第13話 果実
アイラとアルゴは、ルードの案内で彼が常宿にしているという宿屋へ向かった。
こぢんまりとしていながらも小綺麗に整えられた宿屋は、一階に食堂があり、二階からが客室になっていて、交易の拠点というだけあって宿は人でごった返していた。
受付の男はひっきりなしに客をさばき、奥の席では商人たちが帳簿を開いて談笑している。
宿屋の外は工場の煙が空を曇らせ、通りを行く人々は皆どこか焦ったように足早だ。
目的地だけを見つめ、脇目も振らずに生きている彼らは、当然のことながらアイラたちに目を向ける者はいない。
「君たち暇でしょ? 僕の仕事、ちょっと手伝ってよ」
ルードの申し出に、アルゴは眉間に皺を寄せる。
その反対に、アイラの目は興味で輝いた。
「神殿に薬草を納品しなきゃいけないんだけど、僕あんまり関わりたくなくてさ。代わりに行ってきてほしいんだ」
ルードもまた、アイラたちと同じように“何か”から距離を置こうとしているようだった。
彼とは出会ってまだ数日。知らないことが多すぎる。
これから共に行動するなら、少しでもその背景を知っておくべきだと、アイラはそう思ったがどう切り出していいかわからなかった。
「えっと……ルードも私たちと同じで、元々あった役目を放棄したんだよね?」
突然の問いに、ルードは目を瞬かせる。少し考え込んだあと、苦笑いを浮かべて答えた。
「そうだね。僕も逃げたんだ。前までは当たり前だと思ってたけど、急に違うって思ってさ」
「そのきっかけって、覚えてる?」
ルードは唇を指でつまみ、視線を宙に泳がせる。
アルゴは無言のまま剣を磨きながら、耳を傾けていた。
「……林檎、だったかな」
「りんご?」
ルードははっとしたように手を叩く。
「そう! すごく珍しい色をした林檎をもらって、それを食べたんだ。金色と紅色が混じったような、不思議な色でね。食べた瞬間、頭の中の霧が晴れたような気がしたんだ。なんていうか、全部がはっきり見えたというか……」
アイラの心にざわりと波紋が広がる。
あの時、彼女が市場で見たのも珍しい色の果実だった。
そしてそれをアルゴも一緒に口にした。
(まさか……あの柘榴……?)
彼女は自分の手のひらを見つめた。
あの柘榴こそが、何かを変えたのだ。
「……それ!」
アイラは思わず身を乗り出した。
「私の場合は柘榴だったんだけど、すごい目を引くような珍しい色だったの。そう――金色と真紅が混じってて、まるで光を閉じ込めたみたいに輝いてたの!」
ルードは息をのんだ。
「……同じだ。林檎もそうだったよ。不自然なほど綺麗な色で……見た瞬間、目が離せなかった」
「まるで、食べさせようと誘ってくるみたいだったよね」
アイラが小さく呟くと、ルードは同意するように頷いた。
「そう。あれは見つけるように置かれていた気がするんだ。偶然じゃない、意図的に……」
あの柘榴の果汁を口にした瞬間、何かが弾けるように意識が反転した。
まるで、長い夢から急に目を覚ましたような感覚。
今までの自分が嘘だったように思えたのだ。
アルゴが黙っていた手を止め、二人を見据える。
「確かに……俺もアイラとあの果汁を口にしてから、何かが変わった。役目なんてどうでもよくなったような……不思議な解放感があった」
「ぼくも同じだよ。あれを食べたあと、世界がまるで違って見えた。人の表情も、空の色も……全部、どこか作られたものみたいでさ」
アイラは自分の胸元に手を当てた。
そこに、まだ微かに残る温もりを感じる。
あのとき、体の奥に流れ込んだ何かが、今も彼女の中で静かに息づいている気がした。
「……いったい何が起きているんだろ」
アイラの呟きは、静かな宿の一室に溶けていった。
ルードもアルゴも言葉を失い、ただそれぞれの胸の奥で、意識が変わった瞬間を反芻していた。
アイラが手に取った柘榴もルードの林檎もただの果実ではない。
世界の理に触れ、覆すための何かだという確信だけが、三人の間に静かに根を下ろしていた。
外では、夕暮れの鐘がゆっくりと鳴り響く。
その音がまるで、これから始まる運命の序章を告げているかのように、重く、長く続いていた。




