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6. ヴェステンの魔法講義

 コボルトを撃退した日から、わたしはお父さんの目を盗んで、地下室で魔女の勉強をしている。もちろん、講師はヴェステン。

 地下室に忍び込んでいることは、お父さんには内緒。ヴェステンがじつはしゃべる猫で、娘のわたしが魔女になった、なんて言ってもどうせ信じてはくれないと思う。かといって、お父さんを巻き込みたくないと言うのは、わたしとヴェステンの共通した認識だった。

 だから、魔女の勉強をするには、地下室がうってつけの場所でもあった。かび臭いのを我慢すれば、魔法の本に囲まれて、魔法の勉強するのはちょっとだけ面白い。ちょっとだけだよ。だって、憶えなきゃいけないことは、山ほどあるんだもん。

 それらは、わたしの知っている教科書のどこにも書いていない。ヴェステンは、「魔法使いの社会じゃ、子どもだって知ってる常識だよ」なんて言うけれど、普通の社会で普通の公務員の、普通の娘として生まれて育ってきたわたしには、英語の勉強をするよりも、不可思議で難解なものだった。

「まずは、ワルブルガについて説明する前に、昨日までの復習するよ」

 わたしの目の高さの本棚の天板に座るヴェステンは、教鞭でも振るかのように、先っぽだけブルーグレーの尻尾を振った。

 わたしは、床に座布団を敷いて、その上に正座する。本棚の隙間は狭いので、正座すると、本棚という名のビルディングにでも囲まれているような気分になる。

「まずは、四つの精霊について」

 ヴェステンの尻尾が、宙に光の文字をなぞる。ぼんやりと輝く文字は、はじめアルファベットで記されているけれど、ヴェステンが息を吹きかけると、くるりと反転して、わたしにも馴染み深い仮名に変わる。不思議な仕掛けだけど、「魔法」という一言で片付けられる。

「まだヒトが生まれるより、ずっと前。生命が誕生する前の世界に、神さまによって、四つの精霊が作り出された。その名前は?」

「それは……『赤の精霊・フランメ』『青の精霊・ヴァッサー』『黄の精霊・エーアデ』『緑の精霊・ヴィント』」

「じゃあ、それぞれの役割は?」

「『フランメ』って、わたしがこの前使った魔法の名前と一緒……炎を司る精霊! それから、ヴァッサーは水の精霊、エーアデは土の精霊、ヴィントは風の精霊!」

「完璧だよ! その通りだね。世界のあらゆるものは、この四つの精霊によって、作り出されたものだ。人も動物も木々も川も、空気もすべて。ヴァイス・ツァオベライ(白の魔法)は、この精霊との契約によって、その力の一端を借りる。たとえば……今ぼくが尻尾で書いた光の文字。これはフランメの力を応用してる。トーコがはじめて、この地下室に来たとき手に取った『フリューゲル・フェアファーレン』という、空を飛ぶための魔法は、ヴィントの力を応用してる。総ての魔法は、この四つの力をどう組み合わせ、応用するかにあるんだ」

「じゃあ、わたしも空を飛べるの?」

 ふと、思い至る。魔女と言えば、箒や魔法の杖にまたがって、空をスイスイ飛んで行くイメージがある。わたしにも、あんなことが出来るとしたら、空を飛んでみたいよ。

「とっても練習は必要だけどね。ちなみに、トーコの場合は、あの黒いこうもり傘が杖代わりだから、あれを使って空を飛ぶことになるね。でも、空を飛んだり、光の文字を空中に書くのは、応用の一端に過ぎない。魔法の本質は、そのエネルギーのベクトルを相手にぶつけること。つまり『攻撃の魔法』ってことだ。じゃあ……、その魔法をどんな種類があるのか、言って見て」

 なんだか、だんだんテストみたいな様相を呈してきた。

「えぇっ! まだ全部憶えられてないよっ。えーっと、まずわたしがこの前使った『プファイル』。これは、精霊の力を矢にして相手に飛ばす魔法。それから……『ランツェ』。精霊の力を槍に変える魔法。あと『バックラー』精霊の力を盾に変えて身を守る魔法」

「それから?」

「『シュヴェーアト』、精霊の力を剣に変える魔法!」

 わたしが、記憶と知識を手繰り寄せて答えると、ヴェステンはパチパチと手を叩いた。なんだか、随分上から目線で見られているのが、むかつく。しかも相手は、黒い子猫。

「長い道のりだった、これだけ憶えるのに、三日以上費やすとは思わなかった」

「わるぅございました。出来の悪い生徒で!」

 ぷいっと、わたしはそっぽを向いてやる。すると、ヴェステンは困った顔をしながら「褒めてるんだよ、ぼくは。素直じゃないなぁ」と言う。そんな風にいわれると、ますます素直に喜べないじゃん。

「ともかく、魔法は四つの精霊の力と、四つの様式によって決まる。つまり、十六種類の魔法がある。たとえば、『ヴァッサー・プファイル』『フランメ・ランツェ』『エーアデ・バックラー』『ヴィント・シュヴェーアト』と言った具合にね。それぞれの使い分けは、実地で学ぶしかないんだけど、その様式について理論的に理解しておくことはとっても大事。あ、でも、魔法を唱えている間に、舌噛まないでね。魔法の言葉はとても言霊(ことだま)がつまってる、だからもしも呪文に詰まってしまうと、魔法が暴発することもあるから」

「お、脅さないでよ!」

「脅しじゃないよ。日ごろから、呪文を唱える練習をしてれば、そんな失敗はないから。とくに、魔法は精霊の力を借りる。その借りられる力は、呪文を唱えた魔法使いの魔力に相対する。トーコは、前世の記憶こそないけれど、前のトーコと変わりないくらいの魔力を持ってるんだ。だから、特に気をつけなきゃいけない」

 と言う、ヴェステンの視線は真剣に張り詰めていた。

「まだ、わたしが、ヴェステンの言うトーコの生まれ変わりだなんて、信じられないよ。だって、わたしはわたしだし」

 両手を握ったり開いたりして、感覚を確かめてみる。でも、その感覚は不思議なものではなく、わたし自身が感じるものだった。

「それはそうだけど、でもなによりも魔法を使ったことが、証拠だよ。人間誰もが魔法を使える訳じゃない。魔力は、超自然的なエネルギー。森羅万象のその先にあるもの。筆舌するには言葉が足りないくらい特別なもので、修行したり勉強したんじゃ手に入らない、天性の素質や才能ってやつなんだよ」

 ヴェステンが言う。そういえば、「フランメ・プファイル」の魔法を放ったとき、確かに体の芯から何かの力がわきあがり、それが腕を伝って、こうもり傘から放たれた。あれが、魔力だったんだろうか。

「トーコは前のトーコの生まれ変わりだから、その体に魔力がたくさん詰まってる。魔法が使えることは、とても特別なことなんだ。ワルブルガの人たちも、殆ど魔法は使えない」

「喜んでいいのやら、悲しむべきなのやら。それよりも、そろそろ、教えてよ。ワルブルガって何なの?」

「そうだね。ワルブルガっていうのは……」

 ヴェステンの尻尾が、再び宙に光の文字を刻む。アルファベットのつづり、それが反転して仮名に変わる。そして、もう一度ヴェステンが息を吹きかけると、更に文字は反転して、「魔女の集会」と言う言葉が現れる。

「ずっと昔。伝承にのみ伝わる、『大地の聖女ワルブルガ』を信仰する魔女たちが、ブロッケンの山に集まり、夏の始まりを祝った秘密の集会のことを『ワルブルガの夜』と呼んだんだ。そこから名前を取って、ぼくたちはぼくたちの組織を『ワルブルガ』と呼んでいる」

「組織?」

「そう、ぼくたちワルブルガは、五百年以上続く、由緒正しい『白の魔法使いの秘密結社』なんだ!」

 どどーんっ、というような効果音がどこかから聞こえてくるような勢いで、ヴェステンが胸を張って言う。秘密結社という響きに、いい意味に捉えられない。どちらかと言えば、男の子の好きな特撮ヒーローで世界征服をたくらむような、悪の軍団のように思えてしまう。でも、きっとそのことを言えば、ヴェステンは怒り出すかもしれない。胸を張るくらいだから、自分がワルブルガっていう魔女の秘密結社の使いであることを、誇りに思っているに違いないから。

「前々から訊きたかったんだけど、その白の魔法と黒の魔法ってどう違うの?」

「いい質問だね! 白の魔法は、今言ったとおり、四つの精霊の力を借りて魔法を使う。自然エネルギーを魔法に変えるといってもいいかもしれない。でも、黒の魔法は違う。精霊とは相反する悪魔との契約によって、魔物(トイフェル)を操ったり、反自然的な力によって、相手に危害を与えるんだ。その根源とする力は、憎悪」

 ヴェステンは、憎悪という言葉に、念を込めるように低く重たい声で言った。わたしの背筋に、トイフェルを目撃したときのような寒気が走る。

「じゃあ、その悪魔っていうのが、ヴェステンの言ってた、『世界を混沌に包み込む恐ろしいもの』なの?」

 つばを飲み下して尋ねると、ヴェステンは静かに頷いた。

「世界とか、わたしには途方もないよ。わたしなんかに、やっけられるかな、その悪魔を」

「悪魔をやっつける必要はないよ。悪魔そのものを葬り去るなんて、どんな魔法使いにも出来ないことなんだ。ただ、悪魔が本来居るべき場所、即ち魔界に還してやるんだ。そして、トイフェルを呼び出すために開いた、この世と魔界をつなぐ扉を閉じてしまえばいいんだ」

「この世と魔界をつなぐ扉ね……。悪魔はどうして、その扉を開いたんだろう」

「開いたのは、悪魔自身じゃない。あのトイフェルのコボルトを呼び出したやつ。黒の魔法使いだよ」

 ヴェステンは、そこで一息置くと、少しだけ遠い目をする。まるで、昔話でもするように。

「十三年前、ぼくと前のトーコ、それにワルブルガの魔女たちは、その黒の魔法使いと戦った。世界を混沌から守るためにね。でも、黒の魔法使いは、敗れる寸前に転生したんだ。そして十三年の月日を経て、再び姿を現した。まるで、キミがここにたどり着くのを待っていたかのように……そいつの名前は」

「祝福されしもの」

 わたしの中で、その単語が閃いた。朝方にみた夢の中で、光の翼が言った言葉。

「そうだよ! どうして、それをトーコが知ってるの!?」

 エメラルドグリーンのつぶらな瞳を見開いて、ヴェステンが驚きの声を上げる。わたしは「なんでだろ、そんな気がしたの」と笑ってごまかした。

「もしかして、記憶の一部が……いや、でも待てよ」

 ヴェステンが小首をかしげながら、ブツブツと独り言を言う。

「その、『祝福されしもの』っていう黒の魔法使いが、十三年を経て再び、悪魔と一緒にこの世界を混沌に包み込もうとしているんだね?」

 わたしが確認するように言うと、一人で考え事を始めそうになったヴェステンは、はっとなる。

「う、うん。そうだよ。だから、目下ぼくたちが探し出し、戦わなきゃいけない相手は『祝福されしもの』。最強・最悪と言われた、黒の魔法使い。彼と悪魔の契約を打ち破り、そして、世界を彼らの手から守りぬかなくちゃいけない」

「そのためには、もっと魔法の勉強をしなくちゃいけないってことか……」

 わたしは深いため息を吐き出した。あんまりにも途方もないこと。普通の女の子として生きていれば、知らなくてもいいこと。そんなことのために、わたしは誰も知らない世界に脚を踏み入れている。そう思うと、気が重くなって、ため息を吐かずにはいられなかった。

 何やってんだろ、わたしってば。

「ごめんねトーコ。ホントは、十三年前にぼくと前のトーコがするべきことだった。でも、ぼくたちには出来なかった。そのツケを、現世のキミに押し付けてしまって、ごめんね」

 わたしのため息を聞いたヴェステンは、やや元気なく、もう一度「ごめんね」と言った。その言葉は、夢の中で光の翼にも言われた。悪魔なんていう想像もつかないようなものと、戦わなければいけないのに、「ごめんね」って謝られて、はいそうですか、って素直に認める訳にはいかない。でも、だからと言って、ヴェステンを責めるわけにはいかないのは、分かってる。

「あのさ、ヴェステン。ワルブルガって、魔女の秘密結社なんでしょ? ってことは、わたし以外にも魔女がいるってことだよね? その人たちに応援をお願いすることは出来ないの?」

 と、わたしが尋ねると、ますますヴェステンは元気なく尻尾を、くたっと垂れ下がらせた。

「ごめん。ワルブルガにはもう、殆ど魔女はいないんだ。いたとしても、さっきも言ったとおり、魔力のない人ばかり。強い魔女は十三年前に……」

 ヴェステンがそう言いかけたときだった、地下室に「ジリリリっ」とベルの音が鳴り響く。玄関に取り付けられている、呼び鈴の音だ。その音に、わたしは、綾ちゃんとの約束を思い出した。

「いけない! 綾ちゃん来ちゃった!」

 わたしは、慌てて立ち上がる。長い間、座布団の上に正座していたから、脚が軽くしびれている。

「話の続きは、またあとにしよう。ヴェステンもおいで!」

 膝が笑うのをこらえながら、わたしはヴェステンを手招きした。ヴェステンは、まるで言いかけた言葉を飲み込むように、ぎこちなく笑うと、本棚の天板から飛び降りた。そして、いつもどおりニコっとわらうと、尻尾でわたしのしびれた脚を叩く。

「きゃあ、や、やめてよう!」

「正座してたくらいで、しびれるなんて、精進が足りない証拠だよ」

 と、ヴェステンはいたずらっぽく言った。だけど、その笑顔はやっぱりぎこちない。そんなヴェステンに、わたしは十三年前の出来事をもっと詳しく訊くべきかもしれない、と少しだけ思った。



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