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37. ヴェスのため

 三日の入院を経て、支度での安静を条件に退院したわたしは、すぐさまヴェステンの入院する動物病院へ駆けつけた。まだ骨折したところは痛いし、腕の傷も塞がっていないけれど、部屋でじっとしてなんか居られなかった。

 その動物病院は、町医者と言っても過言じゃないくらい小さな建物で、緑色の屋根瓦は、病院と言うより民家を思わせる。そして何より、我が家に負けず劣らずの古びた家だった。医院長先生は、白髪と白い口髭が良く似合うお爺さんで、わたしが息を切らせてやってくると、おっとりとした対応でわたしを院の奥へと案内してくれた。

 いくつものベッド代わりのケージが並ぶ部屋。いわばそこが病室で、ケージに入っている犬や猫たちはみんな、一様に元気がない。それは、病気や怪我で痛みや苦しみと戦っているんだから、当たり前のことだけど、その中でも、ヴェステンが一番元気がなかった。

「ヴェステン」と、なるべく優しく声をかけても、いつもの生意気な返事は返ってこない。白いタオルケットに包まれてぐったりとしたヴェステンは、苦しそうに息を吐き出し、意識さえもはっきりしていなかった。そして、そのお腹には、ノインテーターが刻んだ『9』の刻印が痛々しく見えた。

「あれだけの出血があったにも関わらず、傷のほとんどは驚くべき速度で回復しているんじゃ。ただ……なぜか、それに反して生命力が日増しに弱くなってきておる」

 医院長先生は、ケージの中に手を伸ばし、そっとヴェステンを撫でてやった。ヴェステンが、魔法で作られた生き物で、魔法の力で自分の傷を癒すことが出来ても、トイフェルの刻んだ「死の刻印」までは消すことが出来ないことを、わたしは分かっていた。

「わしは、動物たちの医者だが、飼い主に期待させるようなことは言ってやれる性分ではない。きっぱりと言えば、このままでは、そう長く持たんかもしれん……愛猫との別れは辛いことじゃが、娘さんや、覚悟しておいた方がいいかも知れんぞ」

 冷たく響き渡る、医院長先生の言葉。わたしはその言葉を重く受け止めながら、何度もヴェステンを撫でてやった。すこしでも、痛みや苦しみが和らぐように。

 しばらくの間そうしていると、閉院の時間が来て、わたしはとぼとぼと家に引き返した。「あまり気を落としなさんな」と先生は言ってくれたけど、すっかり意気消沈しながら、夕日に染まる秋空を見上げて歩いていると、森の入り口で仕事帰りのお父さんに見つかってしまい、「安静にしろってお医者さんに言われてただろう!」と、ガツンと叱られてしまった。

 森の道を、父娘(おやこ)並んで歩く。森を取り囲む木々の間から木漏れ日のように、夕日の光がこぼれだす。本当は幻想的にさえ思える光景も、今のわたしには、ヴェステンの血溜まりのようにしか見えない。

「ヴェスの様子、どうだった?」

 不意に お父さんが言う。ヴェステンのことをただの猫だと思っているお父さんは、本当にヴェステンのことを可愛がっていた。

「ダメかもしれないって、先生が……」

 わたしは、上を見上げて言った。鼻の辺りがつーんと痛くなって、我慢してないと、弱々しく何とか生きてるヴェステンの姿が頭の中に過ぎって、涙がこぼれ落ちて来そうになる。それをぐっと我慢していると、声は上擦って、余計に胸が締め付けられるような気がした。

「わたしの所為かもしれない……ヴェステンが死にそうなのも、お母さんが死んじゃったのも、全部全部わたしの所為かもしれない」

「そんなこと、あるわけないだろう」

 少し先を歩くお父さんが足を止めて、わたしを振り返った。わたしも脚を止める。

「あるの、ずっと、ずーっと秘密にしてたことだけど、わたし魔女なの」

 巻き込みたくないから秘密にしていたこと、それを話せばお父さんも巻き込んでしまうかもしれない。でも、お母さんを失った辛さは、お父さんだって同じ。そして、今また大切な家族を失おうとしているのに、その真相を知らないままで居ていいはずがない。信じてもらえるかどうかよりも、真実を話したかった。

「何の冗談なんだ、東子?」

「冗談なんかじゃない、わたし魔法が使えるの。見てて、今見せてあげるから!」

 わたしは、目頭にたまりかけた涙を拭って、手のひらを高く天に向けてかざした。魔法の杖である、こうもり傘がなくたって、簡単な魔法なら唱えられる。わたしは、精一杯森の空気を吸い込んだ。

「緑の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、風の矢となれ……ヴィント・プファイル!」

 だけど、魔法の言葉を叫んでみても、いっこうに風の槍は現れない。そよ風さえも起こらない。

「おかしいな……緑の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、風の矢となれ……ヴィント・プファイル!」

 だめ、全然魔法が発動しない。魔力が足りないの? ううん、そんなことはない。体の奥で魔力が満ち足りていることは感じる。必要以上の重さもだるさもない。それなのに「白の魔法」が発生しない。わたしは躍起になって、何度も魔法の言葉を叫び続けた。

 お父さんは、すっかり目を丸くして驚き、そして心配そうにわたしの顔を見る。もしかして、娘は頭の打ち所が悪かったんじゃないだろうか、と言いたげなのが、ありありとしていた。

「違うの。ちょっと、調子が悪いだけ。ちゃんと、使えるんだよ。ヴェステンにいっぱい教えてもらったの」

「ヴェステンに? 何をいってるんだ、ヴェステンは猫じゃないか。猫に何を教わるんだ、東子」

「ヴェステンは、猫じゃなくて、ワルブルガの使い。古くから、ヨーロッパにある秘密結社で作られた、魔法の生き物なの。それで、わたしたちを襲ったのは、トイフェルっていう魔物。ううん、そもそも、すべてはわたしが、トーコの生まれ変わりで、ヨハネスの敵だから、その所為でお母さんは、その魔物に殺されたの、だから、全部わたしの所為」

 わたしがそう言うと、お父さんはますます困った顔をした。そりゃ、そうだよ。突然魔法だとか言われて、どう返答したらいいのか困ってしまうのは当たり前。逆の立場なら、わたしは大笑いしていたに違いない。

「信じて、お父さん!」

「東子、ヴェスのために何かしてやりたいと言う気持ちは分かるが、東子がしてやれることなんて何もない。ヴェスのことは、お医者さんに任せて、お前やヴェスにひどいことをした犯人は、浜名さんたち警察にに任せよう。お前は、一日でも早く、元通り元気にならなくちゃ。だから、全部自分の所為だ、なんて言っちゃダメだ」

「お父さん……」

 魔法だなんて、あまりにも荒唐無稽すぎる。漫画や映画の世界じゃないんだ。普通の大人なら、そんな話信じてくれるはずがない。まして、お父さんは真面目な公務員らしく、とても現実的な人だ。「魔女の家」に引っ越してきたとき、幽霊が出ないかな、なんて笑って言っていたけど、それはただの空元気だ。本当は、幽霊なんて信じていない。そんなお父さんに、真実を伝えるには、わたしは言葉足らずだった。

 お父さんは踵を返すと、そのまま家の方へと歩いていってしまった。わたしは、その背中を見つめながら、信じてもらえなかったことに、少しだけ安堵している自分に気付いた。

 ヨハネスがどんな目的で、ノインテーターを放ったのかはわからない。ノインテーターの言っていたことには、いくつか意味のよく分からないこともあった。だけど、確かなのは、ヨハネスの命令でノインテーターがお母さんを殺し、そしてヴェステンにひどいことをしたんだ。そして、ヨハネスは、わたしの敵。すべての原因ががトイフェルとヨハネスにあって、わたしに根ざしている。わたしは、ヨハネスとノインテーターを憎む以上に、自分の運命を呪っていた。

 そんなわたしの所為で、お母さんが死んだと知れば、お父さんはきっとわたしのことを許してくれない。親不孝者だと思うかもしれない。充分親不孝なわたしは、わたしの手で復讐するしかない。許せない相手を、殺すしかない……そのために、成すべきこと。分かってる。何をすればいいのか、どうすればいいのか、病院のベッドで、何時間も考えたんだ。

 ぎゅっと、拳を握り締めたわたしは、急ぎ足でお父さんの後を追いかけた。


 三日前、ノインテーターが去っていった後、玄関にヴェステンと一緒に転がっていたはずのイルリヒトを、地下室に戻してくれたのは誰だったのか……それをイルリヒトに聞くことをわたしは忘れていた。

 あたりは、すっかり夜に閉ざされ、夕方までは晴れていた空に、いつの間にか厚ぼったい雲が覆いかぶさっていた。一寸先は闇、と言えるほど不気味な夜道を、わたしはひたすらに走った。

「トーコ姐さん、ワイを何処へ連れて行くつもりなんや!?」

 わたしの手元で、イルリヒトが叫ぶ。走るたびに、カンテラの中がゆれ、心なしかイルリヒトは酔っているみたいに、気分の悪そうな顔をしていた。それでも、イルリヒトのオレンジ色の明かりは、街灯もない田園の路で、懐中電灯の役目を果たしてくれる。

「しっ! 静かにして!」

 そう言うと、わたしは一心不乱に田園を走る路を、住宅街目指して走り抜けた。リビングで難しい顔をしているお父さんの眼を盗んで、部屋から抜け出したわたしは、地下室に忍び込み、イルリヒトごとカンテラを持ち出し、家を出た。家を出てすぐに、わたしは携帯で、彼を呼び出した。「三十分後、住宅街にある公園に来て欲しい」と言うと、彼は何でだよと、ぶっきらぼうに言いながらも了承してくれた。

 すべては、彼に会うことで始まる。これまでに知り得た情報だけを頼りに、わたしは一つだけ、回答を得ていた。それが、間違っているのか居ないのかを確かめるためには、無理強いてでも、彼に直接会わなくちゃいけなかった。

 やがて、田園を抜けると、住宅街とその向こうの繁華の明かりが見えてくる。わたしは、四角く区切られた路を何度か曲がりながら、公園へと向かった。そこは、公園と言っても、質素なベンチと生垣があるだけの、憩いの場。周囲を見渡して、待ち人がまだ来ていないことを確かめると、わたしは息を整えるために、ベンチに腰を下ろした。

「トーコ姐さん、どうするつもりや? まさか、また黒の魔法を使うつもりじゃないやろな!?」

「使うよ」とわたしが答えると、イルリヒトはカンテラの中でプルプルと震えた。そして、声を荒げる。

「姐さんは、白の魔法使いや! そんなことをしたら、あの黒毛玉かて、悲しむで!」

「悲しんだって死んじゃったら終わりだよ……わたしは、ヴェスを死なせたくないの。ヴェスのために、黒の魔法を使う。そして、ノインテーターをこの手で殺してやるんだ。お母さんの仇をとるんだ」

 わたしは傍らのイルリヒトを睨んだ。これ以上無駄な会話なんかしたくないわたしの視線に、射すくめられたイルリヒトは、シュルシュルと小さくなり、それ以上何も言わなかった。

 そうして、五分ほど冷たい沈黙が続いた後、公園に誰かの足音が響いた。わたしは、急いでイルリヒトのカンテラを持ち上げると、ベンチから立ち上がった。

「まったく、この公園、家から遠いんだぞ」

 そんな愚痴を言いながらこちらに向かって歩いてくるのは、わたしが電話で呼び出した……阿南くんだった。

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