55. 愛すべからざる光
やがて光は、一点に集中していく。「やったぁ!」というヴェステンの声と同時に、それは、わたしの背中で羽ばたいた。「光の翼」という名前の通り、一条の光で作られた、天使の羽を思わせる翼。
「これは……!」
わたしは自分の背中からはえた翼に驚きを隠せなかった。すると、肩口のヴェステンがニッコリと微笑んで、
「光の翼は、ヴァイス・ツァオベライの最終奥義! その正義の翼で、闇を切り裂け」
と、エメラルドグリーンの瞳を、前方の闇に向ける。もはや人の形も成していない巨大な闇は、膨れ上がりたいまま膨張し続け、異界を覆い尽くそうとしていた。
「中野、綾を頼む」
阿南くんが、しっかりとした瞳でわたしに言った。わたしは、その言葉に戸惑ってしまい、「みんなは?」と尋ねると、阿南くんに代わって、中禅寺さんが残りのカードをわたしに見せた。
「わたしたちはあそこまで行くことが出来ない。だから、ここであなたたちが帰ってくるのを待ってる。折れたノートゥングの魔力、それにホムンクルスであるノルデンさんの魔力を重ね、この五枚のカードで五重の魔法障壁を作るわ。でも、どのくらい耐えられるか分からない。いちかばちか、賭け事は嫌いなんだけどね」
つまり、時間は限られている。中禅寺さんはそういいたげだった。でも、ここにみんなを残していくのは、不安だらけだと、わたしの迷いが顔に滲む。
「大丈夫、わたし、信じてるから。トーコなら、田澤さんを連れ戻すことが出来るって。わたしを、闇の淵から呼び戻してくれたように。わたしに未来を生きる自信をくれたように、田澤さんにも光の道を示して」
まるで、わたしの不安を吹き飛ばすかのような、ソフィの笑顔。それは、ホムンクルスである自分の存在を認め、その上で「ソフィ・ノルデン」として生きていくことを決めた新しい彼女の、心からのエールだった。
「飛べ、中野。今は、俺たちの心配なんかよりも、綾をっ!」
阿南くんがわたしの背中を軽く叩いて押し出した。それに合わせるように、ヴェステンが「行こうっ!!」と声をあげる。
目指すは、空高くメフィストフェレスの闇の中に半身を取り込まれた、親友の下へ! わたしは、背中の「光の翼」を大きくはためかせた。僅かに周囲にふわりと風が巻き起こる。飛行魔法「フリューゲン・フェアファーレン」を使っているわけでもないのに、わたしの体は軽く宙に浮く。そして、地面を蹴りつけると、まるで鳥が飛び立つように、わたしは異界の地面を後にした。
後ろは振り向かなかった。わたしもみんなのことを信じてる。わたしが綾ちゃんを連れて変えるそのときまで耐え抜いてくれると。わたしは、離陸した体を制御しながら、真っ直ぐ綾ちゃんの下へと飛ぶ。すると、もはや形をなしていない闇の翼のあった場所から、幾重にも折り重なる黒い光の帯が伸びてくる。
「撃ち落とせっ!!」
「緑の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、風の矢となれ……ヴィント・プファイルっ!」
ヴェステンの声に被せるように、わたしは魔法の言葉を唱えた。傘に刻まれた文字は、光の翼に呼応して、輝きを放ったままだけど、先端の金具のあたりから、風の矢が幾本も現れる。それらは、鉄砲の弾丸のような勢いで、カマイタチとなり黒い光の帯を撃ち落していった。わたしは、その残骸を掻い潜って行った。
それでも、更に黒い光の帯はわたしめがけて、絡まりあいながら飛んでくる。いくつかは、わたしの魔法で撃ち落し、いくつかはわたしの背後で闇の空間を開いて、黒の魔法を顕現させる。鉄のスパイクや雷の雨が放射状に散らばって、獲物を射止めることなく消えていく。
「にゃあっ、横から来るよっ!!」
風の矢で落とし損ねた、黒い光の帯がくるりと反転してわたしの左右から襲い掛かり、闇の空間を開いた。闇の空間からこぼれる、この重苦しいような空気。重力場の魔法だ!
「黄の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、土隆の槍となれ……エーアデ・ランツェっ!」
傘の先端に現れた、土の槍を左右に散らす。それらは真っ直ぐ闇の空間の方へ向かって飛んでいくと、黒の魔法の囮となって、ぺしゃんこにつぶれた。
「デコイ!? いつの間にそんなことできるようになったの?」
向かい風に、尻尾をパタパタさせながら、ヴェステンが大きな瞳を更に大きく見開いた。
「わたしだって、色々勉強してるって言ったでしょ? なんてね、前に中禅寺さんがやってたことのマネごとだよ。ついでに、こんなことも出来るよっ! 赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、炎の剣となれ……フランメ・シュベーアトっ! 固定! 黄の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、土隆の槍となれ……エーアデ・ランツェっ! 固定! 契約の名の下に、総ての呪文を解除する! 全解放」
わたしはバットでボールを打つように、炎の剣で土の槍を思い切り叩いた。はじけ飛ぶ音ともに、火花が散り、土の槍が粉々になる。すると、わたしめがけて飛んでくる、闇の翼の切れ端、黒い光の帯がすっ、とそちらへと吸い寄せられるように針路を変えた。魔力を帯びた土の欠片たちを、目標だと誤認したのだ。
「このまま一気に、綾ちゃんに近づく!!」
「でも、こんなに帯が多くちゃ、綾がどこにいるかなんてわからないようっ」
目を細めるヴェステンとわたしの眼前には、次々と繰り出されてくる黒い光の帯が邪魔して、綾ちゃんの居所がつかめない。その時、帯と帯びの隙間から、キラリと何かが光った。
「あれっ! 綾ちゃんのペンダント! あれを目指していけばいいんだっ! 光の翼よ、闇を切り裂いてっ!!」
わたしの願いに応じてくれたのか、光の翼が一際大きくなった。翼は、絡み合う黒い光を寸断して、わたしたちを綾ちゃんの下へと導く。
「綾ちゃんっ!!」
黒い光が消えたわたしたちの目の前に、メフィストの体である闇に、まるで磔にされたような綾ちゃんの姿が現れる。
「おのれ、光の翼っ! 神々に愛せられし娘『ヘレネー』……いや、ヴァイス・ツァオベリン、どこまでも我のの想像を超え、我の邪魔をするっ!」
真っ赤に目を光らせた綾ちゃんの口からこぼれだしたのは、メフィストフェレスの声。一瞬でも気を緩めれば、心まで奪われてしまう、悪魔の声だった。だけど、わたしはあえてその声を無視した。悪魔の存在を意識の中から消し去って、呼びかける相手は……。
「聞こえるでしょ、ヨハネスっ! もう一度言うわ。選んで、あなたは悪魔とともにこの世界を虚無に変えるのか、それとも綾ちゃんを五百年の妄執から解放するのか。一方は、破滅、もう一方は未来に繋がってる」
「ミライ……未来とはなんだ?」
わたしの声に反応して漏れてきたのは、ヨハネスの声。わたしは、まだヨハネスの魂が生きていること確かめて、更に続けた。
「悲しみや、苦しみを越えた先にある、明日のこと」
「その明日に、幸福を求めて何が悪いのだ。誰もが、失われた命を取り戻せたらと考える。それは古今東西、人類の求めた悲願なのだっ!」
「だけど、それが叶わないから、わたしたちは明日を強く生きていこうと決心できる。誰かのためじゃなくて、わたしたちが大好きな人たちのため、わたしたち自身のために」
「そのために、他人の命を踏みにじってもか?」
「じゃあ、わたしからあなたに尋ねる。あなたが心から好きだったグレートヒェンは、どちらを望むと思う? 自分を生き返ることと、綾ちゃんが綾ちゃんとして生きる幸せと。思い出して、あの地下牢でグレートヒェンが流した涙の意味を。理不尽さを嘆いていたわけでも、死ぬことを畏れていたわけでもない。あなたが光を失い、闇に囚われることに涙を流してた」
わたしの言葉に、ヨハネスはあの日のことを思い出していたのかもしれない。じめじめした薄暗い地下牢に繋がれた、愛する恋人と鉄格子越しの最後の別れをした日。グレートヒェンは確かに彼に言った。『あなたは光そのものです。その光が絶えてしまうことこそ、わたしにとっては辛いことなのです。どうか、わたしの分も生きてください。わたしは、永遠にあなたを愛しています』と。
しばらくの間の沈黙。追憶と現実の間で、ヨハネスは黙りこくったまま、何事かを思案し俄かに口を開いた。
「もしも、グレートヒェンがそなたの言うとおり、生き返ることを望んでいないとして、わたしの魂が『田澤綾』と同化して、このホムンクルス体は果たして幸せになれるのか? 人造人間は、人間ではない。人間にとってみれば、錬金術の暗部から生まれた、人の望まざる生命体だ。愛すべからざる存在だ。差別、阻害、排他されて生きていくことになるやも知れぬ。その責任をお前に持つことが出来るか?」
「綾ちゃんは、わたしが……ううん、わたしたちが守る。たとえ、綾ちゃんがホムンクルスとして、望まれず生まれた命なんてこの世に一つもない。ヘレネーなら、必ずそう言うと、あなたなら分かるでしょう?」
「卑怯なものだな、記憶がないといいながら、その名を持ち出してくるとは……」
「わたしの魂の仕返しよ。あなたに『器』としてしか見てもらえなかった、わたしの遠い前世の」
「ならば、ヘレネーよ、お前はわたしを許してくれるのか? お前を器として利用しようとしたわたしのことを……」
「わたしは、ヘレネーじゃない。中野東子。お父さんとお母さんがつけてくれた名前がある。でも、わたしの前世なら、きっとあなたを許したと思う。だから、わたしもあなたを許す。お願い、綾ちゃんを自由にして。そして、あなた自身も五百年の妄執から解放され、闇の中から抜け、光を取り戻すの! あなたにもしも悔いる気持ちがあるのなら、あなたがグレートヒェンの幸せのために出来ることは、それしかないっ!」
わたしがそう言うと、「そうか……」とヨハネスは穏やかな笑みを浮かべそっと瞳を閉じた。そして、ヨハネスに代わってその口からこぼれ出たのは、弱々しいけれどどこか優しげな声。
「トーコちゃん……来てくれたの?」
「約束したでしょ? 綾ちゃんのこと、絶対に助けるって。だって、わたしたち友達だもん」
友達スマイルと一緒に、もう一度わたしは右手を差し出した。綾ちゃんも、右手を差し出す。
「帰ろう!」
と、指がふれあい、わたしは強くその手を握ると、光の翼をはためかせて、メフィストフェレスの闇から綾ちゃんを引き剥がした。と同時に、遥か頭上に真っ赤な瞳がぎょろりと開き、その下あたりに、空飛ぶ飛行機だって丸呑みできそうなくらい大きな口が開いて、痛みを訴えるような悪魔の悲鳴が轟いた。メフィストは、依り代であるヨハネスの体、つまり綾ちゃんを離すまいと、いくつもの触手のような闇の腕を生やして、綾ちゃんを絡めとろうとする。だけど、わたしの光の翼が一つ羽ばたけば、光を帯びた清浄な風が巻き起こり、綾ちゃんの脚や腕に絡みついた闇の腕を振り解いていく。
「悪魔と、綾が遊離するっ! 来るよっ!!」
最後の腕が、綾ちゃんの足首から離れた瞬間、わたしの肩口に捕まるヴェステンの瞳が、更に上を指し示した。メフィストの背中で羽ばたく闇の翼から、わたしたちに逃げ場など与えないように、雨あられと黒い光の帯が降り注ぐ。
「冥府に彷徨いし魂の嘆きよ、我が名と魔界の王の名において、そを消し去れ! ズィングシティメ・レッシェング!!」
不意に綾ちゃんが、右手にした魔法の杖を高く掲げ、黒の魔法を唱える。すると、花火が夜空で飛び散るように、光の粒になって帯が四散した。
「綾ちゃん……だよね?」
わたしは、恐る恐るその瞳を覗き込んだ。わたしと手をつなぐ親友の背中にも、真っ黒な闇の翼がはためいている。すると、わたしの不安をかき消すように綾ちゃんはニッコリと笑った。そっと胸元から、ループチェーンに通された星型の貝殻をわたしに見せてくれる。その笑顔はわたしの知ってる、親友の笑顔だった。
「うん。ヨハネスは、わたしにこの体と魂を譲ってくれた。だから、今のわたしは綾。ただいま、トーコちゃん、ヴェスくん」
声も話し方も、みんなみんな綾ちゃんだ、とわたしの胸が熱くなる。
「お帰り、綾ちゃん」
「ごめんね、いっぱい謝らなきゃ、わたしの所為でたくさん迷惑をかけちゃって……」
「そう思ってるなら、百万回謝られるよりも、帰ったらあの美味しいクッキー作ってよね。ぼくのために」
ヴェステンが、にんまりと笑う。綾ちゃんの焼いたクッキーが、とっても美味しいことを知ってるわたしは、その香ばしい香りを思い浮かべた。
「わたしもっ、わたしもっ!」
「トーコは、帰ったらダイエットしなきゃね」
いじわるな視線でヴェステンがわたしに言った。もちろん、ヴェスの頭にデコピンをお見舞いして、ついでに言い返してやる。
「あーっ、なんだか肩が凝るなぁ。ヴェステン、キミ重くなったんじゃない? そりゃそうだよね、食べるものはちゃんと食べて、日がな一日時代劇観て、ごろごろにゃーっ、ぐーたらにゃーっ、てしてたら、おデブになっちゃうのも仕方ないよね」
そんな、暢気な光景に綾ちゃんがクスクスと笑った。大丈夫、綾ちゃんは本当に戻ってきてくれたんだ。わたしは、綾ちゃんの笑顔に、改めて綾ちゃんが綾ちゃんであることの嬉しさを噛みしめた。
「ここで、全部終わらせよう」
ひとしきり笑い終わった綾ちゃんが、真剣な瞳をメフィストに向けた。綾ちゃんを、そしてヨハネスを五百年もの長き間縛り続けていた、悪魔は増大を続けながら、異界を着々と飲み込んでいく。世界を滅ぼすために。
「でも、黒の魔法を使えば、綾ちゃんの体が……」
と言いかけたわたしの口を、綾ちゃんは人差し指でふさぐ。
「わたしを誰だと思ってるの? 稀代の錬金術師ヨハネス・ファウストの生まれ変わり。そう簡単に、黒の侵食に飲まれたりなんかしない。でも、すべて終わったら、わたしはちゃんと綾として生きていく。だから、最後にあいつを魔界に帰すのを手伝って、トーコちゃん、ヴェスくん」
「分かった」
わたしが頷くと、わたしと綾ちゃんの背中にある、二つの翼が大きくはためいた。このまま、世界を終わらせるわけには行かない!
「ヤツの頭上に飛び出て、ありったけの魔力を叩き込め!」
ヴェステンの指示に頷き合わせると、わたしたちは、メフィストフェレスの体内から次々と現れる黒い光の帯をくるくると掻い潜り、その直情へと飛び出る。
「青の精霊、そは清烈なる水の調べ。契約の名の下に、闇を打ち払う力となりて、敵を打て! 濁流の槍、ゲフリーレン・ヴァッサー!」
「冥府の煉獄に鍛えられし鉄よ、我が名と魔界の王の名において、結晶せよ! アイゼン・レーゲンっ!!」
わたしの傘と綾ちゃんの杖が強く輝き、無数の鉄片がメフィストフェレスの脳天に突き刺さり、同時に濁流の槍がその傷跡を抉る。その傷跡から、無数の光の帯が再び溢れ、まるで頭上を飛ぶ鳥を捕まえようとしているようだった。
「冥府の虚空に響く黒き雷鳴よ、我が名と魔界の王の名において、結晶せよ! ドンナー・レーゲン!!」
すかさず綾ちゃんの放った、雷の雨が光の帯を粉砕していく。おかげで一瞬だけ、光の帯が途絶え、闇の中心にメフィストの顔らしきものが見える。わたしはもう一度傘を振り上げた。
「赤の精霊、そは鮮烈なる炎の調べ。契約の名の下に、闇を打ち払う力となりて、敵を討て! 業火の矢、ブラント・フランメっ!!」
ありったけの魔力を込めた魔法を頭上に受け、「ぐおおん!」と、まるで獣のような声を上げたメフィストフェレスは、俄かに顔らしきものを上に向け、赤い瞳でわたしたちをにらみつけた。まともに見れば、体が凍りつく悪魔の視線。
「トーコちゃんっ!!」
不意に綾ちゃんの左手が、わたしの右手を強く掴んだ。危うくメフィストに取り込まれそうになった、わたしの意識が呼び戻される。
「怯えたら、あいつの思うツボ」
と、ヴェステンが言う。そうだ、怯えはやがて悲しみに、悲しみはやがて憎悪に。
「ありがと、綾ちゃん。こうなったら、一気にカタを付けよう。ヴェステン! 『封印の魔法円』をっ」
「了解っ!」
ヴェステンはひょいっとわたしの頭の上に飛び乗ると、先っぽだけブルーグレーの尻尾で、小さな光の魔法円を描く。異界に出発する前、メフィストフェレスを魔界に還すために、最終手段として話し合っていた。どんな形の結末にせよ、悪魔を放置しておくわけには行かない、と言ったのはわたしの方だった。
「綾ちゃん、魔力を分けて。この魔法で、メフィストフェレスを永遠に魔界から出られなくする」
わたしは、綾ちゃんの手を強く握り返して言った。綾ちゃんは、しっかりとした視線をわたしに向けて頷いた。
「出来た! トーコ、綾、魔法の言葉を!!」
魔法円を描き終わったヴェステンが、再びわたしの肩口にまで戻ってくる。わたしと綾ちゃんは、手をつないだまま、傘を、杖を高く振りかざした。
「神さまと八色の精霊の御名において命ずる。悪魔を魔界に還し、平穏なる世界を取り戻すため、封印の力をここに顕現せよ!」
声を揃えたわたしたちの魔法の言葉に応じて、ヴェステンが描いた「封印の魔法円」が徐々に大きくなっていく。
「イア・ムン・ルヒェ・ゲニーク! シート・ムン・トゥノード・ティセフィエ(我は魔界の王であるぞ! かような魔法円など効かぬわっ!)」
メフィストフェレスが、その大きな口で悪魔の言葉を吐き出す。聞くだけで悪寒が走るような、それで居て、闇に引きずり込もうとするような甘美な響き。綾ちゃんはそんな悪魔の声を振りほどくように、鋭くメフィストを睨みつけて、
「もう、あなたに惑わされたりなんかしない。契約はすべて反故にさせてもらうわ! 滅びろ悪魔! 冥府の大地を凍らせる重力、我が名と魔界の王の名において、結晶せよ!! タイルヒェン・レーゲン!」
重力の雨で、メフィストの頭を押しつぶした。すると、そこに巨大化した「封印の魔法円」はぴったりと張り付く。
「魔法円の固定完了!」と、ヴェステンの声を合図に、わたしは瞳を閉じた。つなぐその手から流れ込む綾ちゃんの魔力と、わたしに残された全身の魔力を一転に集中させる。
「緑の精霊、そは駿烈なる風の調べ。契約の名の下に、闇を打ち払う力となりて、敵を打て! 嵐風の剣、シュツルム・ヴィント!」
傘が、風をまとい大剣となる。わたしは、それを振りかぶって魔法円めがけて投げつけた。風の大剣となった黒いこうもり傘は、魔法円の中心を貫く。すると、カッと、幾重にも真っ白な光が閃いて、魔法円を構成するラインと文字がバラバラに解けながら、メフィストフェレスを丸ごと包み込んだ。
「魔界へ帰れ、メフィストフェレス!」
「マティーガ! イア・ムン・トゥエヤ・シュネイヴァ!(おのれっ! 我は滅びぬぞっ!)」
メフィストが唸る。その瞬間、闇の中心から膨れ上がるような光の爆発が起きた。激しい閃光は、メフィストを包み込み、そして、衝撃波と突風がごうっと音を立てて、翼で宙に浮くわたしたちを強く吹き飛ばした。
「ぎゃあああっ!」
光の中心から聞こえてきたその叫びが、メフィストフェレスの断末魔だったのか、わたしたちには分からなかった。ただ光は、音もなく異界の空を埋め尽くす闇を吸い込んで行き、やがて異界全体を眩く照らしていく。わたしはその光に目を細めながら、吹き荒れる衝撃波と突風の中で、離れ離れにならないように、必死に綾ちゃんの手を掴んでいた。
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