ヰタ・セクスアリス
最近の葉山香奈は全く家事に疲れていた。特に夕飯の支度に参っているという。
相談された葉山祐介はコンビニのATMに行って自身の貯金を幾らか下ろし、それを香奈に、ポン、と渡してやったのである。
この日、夕飯はコンビニの天丼を二人仲よく食べた。暫くして祐介が風呂から出ると、香奈がコンビニでチャイラテを買ってくるという。
「僕の分も頼む」
わかった、チャイラテ二本で良いのね、と言って彼女は玄関の扉をガチャっと押して出て行った。
祐介は香奈の事を考えていた。元気になって又最近、自分の思っている事を、はっきり伝えるようになってきた。
女が男になる、と言うが、香奈は元々、きっぱりとした性格で、常識はしっかり通す。
男性的な側面もあったが、その話しぶりはや、目のくりくりした所、手塚治虫のキャラクターにでもいそうな風貌は、「少年的」であった。
ここまで考えながら書いて(祐介は、書きながらでないと、考えられない)、彼はちっとたじろぎながらも、「少年愛」と云う語を思い浮かべた。
香奈が帰ってきた。彼は彼女をじいっと見つめた。
「何、見てんの」
香奈を見つめれば見つめる程、彼は香奈という個体に宿る少年性への憧憬を見いだし、その部分を好ましく思っていたのだな、と清く認めた。
若い頃、夏の暑い日差しの下、肩を出した服を着て、持ち前の体力で、走って駆けてきてくれた彼女はまさに少年であった。
そうして祐介は彼の「ヰタ・セクスアリス(森鴎外の性を取り扱った作品)」を編む上で、この少年性に対する憧憬というものは無しには成立しないと考えたのであった。
彼はまだ濡れている髪を手で拭きながら、ノートパソコンを前にキーボードを打ちはじめた。
彼が、彼の「ヰタ・セクスアリス」を編もうと考えたきっかけは、インターネット上の小説家、又、詩人の作品を拝見する内に、自身の性の悩みを赤裸々にしかし、明るく、前向きに表現している方が多かったからである。
「少年愛」
これは全く考えの俎上に上らなかった彼であったが、自分の愛情を注ぐ妻というものを観察する内にじわじわと身体感覚としてそれを自覚するように、ここ数週間のうちに急速に変わってしまったのである。
ここで二人の作家を挙げておく。
宮沢賢治と稲垣足穂である。
そうして、彼は以前書いた自身の小説を読みかえしていたのだが、そこには明確に、ハル、ユキオという二人の少年が登場し、ユキオがブルースハープをハルに譲り、親しくなるという描写がなされていた。
念頭にあったのは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラであったが、改めて読みかえしてみると、ジョバンニはカムパネルラと話せる間がないと、その間話しかけている女の子に嫉妬しているのである。
「銀河鉄道の夜」は、母や姉、女の子といった女性も登場するが、全く論理的必要性の為、ただ、添えられているようなもので、再読してみれば、どこまでも「男の子の世界」で閉じこもってしまっている話とも読めなくないのではないだろうか。
そして、カムパネルラはいつまでも与えるものであり、ジョバンニは受けとるものであった。そうしてカムパネルラは与える事を突き抜けて、自己犠牲として死んでしまうのであるが、その彼の自己犠牲に共鳴するようなジョバンニの言葉によって、カムパネルラは救済されるのである。
そうして、香奈というのは明確に祐介に対し与える者なのであった。
「少年愛」という言葉にたじろぎつつ、「銀河鉄道の夜」を再度通読して、彼が思い立ったのは、稲垣足穂の存在であった。彼は毒舌を自覚しており、宮沢賢治に対しても「例の岩手の黒い手」と言って、相手にしていないようであったのだが、「銀河鉄道の夜」を読了すると、是非、叶うならばこれを映画にしたい、と絶賛したのである。
稲垣足穂は「少年愛の美学」という本で日本文学大賞を受賞するのだが、彼はその本を発表した後、かなり苦心して、ブリリアント(改稿作業)を何回も繰り返している。稲垣足穂全集で確認できる「少年愛の美学」は七回目のブリリアントが成されたものであって、どこが後に加筆されたものであるか判断できないので、大元の「少年愛の美学」がどういう形のものであったか、分からない。
しかし、稲垣足穂の少年愛というものが、祐介、彼と等しく、憧憬で済むものであったか、それは分からない。そうして、色々伝えよう、伝えようと苦心すれば苦心するほど、誤解を招く面もあっただろう。
実際に稲垣足穂がオスカー・ワイルドの例を挙げて、少年愛というものが、小児愛好に変ってしまって、実際、事件に発展してしまう可能性というものも、稲垣足穂は、文中、指摘しているのであった。
「おう、祐介、書いてるじゃねぇか」
この、じゃねぇか、というのが、香奈の男性性であって少年っぽい所であった。
「はいはい、書いていますよ」
そうして受け流しつつ、祐介はどこか女々しかった。彼は彼女から与えられた、チャイラテを飲んだ。
寝室は暗く、寒かった。そうして、祐介は自身で書いてきた事の詳細を、彼女に聞かせようと語りはじめた。
彼女は最初、恥ずかしがっていた。しかし、他人から自分を評される事が、彼女の気分を悪くはさせなかったらしい。寧ろ、くすぐったいらしい。そうして彼女は、旦那の「ヰタ・セクスアリス」を通読すると
「むしろ、わたしが与えられてばっかりじゃない?」
と、言ったのであった。




