第45話 女の子
アイラとセトは、屋台広場の端に置かれた長椅子に並んで腰掛けていた。
手には、先ほど買ったパン—香ばしく焼かれた生地に、野菜のピクルス、新鮮な生野菜、チーズがたっぷりと挟まれている。膝の上で少し重みのあるそれを支えながら、二人は屋台を行き交う人の波を眺めた。
視線の先では、アルゴが肉の丸焼きの前に立ち、腕を組んで焼き色を見極めている。戦場で敵を見定めるかのような真剣な眼差しだ。
「……本気だね」
小さく呟くセトに、アイラは思わず口元を緩めた。
「食べ物のことになると、ああなるみたい」
湯気と香辛料の匂いが風に乗って流れ、
屋台広場は穏やかな賑わいに包まれていた。
本来なら、神殿で放火があったと聞けば、市民は恐怖や混乱に包まれるはずだ。
だが役目を軸に生きる彼らは、そんな出来事さえ日常の外へ押しやり、何事もなかったかのように、その賑わいに溶け込んでいた。
「お姉さんのおめめ、きれいね」
不意に、すぐそばから声が聞こえ、アイラははっとして視線を戻す。
長椅子のすぐ前に、セトより少し年下だろう茶色の髪の女の子が立っていた。
女の子はじっと、アイラの目を見つめている。
曇りのない透き通った、芯の強さを感じさせる眼差し。
アイラの瞳は、かつては紅茶のような琥珀色だった。それが今は、太陽のような金色へと変わってしまっている。
この色にも、ようやく慣れてきたところだが、母の瞳を思い出させる琥珀色を失った喪失感は、胸の奥に小さく残ったままだ。
だけど、こうして純粋に目の色を褒められると、その痛みがほんの少しだけ、和らぐような気がした。
「……ありがとう」
答えながら、アイラは無意識に女の子の“糸”へと目をやると、そこには、あるはずの輝きも色もなかった。
風にそよぐように揺れているのに、ほとんど透明で、見失いそうになるほど淡い糸。
見慣れた金色でもない。
テトラの町で見た、無理やり作られた錆びた糸とも違う。
確かにそこに“ある”のに、
誰にも縛られず、自由な気配だけを漂わせていた。
「じいさまがね、読んでくれた絵本に出てくる王様みたいなおめめ!」
「そうなんだ。王様と同じ瞳の色だなんて、嬉しいな」
アイラは自然と頬を緩めて、そう返した。
こんなふうに町の人と交流するのはハイバの町のルルとロイ以来かもしれない。
そのとき、少し離れたところから、
聞き慣れた声が聞こえてきた。
「アイラちゃーん!お待たせー!」
屋台の方からルードが手を振っているのが見え、アイラもそちらへ視線を向ける。
アルゴもルードと一緒だ。
「今行くー」
軽く声を返し、もう一度長椅子の前へ目を戻すと、そこに、さっきまで立っていたはずの女の子の姿はなかった。
「あれ……?」
人混みに紛れたのだろうか。
そう思って視線を巡らせるが、それらしい後ろ姿も見当たらない。
「どこ行ったんだろ」
隣でセトも首を傾げる。
きっと親の姿でも見つけてそちらに行ってしまったんだろう。
ほんの少し言葉を交わしただけの、透明な糸を持つ女の子。
初めて会ったはずなのに、どこか懐かしくて、
その感覚はアイラの胸の奥に、柔らかな温もりを残していった。
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「それで、神殿は何かわかった?」
「魔法で焼かれた、ってことくらいかな。前とまったく同じ痕跡だし……十中八九、“神に見捨てられた者たち”の仕業だと思う」
「よく分からねぇが、神殿を快く思ってねぇ連中ってことは確かだな」
アルゴの言葉に、ルードは肩をすくめた。
「うん、たぶんね。でもさ、やることがいつも同じなんだよ。神殿とか王宮を焼くくらいで、神官そのものは狙わない」
ルードの話では、“神に見捨てられた者たち”は、昔から神官を襲うことはなく、あくまで建物や象徴だけを壊していくらしい。
「僕だったら、手当たり次第に神官を狙うけどね。そのほうが手っ取り早いでしょ?」
「確かに、それなら神殿を潰すのは早ぇな」
アルゴが低く同意する。
「……でも、不思議なんだ」
ルードは少し声を落とした。
「百年以上前から今まで、被害者は出てない。同じやり方で、同じ程度の“嫌がらせ”を続けてる」
神殿や王宮を破壊もしくは焼く。
だが、人は殺さない。
「まるでさ」
ルードは言葉を探すように、一拍置いた。
「百年以上も同じやり方なのはさ、まるで親から子へ、子からまたその子へ……何かを引き継いでるみたいじゃない?」
「……それが、その人たちの役目ってこと?」
アイラの呟きに、ルードは曖昧に首をかしげる。
「それか、神官に直接危害を加えられない理由があるのかも」




