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47. そは我が友をここに!

 それを最初に言ったのは、中禅寺さんだった。ヨハネスとの決戦に向けた作戦会議を開こうと、我が家の地下室に、阿南くんと中禅寺さん、それにソフィが集まった。会議を始める前に、中禅寺さんは、何を思ったのか、地下室にある本棚から、一冊の魔法の本を広げてわたしに見せてくれたけど、ドイツ語なんて読めるわけもなく、何が書いてあるのかも分からなかったけれど、肝心なのは、本が読めることじゃなくて、わたしにその魔法を試す気があるかどうかだった。

 白の魔法は、黒の魔法よりもきっちりとした、体系が築かれている。それは、秘密結社「ワルブルガ」を創設した人が、世界中に居た魔女や魔法使いの力を借りて、五百年近い長い間研究を重ねたおかげだった。その研究の成果として、編み出されたのが「応用」と呼ばれる、一種の技術。

 精霊の力を具現する白の魔法は、四色の精霊、即ち「赤」「青」「緑」「黄」の力と、四つの様式「(プファイル)」「(ランツェ)」「(バックラー)」「(シュヴェーアト)」を掛け合わせた、十六の魔法で構成される。だけど、魔法の力の裾野は、とても広くこれだけにとどまらない。

 その一つが「基礎応用」。精霊の力を応用して、攻撃と言うベクトルだけでなく、魔法の力を利用すること。例えば空を飛ぶ「フリューゲン・フェアファーレン」の魔法は、ヴィントの魔法を応用して、上昇気流を発生させて、空を飛ぶ。

 更に、二つ以上の魔法をくっつけてやることを「結合応用」と言う。無詠唱(ニヒツ・アーリエ)を利用して、全く違う効果を得る事が出来る。例えば、簡単に火と水の魔法を固定(フェストレーグング)してやれば、水蒸気を発生させることが出来ると言った具合に。ただし、組み合わせや魔力の出力に微調整が必要だったり、固定する順序、解放(フライセン)のタイミングなどなど、一朝一夕にできることじゃない。

 これら「基礎応用」「結合応用」を習得していることが前提の、白の魔法の(いただき)にあるのが、精霊の力と魔法の力を極限まで研ぎ澄ませる奥義「昇華応用」だ。ブラント・フランメなど、同じ色の魔法とは、見た目も威力も格段に違う。

 と、言うのは、白の魔法の応用の一端で、もしもわたしがドイツ語やラテン語に堪能で、地下室にある前世のトーコのコレクションを読むことが出来たとしても、その体系のすべてを得ることはとても難しいと思う。そんな中、中禅寺さんがわたしに見せてくれた本に書かれていたのは、「反転応用」に関する記述だった。どうやら、前世のトーコも読み込んでいたらしく、ページの端がすこし綻びかけていた。

「反転応用って?」

 何度か耳にした事のある言葉だけど、実際に触れる機会は今までなかった。中禅寺さんは、ひび割れた丸メガネに代わって、赤いフレームの小さなメガネをくいっとあげると、

「やっぱり、ヴェステンはまだ反転応用を教えてなかったのね」

 と言った。確かに、基礎応用はヴェステンから習い、勉強したけれど、結合応用や昇華応用は、成り行きから習得したようなもので、実際にはヴェスから教えてもらったことはない。

「反転応用って言うのは、魔法のベクトルを反対に向けることだよ」

 そう言って、わたしを指さす人差し指の向きを自分の方に変えながら、阿南くんが説明してくれる。

「つまり、魔法のエネルギーっていうのは本来、対象物にしか向かわない。つまり、一方通行のベクトルなんだ。それを、反対方向に向けたベクトルに変えることを『反転応用』っていうんだ」

 阿南くんの言っていることの意味が分からなくて、わたしはきょとんとしてしまう。すると、横からソフィがひょっこりと顔を出して、「それって、自傷行為じゃないんですか?」と尋ねる。阿南くんは、「そうじゃないんだ」と前置いてから、地下室の隅っこから小さなノートサイズの黒板を引っ張り出してきた。そんなものがそこにあるなんて、わたしは知らなかった。それはさておき、阿南くんはこれまたどこかから引っ張り出してきた、欠けたチョークで、まるで諏訪先生のように板書を始めた。もちろん、黒板に書かれた文字は、わたしにもなじみの深い日本の文字だ。

 四色の精霊が生み出す白の元素『(フランメ)』『(ヴァッサー)』『(ヴィント)』『(エーアデ)』は、もともと誰かを傷つけるためのものじゃない。そのエネルギーはここそこに存在する、生命の依り代であり、もっとも超自然的なものだといえる。つまり、その本来的な力を応用する「反転応用」は、攻撃と言う一方通行のベクトルを、根源から反対に向けて、術者や対象者に対して「治癒」の効果を与える。

「もちろん、魔力の強い魔法使いが、反転応用をすれば、瀕死の重傷者だって救える。俺たちの前世ず使った転生魔法『ヴィーダー・ゲブーアト』も『反転応用』の一例だ。ある意味で、白の魔法の本当の姿だって、言い換えてもおかしくないも知れないね」

 阿南くんは、黒板いっぱいに板書を終えると、ぽんぽんと手をはたき、指先についたチョークの粉を落とした。わたしは、板書とにらめっこしながら、あることに気づく。

「もしかして……、『生命の魔法書』って」

「ご明察。もっとも、生命を呼び戻すなんて、ただ『反転応用』すればいいって言うレベルじゃない。そもそも、一度体から遊離した魂に魔法の力を及ばせるには、冥府にアクセスする、黒の魔法の原理が必要だ。つまり黒の魔法を半ば強制的に『反転応用』した、極限の集大成といっていい」

「ヨハネスは、それをグレートヒェンという人を蘇らせるためだけに、編み出したの?」

 わたしが問いかけると、答えたのは中禅寺さんだった。

「そうよ。でも、その前に、あなたにはやるべきことがある。そのために、この本があるの」

 と、先ほどの魔法書をもう一度わたしに見せた。 

「この本には、魔法生物の生成に関する事柄が書かれてる。四つの白の元素すべてを結合応用で、一つにまとめ、そしてそれを反転応用することで、魔法で組成された生き物が生まれる」

「それって、まさかっ!!」

 わたしは驚きを隠せずに、口元を両手で覆った。

「そのまさかよ。ヨハネスと戦う上で、わたしたちにはオブザーバーが必要でしょ? ヴェステンほど、その役にうってつけの存在はいないと思うの。どう? 試してみる?」

「でもっ、それは自然の理を崩すことになるんじゃ……」

「厳密に言うと、魔法生物は生物ではなくて、白の元素の塊。だから生命と呼ぶことは出来ないの。だから、ヨハネスによってヴェステンは殺されたんじゃなくて、元素の結びつきを解かれただけ。もう一度、ヴェステンを構成していた元素を集めれば、彼は再び子猫の姿に戻る」

 そう言って、中禅寺さんは、わたしのめのまえに魔法書を置いた。わたしは、緑色の布が張られた表紙に、金糸でタイトルが刻まれたその本のページをめくってみた。手書きで書いてあることの意味は全く分からないけれど、もしも、ヴェステンにもう一度会えるなら、それほど嬉しいことはない。ちょっと生意気で、ドイツ生まれのくせして日本の時代劇が大好きなんて、変わったヤツだけど、いつもわたしのことを心配してくれて、私を守ってくれるヴェステンは、たとえ白の元素の集まりでも、わたしの家族なんだ。

「分かった。やってみるよ。どうすればいい?」

 わたしは、魔法円の書かれたページに目をとめて言った。すると、阿南くんがソフィと中禅寺さんにチョークを投げる。

「ノルデン、中禅寺、手分けしてそのページの魔法円を床に書いて。俺は、魔法書の呪文を日本語に直すから、中野は、傘持ってきて」

 まるでリーダーと言わんばかりの口ぶりで、阿南くんはてきぱはきと指示を送った。すぐに、ソフィたちは魔法円の書き写しに掛かる。わたしは、一路地下室を後にして、半壊してブルーシートがかけられ修繕の日を待ちわびる玄関口に置かれた、傘立てからこうもり傘を引っ張り出した。

 魔法円の模写と、呪文の翻訳は、それから間もなくして完成する。本棚と本棚に囲まれた狭いスペースには、縦長に連結した、五つの魔法円が描かれていた。阿南くんは、わたしにメモ用紙を渡しながら、

「ここに書かれた魔法の言葉を、一つずつ詠唱するんだ。あの猫のことを心に思い描きながら。一度でも、言葉に詰まったり、噛んだりしたら、魔法は失敗。運が悪ければ、もう二度とあの猫を生成することは出来ないかもしれないから、気をつけて」

 と、少しもオブラートに包まない口調で言った。やおら緊張感だけが、わたしを包み込み、ごくっと唾を飲み下す。そして、五つの魔法円の先頭に立つと、三人が部屋の奥に下がったのを確認してから、傘を構えた。すうっと、胸いっぱいに深呼吸。

「赤の精霊。炎を司る、精霊の御名はフランメ。その色は、生命の猛り。光ある場所に集いたまえ」

 わたしが呪文を唱えると、こうもり傘に刻まれた魔法の文字が、いつものように淡く、ぼんやりと光る。そして、チョークで描かれた一つ目の魔法円がそれに呼応して、赤く染まっていく。

「青の精霊。水を司る、精霊の御名はヴァッサー。その色は、生命の静か。光ある場所に集いたまえ」

 二つ目の魔法円が、青に染まる。

「緑の精霊。風を司る、精霊の御名はヴィント。その色は、生命の息吹。光ある場所に集いたまえ」

 三つ目の魔法円が、緑に染まる。

「黄の精霊。土を司る、精霊の御名はエーアデ。その色は、生命の鼓動。光ある場所に集いたまえ」

 四つ目の魔法円が黄色に染まる。そして……。

「ヴァイス・ツァオベリンが我が名において、四つの元素、そのすべてを結束させる。固定(フェストレーグング)! フランメ、ヴァッサー、ヴィント、エーアデ。ここに集いし魔法の力、そは我が友をここに!」

 わたしが、こうもり傘の先端を、一つ目の魔法円に突き立てると、魔法円が強烈な光を放った。そして、次々とその光は連鎖して、各々の精霊の色に染まった魔方陣を強く輝かせていく。わたしは、心の深くでヴェステンのことを思い浮かべた。はじめて、この地下室で出会ったあの日。喋る猫に驚いて腰を抜かしそうになった。見た目はとても可愛い黒猫で、声変わりする前の男の子見たいな声してて、何故か尻尾の先端だけブルーグレー色。何処までも見透かしたように、深いエメラルドグリーンの瞳は、いつもわたしのことを見守っていてくれた。時には、猫なで声よろしく、猫のフリをしてお父さんたちのご機嫌を伺ったり、人の気にしてることをずけずけと憚らずに言ったりと、小憎たらしくて生意気なこともあるけれど、ホントはとっても優しいわたしのパートナー。

 わたしがわたしで居る限り、あなたがわたしの相棒で、わたしはあなたの相棒だから、戻ってきて、ヴェステン!

「総ての魔法を解放する! フライセンっ!!」

 最後の掛け声とともに、五つ目の魔法円が光り輝いた。五つ目の魔法円、それは「リヒト」……即ち「光の魔法円」だと、阿南くんが教えてくれた。その光の魔法円からこぼれだす眩しいはずなのに、何処か暖かな光は、ゆっくりゆっくりと一つの像を結び始める。すると、ここが地下室であるにもかかわらず、どこかから蛍の光のような淡い燐光がちらほらと集まってきて、光に溶け込んでいった。そうして、やがて、像がはっきりとし始めるとともに、魔法円の光が、一つ目のフランメの魔法円から順に収まっていき、ついに光の魔法円の上に、黒い塊を生み出した。

「ふにゃあ。おはよう……トーコ」

 黒い塊が、思い切り四肢とブルーグレーの尻尾をピンと伸ばして背伸びをする。その仕草は、猫のそれにそっくりだ。だけど、きっと「猫」って言ったら、「ぼくはワルブルガの使いだ」とお約束の返事が返ってくるに違いない。それにしても、いきなり「おはよう」と言われてもちょっと困る。

「ヴェステン」

「なあに? トーコ」

 ヴェステンはきょとんとして、そのエメラルドグリーンの瞳で、わたしの顔を覗き込む。ヴェステンが居なくなって、まだ二日しかたっていないというのに、わたしはヴェステンの仕草が妙に懐かしくて、胸が詰まりそうになって、思わずヴェステンのことを抱き上げた。

「よかった。ヴェステンが戻ってきてくれた。おかえり、ヴェスっ」

 嬉しくて、頬ずりしてやる。思いっきりぎゅって抱きしめてやる。

「にゃっ、痛いよう。そんなに強く抱きしめなくても、ぼくは魔法で作られた生き物だから、不死身だって言っただろう? まったくもうっ、ちょっとぼくの言葉にも耳を傾けてよねっ」

「ごめんっ」

 そう言いながらも、わたしはしばらくの間、ヴェステンを離さなかった。そんなわたしに、ヴェステンは戸惑ったようにしていたけれど、心なしか嬉しそうだった。

「ヴェスくん……」

 ソフィがそっと近づいてくる。後に続き、阿南くんも中禅寺さんもやってくる。

「どうやら、役者がそろってるみたいだね」

 唐突にヴェステンはどこか時代劇っぽい口調で言う。そして、まずわたしの顔を見て、

「ヨハネスによって、元素の形に戻されたけど、ぼくはずっとみんなのこと見てたよ。トーコ、キミはやっぱりぼくの信じた、ヴァイス・ツァオベリンだった。ちゃんと、正義の心を取り戻してくれたね。ありがとう」

 と言い、次にソフィにエメラルドグリーンの瞳を向ける。

「それから、ソフィ、キミと綾がホムンクルスであることには、うすうす気付いていたけど、確証がなかった。でも、キミはホムンクルスであることよりも、トーコの友達であることを選んでくれた。ありがとう」

 更に、中禅寺さんの方を向いて、

「双葉、キミが前世のトーコを『フェルド』から救い出してくれた、一葉(かずは)の娘だってことは知らなかった。お母さんと同じように、トーコを助けてくれて、ありがとう」

 と言い、最後にその瞳を阿南くんに投げかけた。

「キミが一番曲者だったね、阿南くん……」

「何だよそれ。まあ、ずっといろんなことを、お前や中野に黙ってたことは、謝るよ。でも、出来ればこんなことにならない道を探りたかったんだ」

 阿南くんが言う。そういえば、あの橋の上でメガネを投げ捨てて以来、ずっとメガネをしていない。

「こんなことにならなかった道とやらも含めて、色々訊きたいんだ。ぼくとトーコの知らないことを全部、洗いざらい話して欲しい。ヨハネスをやっつける、そのために、教えて。五百年前からヨハネスが抱き続けた妄執のこと。ぼくたちが戦わなきゃいけないものが何なのか」

 ヴェステンの瞳は、阿南くんを捕らえて離さなかった。阿南くんは少しだけ仏頂面に微笑みを浮かべ、わたしたちそれぞれの顔を順に見つめて、

「もともと、そのつもりだった。いいよ、五百年前のこと、そして現在に至るその物語を聞かせてあげるよ」

 と、言った。

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