第二十一話 月夜のさんぽ
――ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……
心臓の音が近い。温かい。ほのかにミントの良い香りがする。
――心地がよい。
冷たい風が頬をかすめている。気が付くと、私は、シルフリードの胸の中にいた。私はミノムシみたいに毛糸のショールでぐるぐる巻きになっていて動けない。シルフリードに抱かれて、夜の空を飛んでいるところだった。
「気が付いたか?」
「あれ、……シルフリード?」
「お前、魔力暴走を起したんだ。覚えているか?」
私は頭が混乱した。記憶が朧げで、私は不安になった。
「うそ?……魔力暴走ってなに? あの時、お兄ちゃんが叩かれて……それから……」
私の様子にシルフリードはため息をついた。
「いいんだ、今は気持ちを落ち着かせるのが先だ。見ろ、大きな満月だぞ」
シルフリードに言われて、視線を上げると、地球に比べて、三倍ぐらいの大きさの満月が夜空に浮かんでいた。薄い銀色の満月が私たちを照らしている。夜空の雲に月の光が反射して、銀の綿雲を作っていた。幽界でのあのふわふわな雲の感覚を思い出す。
「うわぁ~、あんな大きな月初めて見たかもしれない。しかも、空からの景色はすごくいいね」
自然と頬がゆるんだ。
「本当は、『月』という呼び方じゃなくて、コーメスという星なんだ。グローデン星の周りをまわる衛星の名前だ。人間だけだよ『月』と呼ぶのは」
「そうなんだね。地球にいた頃は、まじまじと月なんてみる余裕はなかったけど、ちゃんと見れば、きっと地球の月も綺麗だったんだろうな……」
「昔、この星には人間がいなかったんだ。天界の神々の決定で地球の人間の一部をこの地へ召喚させたんだ」
「そもそも、なんでそんなことする必要があったの?」
シルフリードは思い出すように話しはじめた。
「天界を通ったときに、神々が話しているのをそばで聞き耳を立てたことがあったんだけど、人間を他の星へ召喚させたのは、『神への信仰心』が目的らしい」
意外な答えに私は驚いた。
「昔の地球では、天界の神々の信仰心は確かにあった。それは、緩やかなものであり、生活に根差したものだった。しかし、のちに強力な一人の神が出現し、次第に人々はその神へと心を奪われていった。その神への信仰心は絶大で、一部のズル賢い権力者はそれに目をつけた。神の名のもとに大衆を動かし、隣国への戦争に大義名分を装った。他の国でも強力な神が現れ、天界の神々は、時代の波にのまれ、忘れ去られる事態に落ちいった」
「そんなことがあったんだ……」
私はシルフリードの声にじっと耳を傾ける。シルフリードの声は高すぎず、低すぎず、聞き心地が良い。
「危機感を感じた天界の神々は、慌てて広大な宇宙の星々を調査した。そして、ついに人間が住そうな星を長い年月をかけて探したそうだ。十一億兆を超える星々のなかで、地球以外で八つの星を見つけた。その一つがクローデン星だ」
「本当に凄いよね……よく見つけたね」
「そうだな。やっと見つけた星たちに、神々は次々に人間たちを八つの星へ召喚させた。そして、人間の手助けをする代わりに、『信仰心』を人間たちに植え付けたんだ。今では、天界の力は全盛期より力をつけているらしい」
「えっ? 神の力は信仰心が元になっているの?」
「その通り。神がいるという想像力と、信じる心で成り立っている。だから、人間をこの星へ召喚させたんだ。天界を存続させるためにね」
「なんだか、規模が大きい話になったね。もしかして、別の神を信じている人は、あの幽界には行けないの?」
「そうだよ。天界も一つじゃないんだ。ちゃんと信仰する神の元へ送られることになっている。芹奈は無宗教だろ? だから、優先的にこっち側の幽界に送られたってわけ」
「なるほど。では、地球ではあまりこの幽界へ来る人は少なくても、八つの星に住む人間たちが、代わりにやってくるわけね。天界の神々も考えましたね」
シルフリードは安堵の表情を浮かべた。
「だいぶ落ち着いたか?」
「う、うん」
シルフリードの雰囲気が変わった気がする。月夜に照らされたシルフリードが凛々しく見えて、私はドキッとした。
(こんな表情もできるんだ……)
「もうすぐ、俺の寝床に着く。そこで話そう」
ガーロン山の裏手に断崖絶壁がある。その真ん中に小さなスペースがあった。誰も入っては来れない場所に、オークの木が1本根を張って生きている。その大きな木には、縄で編んだハンモックのようなものがついていた。シルフリードはそこをベッド代わりにしているようだ。
私は、枝と枝を縄で結んだハンモックにそっと乗ってみる。ギシギシと音を立てて揺れているが、なんだか面白い。座ってみると、眺めがよく、枝の隙間から星がきれいに見えた。
「俺が、このベッドスペースを作ったんだぜ。俺は、ここで昼寝をしている」
「でも、屋根がないよ? 雨が降ったらどうするの? 雪は?」
「セレーナ、俺が誰だか忘れたか? そんなの風の精霊にかかれば、大した問題じゃない」
シルフリードは指先を天に向けると、空気のドームを作り出した。
「こんなの簡単にできるさ」
「そうか、魔力じゃないものね。シルフリード自体が風だもんね。消費するわけじゃないから簡単か」
「そういうこと。幽体になれば、別にご飯もいらないし。排泄もない。逆に肉体がある方が厄介なんだ。やること多いだろ? 風呂も入らないと臭くなるし、寝ないとフラフラして活動できない」
「でも、食事を味わう喜びはきっと幽体にはないはずよ」
「そうだな。幽体は香りなら楽しめるが、味は楽しめないな。神々は別だが」
私はヘルメスやリュークがクッキーを食べたり、優雅に紅茶を飲んでいる様子を思い浮かべた。
「神様はずるいよね。こっちは生きるのに精いっぱいなのに」
「……」
「どうしたの? シルフリード」
シルフリードは言いにくそうに口を開いた。
「お前の前世の記憶が俺にも流れてきた」
「!!!」
「お前、生きるのに精いっぱいだったのか?」
「……」
「私のどんな記憶が見えたの?」
シルフリードは迷った様子だったが、小さな声で話しはじめた。
「お前が気分悪そうにしていて、廊下にゲロを吐いたんだ。そしたら、意地悪な女がお前を踏みつけた」
私は、思い出したくない記憶を見られたことで、何も言葉が出てこなかった。
「天界でお前の人生を聞いて、酷い話だと思ってはいたけど、実際に見て、痛みを共感すると、とんでもなくつらかった」
「……あれはね、七歳の頃だったかな。クリスマスの日だったの」
「クリスマスって何だ?」
シルフリードはきょとんとする。
「神様の誕生日。サンタクロースのおじさんが、トナカイのそりに乗って、寝ているよい子の所へプレゼントを届けにいくの。でも、サンタはだいたい、親の役目なんだけどね」
「そうか……変わった祭りだな」
「あの日、朝から体調が悪くてね、つらかったの。それでも、一通り家事仕事はやった。でも、夜具合が悪くなって、吐いてしまったのよ。きつかったな~」
「お前、つらいとか、休みたいとか言わなかったのか?」
「具合が悪いっていっても、それがどうしたと言われるのがオチだからね」
「そうか……。あの時、お前は歌いながら泣いてたぞ。なに歌っていたんだ?」
「え〜っ、恥ずかしいなぁ……。サンタクロースの歌だよ」
思わず下を向いた。
「なんで、歌っていたんだ?」
「あのね。六歳のクリスマスは、まだ、おばあちゃんが生きていたの。それでね、親戚同士が集まって、楽しいクリスマスを過ごしたのよ。その楽しかった時のことを思い出そうと――」
「でも、つらそうだった」
「そうね。歌ったら、余計につらくなった。あの頃には戻れない。この先はずっとこんなことが続くと思うと、涙しか出てこなかった」
「……」
「誰にも祝ってもらえない。誰にも愛されない。罵倒されながら、無視されながら。なんで生きているんだろうってずっと疑問に感じていたの」
すると、シルフリードが私の手を握ってきた。手の甲に爪を立てていたのを止められた。
「今世は違うだろ? 心配して抱きしめてくれる人がいる。俺はお前が羨ましかったんだぞ」
「えっ?」
「お前は、お前を愛してくれる人を信じればいいんだ」
シルフリードの言葉が胸に響いた。
シルフリードは膝の上に私を乗せて、後ろから抱きしめた。
「あっ……えっ、な、なにしているの?」
「小さい体のくせに、冷たいから温めてんの。さっき運んでいる時、こっちが凍りそうなぐらいお前、冷たかったんだからな」
シルフリードが耳元で話すからくすぐったい。
「……もう、大丈夫だと思うけど?」
「はぁ、……いいや、まだだ。もう少し、温めないと」
恥ずかしい。けど温かい。なんだろう。すごく安心する。
あまりの心地よさに、私は深い眠りに落ちてしまった。
――私は夢を見た。
温かい繭の中に入って、ゴロゴロと寝転がる。とてもフワフワしていて気持ちがいい。ほのかに草の匂いがする。
気持ちいい。このままずっと――――ZZZ。
しかし、翌朝私は高熱を出すことになる。
10分




