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5. 光の翼

 足元がふわふわしてる。目の前は、大地も空も見渡す限り、ミルク色に真っ白。でも、底に一点の黒いシミ。シミは、徐々に少しずつ大きくなり始める。つと立ち尽くすわたしの背後で気配。お父さん? それとも、ヴェステン? 動物の鳴き声がする。ああ、やっぱりヴェステンか。

 キミには物申したいことがある。魔法も、魔物も信じてあげる。だけど、やっぱり猫がしゃべるのは変だよ。キミは可愛いけど、でも、猫がしゃべるのは釈然としない……なんて言ったら、きっとヴェステンは怒り出すよね。

「ヴェステン。脅かさないでよ!」

 わたしは、仕方がないなと、付け加えつつ後ろを振り返った。だけど、そこにいたのは、ヴェステンなんかじゃない。灰色の体毛に覆われ、黄濁したギョロ眼。全身から薄気味悪さと(よこしま)さを醸し出すそれは、トイフェルだ! と思う間もなく、トイフェルのコボルトはわたしに向かって飛び掛ってきた。

 魔法。ヴェステンから教えてもらった、魔法の言葉。だめだ、思い出せない! それに、あの魔法の文字が刻み込まれたこうもり傘も、持っていない。

「キキーッ!!」

 コボルトは、真っ黒な爪をわたしに伸ばしてくる。慌てても、あせっても、ふわふわした捉えどころのない地面が、わたしの脚に絡みつく。誰でも良いから、助けてっ!! 声にならない声で叫んだ。すると、前方のシミが、すっかり人を丸ごと飲み込むくらい大きくなって、そこから、黒い人影が現れた。わたしは、黒い人影とコボルトに挟まれてしまう。

 逃げ場がない。そう思いながら、わたしは、じっと黒い人影をにらんだ。それが一体何であるかは良く分からない。ただ、味方じゃない。コボルトよりももっと恐ろしいもの。とてつもなく邪悪で、とてつもなく絶望的なそれは、かすかに笑ったような気がした。そんな黒い人影の笑顔に射すくめられたのは、わたしだけじゃなかった。わたしに襲い掛かろうとしていたコボルトは、まるで蛇に睨まれた蛙よろしく、その場に倒れてしまう。

 残されたのは、わたしと黒い人影。

 これが、ヴェステンの言ってた、「恐ろしいもの」なのだろうか。そうだとしても、今のわたしには何も出来ない。影は、見る見るうちに膨れ上がり、真っ白な空間を闇に染め上げていく。ドロドロとした、憎悪と恐怖がわたしの手を、脚を絡めとり、飲み込んでいく。

 その時だった。闇を切り裂くように、一条の光が走る。やがて、それは一つに集束して、天に羽ばたく翼になる。光の翼は、羽をはためかせる度に、輝く風を巻き起こして、闇をすっかり晴らしてしまった。一体何が起きたのか分からない。わたしは呆然と、光の翼を見つめた。

『ごめんなさい……トーコ』

 と、光の翼が言った。だけど、それは耳に聞こえたんじゃない。直接私の頭の中に響いてきたんだ。優しい女の人の声。わたしの知ってる人? お母さん? 違う、お母さんは……。

『何も知らず生まれてきたあなたを巻き込んで、総てを押し付けてしまうことを許して。でも、あの人は世界を混沌に包んでも、自らの目的を諦めたりはしない。お願い、トーコ。あの人を、永遠に輪廻する暗闇の中から救って』

「あの人!? あの人って誰?」

『「祝福されし者」彼は、彼のため、そしてわたしのため、ひいてはあなたのために、この世界を混沌に包もうとしているのです。だから、他の誰でもなく、あなたでなくては、世界を守れない。本当の意味で、あの人を救えない。お願い……トーコ』

 そう言うと、光の翼は少しずつ小さくなり輝きを失っていく。わたしは慌てて手を伸ばした。だけど、はるか天を舞う光の翼には届かない。

「ちょっと待って! 『祝福されし者』って誰なの? わたしのために、ううん、わたしのために、その人は何をしようとしているの?」

 わたしは、必死に叫んだ。だけど、手が届かないように、呼び止める声も届かない。やがて光の翼は、虚空に吸い込まれるように消えていった。

「起きろっ! 起きろっ! 起きろーっ!!」

 突然、わたしの耳元で何かが騒ぐ。それは、人の声? いや、違う。もっと耳障りで、迷惑な……そう、リンリンと鼓膜を叩くベルの音。


 真っ白な空間も、ふわふわした地面も、黒い影も、光の翼も、みんなわたしの観た夢であることに気づいたのは、枕元でけたたましく鳴り響くベルの音が、目覚まし時計の音であることに気付いてからだった。手を伸ばし、目覚まし時計を止めると、時計の長針と短針は、朝七時を示していた。

 思い切り背伸びをして、目覚めのあくびを一つ。カーテンの隙間からこぼれる朝日に眼を細めてから、ずいぶん不思議な夢だったと思う。それもこれも、総て魔法とか、魔物とか、それこそお化けだ、魔女だっていう世界と同じフィールドに足を踏み入れてしまった所為だ。だから、こんな変な夢を見てしまったんだ。

 わたしは、深くため息を付くと、ベッドから起き上がる。ふとカレンダーを見て、今日が日曜日であることに気付いたわたしは、今日の予定を頭に整理した。

 ヴェステンと出会って、トイフェルのコボルトを撃退するために、なんだかとんでもないことに巻き込まれて、魔女になってしまったあの日から、五日が過ぎていた。新しい学校生活にも、やっと慣れ始めてきたけれど、自分が魔女になったと言う実感はほとんど湧いてこない。

 魔法を使ったのは、五日前のあの時一回きり。たしか、フランメとか言ったけ。ヴェステンに教えてもらった通りの呪文を言ったら、傘の先から炎の矢が飛び出した。その時、確かにわたしの体から、何かが放たれるような感覚はあったのだけど、それが一体何なのかは良く分からない。

 むしろ、あれは全部夢の一部だったんじゃないかと思いたいくらい。

 今日の予定を確認したわたしはクローゼットを開けて、パジャマから私服に着替え、顔を洗い短い髪についた寝癖を整えて、階下のリビングに向かった。

「おはよう、東子。日曜日だって言うのに、早いじゃないか」

 リビングのソファに腰掛けて、コーヒー片手に新聞を読むお父さんが、すこしだけ驚いた顔をする。

「今日は、お友達が遊びに来るの」

「ほほう。さっそく仲のいい子が出来たのか。男か? 女か?」

 ぐいっと、コーヒーカップをわたしに突きつけて、お父さんの顔がにやける。何を期待してるんだか。

「女の子。田澤綾ちゃんっていうの。だいたい、もしもわたしにボーイフレンドが出来たりなんかしたら、お父さん、それはそれで怒るでしょ?」

「そんなことはないぞ。大いに恋することは結構! 恋愛は青春の一部だからな」

 そう言って、お父さんはガハハと大きく口を開けて笑う。つい三ヶ月前までのお父さんは、こんな笑いかたしなかった。なんだか、お父さんの表情が、無理に明るく振舞っているようなカンジがして、少しだけ胸に痛い。

「だれか、ステキな男の子でもいないのか?」

 そんな娘の気も知らないで、お父さんが続ける。ふと、男の子の顔がわたしの脳裏に浮かんだ。ちょっと目つきが鋭い、メガネの良く似合う男の子。その子は教室で、わたしの隣の席に座っている。だけど、まだ、一度しか口を利いていない。全身から、「話しかけんな」オーラが噴出していて、それはわたしだけが感じているんじゃなくて、クラスのみんなが感じていた。どちらかと言えば、少しだけクラスか浮いた存在。

 彼の名前は、阿南くん。綾ちゃんには、「仲良くしてあげてね」なんていわれたけれど、どうやら仲良く慣れそうにもない。わたしには、その自信がないのだ。

「どうした?」

 わたしがぼんやりと、阿南くんのことを考えていると、お父さんが怪訝そうにする。取り繕うように、わたしはぎこちない笑顔を浮かべた。

「にゃあ」

 突然、お父さんの傍から猫の鳴き声が聞こえてくる。観れば、お父さんのひざの上に、一匹の黒猫。

「にゃーお」

 もう一度、黒猫は可愛く鳴いた。わたしに「おはよう」とでも言っているつもりなんだろうか。もちろん、その黒猫とは、ヴェステンのこと。ヴェステンという奇妙な名前に、お父さんは小首を傾げたけれど、尻尾の先がブルーグレー色している以外、見た目は猫そのものだから、「にゃあ」と鳴けば、お父さんもまさかこの猫がしゃべりだすなんて、思いも寄らないだろう。

「ヴェステンは、俺の膝がお気に入りらしいぞ」

 なんて、お父さんは嬉々として、ヴェステンの頭を撫でてやる。それは、ヴェステンが可愛らしいからだけじゃない。わたしのわがままが、嬉しかったのだ。

 コボルトを撃退した後、わたしは二つのわがままを言った。ひとつは、あのこうもり傘を貰ったこと。魔法の文字が刻まれたそれは、いまやただの黒いこうもり傘じゃなくて、魔法の杖になってしまっている。そして、もう一つは、ヴェステンを家で飼いたいと言ったこと。

 わたしは、あんまりわがままを言う方じゃない。べつに、自慢してるわけじゃないんだよ。ただ、昔から「あれが欲しい、これが欲しい」とお父さんにねだったりしたことがない。そういう、ちょっとつまらない子どもだった。そんなわたしが、一度に二つもおねだりしたものだから、お父さんとしては嬉しかったのかもしれない。二つ返事で「いいぞ! あの傘は重くて嫌いだったし、ペットは大歓迎だ!」と言って、わたしのわがままを受け入れてくれた。

 ペット、といわれたヴェステンは、少しばかりムッとしていたみたいだけど、お父さんの前では、見事に可愛いペットの黒猫を演じている。不要に、部外者を巻き込まないためだ、とヴェステンは言う。その言からすれば、わたしはどう足掻いても、部外者じゃないと言うことになる。

「そうだ、東子。俺は、これから釣りに行って来ようと思うんだ」

 お父さんは新聞を折りたたみながら言った。そして、両手を構えて、釣竿を降るようなまねをする。釣りは、仕事一徹の真面目人間だったお父さんのたった一つの趣味だった。引っ越してきて、新しく勤めている市役所の課長さんに、いいポイントを教えてもらった、とお父さんは嬉しそうに言う。

「じゃあ、大物待って、グリルを暖めておくね」

 わたしは朝食のパンをトースターにセットしながら、ちょっと皮肉を込めて言った。お父さんの釣りの腕前は、感心するほどじゃないことは、娘のわたしが一番良く知っている。だけど、お父さんはニッコリと笑って、

「おう、任せとけ! ヴェステンにも美味しい魚を釣って帰ってやるからな!」

 と息巻いた。それを聞いたヴェステンは、一際声高く、にゃーっと鳴いてみせる。そんな風におだてると、期待されてるって、勘違いしちゃうよ!

 それから、わたしが朝食を食べ終わる頃には、お父さんはすっかり、釣り人の出で立ちになっていた。肩に提げた釣竿のケースが、なんだかそれなりにサマに見えるから不思議。

「行ってくるぞ! くれぐれも、そのお友達……綾ちゃんとは仲良くするんだぞ!」

「言われなくても大丈夫。お父さんこそ、岩場で転ばないでね」

「バカもん。俺の釣り歴は、お前の人生より長いんだからな!」

 娘の憎まれ口に、憎まれ口で返したお父さんは、ニコニコとしながら、釣りに出かけていった。すると、急に賑やかだった家が静かになる。家族二人……、ヴェステンを入れて三人には、この洋館はあまりにも広すぎることを改めて実感する。

 お父さんの足音が、庭を通り過ぎ、格子状の門扉を開けて、気配がなくなったのを確認するように、ヴェステンは耳を小刻みに動かした。そして、一点の雑音もない静寂が訪れるなり、ぐぐーっと体を伸ばして背伸びをする。その姿は、猫そのものだった。

「ふぅっ! ただの猫のフリをするのも楽じゃないね」

 ヴェステンが口を開く。さっきまで「にゃあ」と言っていた口から漏れるのは、人間の男の子のような声。

「猫が猫のフリ……変なの」

「変じゃないよ。ぼくは、見た目は猫だけど、ただの猫じゃないからね。なんて言ったて、ワルブルガの使い! その辺をうろついてる、野良猫とは違うんだ」

「それ、前にも聞いたよ。それより、時々あんたが言う、そのワルブルガって何なの? まだ教えてもらってないんだけど」

 わたしは、キッチンで朝食の片づけをしながら、尋ねた。すると、ヴェステンは、深くため息を吐く。

「ホントに何もかも忘れてるんだね。めげてても仕方ないか……ってことだから、トーコ! 今日もみっちり魔法の授業をするから、片付けが終わったら、地下室に直行!」

 そう言うと、ヴェステンはソファから飛び降りた。

「ちょっと、今日は綾ちゃんが遊びに来るって、さっき言ったでしょ!」

「問答無用! 魔女の道は、一日にして成らず、って諺が、この国にはあるでしょ? 世界を守るためには、いろいろ知っておかなきゃならないことが山積みなんだ!」

 用法を間違っているような気がする。だけど、ヴェステンは意に介さない風を装って、そのままリビングから出ていった。わたしは仕方なく、お皿の水切って、ヴェステンの後を追った。

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