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8. パートナー

「どうして、トイフェルって、いつもこっちの都合お構いなしなの!?」

 スニーカーで地面をけりつけるように走って、家からまっすぐ伸びる森の道を抜ける。ヴェステンはわたしの肩に乗っかって、ヒゲを震わせている。ヴェステンのヒゲは、黒の魔法の強い力を感じ取るセンサーみたいなもので、一歩ずつトイフェルに近づくたび、ヒゲの震えは大きくなっていった。

「そんなこと、知らないよ! そういうことは、『祝福されしもの』に訊いてよ!」

 ヴェステンが怒鳴る。「祝福されしもの」、それは悪魔と契約し、黒の魔法を用いてトイフェルを操って、世界を混沌に包み込もうとしている、目下わたしたちの敵。だけど、夢の中で光の翼は「祝福されしもの」を救ってほしい、とわたしに告げた。もちろん、あれはただの夢だったと思いたいけれど、どうしてもその二つが繋がりそうで繋がらない感覚が、のどの奥に小骨が引っかかったときみたいに、気持ち悪い。「祝福されしもの」って一体何者なのだろう……。

「あそこっ!!」

 何度も蛇行する、森の道。その出口が見え始めたところで、道の真ん中で腰を抜かして座り込む、綾ちゃんを発見した。綾ちゃんは恐怖に顔を引きつらせ、真っ青になっていた。そして、舗装もれていない道の脇にある茂みを指差した。すると、その拍子に茂みから、何が飛び出してくる。トイフェルだ! と、わたしが思ったのとほぼ同時に、トイフェルもわたしたちに気付いた。

 コボルトじゃない。大きさは人間の子どもくらい。一見すると、幼稚園児のように見えるけど、人間じゃないことは一目瞭然だった。肌は緑色、髪の毛の代わりに頭から生えているのは、真っ赤な花弁(はなびら)、全身を深緑の葉っぱに覆われ、真っ黒な瞳をこちらに向ける。

「アルラウネ!」

 ヴェステンが、その人間植物の名を叫んだ。

「トーコ、一気に畳み掛けるんだ! あいつもコボルトと同じ、低級の魔物(トイフェル)! 魔女の実地訓練だと思って、やっつけろ!」

「でもでもっ、綾ちゃんがいるよ!」

 わたしは、アルラウネとの距離をとって、足を止める。アルラウネが手を伸ばせば届く距離には、酸素の足りない金魚みたいに、口をパクパクさせる綾ちゃんがいる。できるだけ、他の人を巻き込みたくない。それは、わたしとヴェステンの共通の認識。だから、綾ちゃんの前で魔法を使うのは憚られた。

「仕方ないよっ。友達を守るためだ。前のトーコなら、それを選んだはず」

「わたしは、前のトーコじゃない。中野東子!」

 顔も知らない前世のトーコと比べられたような気がして、わたしは肩のヴェステンに怒鳴った。そして、こうもり傘を高く掲げる。たしかに、ヴェステンの言うとおり、友達がトイフェルに襲われているのを見捨てるわけにはいかない。

「青の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、水流の矢となれ……」

 精神を集中しつつ、呪文の言葉を唱える。傘の柄に刻まれた魔法の文字が淡く輝きを放つと、先端に水泡が現れた。

「ヴァッサー・プファイル!」

 その名を叫べは、水泡は三つに分かれて、矢のようにアルラウネへと飛翔する。だけど、コボルトのときみたく上手くはいかなかった。アルラウネは、一歩後ずさりすると、両手を前に突き出す。それが何を意味しているのか悟る前に、アルラウネの緑色の指先が、くるくると渦巻状に変わり、十本の長いツルとなる。そして、見事に水の矢を三本ともキャッチした。さらに、残りのツルがわたしめがけて飛んでくる。

「なんで、アルラウネに水をやるんだよ!」

 ヴェステンの叫びは悲鳴に近かった。

「知らないわよっ!!」

「植物に水を与えたら元気になるのは、常識だろ!! ツルを防いで、トーコ!」

 常識と言われても、目の前にいる魔物が、植物なのかそれとも動物なのかはっきりと分からない、と言うのがわたしの意見。だけど、それについて抗議している時間はない。わたしは、ムッとする気持ちを抑えて、傘を前方に突き出した。

「黄の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、土隆(どりゅう)の盾となれ……、エーアデ・バックラー!!」

 わたしが呪文を唱えると、地面から地鳴りのような音が聞こえてくる。そして、地面が割れたかと思うと、いくつもの土塊(つちくれ)が中に浮かび上がり、くっついて壁に変わる。わたしは、とっさにその壁の内側に、身を潜めた。

 壁の向こうで、鞭打つような音が聞こえる。アルラウネの伸ばしたツルが土の盾に阻まれたみたい。役目を終えた、土の盾はばらばらと崩れて、地面に戻る。すると、不思議なことに、地面にはひび割れた後も残ってはいなかった。

「お前が、ヨハネスさまの仰っていた、ヴァイス・ツァオベリンの娘……」

 突然、女の子とお婆さんの声が混じったような、気味の悪い声が聞こえてくる。その声は、アルラウネが発したものだった。

「と、ととトイフェルがしゃべった!!」

 わたしは愕然として、声を上げた。すると、わたしの肩につかまるヴェステンが、すこし呆れ顔をする。

「トイフェルだって、生き物だ。言葉くらいしゃべるよ」

「それも、そうか……猫のキミがしゃべってるんだもんね。よっぽど、トイフェルがしゃべることの方が不思議じゃないよね」

 そう言ってから、自分の中で、だんだんと「不思議」の観点がズレていってることに気付いた。自分が魔女になって、魔法を唱えること。それだけでもじゅうぶん不思議だというのに。

「だから、言ってるでしょ。ぼくは、猫じゃなくてワルブルガの使い!」

 ヴェステンが、お約束の反論を返して、憮然とする。だけど、わたしの意識は、目の前に対峙するアルラウネと、綾ちゃんに集中していた。綾ちゃんは、いったい何が起きているのか理解できないまま、わたしたちとアルラウネを交互に見つめながら、パニックを起こし、呆然としていた。

 何とかして、綾ちゃんを助けないと……。

「欲しいのは『器』と『魔法書』。娘の命ではないと、ヨハネスさまは仰せになられた。しかし、真のヴァイス・ツァオベライの力に覚醒する前に、命令は果たす」

 アルラウネの顔が奇妙に歪む。そして、再び右手の指のツルを伸ばした。そのツルは、まっすぐ綾ちゃんの方に向かう。まずい! と思う余裕もなかった。ツルは、綾ちゃんの首、両腕、両足に絡みつき、そして持ち上げる。

「いやぁ! 助けて、トーコちゃん!」

 首を絞められて、苦しそうにもがく綾ちゃん。助けを懇願する瞳は、僅かに涙でにじんでいた。

「卑怯だぞ! 人質を取るなんて!!」

 ヴェステンがアルラウネに向かって、声を張り上げた。わたしは、とっさにこうもり傘をかかげる。

「娘。魔法を使おうなど、するべきではない。ワタシは、コボルトのように、愚劣ではない。妙な動きをすれば、たちまちにツルがこの少女の首をへし折ってしまうぞ」

「そんなっ! 綾ちゃんを放して!! あんたたちの目的が何かは知らないけれど、綾ちゃんは関係ないでしょっ!! 関係ない人を巻き込まないでっ」

 わたしの言葉が、アルラウネに届くわけがないことは分かっていた。映画とかでよくあるシーン。人質を解放してくれって、頼んだところで、犯人がその要求に従うことはない。待てといわれて、待つバカはいないってね。

「『器』と『魔法書』求めし、ワタシの前に、この少女が居合わせたことが運の尽き。ヨハネスさまの欲している、『魔法書』を大人しく差し出せ。そうすれば、この少女の命は救ってやろう」

 アルラウネは、そう言うと、クヒヒっと気持ちの悪い笑みを浮かべた。

「魔法書? 何のこと?」

「貴様の前世がヨハネスさまから奪い、館の奥に封印した、大魔法の書だ。忘れたとは言わせない。あれは、もともと、ヨハネスさまがお書きになられたもの」

 館の奥? わたしの家の地下室のこと? そういえば、あそこにはちょっとした図書館なみの蔵書がある。そのどれもが、魔法の書物だとヴェステンが言っていたことを思い出す。

「ヨハネスさまって誰なのよ! 知らない人に、大切な本をプレゼントしたり出来ないよっ」

「祝福されしもの、と言えば分かるか。祝福されしものとは、偉大なる、シュバルツ・ツァオベライの王、ヨハネスさまに与えられた二つ名」

 と言って、アルラウネは再び、クヒヒと笑う。

 つまり、わたしたちの敵、祝福されしものの名前はヨハネスって言うのか。わたしの頭の中で、白い髭をたくわえ、真っ黒なローブに身を包んだ、お爺さんの姿が思い浮かぶ。

「さあ、ヴァイス・ツァオベリンの娘よ、如何にする?」

 わたしの勝手な想像を打ち払うかのように、余裕たっぷりの笑顔で、アルラウネはわたしに問いかけた。

「たすけて……」

 アルラウネのツルに縛り付けられて、綾ちゃんが苦しそうにうめく。どうするか、選択の余地なんてない。

「わかったわよ、だから、綾ちゃんを放して」

 わたしは、アルラウネを睨みつけながら、こうもり傘を地面に放り投げた。こうもり傘は、少しだけ土ぼこりを上げながら、アルラウネの足元へと転がった。

「トーコ! 何やってるんだよっ」

 ヴェステンが慌てる。

「だって、綾ちゃんを、友達を見捨てることなんて、わたしにはできない!」

「そんなっ、トーコが死んじゃったら、世界は混沌に包まれる。祝福されしものの思うつぼだよ」

「じゃあ、訊くけど、ヴェステンは、友達を見捨てられる? 白の魔法使いは正義の魔法使いなんでしょ? 何にも知らない人の命を犠牲にするのは、正義のミカタがやることじゃない」

「トーコ……」

 わたしが強い口調で言い放つと、ヴェステンはそれ以上言葉を失った。代わりに、アルラウネの歪んだ笑い声が聞こえてくる。

「話はまとまったか、ヴァイス・ツァオベリンの娘と、ワルブルガの使いよ。正義とは、脆くも空しいもの。その身をもって知るかいい!」

 アルラウネが、左手を突き出す。五本の指がクルクルと回り、ツルとなる。そして、それは、鋭利な針のようにわたしの胸を捉えていた。

「うううっ、うにゃーっ!!」

 突然、ヴェステンが吠えた。そして、キッとアルラウネを睨みつけると、わたしの肩を強く蹴って飛び足す。身軽な、黒猫の男の子は、伸びてくるツルの上を走って、アルラウネの懐に飛び込んだ。

「トーコが死んじゃったら、世界は終わっちゃう。そんなことしたら、前世のトーコに申し訳が立たないようっ!!」

「愚かなり、ワルブルガの使い」

 アルラウネの真っ黒な瞳が、妖しく光った。とたんに、わたしめがけて伸びていたツルが、くるりと反転する。そして、上空からヴェステンの体を突き刺した。

「うにゃああっ」

 悲痛にヴェステンが叫んだ。串刺しとなったヴェステンの体から、ドロドロと血があふれ出す。

「ヴェステン! このーっ、ミドリ色!!」

 わたしは、反動的に走り出していた。どうするべきか、その算段が頭の中にあったわけじゃない。ただ、体からこみ上げる熱が衝動的に、わたしを走らせていた。わたしは、すばやく放り投げたこうもり傘の元に滑り込んだ。そして、傘を取り上げる。

「赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、火炎の剣となれ……、フランメ・シュヴェーアト!!」

 早口で呪文を唱え、傘全体が炎に包まれたのを確かめる間もなく、わたしは、炎の剣と化した傘を下段から振り上げた。相手が、人間植物なら、火に弱いはず、というわたしの読みは的中した。

 まずは、ヴェステンを突き刺した左手のツルを切り落とす。そして、そのまま、横薙(よこな)ぎに綾ちゃんを捕らえる右手のツルを切り落とす。そして、両手で炎の剣を握り締めると、わたしは体ごとアルラウネにタックルした。

 どんっと衝撃があって、わたしとアルラウネは埃まみれになって転倒する。ややあって、わたしの手を伝う鈍い感触とともに、アルラウネが「ギャアア」と悲鳴を上げた。わたしの構えた炎の剣は、アルラウネのお腹を貫いて、消えた。

「おのれ、ヴァイス・ツァオベリンの娘! 覚えておけ、ヨハネスさまは、『器』と『魔法書』を手に入れるまで、諦めはしない。愚かなり、愚かなり!」

 コボルトの時と同じように、灰になって散っていく間際、アルラウネはクヒヒっと笑った。

「綾ちゃん、大丈夫?」

 わたしは、誇りを払いながら、乱れた息を整えて、綾ちゃんの方を振り返った。綾ちゃんは、まだ苦しそうに赤くなった首筋をさすっていた。

「だ、大丈夫だよ。それより、ヴェスくんが……」

 綾ちゃんが指差す先に、ヴェステンのぐったりした体が横たわっている。わたしは、そっとその傍に歩み寄り、膝を折った。

「ヴェステン! しっかりしてよ。死んじゃ、やだよ」

「大丈夫、ぼくは死なない。ぼくは、ワルブルガの使い。白の魔法使いを(たす)けるために、四つの精霊の力を具現して生み出された、魔法の生き物だから」

 ヴェステンの声は僅かに、かすれていた。だけど、その言葉の通り、貫かれたはずの体の傷は、ゆっくりとふさがっていく。

「でも、しばらくは安静にしてないと、いけないみたい」

 ちょっとだけ、バツが悪そうに、ヴェステンは笑った。

「どうして、あんな無茶したの?」

「どうしてって……、トーコが言ったじゃないか。何も知らない人を犠牲にするのは、正義のミカタのすることじゃないって」

 と、ヴェステンは言う。

「ぼくは、正義のミカタだからね。つい五日前まで、何も知らなかったキミを巻き込んでしまった。それなのに、キミを守れないなんて、もしも前のトーコが知ったら、ぼくを許してはくれない。ぼくたちが、成し遂げられなかった、十三年前の負債すべてをキミに、押し付けてしまうことだけでも、ぼくは本当にごめんって、思ってるんだ」

「だからって……わたしはヴェステンに無理して欲しいなんて思わないよ」

 わたしは、そっとヴェステンの頭を撫でてやった。

「まだ良く分からないことがたくさんある。信じられないこともたくさんある。でも、わたしは魔法を使うことが出来て、この手に、ヴェステンを触れることが出来る。これはすべて、間違いなく現実のことで、その現実に足を踏み入れることを決めたのは、わたし。だから、ごめんなんて、水臭いこと言わないでよ」

「トーコ……」

 ヴェステンがわたしの名前を言って、少しだけ嬉しそうに笑った。

「トーコは、生まれ変わっても、トーコのままだね」

「なにそれ?」

「いい人ってことだよ。ぼくは、キミがキミであり続ける限り、必ず援ける。ぼくとキミはパートナーだ」

 小さな手をわたしの手に重ねる。握手のつもりなんだろうか。ヴェステンは、自分のことを魔法で作られた生き物だと言ったけれど、その小さな手は、とても暖かい。

「パートナーってことは、色々教えてくれるよね? 十三年前のこと、アルラウネが言ってた『魔法書』のこと。知ってることは、洗いざらいしゃべってもらうわよ。知りたいことは、山ほどあるんだから」

 ぎゅっと、ヴェステンの手を握り、そして、見詰め合ってわたしたちは笑った。前のトーコと、ヴェステンもこんな風に笑いあったんだろうか? ようやく相棒との間に絆を得たような気がして、わたしの胸は嬉しさでいっぱいになりかけた、ところが、

「あの、わたしも色々と聞きたいことがあるんですけど……」

 と不意に背後で声がして、一気そんな気分が吹き飛んだ。もちろん、声の主は綾ちゃんだ。

 綾ちゃんは、ことの一部始終を目撃してしまった。アルラウネという魔物も、わたしが魔法を使うところも、ヴェステンがしゃべるところも。今更、何でもないよ、なんて言い訳できる状況じゃない。

「いったい何がどうなってるのか、話してくれるよね?」

 と言う綾ちゃんの目は、据わっていた。わたしはヴェステンに小声で、記憶を消す魔法はないのかと、尋ねたけれど、ヴェステンは小さく笑って「ないよ」ときっぱりと言われてしまった。

 どうやら、逃げられないみたい……。


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