35. 思いつめた顔
「では、犯人の顔はよく見ていないんだね?」
わたしの顔を覗き込むように、浜名さんが尋ねた。わたしは嘘を付いている自覚があって、その問いかけに頷くとすぐに、視線をそらした。病室の丸椅子に腰掛けて、手帳にわたしの証言を必死に書き込む浜名さんの隣には、わたしの微動さえも見逃さないと、鋭い眼光があった。
以前、浜名さんが会話の中で口にした、先輩の進藤刑事だというのは、貰った名刺で分かった。わたしへの質問は、専ら顔見知りでもあり、母の事件を担当していた浜名さんがして、進藤刑事はわたしの監視をしているみたいで、少し怖い。
慌てて、視線を窓の外に移す。ここは、五階の個室病室で、眼下には病院の広い庭。木々が、夏の名残の太陽に、少しだけうなだれている。残暑は厳しく、秋と言うにはまだ日中は暑さに気が滅入ってしまうのは、わたしたち人間も同じだった。
現に、浜名さんたちは、病室に入ってくるなりスーツの上着を脱いで、冷房の風に向かって「やあ、熱いのは苦手でね」なんて、わたしの緊張をほぐすように笑って見せた。
ノインテーターに負けて何も出来ないままブラックアウトした後、わたしの意識が目覚めたのは、真っ白な壁と真っ白な天井、薬臭い空気が充満した、病室だった。わたしの腕には点滴の管が通され、怪我をした場所にはガーゼと包帯が貼り付けられていた。眼を覚ましたわたしの視界に最初に飛び込んできたのは、お父さんの泣きそうな顔だった。ぶしつけに「何があったんだ?」とお父さんが聞くのも、無理はない。仕事から帰ってみれば、玄関の扉は全壊していて、玄関ホールもあらされ放題。天井には穴が開き、それらの残骸と思しき破片が飛び散る中、わたしのぐったりとした姿を見つけたお父さんは、血相を抱えて、救急車を呼んだらしい。そうして、わたしはこの病院に運び込まれた。
幸い怪我はたいしたことはなかったものの、ただ事故があったとは思えない状況に、わたしの手当てが終わった後、警察にも通報した。そうして、瓦礫と化した玄関扉の残骸の中に、血まみれのヴェステンを見つけた。ほとんど重体だったけど、かすかに息はあり、わたしが病院に運び込まれるのと時を同じくして、近所の動物病院へ運び込まれた。今更再確認するほどのことでもないけれど、ヴェスはワルブルガがトーコ(わたしじゃなくて前世のトーコ)をサポートさせるために魔法で作り上げた使い魔だ。猫の姿をしているけれど、普通の生き物じゃない。だから、大怪我を負ったとしても、その傷を自ら癒し、死んでしまうことはない。それなのに、ヴェステンは死の淵を彷徨っていた。それは、ヴェステンのお腹に押印された「9」焼印の所為だ。それが徐々に広がり、ヴェステンの命を確実に蝕んでいた。
「9」の刻印。それは、全国で起きている連続殺人事件の犯人が、被害者に施す刻印。浜名さんたち警察が、場所も時間も異なるいくつ者事件を結びつけ、一連の事件として捜査を再開したのも、被害者に「9」の刻印が刻まれていたからだ。施された刻印はまるで、テレビドラマとかでよく目にする愉快犯が、犯罪の自己顕示をするためにそのサインを残しているようなもの。だけど、それはただのサインなんかじゃなくて、ノインテーターが刻む「死」を意味する刻印でもある。だから、不死身のはずのヴェステンの命は危ういんだ。もしも、今すぐ動けるものなら、ヴェスの傍に駆けつけたい。わたしのパートナーの傍にいて、「がんばれ」って声をかけてあげたい。
でも、わたしも満身創痍だった。思うよりわたしの怪我の具合はひどくて、全身が疲労と痛みに包まれて、ベッドから身動きの取れない状態で、無駄とも思える時間を過ごした。
そうしている内に事件を聞きつけた浜名さんたちが、わたしの病室にやって来た。本当は、刻印を刻んだのが、ノインテーターと名乗った、人外の生き物、トイフェルであることをわたしは知っている。そして、ノインテーターこそが、享楽的に人を殺め、浜名さんたちを悩ませている殺人鬼の正体だと言うことも。だけど、知っていることはすべて話さなかった。
何があったのか。犯人は誰なのか。すべて「知らない」「分からない」「覚えていない」と嘘をついた。お父さんに尋ねられたときにも、わたしは嘘を吐いた。話してしまえば、警察は科学では証明の出来ないものと戦わなければならなくなるし、大好きなお父さんまで、巻き込んでしまうことになる。
ううん。ちがう。建前なんてどうでもいい。わたしは、わたしの手で、仇をとりたいんだ。警察にも、お父さんにも期待なんかしない。トイフェルのあいつを殺せるのは、わたししか居ない。たとえ、闇の力に飲み込まれたって構わない……。
「そうか。いや、時間をとらせてしまって悪かったね。また、色々と思い出してもらわなきゃいけないこともあるかもしれないけれど、今は、怪我を治して」
ニッコリと優しく微笑みながら、そう言うと、浜名さんは手帳を閉じて、丸椅子から立ち上がった。
「一つだけ……」
と、唐突に進藤刑事が口を開く。
「キミは、嘘を吐いたりしていないよな? 本当は、犯人の顔を見ていて、その誰かを庇ったり……もしくは、自分の手で何とかしよう、なんて愚かなことを考えていたりしないよな」
「う、ウソなんか、吐いてません!」
進藤刑事の刀の切っ先のように鋭い眼光に射すくめられ、ドキッとしながらも、わたしは立て付くように怒鳴った。でも、進藤刑事の視線は辛辣なままだ。
「この世には、科学や理論では計り知れないことが沢山あるんだ。私はそういうものをよく知っている。もちろん、一般的なお話をしているだけだが、そういうものに、キミのような女の子が立ち向かうなんて無謀だ。それを人は『ばんゆう』と呼ぶ」
「ばんゆう……?」
「野蛮な勇気。例え、キミがそれらと戦う術を持っているとしても、たった独りで戦うことを、大人として、警察官として勧めたりはしない。もしも、キミが嘘を吐いているなら、今のうちに正直に話して欲しい」
どことなく、訳知り顔で話す進藤刑事の口調には重みがあった。もっとも、進藤さんの話していることは、一般論を小難しく言っているだけで、魔法だとかトイフェルだとか、そういうものを知っていて言っているわけではないと思う。
「先輩! トーコちゃんが嘘つき見たいな言い方! いくらなんでもそれは、ひどいですよ!」
と、浜名さんが眉間にしわを寄せて、わたしの代わりに苦言を呈してくれた。進藤刑事は、浜名さんの勢いに気おされつつ、厳しい顔を少しだけ和らげた。
「いや、失礼! 警察官と言う仕事柄、誰でも疑ってしまうのが性分でね。気分を悪くしたなら謝る。すまなかった。しかし、浜名……お前この子のこととなると、妙に入れ込むなあ」
「そりゃ、ボクが警官になってはじめて担当した、大きな事件なんです。しかも、未解決のまま、もうすでに半年も過ぎています。責任を感じないわけないじゃないですか」
「そうか、それもそうだな。クソがつくくらい、真面目すぎるお前らしいな」
フッと笑って、進藤刑事は再びわたしの方に顔を向けた。その表情に、さっきまでの厳しさはなく、浜名さんと同じ、優しい大人の人の笑顔になっていた。
「とにかく、お大事に。事件のことは、我々に任せて欲しい。必ず、犯人を捕まえてみせる」
「じゃあ、今日はこのくらいで」
と、二人の刑事さんは踵を返した。本当なら、頼りになる広いその背中も、相手がトイフェルなら頼りになんか出来ない。わたしは、病室を去るその背中から視線をそらした。
浜名さんたちが病室から去ると、静けさを取り戻した室内は、壁や天井の白さを際立てる。遠くでかすかに聞こえる、院内放送に耳を傾けながら、わたしはベッドに横たわった。お父さんは、ここ数日間、お仕事をお休みしている。毎日、わたしの入院するこの病院と、ヴェステンの入院する動物病院、更には警察での事情聴取や家の修理に駆り立てられて、休む暇もなく「てんてこまい」といった様子だった。今頃は、ヴェスの様子を看に行っている頃だろうか……。ヴェステン、大丈夫かな。そんなことを思いながら、そっと瞳を閉じた。少し眠ろう……、あいつを探して、殺すために、鋭気を養わなくちゃ。
でも、結局睡魔は来ないまま、ぼんやりとした時間が流れて行き、やがて、病室に差し込む日差しが柔らかくなり、白い壁がオレンジ色に染まる頃、突如病室のドアがノックもなしに開かれた。わたしが驚いて、ベッドから飛び起きると、息急き切らして綾ちゃんが飛び込んできた。
「トーコちゃん!!」
学校の帰りなのかしら、見慣れた制服姿の綾ちゃんの胸には、わたしがプレゼントした星型の貝殻のペンダントが、光っていた。
「大丈夫? 怪我は……」
と、言いかけて、包帯の巻かれたわたしの頭と腕を見て、綾ちゃんが青ざめる。わたしは努めて笑顔を装った。
「ご覧の通りだよ。腕と頭に少し、あと、打ち身と、肋骨がひとつ折れてたみたい」
「笑い事じゃないよう!! ごめんね、わたしが森の入り口で別れずに、ちゃんとお家までついていけば良かったの。そうすれば」
「そうすれば、ノインテーターは、綾ちゃんにも危害を加えた」
わたしが静かに言うと、すこしだけびっくりした顔をして、綾ちゃんが口元を覆う。
「ノインテーターって、もしかしてトイフェル!?」
「うん。そうだよ」
「警察の人にはちゃんとそのことを話したの?」
わたしが首を左右に振るのを横目に見ながら、綾ちゃんは、浜名さんが座っていた丸椅子に腰掛けた。
「話しても、信じてもらえるかどうか分からない。魔法だとか、トイフェルだとか言っても、ヴェスと出会う前のわたしなら、笑い事だって思ったはずだよ。それに、もしも信じてもらえても、浜名さんには何も出来ない。トイフェルに立ち向かえるのは、魔法しかないんだから」
そう言って、わたしは綾ちゃんからも視線を逸らした。綾ちゃんは心なしか不安そうな顔をする。その顔にいつもの笑顔はなくて、ただただ、親友を気遣う気持ちだけが見え隠れしていた。なのに、決意を揺るがせにしたくないわたしは、それに気付いていないフリを決め込んだ。わたしはわたしの手で、あいつをこの世から葬り去ってやるんだ。そのことをお母さんもきっと望んでる。
「結宇も心配してた。『お見舞いなんか面倒くさい』なんて言ってたけど、授業中ずっとトーコちゃんの席を見つめてたんだよ。不器用だよね、結宇ってば……。でも、トーコちゃんの方がもっと不器用なのかもしれない」
「え?」
「だって、すごく思いつめた顔してるよ」
綾ちゃんは、声のトーンを落として、わたしの泳ぐ眼を追いかけた。わたしは、逃げ場のない視線を綾ちゃんの胸に光る、ペンダントに落とした。その星型の貝殻を海で拾ったとき、こんなことになるとは夢にも思っていなかった。お母さんの仇が目の前に現れて、そいつがトイフェルで、完膚なき力の差を思い知らされて、いつも生意気なヴェスが死にそうになるなんて……。
そういえば、メーアヴァイパーが言っていた。
『彼に逢うその日がきて、その優しき心が憎悪に満たされるのを、楽しみにしています』
彼とは、ノインテーターのことだったのだろうか。だとすれば、あれは予言だったのだろうか。ううん、そんなことどうだっていいんだ。
「ほら、また怖い顔してる」
唐突に綾ちゃんが言って、わたしは思わず両手で自分の顔を触ってみた。
「ねえ、どうして、そんなに思いつめてるの? ヴェスくんが怪我をしたから? トイフェルに負けたから? 話してよ、わたしたち友達でしょ。話したら、楽になることもあるかもしれない、わたしに協力できることがあるかもしれない」
優しく綾ちゃんがわたしの手を取って、微笑む。やっぱり、その笑顔はズルイよ。わたしは、手のひらに伝わるぬくもりを確かめながら、おもむろに口を開いた。
「聞いて楽しい話じゃないし、きっと綾ちゃんに出来ることなんて一つもない。それでも、聞いてくれる?」
わたしは友達甲斐のない前置きをしてから、ゆっくりと記憶を辿った。それは、お父さんが突然に「魔女の家」に引っ越すと言ったあの日から、遡ること三ヶ月前。わたしとわたしの家族三人に、突然訪れた出来事の話……。
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