第三十四話 決戦の朝
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今日が決戦当日だというのに、朝から濃い霧雨だった。いつも目にする山脈の姿は全く見えない。しっとりと重い霧雨は、ミッシュヴィーゲル村全体を包み込んでいた。
私はいつもより早く起きて、子供部屋の湿気を帯びた窓辺からいつもとは違う淡い景色をじっと見つめていた。
「かなり濃い霧だな」
シルフリードが顔を覗かせた。
「今日は濃霧だから中止にしたらいいのに……これじゃあ、満月も出ないでしょうに」
寒さのせいか、緊張のせいか、さっきから手先が冷たくて、しきりに手を擦り合わせる。
ここは、ファンタジーの世界。魔法があって、精霊がいて、悪魔がいる。死が真近にある危険な世界。
「緊張しているのか? 俺だって、戦うなんて初めてだよ。でもな、相手は害虫退治だと思えばいいんだ。相手は蠅だろ?」
「そうね、得体のしれない蠅だけどね」
「それに、戦うのはお前一人じゃないだろ? フルーランも俺もいるし、エドガー達だっている。一人で気を負うなよ」
「そうだけど……。私、上手くやれるかどうか……」
シルフリードは笑って私の頭を撫でた。
「大丈夫だ。周りを信じろ。ほら、朝ごはん食べようってさ、一階でエドガーが呼んでいる」
私たちがダイニングに行ってみると、辺りは薄暗く、ろうそくの明かりだけがテーブルを照らしていた。料理の品数を見れば、まるでディナーのような雰囲気になっている。
いつも明るいレオは、どこか緊張していて、ちらりとエドガーの方を見ては、もぞもぞと落ち着きがなかった。
「おはよう、みんな」
お父さんだけがいつもの通りに振舞っている。
「なんだよ、みんな。せっかくお母さんが気合を入れて、朝から豪勢な料理を作ってくれたんだぞ。みんなで美味しく食べようぜ」
確かに、今日のメニューはポークソテーにアプフェルソース和えとベリーパイ。チコッタサラダには、ゆで卵が添えられていた。メインは二頭鴨の煮込みスープ。特に二頭鴨は滅多に食べられない高級食材だ。
「まるで、パーティーみたい。御馳走だ」
ソフィーがお父さんのために気合を入れて作った料理。朝早く起きて、手間暇かけて作ったものだ。
みんな揃ったところで食事前の祈りをする。
「たくさん作ったね、どれも美味しそう」
私はソフィーへ視線を送った。
「これは、お父さんに頑張ってもらうために料理を作ったの」
「……そうだよね。お母さん」
――私たちは、気まずい空気のまま、豪勢な朝ごはんをみんなで食べた。しかし、緊張もあったのか、思うほど食べられなかった。ルカお兄ちゃんもレオも同じだったようだ。お父さんをちらりと見ながら、もくもくとポークソテーを食べていた。
それに気付いたお父さんがフォークを置いて、タオルで口を拭いた。
「いいか、お前たち、今日の夜は絶対に外に出るな。多分セレーナが言っていた例の魔物が現れる。もしかしたら、この辺りにもうろつくかもしれない。だから、戸締りはしっかりするんだ。俺が帰ってくるのが遅くても、外に決して出るんじゃないぞ。分かったな」
お父さんがいつになく低い声で厳しく注意する。
「シルフリード。君はたぶんこの家で一番強い。だから、一晩この家を守って欲しい。頼めるか?」
「あぁ……はい、分かりました」
シルフリードが視線を私に向けると、私は黙って頷いた。
お父さんが玄関前で身支度をすませていると、ソフィーはなにかコソコソ話して、お父さんに何かを手渡した。お父さんはすぐポケットにそれを突っ込んだ。
「お父さん、抱っこ」
私は、お父さんに駆け寄ると抱っこを求めた。すると、お父さんは軽々と私を持ち上げた。
「ねぇ、高い、高いをしてほしい」
お父さんは首を傾げる。
「なんだ、その『たかい、たかい』ってのは?」
「あのね、子供の脇腹を持ち上げて、軽く上に投げてキャッチをするんだよ」
「こんな非常事態に、なに呑気なことをいっているの? 早く降りなさい」
ソフィーが厳しく私に言うと、お父さんがソフィーをたしなめた。
「まあ、いいじゃないか。可愛い娘の頼みを聞いてやろうじゃないか」
ちらりとお父さんがソフィーに視線を送るが、それを無視して二階へ上がって行ってしまった。
「ほら、セレーナ、俺の娘よ。たか~い、たか~い、たか~い」
少し上へ放り投げられるだけなのに、これがなかなか面白い。
お父さんの温かい笑顔に私の心が熱くなるのを感じた。
(……絶対に、私がお父さんを守るからね)
「お父さんって、力あるよね~。これなら、絶対魔物も倒せるよ!!」
「あ~!! セレーナ、ズルい~~~!! 俺にもやってよ、お父さん!」
レオが、お父さんの脇腹にしがみついてきた。
「参ったな~~俺、人生でこんなにモテたのは初めてだ!」
お父さんはレオにも『たかい、たかい』を三回して、抱っこをした。
「お父さん、俺、大きくなったら、お父さんみたいな剣士になるよ。そして、将来、俺の子供に同じことをしてあげるんだ」
お父さんの動きが止まった。涙目になっているのがここから見ても分かる。
ルカお兄ちゃんは、椅子に座ってその様子を見ていたが、お父さんに呼ばれた。ルカが近寄ると、お父さんがいきなりハグをしてきた。ルカお兄ちゃんは目を丸くしていたが、きっと内心嬉しかったに違いない。
「お父さん、ちょっとかがんでくれる?」
私はお父さんの額に左の人差し指をつける。
「防御力上昇、回避能力上昇、状態異常無効化、精神力強化、聖なる光の恩恵から四つの最大防御を戦う者へ授け給う。四大防御」
すると、お父さんの真上に金色の魔法円が浮かび上がり、キーンと発光しあたりを眩く照らした。そして、その複雑な模様の魔法円から、祝福の聖なる加護の粒子が金色のシャワーのように降り注ぎ、エドガーの全身に浸透していった。
「やった! 成功したよ。これは私からのお守りだよ」
「セレーナ? お、お前、今、俺に何をしたんだ? 説明してくれ!!」
「これはね、光の魔法を使って、お父さんの、防御と回避能力の上昇と、状態異常無効化と、精神力強化の加護を授けたんだよ。だいぶ盛りました」
レオとルカお兄ちゃんは、互いに目を丸くした。
「私ね、氷と光の属性を持っているの。それで、この前、配達の人がやってきてね、ひいおばあちゃんからのプレゼントで、本を二冊頂いたの。 それは、光魔法の本と氷魔法の本。良かった。防御魔法を習得できて。間に合って良かった」
「こんな魔法、王宮の騎士団にいた頃さえ、かけてもらったことないのに。だいぶ、贅沢な防御魔法を貰ったもんだ」
お父さんがだいぶ驚いている。
「でもね、お父さん油断しないでね。相手は悪魔だと思うから。用心に越したことはないわ」
お父さんは私の額にキスをした。
「こんな優しい子供たちに恵まれた俺は幸せだ!! 俺は全力でお前たちを守らなきゃな」
お父さんが立ち上がると、荷物を手にした。階段の所でこっそりソフィーが心配そうに見ているのに気が付いたらしく、お父さんはお母さんにウィンクをした。
「じゃあな、行ってきます」
お父さんは雨具を着ると、片手にランプを持って霧雨の中へと消えていった。
****
――お父さんが家から出て行った後、私は屋根裏部屋で二つの魔法の本を読み、今までの復習をした。そして、自分にも四大防御をかけて準備をする。しかし、もう少し防御が欲しいので、危険時に発動する閃光の盾もあらかじめ用意しておく。念には念を入れる。
午後になると、辺りはだいぶ明るくなった。霧雨はやみ、白い靄が少しかかっている程度にまで回復した。きっと夕方には晴れるに違いない。
少し体を動かすために、フルーランにお願いをして外で攻撃を避ける練習をする。フルーランが本気で投げる《アクアボール》をひたすら避け続ける。身体能力向上三割増しの私は、そこらの冒険者より俊敏に動けているとシルフリードは誉めてくれた。
****
いよいよ夕暮れ時。私たちは早めの夕食を取ると、ルカお兄ちゃんとレオと私は子供部屋へ戻った。
「あ~、大丈夫かな? お父さんは」
レオが子供部屋の窓から外を覗いた。
雲は消え、空はすっかり晴れている。日は落ちて、青紫色の空の下、遠い山々の稜線からほんの少し白銀の月が顔を出していた。
「そうだね。お父さんが無事に帰ってくるように祈るしかないよな」
ルカお兄ちゃんは、二段ベッドの下に座って、ため息をつく。
「こんな怖い夜は初めてだよ」
レオはルカお兄ちゃんの側に近寄った。
「お兄ちゃんたち、私ちょっと眠くなったから、ちょっと早いけど、屋根裏部屋で寝てくるね。ルカお兄ちゃん、レオ、お休みなさい」
そう言って、早々に部屋を立ち去ろうとした。
「なら、俺も行く!! みんなで寝れば怖くない!!」
レオがついてこようとした。
「ダメ!! 絶対にダメ」
(まずい! レオが屋根裏部屋へ来たら、家から抜け出せなくなる)
「なんでだよ! いつも自分ばっかりシルフリードと一緒でさ。ずるいぞ!!」
「え~、ずるいとかそういう問題じゃ――」
「そうだな。レオはシルフリードと寝てきなよ。僕は久しぶりにセレーナと寝ようかな」
「ルカお兄ちゃん……」
(参ったな。家から出ていくのが、難しくなってきた)
「じっ、じゃあ、私、レオのベッドで先に寝るから。あと、ルカお兄ちゃん、私にお水を持ってきて欲しいなぁ~」
ルカお兄ちゃんに、お願いポーズをとる私。
「まったく、人使いが荒い妹殿だな」
ルカお兄ちゃんは、しぶしぶキッチンへ、レオは屋根裏部屋へ行った。
子供部屋で一人になった私は、レオの枕を取り出し、あらかじめ用意していた魔法陣が書かれた羊皮紙を枕カバーの中に入れた。
「聖なる光よ、我の身代わりをここに移した給え。依代変化」
すると、枕がどんどん私の姿に変化していった。効力は8時間。十分だ。身代わりの私に布団をかぶせて、部屋の明かりを消した。すると、思ったより早くルカが部屋に戻ってきた。あわてて、クローゼットに飛び込んだ私。
(しまった! クローゼットの扉が……)
「セレーナ? せっかくお水を持ってきたのに、もう寝てるのか?」
ルカお兄ちゃんは、寝ている身代わりの私に近づいた。
(どうかバレませんように!!)
「ふふふ、良く寝てるね。今日はよっぽど疲れたのかな?」
ルカお兄ちゃんは身代わりの私にキスをして、暗い部屋から出て行った。
(危なかった!!)
すると、窓を小さく叩く音が聞こえた。
「やあ、お待たせ」
シルフリードが外から手を振っている。私は急いで窓を開けた。
「よく無事に抜け出せたね?」
「レオには悪いが、ねむり草のエキスを少し水に混ぜて、飲ませてあげた」
「ねえ、そのねむり草は大丈夫? レオに危険はないでしょうね」
「大丈夫、副作用もないし、安心して。それより早くいかなきゃ、間に合わなくなる。だから、セレーナはやく俺に掴まれ!」
私は窓から身を乗り出した。そしてシルフリードに抱っこされると、空からお父さんのいる第二共同牧場へと向かうのだった。




