第23話:瞳に映る
放課後の事。昼休みのことを詫びようとコヲリを捜したのだが。最終的にSNSで場所を聞けばいいじゃないかという文明の利器に気付くまで時間がかかっているだけ俺はちょっと地球の重力に引かれ過ぎている気がしないでもない。特別棟の最上階。春特有の夕日が差し込む部屋で、コヲリはキャンバスに向かっていた。
「あーっと、何してるんだ……って聞くのも無駄か」
「……アクヤ様」
ここが美術室で、コヲリがキャンバスに向かっている以上。やることなんて一つしかない。絵を描くことだけだ。絵具をパレットに乗せて、筆でキャンバスになぞっていく。
「……来ていらっしゃるとはお聞きしましたが……」
「あー、ちょっとな」
昼間のことを謝りたかった。せっかくの人公との時間を俺は奪ったのだ。
「絵を描くのが好きなのか?」
「……はい。……白いキャンバスに筆を乗せる瞬間がとっても興奮します」
俺は絵描きじゃないからなぁ。創作的なことには触れてこなかった人間だ。勉強だけは人並み以上したが、それだけ。教師に言われてやれることは果たして生産的なのか。
「……ちょっと画材を借りまして。……今日はアクヤ様の担当ではないのでこうやって」
水曜日はコヲリが人公のお世話をする日。このまま人公の家まで行って夕餉を作って我が家に帰ってくるだけ。すこし絵の具の匂いのするここは、その空間が静謐で、何か結界染みた高貴さを感じる。キャンバスを持っているということは、何か絵を描いているのだろう。人物画か風景画か。俺には画風の違いなんて分からなくて。
「何描いてんだ?」
キャンバスを覗き込む。有ったのは幾何学模様だった。そこにカラフルな色が乗せられていて。素人の目で見れば国旗を描いて失敗したのか、という感じ。円とか三角とか四角が重なって、それらの外縁で交差した面積にバラバラの色を塗っている。
「これは?」
「……平面構成と呼ばれるものです。……絵画を練習する基礎訓練みたいなものです」
何でも聞くに、これが人の目に心地よく描けることは絵描きにとって必須事項らしい。デッサンとかならわかるが、平面構成って。
「すまん。聞かんでもわかるが。絵を描くのが好きなのか?」
「……はい。……何かを自分の手で生み出すのが好きなんです。……とりわけ絵画が好みですね」
「今時はその……液タブ? とかを使うんじゃないのか?」
お絵描きAIとかある時代だし。
「……まぁそうなんですけど。……私の家は借金を負いましたから」
まともに液タブも買えないと。
「そういうことは早く言え」
俺はスマホで通販にアクセスする。
「どの液タブがいい? どれでもいいぞ。俺にはどれがいいのか分からん」
「……あ、……いえ、……催促をしたような発言をお許しください。……決してアクヤ様のお手を煩わせるようなことでは」
学校では様を付けるな、と言いたいが、まぁここは二人きりだし。そもそも俺が入室してから普通に様付けだったしな。
「いいから選べ。パソコンは最新を用意したつもりだし、描画ソフトと液タブはお前が選べ」
「……その……そのご温情をお受けするのは心苦しく」
「じゃあ。コヲリ」
俺は声の質を変えた。只野ヒートから九王アクヤへ。一種の仮面のようなものだ。表層意識には只野ヒートがいるが、奥底には九王アクヤがいる。どちらも俺だ。
「奴隷として虚偽をさえずるな。お前が最も欲しいと思う液タブを、俺に心苦しく思いながら選べ」
「……あ……その」
悲痛の瞳でコヲリは俺のスマホを見た。密林の商品の羅列に、いくつかのタブレットがある。安いのは数万円から高いのは数十万。マジで俺にはどれがいいのか分からないのだ。
「心して答えろよ? もし遠慮が俺に察知されたら最悪の事態になると思え」
「……これです」
言われて指を差されたのは最高値ではないが、星の評価が高い一品。まぁ借金にあえぐ家庭で買える代物ではないが、俺にははした金。
「ふむふむ。テーブルも買った方がいいな。あの部屋はパソコンオンリーのために備えだし。お、電動で上下する机もあるじゃないか。椅子は今のゲーミングチェアでいいか? さすがに椅子は絵を描くのに関係ないだろ?」
「……アクヤ様」
「どうした?」
「……お笑いに……ならないのですか?」
「何をだ?」
「……貧乏人が絵描きなんて」
「…………」
瞬間、言葉に詰まったのは、語彙を選んだからだ。バカにしていて図星を突かれたとかじゃないんだが。ここで思わないと即答することも違って。
「絵が好きなら、ルノワールは知ってるだろ?」
「……ええと、……まぁ」
「歴史書によるとルノワールも貧しい家の出で、そこから絵描きとして這いあがったと言われている。別に趣味に貴賎は……無いとは言わないが、絵を描くだけなら自由だろう。音楽なんて奴隷にだって許された娯楽だとして世界中で歌われている。そういうのって、楽しめる奴の勝ちじゃないか?」
「……アクヤ様」
「だから液タブと机は用意してやる。好きなだけ描け。もしイラストレーターとして大成したら、それで借金を返せばいい。もちろん今回の費用は俺のポケットマネーから出るので換算するなよ」
「……それではあまりにも」
「俺はお前に笑ってほしいんだ。地獄に堕とした張本人が何言ってんだって話だが。それでもコヲリに笑ってほしい」
「……不肖私のためにご温情……ありがたく」
「今時AIとかもあるから厳しいんじゃないかとは思うがな」
「……見る側にとってはそうでしょうけど。……描く側って評価されるのも嬉しいですけど、……そもそも描くことが嬉しいんです」
そんなもんかねぇ。そうして決済を終える。
「でもよかったよ。お前の願いを聞けて」
「……私の……願い」
「コヲリ、俺に遠慮してるだろ? 俺の稼いだ金じゃないけど、何か頼られると嬉しいんだ。俺としてもな」
「……アクヤ様……今日は私と寝てくれませんか?」
「構わんが」
「……誠心誠意……添い寝させていただきます」
「たまに思うけど、お前らって俺と寝るのに違和感ないの?」
「……むしろアクヤ様が手をお出しにならないのが心苦しく」
「あー、それは勘弁してくれ」
「何か理由でも?」
「無いわけじゃ無い」
この世界の主人公、人公アルシにヒロインを清い身体のまま差し出すまでは手を付けられない。だからせめて添い寝をしてもらう、というのが俺の中でのジャスティス。だって受け取ったら中古でした、とか嫌だろ。まぁゲームの中ではすでにヒロインは中古だったが。まぁそれがゲームの仕様上しょうがないというかなんというか。
「……カホルも言っていました。……おっぱいの一つも揉んでくれないと」
おっぱいアイマスクだけで十分だよ。それだって股間がいきり立ってしょうがないのだ。そうして密林で液タブと電動の机を買って、そのままコヲリの部屋へ配達。俺はと言えば近くにある全国模試に向けて勉強漬け。コヲリに液タブの使いやすさを聞いてみると、まだ慣れていないという答えが返った。たしかにアナログとデジタルじゃ勝手が違うか。




