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50. 異界の扉

 ホムンクルス体に転生したヨハネスに、綾ちゃんとして生きて欲しいと言う、阿南くんの賭けは終わってなんか居ない。終わらせるつもりなんかない。

 ヨハネスがグレートヒェンのことを大好きだった気持ちも、グレートヒェンを救えなかった悔しさも、世界を見捨てても、それでもたった一人の女性を蘇らせようとする想いも、痛いほど良く分かる。誰かのために、何の罪もない命が奪われることほど、悲しいことはない。

 それでも、わたしは思う。ヨハネスの記憶だとか、グレートヒェンの悲劇だとか、転生者としての使命だとか、そんなもの全部関係ないと。中禅寺さんは「ヨハネスを倒す以外に、世界を救う方法はない」と言ったけれど、本当にそれしかないなんて、わたしは思いたくない。だって、綾ちゃんがわたしに見せてくれた、沢山の笑顔や優しさは、それが阿南くんが作り出した人格だからというのではなくて、綾ちゃんが心からわたしにくれたもので、今でもわたしは綾ちゃんを友達だと信じたい。

 だから、わたしが戦うのは、ヘレネーのためでもなければ、五百年の物語に終止符を打つためでもない。大切な友達を助けるため。誰かを信じると言うことは、ソフィが教えてくれたこと。優しさや、誰かを信じる心を失えば、ヴァイス・ツァオベリンであることの意味を失い、わたしはわたしじゃいられなくなる。正義の心こそ、白の魔法使いの本分なんだ。

 たとえ、どんなことになったとしても、この決意だけは絶対に揺るがない。

「おかわりっ!!」

 そんな思いを胸に、わたしは、ずいっと空になったお茶碗をソフィに差し出した。するとわたしの隣で、ごはんをがっついていたヴェステンもソフィに、「おかわりっ!」とお皿を突き出す。

「二人とも、良く食べるね……」

 わたしのエプロンを着けたソフィは、目を白黒させながら、わたしたちの顔を見る。ここ数日、我が家に居候するソフィは、すっかり中野家の炊事係に馴染んでしまった。

「トーコ、そんなに食べるとおデブになっちゃうよっ」

 ヴェステンが、ほっぺたにご飯粒をつけたまま、ニヤリとする。

「おなかが減ってちゃ、戦はできないって、昔から言うでしょ。それに、ヴェスだってもう三杯目じゃない。おデブ猫になったら、ダイエットしてもらうからね」

「トーコこそ、太ったらモテなくなるよっ」

 なんてお互いに言いながらも、わたしたちは揃ってご飯が山盛りになったお茶碗を受け取ると、ご飯をかき込んだ。もう、外は夕日が沈み、薄暗くなり始めている。ちょうど我が家を囲む森の木々の天辺に、赤い陽の光の帯が残る程度。それは、決戦のときが近づいている合図だった。

 ヴェステンが地下室の奥から取り出してきた、四本の棒切れはその切り札。名前を「異界の扉」という。魔法の道具の中でも、かなり特殊なもので、その名の通り、異界への道を開く扉だ。まあ、どう見てもボールペンみたいな棒切れがどうして「扉」なのかは、あとあと分かることとして、作戦の決行は今夜。反対票ゼロですぐに決まり、ヨハネスが異界で傷を癒す前に、こちらから異界へ乗り込む運びとなった。

 決戦に向けた準備のために、阿南くんと中禅寺さんは一旦それぞれの家に帰り、準備が整い次第、改めて我が家の森の前で待ち合わせることにした。「必ず、綾を取り戻そう」阿南くんは去り際にそう言った。「綾ちゃん救出作戦」のリーダーの言葉に、わたしも、ヴェスも、ソフィも、そして、中禅寺さんも強く頷き返した。

 幸いなのか、市役所に勤めるお父さんは市長選挙が近くて、色々と忙しく、残業に追い立てられて居る。おかげでと言えば、家族のために一生懸命働いてくれるお父さんに悪いような気もするけど、この最後の戦いに、お父さんを巻き込まなくて済む。ちゃんと、綾ちゃんを連れて帰ってくるから、待ってて!

「そう言えば、ソフィはお家に電話したの?」

 おかずの炒め物に箸を伸ばしながら、向かいの席で、ご飯をもくもくさせるソフィに、わたしが尋ねるとソフィはあわててご飯を飲み込んで、「うん。したよ」と答えた。

「お継母さん、ものすごく怒ってた。それでね、わたし思い切って訊いてみたの。お継母さんはわたしのことキライなの? って」

 ソフィが箸とお茶碗をそっとテーブルに置いた。

「お継母さん、なんて?」

「大キライだって言われた。何日も連絡一つよこさないで、いっぱい心配かけるような娘は、大キライだって」

「それって……」

「うん。お母さんね、わたしのことずっと心配してたんだって。でも、ずっと、ずっと、わたしにどう接していいのか分からなかった。だから、辛く当たったことをごめんなさいって、言ってくれたの。それでね、帰ってきて欲しいって」

 ソフィが心なしか、頬を赤らめて、嬉しそうにわたしに言った。わたしは他人事なのに、思わず「やった」と

声をあげて、自分のことのように嬉しくなった。

「全部終わったら、お家に帰って、ちゃんとお母さんとお話しするね。みんな、トーコのおかげ。ありがとう」

「そんな、わたしは何も……」

「ううん、あの時、ヨハネスさまの命令を聞くか迷ってたとき、トーコがわたしのことを大好きな友達だって言ってくれたから、今のわたしがあるの」

 そんな風に改まって言われちゃうと、何だか恥ずかしくなる。ソフィのことを、他の友達と同じくらい大好きだって気持ちは変わらないけど、あの時は無我夢中でそう言っただけだったかもしれない。

「そういうことに、しときなよ」

 と、フォローのように、ヴェステンが言う。すると、ソフィは何を思ったのか突然、箸を止めたわたしの手を取って、ぎゅっと堅く握り締めた。

「田澤さんにも、大事な友達なんだって気持ち、絶対に届くと思う。その気持ちは、メフィストフェレスなんかに絶対負けないよ」

 そう、大事なのは、綾ちゃんにもちゃんと、大切な友達なんだってことを伝えること。それが、世界を守ることに、そして未来に繋がる。

「おかわりっ!」と、わたしがソフィに四杯目のご飯を注文したのは、ヴェステンとほぼ同時だった。とりあえず、ダイエットするかしないかは全部終わってからにしよう。


 夜の空気がひんやりとわたしたちを包み込む。まだ夜更けと言うには早い時間。それでも、夜空には秋の星が瞬いて、あたりは静かに鈴虫の鳴き声が聞こえるだけ。なんだか、決戦に向けた緊張感だけがやけ高まるけれど、わたしの目に映るのは、綾ちゃんと学校に通ったのどかな田園風景ばかりだ。

 準備と言っても、動きやすい私服に着替えて、黒いこうもり傘を持ってくるだけ。それ以外に必要だったのは、『異界の扉』。早々に準備を終えてしまったわたしと、ソフィ、それにヴェステンは、森の入り口で、緊張しながら一言も言葉を交わさずに、阿南くんたちを待った。最初に、息を切らせながらやって来たのは中禅寺さん。

「とにかく、母が残してくれた魔法のカードに、全部書き込んで持ってきたわ」

 と言って、中禅寺さんが見せてくれたのは、ざっと二百枚近いカードの束。そして、やや遅れて走ってきたのは、阿南くん。はじめて見たときから、いつも抜き身だったノートゥングを革で編んだ鞘にしまい、それを背負っていた。更に「仏頂面メガネくん」のあだ名の由来にもなった、いつものメガネを着けている。もちろん、度の入っていない伊達メガネだ。

「これがないと締まらなくって」

 阿南くんは、メガネを指してそう言うと、森の入り口周囲を見渡した。木々はなぎ倒され、雑草は焼き払われて、ちょうどわたしの魔法と綾ちゃんの魔法がぶつかり合った場所は、月のクレーターみたく、大きく抉れている。その場所と、次元を異にする世界。それが綾ちゃんの潜む異界。

「よし、みんな揃ったね」

 ヴェステンはそれぞれの顔を確認すると、わたしにスカートのポケットから『異界の扉』を出すように指示した。例の、ボールペンみたいなヤツだ。

「これをあのクレータの周囲に一つずつ指すんだ。南には青、西には緑、北には黄色、東には赤を」

 わたしは、阿南くん、ヴェステン、ソフィに一本ずつ「異界の扉」を手渡した。それぞれ、中禅寺さんに星の角度から方角を確かめてもらいながら、異界の扉を地面に突き立てていく。

「終わったら、みんな扉の前に立って。双葉はトーコと一緒に」

 そう言いながらヴェステンは西に、ソフィは北に、阿南くんは南に、わたしと中禅寺さんは東に配置した。

「じゃあ準備はいい? みんな呪文の言葉を教えるから、『異界の扉』に魔力を込めて。呪文の言葉は『四色精霊の鍵を解き放ち、我を異界へと導きたまえ』。簡単でしょ? 行くよ、せーのっ」

 ヴェステンの合図に合わせて、わたしはこうもり傘の先端の金具を、ペン先に取り付けられた赤いビー玉大の宝玉にコツンとぶつけた。そして、わたしの手に中禅寺さんがカードを添える。同じように、ヴェスは先っぽだけダークグレーの尻尾で、緑色の宝玉に触れ、ソフィは膝を折って人差し指を、黄色の宝玉にあてがい、阿南くんは鞘から抜き放ったノートゥングの切っ先で、青の宝玉に触れた。

「四色の精霊の鍵を解き放ち、我を異界へと導きたまえ!」

 魔法の言葉の大合唱。すると、わたしのペンから、赤いレーザー光線のような光の糸が走る。光は隣のソフィのペンにぶつかると、今度は黄色い光線が、ヴェステンのペンに届き、更にそこから発した緑の光線が、阿南くんのペンから、青い光線を走らせた。青い光線は、真っ直ぐ直線を描いてわたしの元に戻ってくる。それは、ちょうど四色の頂点に、四色の直線で描かれたひし形を描き出し、一瞬の後に、ひし形が光に包まれた。

「これが異界の扉。そこの光の向こうは、異界に繋がってる。みんな、飛び込むんだ!」

 ヴェステンが先陣を切って、光のプールみたいな異界の扉に飛び込んだ。続いてソフィが、阿南くんが、中禅寺さんが。異界って場所がどんなところか分からないけど、迷ってなんか居られない。わたしも、みんなに続き、助走をつけて、まるで本物のプールでそうするように、異界の扉へと飛び込んだ。

 下はすぐ固い地面のはずなのに、わたしの体は光に包まれたまま、急速落下していく。スカイダイビングって、こんな気持ちなのかしら、なんてどうでもいいことを思っていると、いきなり光が晴れて、視界に異界が飛び込んできた。

 黒と赤をまぜこぜにしたような、マーブル模様の世界。それが、常にぐにゃぐにゃと蠢いて、見ているだけで気持ち悪くなってしまう。地上と雲ひとつない空の境目ははっきりとせず、どちらもマーブル模様。風にそよぐ木々や空を飛びまわる小鳥なんかそこには居ない。聞こえてくるのは風の音ではなく、遠雷のような地鳴り。だけど、地震が起きているわけではなく、それが異界の音だと、わたしは気付いた。かろうじて、わたしたちの住む人間界との共通点は、重力があること、このまま落下すれば、どこにあるのかも分からない地上に落下すれば、わたしは間違いなく死んじゃう!

 あわてて、わたしは「フリューゲン・フェアファーレン」の魔法を唱えようとした。その時、不意にわたしの腕が、誰かに掴まれる。そして、引っ張られると同時に、落下していたはずのわたしの体が、ふわりと大地を踏みしめた。

「大丈夫か、中野?」

 そう言って、掴んだ腕をぐいっと引っ張ってくれたのは、阿南くん。振り返ると、そこにはソフィと中禅寺さんもいる。そして、ひょいっとソフィの肩からわたしの肩に飛び移ったヴェステンが、

「ここは、人間界とは違う。そこが地上だと思えば地上だし、空だ思えば空なんだ。とても不安定な、二・五の世界。それが異界。黒は闇の象徴、赤は光の象徴。その二つがモノトーンで交じり合い、遠くから聞こえる地鳴りは、異界が朽ちていく断末魔と、生まれていく産声の両方が交じり合った音なんだよ」

 と、わたしに説明してくれた。だけど、その意味はよく分からなかった。それよりも、強くわたしの腕を掴む阿南くんの手が痛い。

「阿南くん。手、離して。痛いよう」

「ごっ、ごめん!」

 ずっと、わたしの腕を掴んでいたことに気付いていなかったのか、阿南くんは慌ててわたしの手を離し、気を取り直すように、周囲を確認して、

「この異界のどこかに、綾が居るはずだ。とにかく探そう」

 と、言った。




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