第一話 幽界へようこそ
体がビクンと撥ねて、目が覚めた。
そこはどこまでも遠い茜色の空だった。
恐る恐るゆっくりと、上半身を起こすと、私は見覚えのない白いワンピースを着けていた。
辺りを見渡すと、そこは雲の上らしく、パステルピンクやオレンジ色の入道雲に囲まれていた。
少し離れたところで、二十代ぐらいの栗色の髪の眼鏡お姉さんがじっとこちらを伺っている。
お姉さんはクリーム色の古代ギリシャの衣装を身に着けている。その手にはタブレットのようなものを持っており、指で操作をしながらこちらに話しかけてきた。
「西暦2012年7月19日生まれの守下芹奈さんでよろしかったでしょうか?」
「えっ、はい、私が守下芹奈です。……あの、ここは、どこでしょうか?」
「貴方は、西暦2025年7月7日午後16時55分(享年12歳)、横断歩道で車に撥ねられ死亡いたしました。ここは、死後の世界、死者が一時的に留まることのできる【幽界】でございます。通常なら、ヒーリングルームに一週間宿泊していただいた後、冥界への定期船にご乗船していただくのですが、守下芹奈様は特別に一週間後、運命の三女神さまにご面会いただく事になっております」
急に情報量が増えたので少し慌てた。
「えっ、ちょっと待って。何? ゆうかい? ……えっ~と、私、死んだの?」
「はい、死にました」
「待って、ということは、……もう家には帰らなくてもいいんだね」
「はい、もうあなたは死にましたから」
「ほんとうに?」
「本当です」
私は再び雲の上に寝ころぶと、両手足を大の字に広げて動かした。
「うわぁ、少し冷たくて、ふわっふわで柔らかい……。えっ、私、死んだんだ。これから、あいつらに毎日ご飯を作らなくてもいいんだ……」
ドキドキが止まらない……。
「あの家には帰らなくてもいいんだ……。奴らから解放されるんだぁ‼ うはぁ~、噓みたい。本当に……こんな日が来るなんて」
私が浮かれて雲の上で、寝っ転がってはしゃいでいると、そばから声をかけてきた。
「え~っと、あの~、いいですか? 芹奈さん。私、ヒーリングルームの従業員をしておりますエマと申します。今から、あなた様が休まれるお部屋へご案内させて頂きます。どうぞ、起きてください。歩きながらご説明致しましょう」
私は起き上がると、エマさんに導かれ雲の道を歩いていた。素足で歩くとふわふわしていて、とても踏み心地がよい。
地球よりも重力が弱く、少しジャンプしただけでも、五十センチはふんわりと飛び跳ねられる。
重い足枷が取れたような解放感に浸りながら、雲と空の風景の中を跳ねるように歩くと、改めて死んだことを実感した。
「ところで、ヒーリングルームってなんですか?」
「死者のホテルといったところでしょうか。コンドミニアムのようなお部屋がいくつもございます。亡くなった直後は、体の痛みが魂の痛みとなって深く傷ついております。ここでは魂の痛みを癒すのが目的です」
「そうですか。うふふっ、いい所ですね」
「ただ、守下様はまだ寿命が残っていたようですが、風の精霊の仕業でタイミングよく亡くなってしまったと記録されております。全くのイレギュラーですね」
その言葉を聞いて、足が止まった。
「えっ? 風の精霊のせいでタイミングよく亡くなった? 前を見てなかった車のせいだと思うのだけど。 しかも、まだ寿命を残していたのですか?」
「ええ、あと70年ぐらいはあったかと存じます」
「あと70年って長くない?」
「人間界ではそうかもしれませんね」
「あの親から離れたのは嬉しいけど、まだ先が長かったんだ……。あのまま生き続けたとして私は幸せを掴むことができたと思う?」
「……そこは私には分かりかねます」
「……だよね」
案内人のエマさんは感情を出さず、事務的に答える。 暫く二人は無言で歩いていたら、私が泊まる部屋へ辿り着いた。
着いた先は、白い壁のシンプルな四角い一軒家だった。しかし、一人で泊まるには十分な程広い感じがする。早速中へ入ってみた。
家の中は、おしゃれで北欧風な内装。とても居心地が良さそうな部屋だった。おしゃれな洋風のライトにシンプルな白いベッドに白いソファー。白木のテーブルセット。まるでモデルルームのようだ。
「ここ、お風呂はあるけど、トイレやキッチンはないんですね」
「霊の体では排泄などありませんし、お食事を取る必要もございませんので。ただ、汗は掻くので、お風呂だけご用意させていただいています」
エマさんはその後も部屋の案内やお風呂の湯沸かしパネルの操作方法、室内の明かりの付け方を丁寧に説明してくれた。とても贅沢な気分だし、死んだくせになぜかワクワクした。
「ほかにご質問はございますか?」
「あの、私、初めて出来た友達がいて、友達になったその日に事故に遭ったんです」
「さようでございましたか、それはお気の毒に……」
「それで、その人になんとかお礼とお別れのあいさつを言いたくて……幽霊になって会うことは可能なのでしょうか?」
エマさんは、はいはいと理解した態度で話し始めた。
「皆さん、よく同じようなことをおっしゃるのですよ。よくある話ですね。孫に会いたいとか、息子さんに伝えたいことがあるとか。では、夢見枕のレンタルを致しましょうか」
「夢見枕?」
エマさんはタブレットに書き込みをすると、いきなり目の前に枕が降ってきた。エマさんはそれを私に渡した。
見た目はいたって普通の枕だ。そして、エマさんが指をパチンと鳴らすと、金の砂時計が現れた。
「とりあえず、ベッドまで行きましょうか」
私たちは、ベッドルームへ移動した。
部屋の中央には白いシーツのベッドがあり、しかもダブルベッドだ。あと、ランプ以外は何もないシンプルな八畳の部屋だった。壁には窓が一つだけ。
「日本では『夢見枕に立つ』という言葉があるそうですが、芹奈様がこの枕を使って、会いたい人の夢に現れることができるのですよ。ただし、時間制限は十分です。鈴の音で終わりの合図を鳴らしますので、必ず金色のドアからこちらへ戻ってきてください。もし、戻れなくなった場合は、この方に取りつく害霊となってしまい、この方に災いが起きてしまいます。そうなると害霊認定され、冥府の使者があなたを狩りにきます」
いきなり、害霊とか、冥府というキーワードを聞いて怖くなった。怖いけど、最後ぐらいちゃんと高橋にサヨナラしないと。
「くれぐれも、遅れずに金色のドアへ戻ってきてくださいね」
「分かりました。気を付けます」
言われた通り大きすぎるベッドに潜りこみ、夢見枕を使ってみた。
「では、守下様。おやすみなさいませ」
エマさんは明かりを消して、部屋を出ていった。
一人、残された私は、布団の中で高橋君を思い浮かべ、ゆっくりと目を閉じる。すると、金の砂時計をひっくり返す音が聞こえた。




