音声は確かに二人の背後、エレベーターの中から聞こえてきた。
振り向く前に背中を押される。僅かに湿った地面に竜宮健斗達は躓きそうになりがら一歩踏み出してしまう。
踏み出しながら後ろを確認するがやはり何もいない。そう思っていたら空中に横倒ししたような三日月が現れる。
三日月というには弧が緩やかすぎて笑う口元にも見える。その口元から少しずつ派手な色が現れ始める。
紫ピンクにビビッドピンク、見ていたら目が痛くなるような、街中で見たら振り返るほどの色である。
全体図は北欧で飼われている毛深い猫がデフォルメされて人型サイズになったような、そんな感想の姿。
大きさは子供サイズで、他のロボット達に比べれば小さいほどである。しかしアンドールというには大きすぎる。
紫ピンクとビビッドピンクの縞々模様が、目を疲れさせる。笑う口元だけが異様に白い。
柔軟な動きをしており、本当に生きているんじゃないかと思うような精巧さ。
<にゃあはチェシャ猫にゃ★ここはにゃあだけで十分だからにゃあを倒していくといいにゃ!>
明るい調子で豊かな尻尾を左右に大きく振る。優雅なようで武器にもなりそうな動きだ。
しかしその前に相川聡史は言うべきことがあった。
抑えきれない衝動を深く息を吸い込んだ次に言葉として放つ。
「猫だからってその一人称はねぇだろおおおがぁあああああ!!!」
「あ、本当だ!一人称がにゃあだ。おもしれ~」
<出会って数分で個性の否定は失礼だと思うにゃ>
抑えきれない衝動は予想外の冷静な返事で勢いを失くす。
さらに竜宮健斗に関しては、よく気付いたなぁと感心するばかりで役に立たない。
チェシャ猫はまた体の端から色や輪郭を消していき、最後は白い口元すら消してしまう。
相川聡史はやばいと思って竜宮健斗に向かって逃げろと言おうとした。
その前に竜宮健斗は柄杓や桶がある場所へ向かって走っていた。
「…俺を置いて行くなよ!!」
相川聡史は律儀にツッコミを入れつつ、同じ方向へ走り出す。
桶や柄杓が置いてある場所は効率よく立てかけられる薄い棚で、そこにいくつも桶達が立てかけられていた。
なぜそこへ竜宮健斗が走り出したかは分からないが、相川聡史は下手に離れるのは危ないと思っていた。
竜宮健斗が柄杓を手にして相川聡史に声をかけようとした時、棚が傾いた。
ボトルで固定されてるはずなのに、冗談のように簡単に傾いていく。
棚傍の空中で三日月が横倒ししたような、白い口元が笑う弧を描いている。
大きな音と共に竜宮健斗は棚の下敷きになった。
相川聡史はいつの間にか足を止めていた。
足元に一組の桶と柄杓が転がってくるが、気にしていられなかった。
薄い棚とはいえ頑丈な作りになっているはず。それは使われている素材が重いということも同時に表している。
<酷い事故だにゃ。でもまぁにゃあがやった証拠はないから、これはやっぱり事故なんだにゃ>
棚より少し離れた位置に姿を現すチェシャ猫が、下手な言い訳をするように建前を口に出す。
ロボットは人間に再起不能となる怪我などを負わせてはいけない。しかし事故ならばルール違反じゃない。
姿が見えない相川聡史にとって、今のが事故じゃないと証明する手立てはなかった。
代わりに頭の血管が切れるような、抑えられない怒りが湧いてくる。
<さぁて、ここは墓場だし…彼のために穴を…>
「う…てて…」
棚の下から小さなうめき声が聞こえてくる。微かに棚は動くが移動することはない。
竜宮健斗は棚の下敷きになったが、桶や柄杓が積み重なって隙間が作られ、偶然にも傷一つなかった。
しかし棚を動かすことも体を外に出すことも出来ず、地面の上に伏していた。
背中に圧し掛かる棚のせいで満足に声を出すこともできず、とにかく後は相川聡史に任せるしかなかった。
<…生きてるにゃ。良かったにゃ。ちっ>
「光学迷彩…」
<にゃ?>
「空間歪曲や透過じゃない…必ず本体があって色の認識や光の屈折を誤魔化してる手品だろ。それ」
光学迷彩とは物質を透明にする科学である。
その方法は様々な説があり、空間歪曲という次元レベルから視覚的効果まである。
現代でも再現可能な方法はいくつかあり、相川聡史はその方法を限定した。
体や物質の輪郭もいわゆる色である。その色を作り出すのは光であり、いつも見ている色というのは光でもある。
光は様々な現象で屈折したり歪んだりする。チェシャ猫が使ってる光学迷彩はその光の現象を利用した物だ。
豊かな毛は地底でしか取れない希少金属を使った、いわゆる透明マントに近いものである。
普段は紫ピンクとビビッドピンクという色をしているが、チェシャ猫がCPUで毛全体に命令を送る。
毛が波打つように動いて光を屈折させて色を消す。本体は消えてないがまるで透明になったように視覚では認識できなくなる。
だから毛のある体は隠せても、口を開けば毛で覆われてない口元だけが空中で浮かんでるように見えてしまうのだ。
本体があるなら例え透明になっても暴く方法があることを、古来の人間は単純な方法で示してきている。
それは竜宮健斗が桶や柄杓を取りに行ったことから証明される。
相川聡史は馬鹿が珍しく頭働かせるからそんな目に遭うと、心の中で皮肉を零しながらも足元にある桶と柄杓を手にする。
馬鹿でいつも自分の上にいて女にモテる気にくわない奴、でも友達で一緒にいて安心できる奴。
決してそのことを口には出さずに、相川聡史はまた姿を隠そうとしてるチェシャ猫に向かって告げる。
「埋まるのはテメーだ、化け猫」
<…にゃは★怒気怒気が湧く沸くして、侮ってんじゃねぇぞボーイ★>
口元を閉じて完全に姿を消したチェシャ猫。
これから取るであろう行動は恐らく四つ。
姿を消したまま相川聡史を襲うこと。
旗を事故として処分すること。
竜宮健斗を下敷きにしている棚を押して潰すこと。
時間切れまで姿を消しておく。
これら全ては姿を消したままでなければ行えない。
相川聡史が勝つには光学迷彩の弱点を突くこと。つまり透明になっても居場所が分かるようにすること。
桶や柄杓があり、川もある。ならば定石は水を取ってきてそれを辺り一面にばら撒くこと。
それだけで行動を制限できるし、運が良ければついた水によって視覚に捉えられる。
問題は水を取りに行く間に他の行動をされて負けが確定すること。もしくは竜宮健斗が襲われること。
だから簡単には相川聡史も行動できない。行動しなければ時間が負けを連れてくる。
チェシャ猫が有利な状況の中、相川聡史は心の中で笑う。
知識では北エリアのボスである玄武明良には勝てない。
行動では南エリアのボスである籠鳥那岐には勝てない。
作戦では西エリアの団員である仁寅律音には勝てない。
人望では東エリアのボスである竜宮健斗には勝てない。
他の仲間にも、力、器用、マネジメント、射撃、大らかさ、あらゆる面で相川聡史は勝つことはできない。
しかし負けることはない。負けないなら勝負はいつまでも続いていく。
勝負が続くなら大逆転ホームランだってできるし、どんなに苦しくても前を向くしかない。
だから勝てない相手の長所を見据え、吸収して、自分の糧にしていく。
相川聡史は負けず嫌いで、勝つために仲間を裏切ったこともある。
その勝利への貪欲さは確実に相川聡史を成長させていた。その成長が逆転を引き寄せる。
こんな時玄武明良ならどう考える?
こんな時籠鳥那岐ならどう動く?
こんな時仁寅律音ならどう利用する?
こんな時竜宮健斗ならどうする?
鞍馬蓮実なら、瀬戸海里なら、崋山優香なら、凜道都子なら、扇動美鈴なら…
いつかはあの馬鹿に勝ちたい。今度は真面目に自分の力で正々堂々。
だからここであの化け猫に負けられない。負けてたまるもんか、絶対勝ってやる。
そして相手を挑発するために得意の皮肉を口にする。頭でまとめた作戦を実行するために。
「出て来いよ卑怯猫!それとも俺みたいな子供が怖くて出られないのかよ、臆病猫!」
<にゃ、にゃんだとぉおおおおおおお!!?>
声が聞こえた。左真横の五歩先、どうやら先に相川聡史を始末するつもりだったらしい。
相川聡史が水を取りに行くことを予想した上で、その足止めとして動いていたのだろう。
なぜなら相川聡史の動きさえ封じてしまえば、後は時間が経つのを待てばいい。
それだけで青い血の勝利となるのだ。チェシャ猫の勝利となるのだ。
余裕を感じた上で相川聡史に近づき、水がないことに安心して挑発に乗って声を上げてしまった。
口元が開き、横倒しした白い三日月のような口元が空中に浮かぶ。
相川聡史はその口元がある方向に柄杓を下から救い上げるように動かす。
柄杓は地面を掘るように動き、水を入れる部分に土を入れる。少し湿っていた地面は柔らかい。
コップ一杯分の土が柄杓に救い上げられ、そしてゴルフのスイングで飛ばされるボールのように白い口元に向かっていく。
<にゃ!?>
湿った土の塊が見えない何かにぶつかって弾ける。
それだけでチェシャ猫の居場所が判明する。空中で土が浮いているなど、本来はありえないことだから。
相川聡史は驚いているチェシャ猫、土が浮いている場所に向かって何度も土の塊をぶつける。
一回では拭い去られる危険がある。だから洗い流さなければいけないほどの量をぶつけていく。
<こ、こんなのあそこの川で流せば…>
「そしたら今度は体についた水がお前の場所を教えてくれるぜ。自分から居場所告げるような馬鹿な真似をするつもりかよ」
<ぐ、ぐぬぬぬぬぬぅううううう!!にゃ、にゃんという…>
チェシャ猫は地面に膝つく。
しかしその口元は横倒しした三日月のまま、つまり笑っている。
<にゃんというにゃあの作戦勝ち★水で洗い流した後拭けばいいだけにゃ!!>
相川聡史はしまったという顔をして、口元を手で覆ってしまう。
勝ち誇った笑みをしながらチェシャ猫は急いで川へと向かう。
激しい水しぶきと音、流れていく土と消えていく体。
チェシャ猫の姿は被った水で少し見えていたが、確かに拭けばあっという間に見えなくなるだろう。
こんなこともあろうかと密かにタオルも用意していた。
隠していたタオルに向かって突き進む。そして取り出したタオルで体を拭きながら見た。
旗を片手に握りながら、見えないはずのチェシャ猫を見下ろしている相川聡史の姿を。
チェシャ猫はあれ計算外という感じでタオルを持ったまま固まる。
こんなはずではなかったのに、どこで間違えたのか分からないといった様子である。
もちろん光学迷彩でその姿を確認することはできないのだが。
相川聡史がニッコリ微笑んだかと思うと、悪魔のような笑みで言う。
「川で洗い流している間に旗取ればいいだけの話なんだよ、俺からしたら」
<にょ、にゃ、にゃ…>
「それに川の水で濡れた足で地面を歩けば、足跡が見えるだろ?」
<あ…>
「さらに言えばタオルは隠せないんだから、丸見え当然なんだよ」
そして旗を持っていない方の手で握っている桶を振りかぶる。
満杯に入った水がタオルごとチェシャ猫の体を濡らす。
濡れたタオルはもう水を吸い込むことができない。体を伝う水が姿を浮き彫りにしてしまう。
旗を取られた時点でチェシャ猫は負けており、それ以上に惨敗する羽目になったのだ。
先程相川聡史がしまったという顔をしたのは、チェシャ猫を油断させるため。
口元を手で覆ったのは笑いそうになる表情を隠すため。
しかしそれを言わずともチェシャ猫は追い込まれ、追い詰めらて負けた。
鼠を狩っている猫の気分だったが、まさに窮鼠猫を噛むといった様子だ。もちろん透明なため表情は見えない。
しかしその鼠は誰よりも負けず嫌いで、誰よりも勝ちに貪欲で、誰よりも勝つために考えた。
慢心していたチェシャ猫に勝てる要因は最初から用意されていなかっただけの話である。
旗をてこの原理である棒として利用し、倒れた棚を動かす。
竜宮健斗は這いずるように出てきて、大きく息を吸い込んで体についた土を払う。
チェシャ猫は負けたショックのせいか、人が変わった、というより猫が変わったように相川聡史に忠義を誓った。
そのため今は透明にならずに相川聡史の横でねこなで声を上げている。
<さっすが旦那!にゃあの手伝い無しでお仲間を救うとは!>
「…俺なにもわからないんだけど、なにがあったの?」
「勝ったんだよ、馬鹿。で、こいつは俺の下僕になったわけ」
ますます訳がわからなくなった竜宮健斗だったが、旗が取れたからまぁいいかと追及しなかった。
チェシャ猫は濡れタオルを竜宮健斗に渡す。それで土汚れを落とすといいということだ。
ありがたくタオルを受け取った竜宮健斗は、少し気になったことを聞く。
「チェシャ猫、お前はまだ青い血…ジョージ・ブルースの味方?」
<…違うにゃ。不思議な話なんだが、にゃあの中のプログラムがいくつか上書きされてるにゃ>
「原因とかわかるか?」
<…Aliceだと思うにゃ。にゃあの中身を作ったのはAliceだにゃ。青い血は体を与えただけにゃ>
なんでウィルスであるAliceが、青い血の意思で行動するAliceが。
そんな疑問が竜宮健斗だけでなく相川聡史も抱く。Aliceは敵の根幹だとずっと思っていた。
しかしチェシャ猫の変わりようは明らかに異様で、それの原因がAliceと言う。
さらに負けたら自動的にそうなる様に仕組まれていたとチェシャ猫は説明をする。
相川聡史に負けたと判断した時、CPUが異常な稼働を始めた。
エラーを連発して内部プログラムを書き換えていった。
その際に一つのファイルが表示された。ファイル名は拡張子のみ。
ファイルを開けば出てきたのは画像データ。一枚の写真データ。
それは硝子の棺桶が安置されていた場所。たったそれだけである。
「…Aliceに意思ってないよな?」
「確かマスターとかの話だと状況に合わせて変質して、第三者の意向によって変質内容も決められるとか…」
<不思議だにゃ…まるで夢に迷い込んだ気分だにゃ>
おそらくチェシャ猫とAliceをかけた冗談だったのかもしれない。
しかし相川聡史はお前はロボットだろうとツッコミをいれた。
竜宮健斗は汚れたタオルを絞って水気を失くし、チェシャ猫にお礼を言って返す。
チェシャ猫は相川聡史についていく気満々で、竜宮健斗も味方が増えるのはいいことだと言う。
相川聡史は面倒なのが増えただけじゃねぇかと言いつつも、拒否することはなかった。
そして最後の旗を手に竜宮健斗達は駅へと向かう。
四つ全ての旗が子供達の手に渡ったのは残り時間二十分の時。
子供達全て虐殺するために作られたロボットが完成と同時に動き出した時刻と同時である。
銀色メタリックな体をした、東洋龍のような姿のロボットが遊園地の中に現れる。
CPU内に殺すことを最優先に設定され、効率的に動かすためのプログラムも配備。
またなにかしらの不具合があった時にすぐ変更できるよう、変質できるウィルスのAlice本体がダウンロードされていた。
ジョージ・ブルースはこれで万全だと言わんばかりに、地底遊園地から離れた安全な場所で陰湿的に笑う。
だからこそ気付かなかった。ウィルスであるAliceに紛れ込んだ不純物に。
<…キッ…オ…ナ…>
その声は東洋龍の姿したロボットの機械音声として零れ落ちた。




