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49. 阿南くんの願い

 ヨハネスの記憶……ソフィの見せてくれる「夢幻のヴィジョン」から、いつもの本棚に囲まれた地下室に戻ってきてからも、阿南くんの話は続いた。

 阿南くんと、綾ちゃんが出会ったのは、三年前の秋のこと。偶然というよりは、必然に近かったのかもしれない。その時すでに、阿南くんにはユストゥスの生まれ変わりだと言う自覚はあったし、綾ちゃんはまだ「田澤綾」ではなくて、「ヨハネス・ファウスト」そのものだった。

 ヨハネスは、前世のわたしが奪った「生命の魔法書」が、かつて戦いで傷ついた前世のわたしが羽根を休めるための本拠地にした、この古い洋館に隠されていることを突き止めて、この地に降り立った。強力な魔法書は、本自体が強力な魔力を帯びている。だから、破ったりシュレッダーにかけたり、火を点けることができない。それは、言い返せば「生命の魔法書」は永遠に失われることはなく、魔法書が電波のように放つ魔力を辿れば、トーコの生まれ変わりであるわたしを探し出すことよりも、ずっと簡単だったのかもしれない。

「最初は、綾が……」とわたしたちに言いかけた阿南くんは、頭を左右に振って「最初は、あの女の子が」と言い直す。

「最初はあの女の子が、ヨハネスだなんて、夢にも思わなかったよ。五百年間繰り返した転生の中で、もっともヨハネスとかけ離れた姿だったからね」

 黒いローブに身を包み、長い髪をおさげにした姿は、ヨハネスのそれとは程遠い、女の子の姿。阿南くんが、ヨハネスだと気付かなくても、それは仕方がなかった。余談だけど、ヨハネスがホムンクルスの体に転生したのは、おそらく、確実に宿願を果たすために、魔法の力のコンディションを最適に引き出せる体を求めていたからだろう、というのは阿南くんの推測。

「あの時、中禅寺が助けてくれなかったら、と思うと、今でも怖い」と、阿南くんは三年前を振り返りながら、中禅寺さんの無表情に視線を送った。

「わたしは、母が魔法空間『フェルド』で前世のヨハネスとの決戦に挑む前に残してくれたノートで、大体のことは分かってた。ただ、阿南くんがユストゥスの生まれ変わりという確証がなかったから、時が来るまでは何も知らないフリをしていたの」

 阿南くんに出会ったヨハネスは、問答無用にユストゥス(阿南くん)を葬り去ろうとする。それが、果たして、阿南くんに宿るユストゥスの魂が記憶するヨハネスに等しいものだとは言えなかった。阿南くんは、中禅寺さんに危機を救われながら、ヨハネスの心が完全に悪魔「メフィストフェレス」のものであることを感じずには居られなかった。

 二十四年の契約。それを果たしたメフィストが、悪魔らしくヨハネスの心をのっとったとしてもそれは不思議ではない。命を捧げるということは、死ぬと言うことばかりとは限らない。だったら目の前に居る女の子は一体誰なのか。ヨハネス? それともメフィスト?

 ヨハネスの行動原理は、五百年前から一貫して変わらない。グレートヒェンの器であるわたしを執拗に付け狙い、そして「生命の魔法書」で世界が混沌に包まれることを知りながら、それでも、亡き恋人グレートヒェンを蘇らせようとしている。

 だけど、ユストゥスはヨハネスにとって、息子。たとえその生まれ変わりであっても、何の感慨もなく、ユストゥスの命を奪うことは出来ない。それが「前世の宿命」なのだから……。

 その頃の阿南くんもヨハネスも、魂の年齢は別として、実年齢は十歳。十歳の頃のわたしは、前世だとか、宿命だとか、世界だとか、そんな大きなものを背負うことになるなんて思いもせずに、ただ普通の女の子として学校に通い、お父さんとお母さんがいることが当たり前の毎日を過ごしていた。そう思うと、少しだけ恥ずかしい。

「それでいいんだよ。中野は中野であるべきなんだ……」

 十歳でも、ヨハネスは最強の黒の魔法使い。容赦のない攻撃に、なんとか逃げ出した阿南くんは、中禅寺さんから「生命の魔法書」が「魔女の家」にあることを教えられた。

『魔法書を何処か別の場所に隠そう』と言ったのが、阿南くんだったのか、中禅寺さんだったのか、とにかく二人はヨハネスが「魔女の家」から「生命の魔法書」を取り返す前に、こっそり忍び込むことにした。わたしもお父さんも知らなかったけれど、我が家である「魔女の家」の裏にある勝手口は、扉を少し持ち上げるだけで、簡単に鍵が外れるらしい。これは大問題だ。後でお父さんに知らせなきゃ。

 それはともかく「魔女の家」に忍び込んだ、阿南くんと中禅寺さんは、手分けして「生命の魔法書」を探し出した。そして、地下室の隅に魔法の鍵をかけられた本棚を見つけた阿南くんたちは、その鍵を解き「生命の魔法書」を盗み出した。

「何処に、魔法書を隠したの?」

 わたしが問いかけると、阿南くんはしばらく考えてから口を開く。

「最初は、中禅寺の家。一葉おばさんの残した、魔法の金庫があって、その中にしまっておいたんだ。だけど、お前が綾に魔法書が地下室にないことを喋っちまったから、ザントメンヒェンとイルリヒトを使って、そのありかを探させることになったんだ」

「ごめん……」

「責めてるわけじゃないよ。どのみち、いつかは隠し場所がバレてたはずだ。だから、あの夜俺たちは別の場所に、魔法書を隠した」

「別の場所? それってドコなの?」

「本がいっぱいある場所。本に囲まれてカムフラージュできて、しかも、大勢の人と現代科学のセキュリティにまもられた、巨大な鉄筋コンクリートの建物」

 まるで、なぞなぞみたいなことを、阿南くんは言う。すると、わたしが答えに至る前に、ソフィが「あっ!」と声をあげた。

「もしかして、図書館ですか?」

 ソフィの回答に、阿南くんはニッと笑った。正解ってことなんだろう。そう、夏休みが始まったばかりのころ、阿南くんが図書館へ向かったのは、閉架の本を借りるためじゃなくて、その本の中に「生命の魔法書」を紛れ込ませたんだ。

「アナログな方法だけど、図書館のセキュリティはしっかりしているし、毎日大勢の人が出入りする図書館なら、ヨハネスでも迂闊に手を出せない。それに、鉄筋コンクリートの大きな建物には、すこしだけ、ほんの少しだけだけど、魔法書が放つ魔力を遮断する効果があるんだ」

 なるほど、と感心したように頷くソフィの隣でわたしは、「気付けって方が無理だよ、そんなの!」と内心におもったけれど、口には出さなかった。

 話を少し戻すと、「魔女の家」から魔法書を盗み出し、中禅寺さんの家に隠した阿南くんは、中禅寺さんに一つの提案をした。阿南くんから提案を聞いた中禅寺さんは、もちろん大反対した。「そんなことをして、もしも失敗すれば、大変なことになるかもしれない」と。

 だけど、ヨハネスに対抗できる唯一の魔女、肝心要のわたしは、何故だかヘレネーの記憶も、トーコの記憶も持たないまま、ただ魂だけが「中野東子」として転生して、どこにいるのかも分からない状態。ヨハネスと正面切って戦うには、ユストゥスの魔力は乏しく、カードと言う魔法触媒に頼らなければ魔法を使えない中禅寺さんと二人だけでは、とても無理な話だった。

 止む無く、中禅寺さんは、阿南くんの提案に乗ることにした。その提案こそが、ヨハネスの記憶を封印し、「田澤綾」という架空の人格を与えることだった。

「そうすることで、ヨハネスが総て忘れて、綾として生きてくれたら、このまま総てが終わる。誰も戦うこともなく、俺はユストゥスじゃなくて、阿南結宇として、お前はヘレネーじゃなくて、普通の女の子として、生きていける。もう誰も五百年の妄執に振り回されたりなんかしなくてもいい」

 阿南くんはそのとき、そう思ったそうだ。かくして、阿南くんたちはヨハネスと戦うそぶりを見せて、記憶を封じる魔法の魔法円にまでヨハネスを誘い込み、ヨハネスとしての記憶を封じ込め、綾ちゃんの人格を与えることに成功した。

「綾になったヨハネスを、中禅寺の紹介で『田澤』夫婦に預けたんだ。先々代が、ワルブルガの一員だったらしく、とても信頼に足る優しいおじさんとおばさんだった。この二人なら、無事自分たちの娘として『綾』を育ててくれる……そう思った」

 阿南くんが、メガネをかけ始めたのはその頃からだった。願掛けのつもりだったと言う。メガネを通してみる、目の前の女の子は、ヨハネスなんかじゃなくて自分の幼なじみの女の子、綾ちゃんなんだって思うため。そして、総てが上手くいくように、そう願いをかけた。

 だけど、阿南くんの願掛けは、結局成功しなかった。

「それって、わたしがこの家に引っ越してきたから?」

「違うよ。中野がここに引っ越してきたのは、『魔法』という名前の運命が導いた結果だよ、何の関係もない。綾の記憶を解いたのは、あいつがいってた通り、メフィストフェレスだ」

 二日前、綾ちゃんがわたしたちに言った言葉をそれぞれの脳裏で反芻するように、わたしたちは思い出していた。

「たとえ、ヨハネスとしての記憶を取り戻したとしても、俺は最後の一瞬まで信じたかった。俺やお前と過ごした楽しかった時間や思い出と『綾』の記憶が、必ずヨハネスの記憶に勝てると。だから、ずっと、俺がユストゥスの生まれ変わりで、綾がヨハネスだってことを、お前には秘密にしていたんだ」

 だけど、その想いは悉くメフィストによって打ち砕かれた。徐々に、綾ちゃんが綾ちゃんで居る時間は少なくなり、代わりにヨハネスであることを取り戻していき、そして、ついに阿南くんの賭けは、中禅寺さんが反対したように、失敗してしまった。

「これで、今に至る、五百年のお話は終わりだ……」

 そう言うと、一息ついて、阿南くんは一冊の文庫本を見せてくれた。肌色をした表紙に、カタカナで「ファウスト」と書かれている。それは古い戯曲の脚本を、わたしたちにも読める日本語に翻訳したものだった。翻訳家の名前は、国語の教科書でもその名前を目にする「森鴎外(もりおうがい)」だった。

「この本、ドイツの有名な作家ゲーテが、一八〇八年に発表した戯曲『ファウスト』には、ヨハネスのことが詳しく描かれている。だけど、そのほとんどが、ゲーテの創作だ。もともと、ヨハネスには友人が少なかった。真面目なヤツだったけど、誤解されやすいタイプで、大学の同窓だったメラヒトンらは、ヨハネスのことを『詐欺師まがいの二流占い師』と罵倒したし、ルターもまた、彼が錬金術や魔法に没頭することを非難した。それに加えて、各地を放浪していた所為で、ヨハネスに関する記述はあまりにも少ないため、事実や創作が混同してしまったんだと思う」

「でも、彼が五百年前、どんな人生を送り、何を見て、何を思い、どれほど悲しんだ末に、何を願ったのかも、ヨハネスが転生の魔法で現代もその魂を繋ぎ、いまだ叶えてはならない禁断の果実に触れようとしていることも、わたしたちは知っている」

 阿南くんの言葉に被せるように、中禅寺さんが言う。わたしは、ゲーテの『ファウスト』を流し読みながら、頷いて見せた。

「その執念は、阿南くんが願った『田澤綾』の記憶……ううん、田澤さんの思い出を上回った。もはや、そこに居るのは、田澤綾なんかじゃなくて、『愛すべからざる光』と言う名の悪魔に魅入られた、『祝福されしもの』ヨハネス・ファウスト」

「違うよ、中禅寺さん……」

 わたしは、読みかけの『ファウスト』を閉じると、みんなの顔を順番に見つめた。

「わたしはヨハネスなんて人のこと知らない。わたしが知ってるのは、いつもニコニコ笑ってて、みんなに優しいわたしの友達、綾ちゃんだよ」

「田澤さんとヨハネスは同一人物よ」

 中禅寺さんが眉間にしわを寄せる。わたしは、それに首を振って否定を返した。

「違う。ヨハネスには友達が居なかったんでしょ? でも、綾ちゃんにはちゃんと、わたしや阿南くんがいる。綾ちゃんと、ヨハネスは違う。わたしは、綾ちゃんを取り戻したい。メフィストフェレスからも、ヨハネスからも……」

「そんなムチャクチャなこと言わないで、中野さん。『田澤綾』なんて人格、わたしと阿南くんが作った、架空の人格なの。そんな人最初から存在しないの!」

「存在するよ。わたしたちが信じている限り、綾ちゃんは存在する。だから、わたしは、綾ちゃんを助けるために戦う」

 わたしは立ち上がって、拳を地下室の天井めがけて突き上げる。足元で、中禅寺さんのため息がこぼれたかと思うと、それに続いて阿南くんがクスクスと笑い始めた。

「ムチャクチャくらいがちょうどいいのかもね。俺たちは、これから、たったこれだけの人数でヨハネスと戦うんだ。十三年前、トーコとワルブルガの魔女たちが全員でかかっても倒せなかった相手だ。真っ向勝負なんて、その方が、ムチャクチャなんだよ、中禅寺」

「それは、そうだけど……。でも、どうするの? 異界からいつ田澤さん……ヨハネスが戻ってくるか分からないのに。わたしたちには、異界に足を踏み入れる方法がないのよ」

「それなら、あるよ」

 唐突に、わたしの肩でずっと黙って、阿南くんの話に耳を傾けていたヴェステンが声をあげて、わたしも含めた一同の視線が、ヴェスに集中した。すると、ヴェステンはひょいっと猫がそうするように、わたしの肩から飛び降りて、本棚の奥へと姿を消した。ガタガタと何か物音がして、再び戻ってきたヴェステンの口には妙なものが咥えられていた。ヴェステンは、それを小さな閲覧台の上に放り投げた。

「ボールペン?」

 と言ったのは、ソフィ。閲覧台の上に置かれた四つの、棒切れはどれも銀色で、片方の先端は尖っていて、反対側の先端にそれぞれ赤、青、緑、黄色の丸い宝石が取り付けられている。大きさも見た目も、どう見てもソフィが言うとおり「ボールペン」。

「違うよ、ソフィ。これは『異界の扉』だよ」

 ヴェステンは閲覧台の上で、ふふんと鼻を鳴らし、何故だか自慢気に胸を張って、そのボールペンの正しい名前を口にした。

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