9、遅い昼食
人混みをかき分け一軒の喫茶店に飛び込んだ二人。パッと見、テーブルは埋まっている感じ。予想はしていたが、店はかなり混んでいるっぽい様だ。
「――いらっしゃいませ、お客様は二名様でしょうか? お煙草はお吸いになられますか?」
店員がメニューを持って足早に駆け寄る。混んでるのに迅速な対応だなぁ、とちょっと感心。
「はい。あの、時間かかります?」
知加子は店内を覗き見る。するとカップルが奥の方からレジへ向かうのが見えた。すぐ空きそうだ。
「ただいまお席の準備をいたしますので、少々お待ちいただきますがいかがなさいますか?」
「待とうぜ」
すぐ座れそうだし、引き返すのが面倒なので俺は間髪入れず即答した。
「かしこまりました。では、お時間までこちらのメニューをどうぞ」
店員はそう言ってミニサイズのメニュー表を渡し、軽く一礼すると店内に戻って行った。
俺達はとりあえずメニュー表を見ながら席が空くのを待つ。メニューを見ると普通だ。当たり前だな。
「――ここってけっこー人気あるんだよ。広いし美味しいしメニューも豊富だし。前から行こうと思ってたんだけど、なかなか行く機会なかったから実は私も初めてなの。だからちょっと楽しみなのよね〜」
知加子はそう言って悪戯っぽい笑みを浮かべる。微妙に目を細め、口元をちょっと弛ませた感じの笑顔……ここら辺のところは昔と変わってないなぁ。時折見せていたその笑顔に俺は懐かしさがこみ上げ少し癒された気分になった。
「――お客様、席の準備が整いましたのでご案内いたします」
先ほどの店員が来た。そして、店の奥の方へ案内される。
「……ご注文がお決まりになりましたら、こちらのボタンを押してお呼び下さい」
店員はそう言うとまたレジの方へと足早に消えていった。これでゆっくり落ち着く事ができるってものだ。
俺達はメニューを取って軽く入れられるものを探す。見た感じどれもボリュームがあって旨そう。意外にしっかり腹に入れられるメニューが多い。
「う〜ん、けっこーボリュームあるんだなぁ。夕飯まで持てばいいから、あんま量はいらんのだが……」
何気に腹が膨れそうなモノばかりでなかなか決め切れない。知加子の方も何にしようか迷ってる様子。まぁ、時間的には余裕があるわけだし、一服つけてじっくり見てみよう。
「ヒロ、どれにするか決まった?」
喫煙モードの俺を見て注文が決まったと思ったのか、メニューを見ながら知加子が話しかけてくる。
「いんにゃ、まだ。けっこー迷うわ」
「……じゃあ、これにしない? このセットメニュー、美味しそうだし二人前だって」
知加子はメニューを俺に見せて指さす。
「ペアセット? ほぉ〜、旨そうですなぁ」
量が多いのでよく見ずに飛ばしたやつだ。なるほど、二人前だったのか。
「三種類あるのか。どれにすっか? チカはどれがいい?」
どれも似た様なものだが、微妙な違いがあって選ぶのに難儀する。
まるで選ぶ者のセンスを問う様なメニュー達。この“微妙な違い”がクセモノだったりする。
デートにおいて、このテのセンスがその後の展開を左右する事は多々ある。あまりテキトーに決めると、その後の食いつきが悪くなるのだ。少なくとも俺の経験上、微妙なセンスの有無、いわゆる“違いのわかる男”と思われるのと思われないのでは、そのゲット率はかなり違かった。
「私はなんでもいいよ。ヒロが決めてよ」
ほら来た。やっぱり男に選ばせる。
海月もそうだが、何故女は男に選ばせるのだろう。すでに食べたい物を決めてるクセに。そんなに相手のセンスが気になるものなのか?
「じゃあ、このチキンのあるやつにするわ。それでいいか?」
食べたい物を頼む。これ、定説。
今回の場合、センスの有無を気にする必要なんてまったくない。別に知加子をモノにするつもりじゃないからね。
「オッケー。じゃあ、ボタン押すね〜」
知加子は少し満足気な笑みを浮かべながらボタンを押した。どうやら自分の選んだやつと同じだったみたい。なんか審査されてるみたいでイヤだなぁ。
……やってきましたペアセット。見るからに旨そうだ。
食欲をそそる香り漂う、香ばしいこんがりトーストにファーストフード定番中の定番ポテトフライ、ピリ辛エビチリとエビマヨのコンビに俺の心を射止めた特大の照り焼きチキン……これらが二人前で税込み千円。ボリュームがあるのに安い!
「ボリュームあるなぁ……」
ファーストフードの“キングオブキングス”ポテトフライを頬ばりながら俺は空きっ腹を満たしていく。
このペアセットにより俺のやる気ゲージが1ランク上昇。ここに来てやる気ゲージが“ピンク”、つまり気力が絶好調になった……それほどの衝撃的な安さと旨さがあったってわけ。
「ホント、美味しいね〜、来てよかったよ〜」
それにしてもこのペアセット、いくら二人前の量とはいえ女の子には少しキツい様な気がする。量的に三人前くらいあるといっていい。
なかなか重い昼食になりそうだ。ゆっくり食べよう。
「……こうして会うのは二年ぶりだな。その間、元気にしてたか?」
特大の照り焼きチキンを解体しながらありきたりな話題を振る俺。
たしか、看護師になって都内の病院で働いてるのは聞いている。彼女が上京してからはプライベートな話をする事が無くなったので、俺はそれ以上の彼女を知らなかった。
「同じ病院にいるよ。忙しすぎて毎日死にそうになってる。休みもなかなか取れないから、彼氏はできないし遊びにも行けないよ〜」
相当ストレスが溜まってるのか、知加子はそう言ってため息をつく。
「やっぱ、仕事キツいからみんなすぐ辞めちゃうんだよね。人手不足で休日返上だし、ミスひとつが重大な事故に繋がっちゃうから精神的にマイってしまうのよ。実際、私も何度辞めようと思ったかわからないわ」
重いなぁ。たしかに看護師ってハードな仕事だよな。ただでさえ相次ぐ医療ミスの問題で大変だって聞く。
「最近、ミス連発しててさぁ、地元に帰ろうかと思うくらい自信喪失気味なんだよね。疲れてるから出歩く気にもなれないし、職場と家の往復で気晴らしもできない。私、向いてないのかなぁ、って思うんだよ……」
少し自嘲気味に笑い、再びため息。けっこー本格的に悩んでる様だ。
できる事ならなんとかしてやりたい。俺は知加子の話を真剣に考える。だが、安っぽい言葉しか思い浮かばず、声を掛ける事ができなかった。
「……ごめん。せっかくの再会なのに、暗くしちゃったね? ヒロはどう? 元気そうだけど、今の生活に満足してる?」
満足、か……これまた難しい質問だなぁ。
とりあえず、仕事はやりがいがあるよなぁ。
安くとも生活に困らんくらいには収入を得ているし専門的なスキルも身につけられる。“専門職は不景気に強い”ってよく言うし、たとえ今ウチのスーパーが潰れたとしても、専門職系スキルを持つ事が転職時に有利に働くから一般社員よりは転職も比較的簡単だ。そういった面で言えば、いくら忙しくとも仕事面に関して不満は特に無いな。
プライベートの方だって、海月という可愛い彼女がいるし、それぞれに自分の生活や家庭を持っている友人達とも度々会っている。会社仲間とはよく遊ぶし、人間関係はかなり良好でストレスもあまり感じない。
平凡と言えば平凡だが、当たり前の生活ができるって事は、簡単な様で意外に難しいよな?
不安やストレスの無い生活……俺ってけっこー満たされてるんじゃないか?
「……俺は、今の生活にけっこー満足してるかもしれん。仕事はたしかにキツいけど、これといった不満は特に無いし、プライベートもかなり良いし……やっぱ満足してるわ」
嫌みに聞こえない様、言葉を選んで答える。それを聞いた知加子は少し寂しそうな表情に変わる。
(……もう少し気を使えばよかったか?)
旅で浮かれてるのか、優しさに欠けてたかもしれん。俺は、自分の気遣いの無さを感じてしまう。
(せっかくの再会だ。もっと楽しまなきゃ)
見事なまでにサイコロ状に解体された特大照り焼きチキン(元)を堪能しつつ、俺は知加子を元気付ける方法を模索した……。




