第50話 訪問者
アイラは、目の前で繰り広げられるケインとルードのやりとりを、状況が飲み込めないまま見つめていた。
原因はどうやら自分の瞳の色らしい。だがそれは、彼女が生まれながらに持っていたものではない。まるで他人の話を聞いているような、現実味のない感覚が胸に残る。
「俺は降りるぞ。神殿だけならまだしも、それ以上面倒なことに巻き込まれるのはごめんだ。そもそも今日はそれを伝える為に来た」
そう言い残すと、ケインは立ち上がった。ほんの数分前、初めて顔を合わせた時よりも、ひどく疲れた背中だった。
彼はルードの肩にそっと手を置き、何も言わぬまま部屋を後にする。
「あの人、幼馴染なんでしょ? 大丈夫なの?」
アイラの問いに、ルードはすぐには答えなかった。
「……気にしなくていいよ。ちょっと、生まれが特殊でね」
いつもの飄々とした調子は影を潜め、俯いた横顔に影が落ちる。
「役目から解放されてもさ、結局、根っこの部分はまだ繋がったままなのかもね。そう育ってしまった以上、急には変われないんだよ」
それだけ言うと、ルードは荷物を手に取り、別の部屋へと姿を消した。
アイラは、ふとレーネのことを思い浮かべる。
人を殺すことを役目として生きてきた彼女は、たとえその役目から解放されても、変わらずそこに立ち尽くしていた。
それが誤りだと知っていながらも。
それはまるで、卵から孵った雛が、殻の外に広がる世界を知らないまま育つように。間違っていると理解することと、生き方を変えられることは、きっと別なのだ。
「もう遅い。俺たちも休むぞ」
アルゴに抱えられたセトは、いつの間にかうつらうつらとまぶたを落としかけている。
アイラもまた、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、足は鉛のように重く、頭もうまく回らないほどの疲労を覚えていた。
「……ルードは大丈夫かな?」
「気にする事はないと思うぞ?あいつは割と神経がおれらなんて比にならないほど図太い」
そう言いながらアルゴは、手当たり次第に部屋の扉を開けて回る。
「……ここは物置か。だめだな……ここも埃っぽい。寝たら朝までくしゃみが止まらなさそうだ」
奥の部屋の扉を開けると、簡素な寝台が二つと、使い古された毛布が置かれていた。長く使われていなかったらしく、薄く埃は積もっているが、休むには十分だ。
「ここでいいだろ。贅沢言ってる余裕もないしな」
アルゴはそう言って、セトをそっと寝台に下ろす。セトは小さく身じろぎしただけで、すぐに規則正しい寝息を立て始めた。
アルゴが湯を使いに部屋を出ていき、アイラは眠りについたセトとともに、静かな室内に残された。
夜もすっかり更けたというのに、外からは鐘の音が低く、断続的に響いてくる。
規律の正しいこの王都で、こんな時間に鳴らされる鐘。
それはきっと、ほとんど起こることのない“侵入者”に対する警戒なのだろう。
そんなことを考えていると、控えめに扉を叩く音がした。続いて、少し開いた隙間からルードがひょいと顔を覗かせる。
その表情に、先ほど見せた影はない。
いつもと変わらない、飄々としたルードの顔だった。
アイラはセトを起こさぬよう静かに立ち上がり、音を立てないよう部屋を出る。
そっと扉を閉めると、廊下で待っていたルードと向かい合った。
「もう一部屋あるから、アイラちゃんはそっち使ってね。アルゴと同じ部屋なんて、嫌でしょ?」
わざとらしく顔を歪ませてみせたかと思うと、すぐに元の飄々とした表情に戻る。
だがその視線は、冗談めかした態度とは裏腹に、まっすぐアイラの金色の瞳を捉えていた。
「……ケインの言ってたこと、気になってるよね?」
「私の……瞳の色に、なにか問題があるの?」
ケインはアイラの瞳を見た途端、人が変わったかのように取り乱していたので、何もないとは思えない。
「問題というか……ちょっと厄介な代物でね」
アイラはその曖昧な答えに眉をひそめる。
「厄介……って、どういう意味?」
ルードは口元に薄い笑みを浮かべたまま、あえて答えを濁す。
「まあ、扱い方次第では面倒ごとになるってことさ。でも今は気にしなくていい。アイラちゃんの瞳は、今君がしていることは間違いじゃないって、そう教えてくれるものだ」
そう言うと、ルードはそっとアイラの頭を数回撫で、笑みを残したまま、何事もなかったかのように部屋を後にした。
アイラはその背中を見送ったものの、彼女の中で納得しきれない疑問や不安が、重くまとわりつくように沈んでいった。




