36. トーコとお母さん
わたしは、お父さんのこともお母さんのことも大好きだった。お父さんは、真面目で面白味のない人という周囲の人からの、ありがたくない評価を受けるような、画に書いた公務員肌のひと。一方お母さんは、陽気な人で、細かいことにくよくよしない強さと明るさを持っていた。
二人は、水と油みたいな存在で、どうして結婚したのか、今でもそれだけはよく分からない。一度だけ、それを尋ねたことがある。すると、お母さんは、少し照れたように笑って、「そりゃ、あたしがお父さんのことを大好きだからだよ」と言った。まだ、二桁にも満たない歳のわたしには、分かったような分からないような答えだった。確かに、お父さんとお母さんが夫婦喧嘩しているところを、わたしは一度も見たことがない。そういった意味では、わたしは裕福ではなくても、とても幸せな家庭に生まれ、お父さんとお母さんの優しさに包まれていた。この幸せは、ずっと、ずーっと続くものだと思っていた。
その日は、朝から雨だった。季節外れのしとしとと降り続く、何だか悲しげな雨の中、まだ着慣れない中学校の制服で学校から家に帰ると、リビングの食卓にお母さんからのメモがあった。
『買い物に行ってきます。今夜は、トーコの大好物よ、期待して待ってなさい!』
お母さんらしい、丸文字にわたしは苦笑してしまう。普段はお父さんよりサバサバしてるのに、書き文字は女の子見たいに可愛らしい。お母さんは、パート職員として、週に四日だけ働いている。今日はお休みの日だったと思いながら、いつも通り制服を着替えて、宿題をこなし、おやつをつまみながら、夕方の時代劇をぼんやりと眺めていると、そのうちにうとうとして眠ってしまった。
どのくらい夢の中に居ただろう、突然肩を揺らされて眼を覚ます。お母さんが帰ってきたのかな、そんな風に思っていると、ぼやけた視界にお父さんが立っていた。
「おい、東子。お母さんは、どうした?」
ビシッとしたスーツ姿のお父さんが、首をかしげる。わたしがテーブルの上のメモを差し出すと、お父さんは困った顔をして、
「買い物って……何処まで行ったんだ、今日子のやつ」
と言った。お母さんが帰ってこないと、わたしたちは飢えてしまう。それと言うのも、お父さんは料理がだいの苦手で、カップ麺意外の料理は、一瞬でゲテモノに変えてしまえるほど、料理の神様に嫌われた人だった。わたしも、今でこそ料理が得意になってしまったけれど、その頃はまだ、家事は苦手分野の一つという、ごくありふれた女の子だった。
リビングの掛け時計を見れば、すでに時刻は八時を廻っている。わたしが学校からかえって、もう何時間が過ぎたかわからないくらい。いくらなんでも、遅すぎる。わたしまで困り果ててしまいながら、わたしとお父さんはお母さんの帰りを待った。
そして、それから三十分位して、突然けたたましい電話のベルが鳴り響いた。その時、わたしの胸の奥に不安が過ぎったのを今でも、鮮明に覚えている。電話には、お父さんが出た。
「はい、中野です。はい……今日子は私の妻ですが。はい、はい。え?」
受話器の向こうの声はよく聞き取れなかったけれど、電話の相手はお母さんではないみたいだった。そして、突然お父さんの声のトーンが変わる。少し神経質そうに見える眉間に、ぐっとシワが寄り、普段から顔色が悪いなんて言われる顔が真っ青になる。額には、脂汗が滲み出し、必死に何かを電話のそばに置かれたメモ帳に書きとめた。
「はい、すぐに参ります!」
そう言うと、お父さんは無造作に受話器を置いた。そして、しばらくの間天井を見上げた。きっと、受話器の向こうの人に告げられたことを、反芻し確かめていたのかもしれない。わたしは、痺れを切らして「どうしたの、誰からの電話?」と問いかけると、お父さんは真っ青な顔のまま、おもむろにわたしの方を向いた。
「警察の人からだ。今日子が……お母さんが事故に遭ったんだ。それで、今すぐ来て欲しいって」
「えっ、ええ!? ソレ、ホントに? 冗談じゃなくて?」
お父さんは冗談なんか言う人じゃないと、分かっているのに、問い返さずにはいられなかった。お父さんは「こんなときに冗談なんか言えるか」と返すと、いつもの冷静さなんてどこかへ置き忘れたように、慌てふためき、取るものもとりあえず、わたしの手を引っ張って雨の中を駆け出した。
大通りでタクシーを拾って、警察の人に教えてもらった病院へ向かう。車内で、お父さんはずっとイライラしっぱなしだった。一方のわたしは、状況がまったく飲み込めず、ただ窓の外で雨に霞んだ夜の町並みを見つめていた。
二十分くらいで病院へたどり着くと、玄関口に若い男の人が立っていて、タクシーを降りてくるわたしたちの姿をみつけ、小走りに駆け寄ってきた。雨にびしょぬれになったコートは少しだけよれており、警察バッヂを見せてくれなかったら、その人が刑事さんだなんて気付かなかったかもしれない。
「中野さんですか? 私、警視庁の浜名鉄雄と申します」
「妻はっ!? 妻は無事なんでしょうかっ」
わたしの手をぎゅっと握り締めるお父さんの手に力こもって、痛かった。浜名さんは、深刻な顔をして答えを濁すと、わたしたちを病院の奥へと案内してくれた。入り口から一番遠い場所に、救命救急センターはあって、自動扉をくぐると、お医者さんや看護師さんが、忙しなく廊下を走り回っていて、その突き当たりに、処置の終わった人のベッドがいくつも並ぶ部屋があった。わたしとお父さんは、その部屋に入るなり、その足を止めてしまう。
部屋の隅で白いカーテンに仕切られた場所、そこだけ雰囲気が違った。濃いブルーの手術着に身を包んだお医者さんがや看護士さんが、一つのベッドを取り囲んでいた。沈痛な面持ちの彼らが、嘆息と一緒に吐き出したのは、
「全力を尽くしましたが、申し訳ありません」
という、やや諦めにも似た謝罪だった。お医者さんたちだって、頑張ってくれたんだもの、謝ることなんてない。でも、血の滲んだ包帯にぐるぐる巻きにされ、何本ものチューブに繋がれたお母さんの姿を目の当たりにすれば、わたしもお父さんも冷静じゃいられなかった。
これでもかってくらい胸を締め付けられて、息が出来なくなる。目の前が、震度六以上の地震でも起きたようにゆらゆらと揺れる。頭の中で、これは現実のことじゃないんだと、身勝手な納得をしようとしても、弱々しく胸を上下する、お母さんの目がうっすらと開けば、それがまぎれもなく現実のことなんだって、思い知らされた。
「トーコ……」
お母さんの目じりからこぼれた涙は、最後の命の光。お別れの瞬間なんだと思うと、わたしの目からもぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「ごめんね、トーコ。もう、あんたの傍に居てやれない。だけど、強く生きていくんだよ」
そっと、お母さんの手がわたしの髪に触れた。その温もりも、優しさも、すべてこれが最後。わたしは、ただただ、泣きじゃくった。死なないで、ずっと一緒に居て、お母さん!
「あんたは昔から、甘えん坊だからねえ。でも、あたしは天国からずっと、トーコのことを見守っているから。辛くても、寂しくても、笑顔を絶やさないで。お母さんの最後のお願いよ」
そう言ったお母さんの手から、力が抜け落ちる。どこかへすっと消えていくように……。
「お母さん! お母さん! やだよう……おかあさんっ」
人が死ぬなんて、身近にあることじゃない。まして、わたしは中学生になったばかり。お誕生日を前に、わたしはまだ十二歳で、死なんて言葉は、どこか無縁の存在だった。だけど、つい半日前まで元気でいつもと変わらなかったお母さんが、目の前でお母さんが息を引き取ったとき、それは、突然に身近なものとなり、気がつけば、二度とその手でわたしを撫でてくれない。優しい笑顔を見せてくれないと思うと、何もかもが絶望に変わったような気がした。
それが、運命として決まっていることじゃなければ尚更だ。お母さんが静かに旅立ってすぐに、お父さんは浜名さんから事のあらましを聞いた。
夕飯の材料を買い込んだお母さんは、お店の出口で知り合いの小母さんに捕まった。近所でも、世間話好きで通ってる小母さんと、話し込むうちに帰りが遅くなってしまい、お母さんは路地裏を掻い潜って、薄暗い帰宅の路を急いでいた。と、その時、突然に誰かに襲われた。顔も声も聞かぬうちに、お母さんは何度も刃物で切りつけられ、腕に数字の『9』の焼印を押されたのだ。
すぐに、お母さんの悲鳴を聞いた人が駆けつけてくれて、救急車を呼んでくれたのだけど、結局間に合わなかった。
「体の外傷自体は、数は多いですが、どれも致命傷ではありません。ただ、どんなに止血をしても、傷からは血が止まることはなく、申し訳ありません。手は尽くしたのですが、現代の医学では手の施しようもなく……」
失血という、お医者さんたちの結論を聞かれるお父さんの顔は、ひどくうつろで、心ここにあらずだった。わたしはと言えばずっと、泣きじゃくっていた。
今にしてみれば、その犯人は人間ではなくて、お母さんが助からなかったのも、死を宣告する『9』の刻印の所為だったのだ。だけど、それを知らなかったわたしは、受け入れるにはあまりにも唐突過ぎる事件に、胸が張り裂けそうだった。
事件はすぐに大きな話題となった。わたしたちの住んでいたF市は、都会と呼ばれるほど大きな街で、その街の真ん中で起きた通り魔事件は、さまざまな憶測を呼び、わたしの家は報道関係の人に取り囲まれ、お母さんが事件に逢う前にお話していた小母さんも、毎日インタビュー攻めを受けていた。
特に、人々の興味を引いたのが、お母さんの血が止まらなかったと言うことと、腕に刻まれた『9』の刻印だった。わたしたちにとっては、ただ辛いだけの事実も、無関係の人にとって見れば、ミステリー小説でも読んでいるような気分だったのかもしれない。
だけど、何日経っても、一向に犯人像も浮かんでこなければ、手口も分からない。もはやこれは事件ではなくて、事故だったのかもしれないと、音を上げ始める刑事さんも居た。そんな中、浜名さんだけは、とても真面目な刑事さんで、毎日のようにわたしたちに励ましと、捜査の状況を電話口で伝えてくれた。大学を出て初めて担当した大きな事件、と言うこともあってか、中々犯人を捕まえられないことへの、警察官としての責任を感じているみたいだった。
そうして、ある日、そろそろ事件を話題にすることに飽き始めたテレビが、噂に尾ひれをつけてこんなことを言い始めた。
『いやあ、奇怪な事件ですよ。巷ではウィルス説まで流れているくらいなのですから』
『ウィルス説、と申しますと?』
『被害者の中野今日子さんは、血友病などの既往歴もないにもかかわらず、血が止まらなかった。さらに、ご遺体は、半日ほどで腐敗を始めたそうなんです。そのどちらも、細菌やウィルスによるものと考えるのが妥当でしょう』
『では、「9」の焼印は?』
『たとえば、ウィルスの注入痕とか、腫れがそのように見えたのか。いずれにしても、ウィルステロではないでしょうが、すでに誰かの体にウィルスが感染している可能性も視野に入れ、行政は防疫体制を整えるべきでしょう』
『それは多少、荒唐無稽ではありませんか?』
『いやいや、それが……』
確かに言っていることは間違いじゃないかもしれない、でも無責任すぎるコメンテーターさんの発言に、司会者は少し困った顔をしていた。
分からないことが多すぎれば、人の心は、どこかで折り合いをつけたいと思うようになる。たとえ、それがどんなに「おかしなもの」であっても、何とかして納得できる「答え」がほしくなる。そうして、お母さんの事件は、ただの通り魔事件から、好奇の眼で見られる事件へと変わってしまった。残された、わたしとお父さんの気持ちも知らずに……。
わたしには、幼稚園の頃から、とても仲のよかった友達がいる。小野川冬香。その子は、名前とは裏腹に、夏の太陽のように明るい女の子だった。辛いことや悲しいことをお互いに分け合えるような、友達だった。だから、お母さんが死んだ後、冬香は真っ先にわたしを励まして、慰めて、一緒に泣いてくれた。そのときほど、友達が居てくれることがこんなにありがたいものだと思ったことはない。そんな親友に、いつか、恩返しする日が来たなら、わたしは全力で冬香のために出来ることをしたい。そう思っていた。
だけど、事件からひと月が過ぎた頃。いつも通り、学校に向かい、いつも通り、教室の扉を開いたわたしは、いつも通り「おはよう」と冬香に声をかけた。でも、どこかぎこちない返事。逃げるような視線。それは、昨日までとは違う態度。
やがて、教室中がそういう空気に包まれ、わたしに声をかけるクラスメイトは居なくなり、わたしは教室の隅に、ぽつんと残されたような、疎外感と孤独感を感じずにはいられなかった。だから、放課後、冬香を捕まえて、どういうことなのか問いかけた。すると、冬香が見せたのは、怯えたような目つきと、苛立ちの積もったような金切り声。
「来ないで! へんなビョーキがうつるじゃないっ!」
そう言い放つと、冬香はあっというまに逃げていった。わたしは、愕然とするしかなかった。
冬香が突然態度を翻したのは、テレビの笑い話のような「ウィルス説」を鵜呑みにしただけじゃない。クラス中、ううん、わたしを知っている人がみんな、お母さんの不可解な死の真相に「もしかしたら……」と思った。そういう、思いが一つになって、わたしに関わりたくないという結論を導いたんだと思う。きっと、冬香はわたしの味方をして、自分がクラスで疎外されるような立場になりたくなかったんだ。だから、わたしではなくてクラスのみんなを選んで、わたしを突き放した。
そのことをわたしは責めることが出来ない。したくない。でも、親友に裏切られたような気分は、わたしを絶望のどん底に落とすには充分すぎた。
毎日が暗闇の中を歩いているみたいだった。何処まで行っても出口なんか見えない。ごつごつした岩肌のトンネルを右も左も分からないまま、ただ歩き続ける。そんな気分だった。お父さんはげっそりと痩せてしまい、毎日お母さんの遺影を見つめては泣いている。それだけ、お父さんとお母さんはお互いのことが大好きだったんだ。そんなお父さんの姿を見るのは、辛すぎた。
『辛くても、寂しくても、笑顔を絶やさないで。お母さんの最後のお願いよ』
わたしは、その言葉を胸に、無理やり笑った。毎日暗闇の中で、ニコニコ笑った。そうした心の齟齬は、わたしを蝕み続けた。
そして、事件から二ヵ月半が過ぎたある日、浜名さんが家にやって来た。浜名さんは頭を床につけて、謝った。
「すみません。俺の力が足りないばかりに!」
それは、ちょうど捜査が行き詰まり、捜査本部が縮小化された翌日のことだった。テレビニュースやワイドショーでも、もうすでにお母さんの事件は取り上げられることはなくなり、今は芸能人の結婚の話題や、政治家の汚職問題で盛り上がっている。
それは、別に浜名さんが悪いわけじゃない。警察の人たちは、日夜犯人を捜してくれた。わたしたちのため、ひいては警察官の正義と使命の為。
だけど、偽ものの笑顔と悲しみの毎日に疲れきっていたわたしの、鬱憤が突然爆発してしまった。まるで、浜名さんが悪いみたいに、何度も何度も口汚く責め立てて、最後にわたしは、
「わたし、犯人もあなたも許さないっ!!」
と金切り声を上げて、お父さんに叱られた。浜名さんは、泣き出しそうな顔をして、それでも何度も何度もわたしに謝った。そして、まだ事件は終わってない、絶対にぼくが犯人を見つけてみせると、約束してくれたのに、ひねくれかけたわたしの心は、ずっと浜名さんを睨みつけていた。
これから長い間、わたしたちはお母さんの想い出を胸に、ひたすら悲しくて辛い生活を送っていかなければならない、そう思うと、どこかに、誰かに怒りの矛先を向けて、ぶつけたかったのかもしれない。
そうして、三ヶ月が過ぎたある日、お父さんはわたしに「思い出ばかりのこの家を売って、引越しをしようと思うんだ」と切り出した。
「何処へ?」と、尋ねると、お父さんは三ヶ月ぶりの笑顔を見せた。その笑顔は、たとえ空元気の笑顔だったとしても、多分わたしの知る限り一番輝いていた。
「実はもう決めてあるんだ! 明日、学校休んで、一緒に新しい家を見に行くぞ!」
そう言って、無理やりわたしは引越し先の家に向かうことになった。内心学校なんて行きたくなかったし。孤独な教室で誰も見てくれないのに、笑顔でいるのは、すごく嫌だった。
そうして、「今日から、ここが俺たちの住まいだ!!」と連れて来られたのが「魔女の家」と呼ばれる森の奥にある古びた洋館だった。すでに、荷物は運び込まれていて、わたしの転校の手続きまで終わっていた。
息巻くお父さんに気おされたわたしは、引越しに少しだけ反対だった。何だか、お母さんとの想い出を捨ててしまうような気がしていた。でも、お父さんの笑顔を見ていると、少しでもこの暗闇のトンネルを抜け出すためには、思い出を捨てることも必要なのかもしれない。捨てると言っても、なくなってしまうわけじゃない。わたしの胸には、ちゃんとお母さんの娘として過ごした月日が刻まれている。それをわたしが忘れなければいいだけだ。
「いいか、東子。これからは、父さんと二人、母さんの分まで強く生きていこう……」
お父さんは、引越しすることを観念したわたしに言った。わたしは、その時ようやく暗闇の出口を見つけたような気がした。空元気でも笑っていよう。そう心に決めた。だから、綾ちゃんの前でも、阿南くんの前でも、ヴェステンの前でも、ソフィの前でも、クラスメイトの前でも、笑顔で明るく振舞った。
なのに、トンネルの出口で待っていたのは、その名をノインテーターと名乗る、お母さんを傷つけ殺した殺人鬼だった。心に湧き起こる感情は、再び、わたしを暗がりのトンネルに引き戻した。
お母さんの仇をとるんだ。絶対に許さない。わたしは、暗がりのトンネルの一番深いところで、心に誓った……。
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