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42. 追憶 その2

「シュバルツ・ツァオベライは、あまねく世界にたゆたう四つの色、即ち『赤』『青』『緑』『黄』の四つの精霊の力を依り代とはしない。非自然的、もしくは超エネルギーの元、その力を発揮すると言った意味では、ヴァイス・ツァオベライの力を悠に凌駕する」

 暗い石造りの部屋の中、豪奢な飾りなど一つもついていない襤褸(ぼろ)切れのようなローブをまとった、白髪に立派な白髭のお爺さんと、白いローブを着込んだ、背の高い男の人が向かい合っている。

「シュバルツを極めれば、たった一つの魔法だけで、国をまるごと、いや世界ごと滅ぼしてしまえるほどの力がある。その魔法こそがシュバルツ・ツァオベライ最強の魔法。『ケルン・エクスプロージオン』だ」

 と、背にした緑色の黒板に、黄ばんだチョークで何かを板書しながら、お爺さんが語る。さながら、授業風景のように見えるけれど、生徒は白いローブの男の人だけ。それに、学校と言うには、この部屋はあまりにも暗く、窓もない。

 でも、あの男の人は見たことがある……。わたしは、部屋の隅っこにぽつんと立って、二人を俯瞰するように見ていた。だけど、二人は全くわたしのことに気づかない。わたしは、そこに居るのに、そこには居ない。誰かの記憶、夢、それを傍観しているような状態なのだ。あの時と同じだ。海に沈むソフィを助けようとしたあの時と。そして、目の前に居る白いローブの男の人は、あの時にも見たあの人だった。

「そなたは非常に魔力にも優れ、人一倍魔法や錬金術に興味があると見受けた。いかがか?」

 お爺さんは、チョークを置くと、じっと男の人と向かい合って、一際重みを帯びた声で言った。その茶色の瞳には、何処か精練された迫力がみなぎっていた。

「お恥ずかしながら、その通りにございます」と、白いローブの男の人が答えると、お爺さんはやや険しい顔をして、

「魅力あるものには、常にリスクが付きまとう。特にシュバルツの魔法は、闇の力。使えば使うほど、闇に飲み込まれていく。やがて、その体は黒に蝕まれる。それをワシは『黒の侵食』と呼んでいる」

 と返し、再び黒板に何事か板書する。きっと「黒の侵食」と書いたのだろうけど、英語じゃない外国の文字は、中学生のわたしには全く読めなかった。

「侵食された人間はどうなるのですか?」

「抜け殻となる。心を失った、肉体と言う『器』に成り果てるのだ。闇とはそれほど深く、恐ろしいものだと言える」

「侵食されない、『器』とならない方法はないのですか? 自在に魔法を操ることは出来ないのですか?」

「できるにはできる。しかし……」

 と、お爺さんは言ったきり、生徒に背を向けたまま、口をつぐんでしまった。わたしの立っている場所からでは、白いローブの男の人の顔までは分からないけれど、きっと、訝るような顔つきをしていたんだと思う。

「しかし、何でございましょう? もったいぶらずにお教えくださいませ、先生。わたしは、魔術のすべてを知りたいのです。そのために、ヴィッテンベルクから、このポーランドはクラークフまで旅してきたのです」

「それは、分かっておる。しかし、そなたは神学を修める者ゆえ」

 なぜか、お爺さんの口調はとても歯切れが悪い。

「学問の話です。神のみを信奉しているのであれば、魔法を習いたいなど申せるはずもありません。先生、どうか、すべてをお教えください」

「しからば、教えよう。その方法とは、悪魔に命を差し出すことだ。悪魔とは魔界に住まうもの。神の威徳を無視し、憎悪と恐怖、そして『世界の混沌』を招く凶兆の顕れのこと。しかし、闇に最も近い存在でもある」

 お爺さんがそういうと、白いローブの男の人は、背中で身震いした。まるで、悪魔と言う言葉の途方もないスケールに、怯えるように。

「どうした、臆したか?」

「いえ! 俄然興味がわきました。先生、悪魔との契約とはどのようにすればよいのでしょう?」

「逸れは簡単なこと。そなたの、錬金の力にて賢者の石を生み出し、そして魔界の魔法円を描き願うのだ。汝、二十四の歳月、我に従え! されば、我が肉体と魂を総て、汝に与える。契約の言葉は『Verweile doch Du bist so schon!』。刻よ止まれ、汝ほど美しきものはいない! とな」

 あれ? その言葉、わたし聴いたことがあるよ。

「だが、くれぐれも悪魔と契約などしてはならない。ワシは神など信じてはおらぬ、背徳の魔法使いだ。しかし、闇と悪魔は何処までも深く、人の未来を吸い込んでしまう、言わば無限の底なし沼だ。それに囚われた人間に待つ末路は……分かるな?」

 お爺さんの言葉は、忠告と言うよりも警告に近かった。白いローブの男の人は、こくりと頷いて見せたけど、悪魔に命を差し出した人間の辿る末路がどうなるのか、わたしには分からない。だけど、ここで声を上げても、わたしの声が二人に届くことはないと言うことを、わたしは知っている。これは、すべてヴィジョンなんだ。

 やがて、あの時と同じように、わたしの目の前を真っ白な光が覆う。そして、光が消えると、今度はさっきの部屋よりももっと薄暗く、じめじめとした湿気が肌にまとわりつくような、地下室が現れる。そこは、本や映像でしか知らないような、お城の地下にある、牢獄だった。牢獄と分かったのは、いつの時代も、牢獄の扉は鉄格子と決まっていて、個室の中はひどく汚くて、何もないものと決まっているからだった。

 わたしは、牢獄の廊下をゆっくりと歩いた。時折染み出した地下水が、石の天井からこぼれだして、でこぼこの床に、ぴちゃぴちゃと音を立てて落ちる。その音に混じって、一番奥の個室から、誰かの泣く声が聞こえた。子どものようにわんわんと声を上げて泣くような声ではなく、すすり上げ、さめざめと泣く悲哀に満ちた泣き声だった。

 そっと、牢獄の中を覗き込む。部屋には窓はない。廊下に掲げられたたいまつが、ぼんやりと部屋の中を照らし、うずくまる女の人が一人、白い頬に涙を伝わらせていた。服はボロボロ、腕や顔には拷問の(あと)と思われるあざが生々しく残っているけれど、とても華奢で綺麗な女の人だった。

 この人は、あの白いローブの人が恋していた女の子だ。どうして、この人がここに閉じ込められているんだろう? とても悪いことをするような人には見えないのだけど……、とわたしが小首をかしげていると、牢獄の入り口のほうから、鉄の鎧をまとった男の人が何人か連れ立ってこちらへと、やって来た。鎧の人たちは、女の人の閉じ込められた部屋の前で、ぴたっと脚を揃えて止まると、そのうちの一人がおもむろに、一枚の洋白紙を拡げた。やっぱり外国の文字が書かれている。

「ヴィッテンベルク領主より、裁きを申し渡す。その方は、禁忌である黒の魔法にて、夜更けの路頭で自らの兄を殺害し、さらに飽き足りず、ヴィッテンベルク城下で嬰児殺しを行った。その罪は許しがたい背徳の行いであり、カトリック教会は、その方を『魔女』と断定し、死罪とする判決を下した。刑の執行は今宵、広場にて伝統に従い、火あぶりの刑とする!」

 洋白紙に書かれたことを、宣言する声に、女の人はぴくりともせず、ただじっと床に落ちる雫を見つめていた。すると、牢獄の入り口が俄かに騒がしくなり、誰かが焦ったような足音を立てながら走ってくる。

「お待ちください! その娘は、何の罪も犯してなどおりません! 何卒、領主閣下にお取次ぎを。事の真相を私の口からお話させてくださいませ!!」

 悲鳴にも似た叫び声を上げながら、牢獄の廊下を走ってきたのは、あの白いローブの男の人だった。彼は、鎧の兵隊の前につんのめるようにして、膝まづいた。

「真相ならば、教会が判決を下したことこそ真実。この娘は『魔女』故、処刑いたすことに変わりはない。いくら、ヴィッテンベルク大学で優秀な学業を修められた博士(はくし)のあなたと言えども、この決定は覆せませぬぞ」

 そう言うと、鉄の鎧を身につけた兵隊たちは、土下座する白いローブの男の人に憐れみを含んだ視線を送りながら、牢獄を後にした。

「なんということか! なんという罪か、私はっ、私は……!」

 白いローブの袖で目頭を押さえながら、男の人は唸り声をあげた。悔しさと悲しみが胸の奥底からあふれ出すような声だった。すると、牢獄の中でうずくまり、死刑の宣告を受けたときにも微動だにしなかった女の人が、そっと衣擦れの音を立てて、格子の隙間から、白いてを伸ばした。

「泣かないでください。あなただけが悪いのではありません。わたしも、悪いのです。最愛のあなたを殺すと言った、兄をとめることが出来なかった。あなたは、あなたの身を守っただけのことなのです」

「それでも、君だけが裁かれるのはおかしい! 君は『魔女』などではない。いや、私にとっては、女神だ。神の名の元に、それを信じるものだけが救われ、信仰がないことを理由に、無辜(むこ)なる命が利欲のために奪われる不毛な世界で、たった一つ、愚かな私のもとに舞い降りた光の翼を持つ女神なのだ」

 白いローブの男の人は、ひしっと女の人の小さな手を握った。女の人は、もう一方の手も講師の隙間から伸ばすと、そっと優しく男の人の手を包み込んだ。

「ありがとう。わたしにとっても、あなたは光そのものです。その光が絶えてしまうことこそ、私にとっては辛いことなのです。どうか、わたしの分も生きてください。わたしは、永遠にあなたを愛しています」

「私もだ、私も君を愛している。ずっと、ずっと、永遠に……」

 薄暗い地下牢の廊下で、鉄格子を挟んだ恋人たちの別れの涙が響き渡る中、わたしは光に包まれる。そっと目を閉じ、光が収まるのを待つと、次の場面はのどかな夜の野原だった。涼やかな夜風が、優しく草花を揺らし、藍色の空にはいくつもの宝石と見間違うほど綺麗な星が輝いていた。月明かりがあるわけでもないのに、野原が輝いて見えるのは、見渡す限りの一面に咲き誇る白い花が、輝いているからだった。

 そんな野原の真ん中に、女の人の後姿がある。さっきの地下牢につながれていた人じゃない、別の女の人だ。しなやかなウェーブの掛かった黒髪に、月桂樹の冠を被り、花に負けないくら純白のドレスを着ている。どこか神々しい輝きを放つその女の人は、花畑に腰を下ろし、花の一つ一つを愛でながら、両手に花束を作っていた。

「こんなところに居たのか……」

 不意に声がして、そちらを向くと、あの白いローブの男の人が、ゆっくりと女の人に近づいてくる。

「はい。あまりに、美しい花が咲いているものですから、少しばかり摘ませていただき、あなたへのプレゼントにしようと思ったのです」

 女の人は立ち上がり、両手に持った白い花の花束を差し出した。振り返った女の人の面影にわたしはぎょっとした。

「わたしに似てる?」

 思わず声を立ててしまったけれど、花束を受け取る白いローブの男の人も、わたしによく似た女の人も気付きはしない。

「そうか、ありがとう、ヘレネー」

 男の人はそう言うと、柔らかい顔で微笑んで、花束を受け取った。そして、花束を胸に当て膝まづき、ヘレネーと呼ばれた、わたしに良く似た女の人の手をとると、その手の甲にそっと口付けした。

「ヘレネーよ。どうか、私の一生の伴侶になってくれないか? 裕福な暮らしは出来ないかもしれないが、これからの人生をあなたか傍に居て、一緒に歩んで行けたら、どれほどステキなことか」

「まあ、それはプロポーズですか?」

 ヘレネーは少しだけ頬を赤らめて、でも嬉しそうな顔をする。

「ええ、そうです。あなたが私の好意を受け取ってくれるなら、私は全身全霊をかけてあなたを幸せにすると、誓おう」

「はい、あなたと一生を共にすると、誓います。あなたのことを愛しています」

「おお、それは真か。やはりあなたこそ、愚かなる私の下に舞い降りた、光の翼を持つ女神だ!」

 白いローブの男の人は、飛び跳ねんばかりの喜びようで、ヘレネーのことを抱きしめた。本当なら、それはとてもステキなワンシーンだ。こんな幻想的な野原で、星空の下、恋が実る瞬間は、女の子なら誰だって嬉しくなる瞬間だ。

 だけど、ちょっと待って。その科白は、あの地下牢に繋がれた、最愛の女性に告げた言葉だったはず……。涙を流しながら、互いに「愛している」と別れを惜しんだのに、全く同じ言葉を別の女の人に送るなんて、ヒドイ! 

 わたしは少し腹が立って、われも忘れてずんずんと二人に近づいた。そのわたしの目に、とんでもないものが映り、わたしは急ブレーキをかける。ヘレネーを抱きしめる、白いローブの男の人の背中から、黒い影のようなものがわきあがったのだ。それはゆらゆらと揺らめき、人のような形に変わる。だけど、明らかに人じゃないと思わせるのは、頭の部分から伸びる、水牛のような角だった。

 笑ってる……人影も、白いローブの男の人も。嬉しいから笑ってるんじゃない。もっと邪悪な何かを帯びた笑みだ。でも、ヘレネーは全く気付く様子もなく、最愛の男の人に抱きしめられて、人生最大の喜びに満たされているみたいだった。

 三度、わたしの視界が光に包まれる。今度はどこへ飛ばされるのだろう。光が消えると、今度は森の中にある小さな家だった。あたりは、やっぱり夜。森の木々の隙間からは、煌々と月明かりがこぼれ、家の輪郭を浮き彫りにする。どちらかと言えばロッジのような木組みのお家で、赤レンガの煙突がどこか可愛らしく見える、本当に小ぢんまりとした家だった。その庭には、井戸があって、その傍らに、洗濯物を干す台がある。更に、その右手にはちいさな花壇があって、花壇の前に二人の人影がにらみ合っていた。

 一人は、想像通り、あの白いローブの男の人。もう一人は……阿南くん? 違う。服装もそうだけど、何より、メガネをかけていないし、仏頂面というよりどちらかと言えば「怒り心頭に」という顔つきだった。

「父上! あなたにとって、母さんはただの道具だったのですか!?」

 阿南くん似の男の子は、青銅色の剣を構えていた。容易ならざる事態が飲み込めなくて、わたしが小首をかしげていると、白いローブの男の人は俄かに口元をゆがめた。

「愚かな女だ。『黒の侵食』に冒され始めたと知ると、自害するとは。しかし、案ずるな、あやつの体が焼け焦げてしまう前に、転生魔法『ヴィーダー・ゲブーアト』をかけた。今頃は、別の肉体に転生していることだろう」

「なんてことをっ! 母さんを冒涜するおつもりですか!? あなたは一体、何を考えているのです。『生命の魔法書』などを書いて、教会から悪魔のレッテルを貼られたかと思えば、今度は母さんの魂を転生させるなんて!」

 阿南くん似の男の子は、森全体に響き渡るほど大きな声で怒鳴った。すると、白いローブの男の人は、懐から小さなワンドを取り出した。その先端には、紫色の宝石がはめ込まれていた。

「お前ごときに何が分かる、我が息子、ユストゥスよ!」

「分かりたくもない。悪魔に魅入られた父上の気持ちなど!」

 ユストゥスと呼ばれた、阿南くん似の男の子は、青銅色の剣を振り上げた。

「ほほう、ノートゥングか……。ニーベルングの伝説に伝わる英雄の剣。それで、何をするつもりか?」

「あなたの息子として、悪魔に魅入られた、いや、悪魔そのものに成り果てた、あなたを殺す。それが、母さんを、そしてあなたをお救いする唯一の方法だっ!!」

 そう言うと、ユストゥスは剣を振り下ろした。プンと風を切り、人を斬り裂く鈍い音。一瞬の出来事だった。ユストゥスの剣は、白いローブの男の人を袈裟に斬り、真っ赤な染みを作った。だけど、白いローブの男の人は、さして抵抗することもなくユストゥスの手に掛かった。

「何故……?」

 困惑顔で父親をみるユストゥス。すると、父親は、親としての笑顔ではない微笑を浮かべ、息子を見下ろすと、

「悪魔と契約して、二十四年目のこの夜に、我が命が尽きることは分かっていた」

「まさか、最初から死ぬつもりだったのですか、父上!?」

「もはや、私はそなたの父ではない。私は諦めない。何度でも転生して、宿願を果たしてみせる。さらば、ユストゥス!!」

 その瞬間、白いローブの男の人は、息子であるユストゥスの目の前で、灰となった。ユストゥスは、その灰を掴もうと手を伸ばしたけれど、あっという間に、森を駆け抜ける夜風にさらわれて散っていく。

 その光景を、何も出来ないわたしはただ呆然と見つめ、そして、これがすべて五百年前のヨハネスの記憶であることに気付いた。でも、どうしてそんなヴィジョンをわたしは見ているのか、そして、それが何を意味するのか、わたしにはまだ分からないまま、また光がわたしの体を包み込む。そうして次にたどり着いた場所は、真っ暗闇の世界だった……。

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