33、揺れが止まった心の天秤
ふと隣を見れば、知加子はにこやかな笑みを浮かべながら歩いていた。その足取りは軽い。
特に言葉を交わすわけでもなく、駅に向かう二人。
片や、夕飯の買い出しのため。
片や、次なる再会のために。
駅で二人は別れる。日程の短い旅において時間というのは限られたもの。
だから、別れを惜しんではいけない。俺と知加子の場合は尚更だろう。
いくら割り切ればいいとはいえ、海月の事を想えば一連の戯れ事はただの裏切り行為にしかならない。冷静に考えてみると、やっぱり後ろめたさに苛まされる。
「……ヒロ、何考えてるの?」
手を引っ張って自分の方に向かせる知加子。もう、その表情に陰りはない。
完全に割り切って気持ちを切り替えたのか、それとも俺に気を使っているのか。見た目では判断のしようがない。
「あ、彼女の事? もしかして、自分を責めちゃってるわけ? 大丈夫よ、ヒロが言わなきゃバレる事なんてないんだからさ、あまり深く考えない方がいいわよ」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら俺の心を読んでくる。
「でも、ヒロ変わったね? 前はすぐに割り切れたのに、それだけ今の彼女が大事ってわけ?」
そう言って知加子は俺のわき腹を肘で軽く小突く。
……どうなんだろう。
確かに海月の事は大切に想っている。だが、それだけではない。
何故、俺は知加子との別れをこんなに惜しんでいるのか。もしかしたら、知加子に対しても後ろめたさを感じているのか。
きっと、そうなんだろう。俺達はいつも軽い付き合いに終始してきた。そこに本当の愛や友情があったのだろうか。
おそらく、そんな事を無意識のうちに考えていたのかもしれない。
「……それも、ある。でもさぁ、なんかチカに悪い気もしてるんだ」
「え? なんで?」
知加子は俺の言葉に不思議そうに首を傾げる。
「だってさ、いつも会えばセックスばかりしてるだろ? だからさぁ、なんだかそれだけの関係の様に思えてならなくて……」
知加子は腕を組んで俺の言葉を反芻する。言いたい事がちゃんと伝わっているか、その仕草からは微妙な空気が漂う。
「そうかなぁ? 私は別にそうは思わないけど。たしかにエッチばかりしてる気もするけど、ちゃんとした友人関係だと思うよ」
うんうん、と納得した様に何度も頷きながら言葉を繋げる。
「ほら、いつも会う時間短いでしょ? だから、言葉だけじゃ足りない部分も出てくるじゃない。
そういう部分をさぁ、肌を重ねる事で補ってるって感じかなぁ。一番深いところでお互いを知るっていうの? それに私は気持ち良くなりたいだけでヒロに抱かれてるわけじゃないし、ヒロだって体が目的で会いに来てるわけじゃないでしょ? ちゃんと遊んだり喋ったりもしてるし……まぁ、普通の友人関係よりは親密ってコトだよ」
知加子は俺の肩を軽く叩き、微笑んでみせる。
それでもまだ複雑な気持ちを完全に拭いきれない。だが、その言葉に俺の心は少し軽くなった気がした。
「……そうだな。ちょっと親密すぎるかもしれんが、たしかに“それ”だけの関係じゃないよな」
俺は自分に言い聞かせる様に呟くと気持ちを切り替えようと首を振った。
こんな気分で別れたら後味が悪すぎる。それに最後まで知加子に気を使わせていたら、せっかくの再会も良い思い出にならない。
俺は下がり気味のテンションを無理矢理軌道修正すると、知加子の肩を抱いて引き寄せた。
「え?」
突然の行動に驚く知加子。俺はそんな彼女に笑顔を向け、ピッタリと寄り添う様にして歩く。
「時間ないからな。少しでもチカを感じておこうって思って」
俺はそれだけ言うと視界に入って来た駅に目を細めた。




