第39話 錆びた色
石造りの建物へと、選ばれた者たちが一人、また一人と吸い込まれていく。彼らはこれから神の涙を飲み、この国の一員となるのだろう。
扉が閉まるのを、アイラは黙って見送った。
「……もういいだろ。行くぞ」
苛立ちを隠さないアルゴの声が背後からかかる。
それでもアイラはすぐには頷けず、視線を建物から離せずにいた。
その様子を横目で見たルードが、アイラに向かって片目をつぶる。
「まあまあ。どうなるか、もう少し見てみようよ。それにさ、セトの服も買わなきゃでしょ?」
アルゴは渋々だか納得したようで、それ以上何も言わず。近くの木にもたれかかり目を閉じた。
石造りの建物の前で、しばらく思い思いに待っていると、やがて重たい扉がきしむ音を立てて開いた。
最初に姿を現したのは、神殿服の男だった。この神殿に勤めている神官だろう。
無表情のまま周囲を一瞥し、通りに人が集まっていないことを確かめると、建物の中の誰かに合図を送った。続いて一人の女性が、ふらりと外へ出てきた。つい先ほどまで、馬車から降ろされた中にいた人物だ。
頭上には、確かに糸が伸びている。
だがその糸は、あまりにも細く、色もどこか錆びたように濁っていた。
アイラがこれまで見てきた糸は、まるで黄金の光を閉じ込めたかのように、澄んだ輝きを放っていたはずだ。それと比べると、全くの別物である。
女性は足取りがおぼつかず、段差に気づかずにつまずきかける。すぐに、神殿服の男が慣れた手つきでその腕を支えた。
「……大丈夫ですよ。すぐ慣れますから」
神官の言葉に、女性は小さく頷く。
だが、その目には焦点が合っていない。
何を見ているのか、あるいは、何も見ていないのか。
——本当に、これが「救われた姿」なのだろうか。
期待に目を輝かせて、あの建物へ入っていった人々。だが、出てきたとき、彼らの頭上に揺れていたのは――例外なく、錆びた色の糸だった。
その顔に、喜びはない。
安堵も、期待も、ひと欠片すら残っていない。
彼らは神官に付き添われるようにして、静かに列をなし、町の奥へと消えていった。
これから、どこへ連れて行かれるのか。
どんな「役目」を与えられるのか。
答えは、アイラにはわからない。
「で、どうだった?」
ルードが、アイラを見つめて問いかける。
異変は誰の目にも明らかだったが、糸の違和感に気づけるのは、アイラだけだ。
「……確かに糸は伸びてた。でも、みんなが持ってるものとは、明らかに違う」
「なるほどね」
ルードは顎に手を当て、思案する。
「外から来た人だからなのか……それとも、もともと糸を持たない人間に、新しく糸を結ぶこと自体が、無理のある行為なのか」
そう呟いたきり、ルードは黙り込む。
「ねえ……」
不安げな声で、セトが口を開いた。
「さっきの人たち、なんだか変だったよ。何か、あったの?」
事情を理解しきれず、視線を三人の間で行き来させる。それに気づいたのか、アルゴが咄嗟にセトの頭へ手を置き、くしゃりと撫でた。
「入国できて、気が抜けただけだろ」
軽く、雑な口調で続ける。
「緊張の糸が切れたってやつだ。お前も来たばっかの頃、疲れ切って寝てただろ?」
セトは少し考え、やがて小さく頷いた。
四人はそのまま町を歩き、セトの服を買うために衣服屋へと入った。
店内には布の匂いが満ち、壁際には色とりどりの服が整然と並んでいる。
アイラとルードは楽しそうに棚を行き来し、次々と服を手に取ってはセトの前に差し出した。
「ほら、これも似合うんじゃない?」
「いやいや、こっちの方が動きやすそうだよ」
鏡の前で服を当てられるたび、セトは居心地悪そうに身じろぎする。注目されることに慣れていないのか、どこかむず痒そうだ。
そのとき、扉の鈴が鳴った。
若い神官服を身にまとった男女が、数人連れ立って店内へ入ってくる。
空気が、わずかに張りつめた。
アイラたちは反射的にローブを深く被り直し、互いに距離を詰める。
幸い、神官たちはこちらに目を向けることもなく、楽しげに会話を続けていた。
「適当に何着か買っていけばいいですよね?」
「ああ。体調が戻れば、あとは自分たちで何とかするだろ」
「外から来た方は、みなさん体調を崩しやすくて。なかなか順応できませんね」
「まあな。受け入れを始めたばかりだし、空気も水も違う。何かあれば――」
「神子様が、なんとかしてくださいますよね」
どこか呑気で、疑いのない口調だった。
神官たちは手当たり次第に服を選び、まとめて店員へ渡していく。その視線は終始服と会話に向けられ、アイラたちの存在に気づく様子はない。
――神子様。
気なく口にされたその言葉に、アイラの思考が一瞬止まる。
知らない。
そんな存在を、彼女はこれまで一度も意識したことがなかった。




