第四話 風の精霊シルフとの契約
手のひらに座っている小さな精霊は観念した表情で俯いている。
「いいかい? 芹菜。この風の精霊を簡単に許してはいけないよ。お前は余命七十年もあったんだよ。お前が大人になって、働き先で旦那に出会い、結婚して二人の男の子を産む予定だったんだ」
「はぁ……」
死んだことで、子供や孫の未来までも一瞬で消えてしまったと言われても、まず実感が湧かない。私は目の前の事実しか見えていないのだから。まだ見ぬ子供や孫の人生と言われても、想像できないから困る。
「つまりは、子や孫、そしてその次の子孫の人生を抹消したってことさ。簡単に許してはいけないという意味が分かっただろう? 未来のお前さんの予定を狂わせたんだ。どうだい? この子が憎いかい?」
アトロポス様は、キセルをふかせながら、じっとこちらを見ている。その目で見られると体に穴が空きそうだ。
「あの~、私が把握しているのは、右折してきたドライバーの不注意で起きた事故だけです。あのドライバーが右折の際、スピードを落としていたら、私は、助かっていたはずです。たまたま運が悪い時にこの子が私に力を貸してくれただけ。この精霊が原因ではありませんよ」
アトロポス様は頭を掻きながら、難しい表情をした。
「本当なら、精霊は勝手に人間に力を貸してはいけないんだ。問題はそこなんだよ。この子は精霊界の掟を破った。しかし、こいつはその掟すら知らなかったって言うんだ。しかし、結果的にそれがきっかけであんたは死んだ。こいつにはそれ相応の罰が必要なんだ。そこで風の大精霊にあんたとシルフで【命の契約】をするように頼まれた」
「ちょっと、待ってください。命の契約って何ですか?」
「命の契約とは、芹奈の魂が生きている間、契約した精霊を呼び出し、芹奈のマナを(魂のエネルギー)を精霊に渡す代わりにその精霊を自由に命令させることができるのさ」
私はびっくりして、シルフを見つめた。彼は知らんぷりをしているが。
「そう、あんたはこのシルフを使い放題こき使えるのさ。そのために、あんたには次の人生もそのままの魂で生きてもらわなくてはならない」
「えっ、この小さな精霊に罰を与えるために、私はこの守下芹奈のまま、転生するのですか?」
アトロポス様は申し訳なさそうな声で私に拝み始めた。
「申し訳ないが、そういう事だ。こんなこと何千年もなかったことさ。特例中の特例だね」
「それでは、あれですか? 転生するということは、赤ちゃんからですよね? 見た目赤ちゃんで、中身十二歳って、気持ち悪がりませんか?」
「愛する我が子なら受け入れると思うけど? まぁ、そこはあんた次第だね」
「あんた次第って……」
無責任な感じがしてカチンとした。来世で愛される保証もないのに、適当なこと言ってない?それに、契約なんか別にしなくてもいいのに……。
「契約拒否するなら、この精霊はタルタロス送りになるよ」
私の手のひらで、力なく愕然とするシルフを見て私は少し可哀想になった。
「仕方がない。あなたが自由でいたいなら、契約した後でも呼んだりしないから、その間、自由に過ごせばいいよ」
一瞬変な空気が流れた。
「ハハハ、あんた変わった子だよ。シルフに対して本当に怒りがないんだね。契約はするけど使役しないか。それじゃ精霊使いとは言えないよ。でも、まぁ、そんなヤツが1人ぐらいいてもいいか。さぁ早く契約しな」
シルフは、怯えた顔でこちらを見ている。
「でも、命の契約って何をしたらいいんですか?」
すると、ヘルメス様が話に割り込んできた。
「精霊の顔を見つめて、おでこにキスするんだ。こんな風にね」
ヘルメス様はリュークの腕をぐっと掴むと、嫌がるリュークを力で押さえつけて、無理やりおでこに激しめのキスをした。リュークのおでこに、うっ血したキスマークがついた。
「おぇ~~、くっそ、やめろや!! 変態エルメス!!」
怒ったリュークはヘルメス様に強めのヘッドロックを入れる。それでもへらへら笑うヘルメス様。思わず吹き出しそうになった。クロートー様とラケシス様も口を押えて笑いが止まらない。
「ほらほら、お遊びはその辺にしとき。まあ、芹奈がこいつを受け入れる気持ちでキスをするんだ。分かったら、やってみな」
私は、シルフの小さな青空の瞳を見つめた。
「私と契約しよう」
優しく言うと、私の手のひらで、しゃがみ込んだシルフは、はっとした表情になった。私は小さなおでこにキスをした。すると、いきなりシルフの体が発光し、突風が吹いた。私は思わず手を離し、目を強く瞑った。
何秒ぐらい経ったのだろう。そっと目を開けると、高橋静流よりも少し背丈の高い、不思議な雰囲気を纏った美少年が驚いた表情で立っていた。
ミントグリーンの髪は少し撥ねてはいるが、とても綺麗。伸びた後ろ髪は肩まで伸びていた。髪と同じ色の長いまつ毛に空色の瞳はさらに光を帯び、輝きが増していた。
美少年はすらっと伸びた手足をまじまじと見ている。透明感のある白い肌は美しいが、その胸には象形文字のような印があるのが気になった。
「って、ちょっと待って!! なんで服を着ていないの!」
思わず、背を向けた。
「ていうか俺、なんでこんなに大きくなっているんだ⁉」
シルフが男の大事な部分を手で隠して背を向ける。
ヘルメス様がシルフに近づいてきて、ジロジロ見回した。
「ほ~っ、珍しいな。契約したら、いきなり中級精霊になるなんて……」
魔法のペンの動きが活発に動き、手帳に書き込んでいる。
「ほら、お前は早く服をイメージするんだよ。それと、芹菜は自分の背中に風の紋章がついているはず。あそこの姿鏡で見て確認してごらん」
アトロポス様がせかすと、シルフは最後に見た桜内中学校の制服に変身した。留学生みたいで似合っているけど……。
私というと、部屋の隅にある姿鏡の前までウロウロ。みんなの視線が気になって仕方がない。
「……あの、衝立みたいなものはありませんか? 服を脱がないと背中が見れないので」
「あら、ごめんなさいね! 気が利かなくて」
ケラシス様が指を鳴らすと、衝立がボンと鏡の前に現れた。
「それで姿を隠して、自分の背中を鏡で見てみるといいわ」
私は衝立の陰でささっとワンピースと肌着を脱いで、鏡で背中を確認した。一見すると、直径三センチの小さな魔法円のように見える。円の真ん中に風を表すであろう記号があった。それが銀色に光っている。
「この象形文字のような印は何ですか?」
アトロポス様が近づいてきた。鏡越しで背中を見て私に話はじめた。
「それが、風の紋章さ。契約した証になるし、通常契約者と精霊以外には見えないようになっている。それが、マナエネルギーの排出口になっている。シルフについている紋章に繋がっているんだ」
「それにしても背中だなんて、なんで見えづらい所に印が現れたのでしょうか?」
「……それは、精霊を責任をもって背負うという意味なのか、単に背中の方がエネルギーが放出しやすいのか、そこまでは分からないさ」
私は確認が終わると、急いで服を着けた。すると、シルフが話かけてきた。
「なぁ、お前。本当に俺を呼ばないのか? 自由にしてくれるのか?」
「それが、あなたが自由を望むなら、無理には呼ばないよ。それでいい?」
「ありがとう、それでいい。俺は、縛られるのが嫌いだったんだ。自由をくれてありがとう」




