第26話 ハイバの町の終わり
神殿の扉が商人たちによって叩かれると、ほどなくして重々しい音を立てて開き、神官長が姿を現した。
小声で何かを交わしたあと、商人たちは淡々と台車を神殿へ押し入れる。その上には先ほどの町医者と思われる身体と、さらに数人分のぐったりとした人影が積まれていた。
「中に入ったな。……俺たちも動くぞ」
アルゴの声を合図に、三人は神殿の脇へと移動した。
細い路地のような通路を抜けると、裏手に小さな出入口がある。アルゴが迷いなく鍵を握り、ぐいとひねると、金属が軋む音とともに錠が壊れた。
神殿の中に足を踏み入れた瞬間、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
灯りはほとんどなく、薄闇の中でただひとつ低く不気味な旋律だけが、神殿全体を満たすように響いていた。
アイラの身体がわずかに震える。
数日前に見たあの光景が、鮮明に脳裏に蘇る。
(また……あの祈りを聞くのか)
通路を進むほど、祈りの声は重なり、強く、濃くなっていく。
少し先の方で光がじわりと漏れている。
その扉の向こうで神の涙をつくるために、今まさに誰かの魂が抜き取られようとしているのだろう。
扉の前に着くと、アルゴがアイラとルードに目で合図を送る。
中では、祈りの声がさらに重なり、耳の奥に直接響くような低音に変わっていた。
アルゴが静かに頷き、そっと扉を押し開けた。
途端に、鉄の匂いと、微かに震える呼吸の音が流れ込んでくる。
部屋の中央には、石の台が並んでいた。
その上には、さきほど運ばれてきた人々が横たえられている。
まだ胸は上下し、息があるのがはっきりわかる。
神官たちは、まるでその生を見ても何も感じていないかのように、淡々と祈りの文句を紡ぎ続けている。
その刹那、
銀の光を持つ短いナイフが、神官長の手で静かに持ち上げられた。
「……っ」
アイラは思わず息を止めた。
刃先が迷いのない動きで振り下ろされ、
肉を裂く鈍い音が、石室に重たく響いた。
血が静かに溢れ、石台を赤く染める。
それでも神官長は祈りを止めない。
「なるほどな、運ばれてきた奴らはその場で殺して魂をとるのか」
アルゴは表情ひとつ変えずにつぶやいた。
その淡々とした声がかえって、今目の前で起きている現実の残酷さを際立たせる。
アイラは、前に窓越しに見たときには気づかなかったあまりに残酷な手順を目の当たりにし、足の力が一瞬で抜けていくのを感じた。
視界の端がじわりと暗くなり、意識がふっと遠のきそうになる。
「……アイラ、耐えろ。これを止めるために来たんだろ」
アイラは唇を噛み、おそるおそる金の糸を視る。
身体に刃が入った瞬間、糸はふわりとゆれて、身体から離れて祭壇の方へ誘われる様に向かって行く。
「おい、アイラあれって」
アルゴが示した方を見ると、女性が床に寝かされていた。顔の色は白く、もう息はないように見える。
「ルルとロイのお母さん……」
夕方、アルゴとアイラが仕事を終えて神殿を後にした、まさにその直後に、彼女は運ばれてきたのだろう。
本来なら子どもたちに見守られながら静かに最期を迎えるはずだったのに、いまは冷たい床に無造作に横たえられ、人としての尊厳すら奪われている。
「絶対に許さない」
胸の奥が焼けるようだった。
夜に運ばれてきた人たちは、余命が短いとはいえ、まだ息があった。
それなのに神の涙のために殺される。
そしてルルとロイの母親まで、こんな冷たい床の上で、ただ材料として扱われている。
許せるはずがなかった。
アイラは荒ぶる気持ちをおさえられず、勢いのまま扉を押し開き、部屋へ飛び込でいった。
「誰だ!! ここで何をしている!!」
神官長の怒声が響き、神官たちが一斉にアイラへ襲いかかる。
「ここは、僕たちに任せて!」
「さっさと行け、アイラ!」
(集中……できる、私ならできる)
アイラは強く目を閉じ、思う。
神の涙にされていく魂たちの悲痛な叫び。
ルルとロイの笑顔。
そして、この世界の歪み。
胸の奥が裂けるほど熱くなり、息が苦しいほど感情が込みあげ、アイラが目を開いた瞬間、抑え込んでいた力が爆ぜた。
眩い光がアイラの身体から噴き出し、部屋を、神殿を、そして夜の町を照らし出す。
光は水のように溢れ、瞬く間にハイバを覆い尽くしていった。
——そして、この日を境に、国一番の工業の町ハイバは静かに幕を下ろすこととなる。




