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56. トーコと黒いこうもり傘

 ここは、ヴィジョン? それとも、わたしの夢の中? 体が思うように動かない。きっと魔力を使い果たして、疲労困憊なんだ。以前にもこんなことがあった。そうすると、やっぱりここは夢の中なのかしら? ううん、違う。たしかに疲労で重くなった体に重力を感じる。ここは間違いなく、異界。意識の底でそう結論付けたわたしは地面に寝転がった状態のまま、辺りを見回した。そこはどこまでも真っ白な世界。淡く優しい光に包まれた、純白の世界。そうだ、綾ちゃんは!? わたしは、慌てて右手の感触を確かめた。大丈夫、右手に柔らかな感触と温かさを感じる。ついでに、なんて言ったら、爪で引っかかれちゃいそうだけど、ヴェステンの呼吸も聞こえる。二人とも気を失い、眠っているみたい。

「みんな、どうなったんだろう……」

 わたしが光の翼で飛び立った後、阿南くんたちは予定通り、折れたノートゥングに残された魔力と中禅寺さんの盾のカードを使って、五重の魔法障壁を展開したはずだ。それでも、メフィストの攻撃にどれだけ耐え凌げただろう。不安が、わたしの胸の内で鎌首をもたげてくる。

『大丈夫です、皆さんご無事ですよ。やがてあなたたちとともに、人間界へとたどり着くでしょう』

 不意にわたしの脳裏に声が聞こえた。この声……夢の中で見た光の翼の声。グレートヒェンの声だっ! 起き上がろうとしても、体が思うように動かなくって、やきもきする。すると、わたしの視界の上を、一すじの閃光が走った。

『あなたには、何とお礼を言うべきなのか。あの人に過ちを気付かせ、そして光ある未来を与えた』

 閃光にその声を乗せ、グレートヒェンはわたしの脳裏に呼びかける。

「そんな、わたしは……わたしはただ、綾ちゃんを助けたくって」

『その友達を思う純粋な想いこそ、ヨハネスを最後の一線で踏みとどまらせた。そして、綾さんという人格に己の魂を譲ったヨハネスは、その子がやがて何十年か先に天寿を全うしたとき、再びヨハネスの魂として、天界で報われることとなるでしょう。わたしは、あなた方を見守りつつその日を待っています』

 透明で美しいその声の響きは、どこかわたしのお母さんのような優しさがあった。わたしは、思わず問いかけた。

「あの、グレートヒェンさん……。わたしは、あなたが生き返ることを阻止してしまった。本当にそれで良かったの? ヨハネスには大口叩いちゃったけど、ホントは自信がなくて」

 すると、光の翼がからからと笑ったような気がした。

『ええ、良かったのです。失われた命は戻らない。それが、神さまの作られた世界の(ことわり)なのです。だから、あなたも強くなれた。あなたの行ったことは、けして過ちなどではありません、自信を持ってください』

 その言葉にわたしは安堵の息を漏らした。また、光の翼がからからと笑う。

『あなたたちのおかげで、悪魔は魔界へと去りました。ここは夢の世界……ゆっくりとお休みなさい。その疲れが癒えたとき、また新しい日々が始まります。どうか、あなたと、あなたの大好きな人たちに、祝福あらんことを……』

 わたしの意識が暖かな風に包まれる。まぶたがどんどん重たくなってくる。いつか、あなたにも、グレートヒェンとヨハネスにも、本当の祝福が訪れますように。わたしはそう願いながら、眠気に身を任せた。

 それから、どのくらいの時間が流れただろう。わたしが目覚めたとき、我が家へと続く道に夜明けが訪れていた。いつの間に異界から戻ってきたのかは良く分からなかったけれど、森の木々の隙間からこぼれ落ちる朝日も、秋の冷たい空気も、小鳥のさえずりも、ここが人間界だとわたしに教えてくれた。

 全身の疲労はすっかり抜けていたものの、体のあちこちが痛い。地べたに寝ていた所為なのか、それとも名誉の負傷ってやつなのかは良く分からなかったけれど、とにかく体を起こして周囲を確認したわたしは、阿南くん、ヴェステン、ソフィ、中禅寺さん、そして綾ちゃんの姿があることに、ほっと胸をなでおろした。

 うーん、と背伸びをして、森の空気を目いっぱい吸い込む。終わったんだ……やっと。すぐには実感がわかなかったけれど、綾ちゃんが目を覚まし「おはよう」と寝ぼけ眼で言うその笑顔を見て、そこに居るのがヨハネスではなくて綾ちゃんだと確かに思えた瞬間、忙しなかった戦いの日々に、はじめて自分の心の中で終止符を打てたような気がした。

 

「新しい鍵は、永遠に開かれることのない鍵」

 わたしそういって、本棚の扉を閉め、金色の鍵を鍵穴に差し込んだ。すると、そこに小さな魔法円が現れ、鍵穴へと吸い込まれていく。がちゃり、と鍵の閉まる音ともに、金色の鍵は砂に変わって、さらさらと床に落ちていった。

「ぼくたち『新生ワルブルガ』に与えられた、新しい使命はこの『生命の魔法書』を守り抜くこと。世界には、悪いやつらが沢山居るからね。そういうやつらが、第二、第三のヨハネス・ファウストにならないようにしなきゃいけないんだ」

 ヴェステンが閲覧台の上に座って、自分に言い聞かせるような口調で、わたしたちの新しい使命を確認した。勿論、わたしはしっかりと頷き返した。

 異界から帰って、もう数か月が過ぎた。もうすぐこの街で過ごす、二度目の春がやってくる。あれから色々とあった。詳しく話したいけれど、長くなるからようやくします。

 まずは、異界から帰って来てすぐ、わたしたちを待っていてくれたお父さんが、嬉しいような悲しいような手料理をご馳走してくれたこと。これは、たぶん「ハプニング」だったと思う。もちろん、そんなこと、お父さんには言えないよ。

 次の日、ソフィがお家に帰った。ソフィのお母さんは、家の前でソフィの帰りを待っていてくれたらしい。言いたいことも言えず、他人としての冷たい距離の中で生活してきたソフィとお母さんが、すぐに完全な和解は難しいけれど、二人にとって、ヨハネスの事件は、親子としての絆を見つけるきっかけになったのかもしれない。母娘の雪解けは近いかも、というのはわたしの勝手な意見。

 それから、中禅寺さんが占いをやめた。突然の引退宣言に、学校中が震撼した。それは、まるで人気アイドルが芸能界を去るかのごとく、先生から生徒に至るまで激震し、なぜかとその理由を彼女に問い詰めたけれど、素っ気無く「飽きたから」とにべもない。それが嘘だと言うことをわたしたちは知っている。彼女は本格的に魔法使いになるために、勉強を始めた。つまり、わたしの「後輩」って訳だ。今から、「先輩風」びゅーびゅーだ。

 阿南くんは、相変わらずの仏頂面。一つ変わったことといえば、あれからメガネをしなくなった。メガネをしなくても綾が綾になってくれたと、彼は言う。そんな阿南くんが綾ちゃんを見る目は、どこか保護者のようであり、はたまた恋人のようであり……そんなときは決まって、わたしの胸がムカムカしてくる。憎悪とは違う、何だか切なくって、きゅーんと胸の辺りがする。これって一体何なんだろう?

 まあ、それはさておいて、本題の綾ちゃん。異界から帰った綾ちゃんは、ヨハネスの魂と、綾ちゃんの人格は完全に一体化した。つまり、綾ちゃんが本当の意味で「田澤綾」になったと言うこと。それに伴ってなのか、綾ちゃんは次第にヨハネスの記憶を失って行った。「ヨハネスの記憶が必要なくなったからだよ」と教えてくれたのはヴェステン。でも、ヨハネスの記憶を忘れていっても、綾ちゃんは綾ちゃんであることに変わりなく、いつも太陽のようにニコニコと笑う顔が良く似合う。

 あ、でも変わったこともあるよ。ヨハネスをの記憶を失うのと引き換えに、綾ちゃんは少しずつ学校に溶け込んで行った。もちろん、わたしが親友第一号だって言うことは譲らないけれど、最近では、和歌ちゃんたちクラスメイトや、ソフィや中禅寺さん、それにつむぎちゃんたちとも仲良くしている。約束どおり、来年の夏はみんなでまた海へ行けそうだ。もちろん、つむぎちゃんが別荘に招待してくれたらの話だけど……なんてね。

 あと、細々としたこと。まずは、諏訪先生。問題児のレッテルを貼られたわたしとしては、信用回復、失地回復を狙って、期末試験で見事にそれを果たした。「やれば出来ると信じていたわ」と諏訪先生がほめてくれた。うん、何ごとも信じることが大切なんですね。そんな諏訪先生の名前が、「苺子(いちご)」ちゃんっていうのは、ここだけの秘密だ!

 そして、浜名さん。あれからもずっと、わたしのお母さんの事件を捜査し続けてくれた、尊敬に値する刑事さんには、本当のことを伝えるべきか迷った。でも、真実を伝えるのはやめにした。喋る猫を見てもらえば、魔法のことを信じてもらうのは簡単だけど、そうしたら、浜名さんたち刑事さんたちの努力を無駄にしてしまう。少なくとも、今後はあんな凄惨な事件が起きることはない。だから、わたしはチクリと痛む心を抑えて、嘘を突き通すことにした。事件が「継続捜査」扱いになったのは、それから随分たってのことだった。

 それから、ソフィをいじめてた青木さんたち。あれからも、たびたびソフィはイジメを受けた。だけど、そのたびに、わたしや綾ちゃん、つむぎちゃん、和歌ちゃんがソフィを守っていると、いつの間にかイジメっ子たちはなりを潜めてしまった。友情の勝利ってヤツだ!

 ちなみに、半壊した我が家の玄関は、大工さんに修理してもらい、冬が来る前にブルーシートを外すことが出来た。

 とにかく、ここでは話仕切れないくらい色々と変わったこと、そういうことを含めてわたしがお母さんのお墓に報告しに言った日の翌日、阿南くんが突然声を上げた。

「俺たちで、新しいワルブルガを作ろうと思うんだ」

 そう言う、阿南くんの前に置かれていたのはあの「生命の魔法書」だった。

「こいつの存在を知っている者は、なにも俺たちだけじゃない。中には悪用しようとするヤツも居るかもしれない。だから『新生ワルブルガ』は、こいつを守ることを使命としたい」

 阿南くんの瞳は少しだけ輝いているように見えた。もちろん、破棄することも叶わない魔法書を守るために、「新生ワルブルガ」を創ることに異論はなかった。誰かが、悪意を持って「生命の魔法書」を使えば、わたしたちの苦労も、ヨハネスの五百年を阻止したことも、みんな水の泡になっちゃう。

「サークル活動みたいなものだと思えばいいさ」と阿南くんは気軽に言ったけれど、これはなかなかハードなサークル活動になりそうだ。そうして、魔法書は、我が家に戻ってきた。ヴェステンと一緒に、新しい鍵を用意して、再び地下室の一番奥にある魔法の本棚にしまいこむ。

「わたしね、気付いたことがあるの」

 砂になった鍵に目を落としながら、わたしはヴェステンに言った。

「前世のトーコが転生に失敗したから、わたしは前世のトーコやヘレネーの記憶を受け継がなかったんじゃないと思うの」

「どういうこと?」

 ヴェステンがきょとんとする。その傍らで、わたしは砂を集めてゴミ箱に棄てる。

「わたしには、わたしとして生きて欲しかった。だから、わたしに転生するとき、わざと記憶を消した。勝手な想像だけど、そんな風に思えるの」

「そうかもしれないね。トーコはトーコだもんね」

 と、言いながらヴェステンは少しだけ微笑んだ。

「うんっ! さてと、ゆっくりしてたら遅刻しちゃう。わたし学校行くね」

 わたしは、ぱんぱんっと手についた砂を払い落として、閲覧台の傍に立てかけておいた鞄を手に取った。

「ぼくは、録り溜めておいた時代劇のビデオを見ながら、日がな一日を過ごすよ。お父さんの秘蔵してるお菓子をつまみながら……」

「ヴェス屋、おぬしもワルよのお」

 そういって、ひとしきり笑い合うと、わたしは階段のほうへ踵を返した。腕時計に目をやると、朝のホームルームまで、後二十分もない。全力で走って、ギリギリ間に合うかだ。せっかく諏訪先生の信用を取り戻したのに、遅刻なんかでまた問題児になんかなりたくないよっ! 

「トーコ! 傘忘れてるっ!」

 閲覧台の端に引っ掛けておいた、黒いこうもり傘。それをヴェステンは器用に尻尾で掴むと、ひょいとわたしに向かって放り投げる。三代目になる、魔法のこうもり傘だ。一代目は、わたしのミスで壊してしまい、二本目はメフィストとともに消滅した。そして、異界から帰った後、新調したのがこの傘。もちろん新品。本当は、魔法の杖にするものは何だって構わないらしいのだけど、やっぱりわたしはこうもり傘が一番しっくり来るような気がする。

「行ってきますっ!!」

 傘を受け取ったわたしは、見送るヴェステンに手を振りながら、地下室の階段を駆けのぼり、ドアを勢いよく開いた。


(おしまい)

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