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誰もが役目を放棄した世界で  作者: ソニエッタ


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第38話 テトラの町

 数日後、セトの体力が回復するのを待ち、アイラたちはルードの隠れ家を後にした。


口数の少ないアイラ、アルゴ、ルードとは対照的に、セトは馬車の窓から流れていく景色に目を輝かせ、途切れることなく喋り続けている。


やがて森を抜けると、整えられた街道へと出た。

石畳はひび一つなく、道の脇には神殿の紋章が刻まれた石碑が、等間隔に並んでいる。

行き交う人々は穏やかな表情で挨拶を交わし、朝の空気には、不思議なほどの安らぎが満ちていた。



アイラは無意識のうちに、人々の頭上へと視線を向けていた。そこには、見慣れた糸が、当たり前のように伸びている。

それを不自然だと感じている自分自身こそが、すでにこの国の異物なのだと、突きつけられた気がした。



ふと視線を巡らせた先で、見覚えのある制服を着た者たちが、数人の男女を馬車から降ろしているのが目に入る。


「……え?」


その男女の頭上には、糸が一本も見当たらなかった。驚きに言葉を失うアイラの横から、セトが身を乗り出す。


「あ! あの人たち、国境で何日も入国を待ってた人たちだ。……選ばれたんだ」


セトは声を弾ませ、目を輝かせる。まるで自分のことのように嬉しそうで、その無邪気な喜びを見つめながら、アイラは少し複雑な思いを胸に抱いた。



馬車から降ろされた男女は、皆一様に穏やかな表情をしている。不安も疑念もなく、神殿服の者たちに導かれるまま、列を成して進んでいく。


「ルード、ここで止めて」


ぽつりと漏れた声に、アルゴがはっとして振り向いた。


「アイラ?」


「ここで……一度、降りたい」


アルゴは即座に首を振る。


「待て。今動けば目立つ」


わかっている。

わかっていても、視線を逸らすことができなかった。


ルードは、楽しげな軽口を叩くでもなく、ただ手綱を握り前を向いている。

やがて、小さく息を吐き、肩をすくめる。


「……様子を見るだけなら、いいんじゃない?ローブもあるし僕たちって気がつくことはないよ」


「ルード」


「深入りはしない。騒ぎも起こさない。ただ、何が行われているかを確かめるだけなら大丈夫だよ」


アルゴは苦い顔をしたまま、しばらく黙り込んでいたが、やがて低く唸る。


「……条件付きだ。危険だと判断したら、すぐ引く」


アイラが小さく頷くのを確認すると、ルードは馬車の手綱をゆるめ、ゆっくりと停車場へと向かわせた。




******


「ここはテトラという町だよ。国境に近いから、交易で賑わっているんだ」


町の通りにはところどころ木々が生え、穏やかな緑が目を和ませる。大きな荷物を抱えた商人らしき者たちが、忙しなく行き交っている。


フードを深く被ったまま、四人は町の中を進んだ。

交易で賑わうテトラの通りは人の往来が多く、彼らの存在はその流れの中に自然と溶け込んでいる。


そのとき、アイラの視界の端に、見覚えのある制服が映った。

国境で目にした、国境警備隊だ。


数人の兵が、町の一角にある石造りの建物へ、先ほど馬車から見かけた人々を誘導している。


年齢も、服装もばらばら。

だが、ひと目で分かる共通点があった。


——彼らの頭上には、一本の糸すら伸びていない。

対照的に、警備隊の兵士たちには、いつもと変わらぬ金色の糸が揺れている。


建物の扉が開き、選ばれた者たちは、促されるまま中へと入っていった。

その表情には、不安よりも、長い待ち時間の末に掴んだ幸運を噛みしめるような喜びが浮かんでいる。


「……彼らは、これからどんな役目につかされるんだろう」


この国では、生まれた瞬間に役目が定められる。

多くの場合、それは親から受け継がれるものだった。

アイラ自身も、例外ではない。


だが——糸を持たないままこの国に入り、神の涙を飲むことで糸を与えられた者たちは、どうなるのか。

誰が、何を基準に、彼らの役目を決めるのか。答えのない疑問が、胸の奥に静かに積み重なっていく。


「神の涙は、まだ新しい仕組みだからね」


沈黙を破ったのは、ルードだった。

腕を組み、視線を建物へ向けたまま、思案するように続ける。


「僕も詳しいところまでは知らないけど……たぶんさ」


一拍置き、ルードは言葉を選ぶ。


「犠牲になった魂が、生前に背負っていた“役目”を、無意識にそのまま引き継ぐんじゃないかな……」


あくまで推測だ、と言外に含ませた口調だった。


神の涙の犠牲となり、安息の地へ行くことすら許されなかった魂たち。

彼らは、もとある糸を強化するだけでなく、新たにこの国へ加わる者たちを縛りつける――


目に見えない鎖へと姿を変えるのだとしたら。

その仕組みは、あまりにも残酷だった。


「……だとすると、ハイバの町で糸が切れた市民も、神の涙を飲めば“元に戻る”ってことか」


外から来た者に糸を与えられるのなら、そう考えるのは自然だった。


「まあね。でも、殺されるよりはマシじゃない?」



影に属するレーネは、規律を乱したとして鉱夫たちを始末したと言っていた。


ハイバの町では、神の涙の数がまだ足りず、取り合いになっていた。

だが、もしそれが行き渡れば――


「役目」を外れた者が、再び糸で縛り直される未来もあり得る。


殺されるよりは、確かに穏やかだ。

だがそれは、救済と呼べるものなのだろうか。


アイラの考えは絡まり合い、ほどけなくなっていた。


神の涙を止めたい。

それは確かな想いだった。


もし、神の涙がなければ。

規律を乱した者は、“始末”される。


神の涙は、人を縛る。

だが同時に、人を生かしてもいる。


(じゃあ……どっちが正しいの?)


止めれば、死ぬ人が増えるかもしれない。

続ければ、魂が犠牲にされ続ける。


救っているつもりで、奪っているのか。

奪っているつもりで、救っているのか。


答えは、どこにもなかった。

糸を切る力を持ち、調和を乱す自分が、

ただ、怖かった。




「……また余計なこと考えてるな」


低い声が、思考の渦に割って入る。

アイラは青ざめた顔を上げると、アルゴがこちらを見ていた。


「まあ、あれだな。悩めるってことは、自由に選べるからこそだな」



そうか――自分はもう、誰かに押し付けられた役目に縛られているわけではないのだ。

行く道を自ら選べる。怖くても、迷っても、それは自由の証だ。


アルゴの言葉は正解でも、答えでもない。

だが、絡まった思考を、無理にほどくことなく、支えていた。


胸の奥でざわついていた不安が、少しだけ静まる。

アイラはゆっくりと顔を上げ、深く息を吐いた。


「……アルゴには、かなわないな」


小さく漏れたその言葉には、苦笑と、ほんのわずかな安堵が混じっていた。




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