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33. 黒の魔法

 地面に闇の空間が口を開き、ノインテーターの怒りを体現するような、雷のスパイクが隆起する。わたしは、カンテラを加えたヴェステンのお腹を掴んで掬い上げ、飛び退いた。

「青の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、水の盾となれ……ヴァッサー・バックラー!」

 蛇のように迫り来る雷のスパイクに、水の盾をぶつける。薄い水の皮膜に放電は包み込まれるように消えうせる。だけど、ノインテーターはうろたえたりなんかしない。

「アイン! ツヴァイ!」

 ノインテーターの掛け声にあわせて、一本、また一本と雷のスパイク現れ、地面をえぐり、泥を跳ね上げた。そして、「ゼクス!」の掛け声とともに、シャボン玉が弾けとぶように、わたしたちの周りを包み込んだ水の盾がなくなる。

「緑の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、風の槍となれ……ヴィント・ランツェ!」

 わたしはとっさの判断で、地面めがけて風の槍を放った。風の槍は地面をえぐって、わたしの体を高く浮き上がらせる。一足違いで、闇の空間から突出してきた雷のスパイクが、わたしのスニーカーの底を焼き焦がした。その反動で、バランスを崩したまま、わたしは地面に落ちた。

 制服も鞄もスカートも、みんな泥まみれでぐしょぐしょになる。でも、そんなことを気にしている余裕なんてない。狙いを外したと悟ったノインテーターは、間髪いれずに次の魔法を唱え始めていた。

「冥府の煉獄に鍛えられし鉄よ、我が名と魔界の王の名において、結晶せよ! アイゼン・レーゲン!」

「黄の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、土隆の矢となれ……エーアデ・プファイル!」

 力も込められないまま、傘の先から土の矢を発射する。二つの魔法は同時に空中で破裂する。その隙にわたしは立ち上がった。

「あいつ、強い!」

 ヴェステンがわたしの肩口で、分かりきったことを叫ぶ。わたしは、ヴェスの口からイルリヒトのカンテラをもぎ取ると、その扉を開いた。

「イルリヒト、お願い! あの水溜りを焼き払って!」

「了解やっ!!」

 カンテラの中で、イルリヒトの体が青く変色していく。わたしの意図を汲んでくれたのか「最大出力や!」と一声あげると、カンテラの窓から飛び出したイルリヒトは、わたしたちとノインテーターの間に横たわる大きな水溜りに飛び込んだ。

 鼓膜を引き裂くような音ともに、もうもうと蒸気が上がる。さっき、ノインテーターが炎に包まれた後の状況にヒントを得た、その場しのぎの煙幕だ。イルリヒトが戻ってきたのを確かめ、カンテラのドアを閉めたわたしは、こうもり傘を高く掲げた。

「青の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、水の槍となれ……ヴァッサー・ランツェ! 固定(フェストレーグング)! 青の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、水の槍となれ……ヴァッサー・ランツェ! 固定! 青の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、水の槍となれ……ヴァッサー・ランツェ! 固定! 緑の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、風の槍となれ……ヴィント・ランツェ! 固定!」

 地球に掛かる重力が二倍になったように、四つの魔法が、全身にのしかかる。立っていられるのが不思議なくらい。

「緑の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、風の槍となれ……ヴィント・ランツェ! 固定!」

「無茶だよっ!!」

 戸惑いなく、魔法を重ねるわたしに、ヴェステンが悲鳴を上げた。

「五つも魔法を固定して、結合応用するなんて、今のトーコには荷がかちすぎてる! やめてっ!」

「五つじゃないよっ!  緑の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、風の槍となれ……ヴィント・ランツェ! 固定! 契約の名の下に、総ての呪文を解除する! アレス……!」

 フライセン、そう言葉にしようとした瞬間、わたしの耳元を風が通り過ぎる。それに被せるように、煙幕代わりの水蒸気が二つに割れた。

「甘めえんだよっ!! ガキがぁっ!」

 狂気をはらんだ真っ赤な瞳と、漆黒のレインコートが、わたしの視界に飛び込んでくる。ノインテーターの手には、いつの間に結晶したのか、魔法の鉄鎌が握り締められていた。その切っ先は、間違いなく、殺意を持ってわたしの首筋を狙う。

「きゃあっ!!」

 突然傘が、めちゃくちゃに光り、暴れ始めた。わたしが、魔法の詠唱を途中で止めたからだ。だから、魔法が暴走してる。

「姐さん! 傘を離すんや!」

 イルリヒトが叫ぶ。わたしは慌てて、傘を手放した。直後、激しい光があたりを包み込む。許容を超えた魔法が、大爆発を起こしたのだ。頭の中を揺らすほどの激しい衝撃と、爆風に晒されたわたしたちは数メートルも吹き飛ばされてしまう。もちろん、ノインテーターも。

 だけどすぐに光と爆発撒き戻されるように、傘に吸い込まれていく。まるで、これ以上の爆発を防ぐために、傘がわたしたちを守ってくれるようだった。その代わりに、暴発した魔力を吸い取った傘は、粉々に砕け散ってしまう。

「か、傘がっ!」

 そう言ったのは、わたしだったのかそれともヴェステンだったのか……。ただ、わたしたちはその光景を呆然と見つめるほかなかった。

「ヒャハっ! 魔法の杖がなくなっちまったなぁ?」

 立ち上がるノインテーターが、ニヤニヤと笑う。再び、鉄鎌の切っ先が鈍色(にびいろ)にギラつく。そこで、わたしの思考はぷっつりと途切れてしまった。

 傘の破片が、ぱらぱらとわたしの頭上に降り注ぐ。それは、灰の雪のようだった。雨粒よりもはっきりとしたそれは、何処か幻想的な光景にさえ見えてしまい、思考停止したわたしの視線は、傘の破片に釘付けとなってしまった。

「家に、家に逃げるんだっ! トーコっ!!」

 ヴェステンの声にはっとなる。反射的に、立ち上がると、わたしは迷うことなく、踵を返した。

「逃げろ! 逃げろっ! ひいひい言いながら逃げろやっ!」

 下品な笑い声がわたしたちを追いかける。だけど、振り返る余裕なんてない。必死に、足を動かして、森の道を走った。格子状の門扉を開き、雑然としたままの庭を行き過ぎて、玄関の扉を開く。そして、急いでドアを閉めて、施錠した。

 来ないで! こっちへ来ないで……!

 ドアノブを握り締めて、胸の中で何度も反芻する。そのときになって、わたしは脚が震えていることに気付いた。恐怖が、わたしを容赦なく包み込む。傘を失ったわたしに、あいつを倒す方法はない。確かに、杖なしで魔法を唱えることも出来るけれど、未熟なわたしの杖なし魔法じゃ、ノインテーターを傷つけることも出来ないだろう。それがわかっているだけに、心の一番深いところから湧き出すこの恐怖は、本物だった。

「トーコしっかりして! 今すぐ、こうもり傘の代わりになるものを探すから!」

 ヴェステンが、わたしの肩から飛び降りた。もともと、傘を魔法の杖にしたのは、その場の成り行きだった。今からでも、傘の代わりになる……そう、ホウキやお父さんの釣竿なんかにヴェステンが魔法の力を与えてくれれば、傘の代用にはなる。だけど、それでも、わたしの恐怖は拭い去れない。

「だめ……それでも、あいつに勝てない」

「確かに、あいつはすごく強いけど、でも、トーコはザントメンヒェンやメーアヴァイパーに勝ってきたんだ、あいつにだって勝てるよっ!」

「違う、あいつ、怒ってる振りして、心は冷静なままだよ。全然余裕だよ」

「トーコ、キミが弱気でどうするんだよ! トイフェルと戦うのは、ヴァイス・ツァオベリンの使命。キミには、ワルブルガの魔女としての誇りはないの?」

「わたしは……、わたしは、ただの中学生だよ」

 力なく言うわたしに、ヴェステンがひどく困ったような顔をする。それでも、わたしは戦う勇気を失ってしまっていた。あの狂気に満ちた真っ赤な瞳に見つめられるだけで、怖い。あの鉄鎌で、わたしの首が切り取られる、そんな悪い予感しか湧いて来なかった。

「なんだ、扉の向こうで内緒話かぁ? 俺も混ぜてくれよ、ヒャハハっ!!」

 扉をはさんで、外からノインテーターの声が響く。

「冥府の煉獄に鍛えられし鉄よ、我が名と魔界の王の名において、結晶せよ! アイゼン・シュパイク!」

「扉から離れて、トーコっ!!」

 ヴェステンの悲鳴。扉の割れる音。飛び散る粉々の木屑。わたしのお腹めがけて地面から伸びてくる、鉄のスパイク。だけど、体が動かない。凍りついたように、足元が床から離れないんだ。バックラーの魔法を唱えよう。たとえ、傘なしで力が弱くても……あれ? 魔法の言葉、なんだっけ……。

「トーコっ!!」

 鉄のスパイクがわたしの体を貫く寸前、かつてアルラウネに追い詰められたときように、わたしの間に割って入った、鋭い尖端によって、ヴェステンの体が貫かれる。飛散したヴェステンの赤い血液が、わたしの制服を、腕を、顔をぬらしていく。

「大丈夫。ぼくは魔法の生き物だから」

 口元から血を吐き出しながら、ヴェスが言った。悲鳴を上げたいのに声が出ない。大丈夫、ヴェステンの言うとおり、彼は魔法によって生み出された生き物。傷を自ら癒せる、不死身の生き物だ。分かってるのに、目の前で血を流す、パートナーの姿に胸が締め付けられる。

「仕留めたのは、魔法生物の方か。まあ、その方が楽しめるからいいよなあ……さあ、麗しい悲鳴を上げてくれよ、器の少女」

 少し前まで、玄関の扉だった残骸を踏みしめるように、壊れた玄関口から、ノインテーターが入ってくる。躊躇も、容赦もない、ノインテーターの瞳。もしも、この世に天生的な殺人鬼がいるとしたら、きっとこんな目をしているのかもしれないと、凍りついた思考の片隅で思った。

「姐さんっ! 姐さんっ!!」

 左手のカンテラの中で、イルリヒトが叫ぶ。だけど、わたしは恐怖に力を失い、そのカンテラを落としてしまった。カンテラが床に落ちるのが先だったか、わたしが鉄鎌の柄で叩かれ、吹っ飛ばされるのが先だったか、確かなことは分からない。ただ、全身を引き裂くような痛みが走り、わたしは悲鳴を上げた。人生でもっとも大きな悲鳴を。

「俺は、女が泣き叫ぶ声が、一番の好物なんだ」

 じりじりと、ノインテーターが歩み寄ってくる。わたしは肘を突いて、必死に逃げた。

「来ないで……!」

「来ないでとは、後生なことを言いやがるぜ。これから、面白い話を聞かせてやろうと思ったのによ」

「面白い話?」

「聞きたいか? いいぜ、教えてやんよ。俺が今までで一番、気持ちよかった悲鳴の話を……。ちょうどこんな雨の日だったなあ……、そいつはな、俺に切り刻まれるたびに、最愛の娘の名を呼んだんだ。トーコ、トーコってな!」

「えっ!?」

 逃げる手が止まる。わたしは顔を上げて、ノインテーターを振り返った。愉悦の笑みが、わたしを見下ろして、近づいてくる。

「分かんねえのか? 俺が、あんたの母親を殺してやったんだよ! 息絶える瞬間に、俺様の刻印(シュテンペル)を押してやったときの、悲鳴は格別だったぜ。あんたにも聞かせてやりたいくらいだ」

「なんで、お母さんを……!」

「簡単なことさ、器に余計なものが入っていてはいけないからさ。すこしでも、空っぽになってくれれば、都合がいいと、ヨハネスに命じられたからだ。一応、俺も十三年前に、ヨハネスに魔界から呼び出されたトイフェルだからなあ」

 そう言うと、ノインテーターはまた一歩わたしに近づいた。

「だけど、器に直接手を下せば、ヨハネスの野郎……っと、転生した今は、アマか……、とにかくヤツに睨まれるのも、おもしろくないからな。面倒だし。器を空にする方法は、なにも、本体を傷つけなくても、その心が絶望と悲しみに埋めつくされれば、自然と空っぽになる。人間なんてものは、脆弱な生き物だからな」

「お前が……お前がっ」

「今日も、新しいヨハネスに命じられて、器の心を空っぽにするための駄目押しに、わざわざここまでやってきた。本当は、適度に傷つけて遊ぶつもりだったが、気が変わった……。やっぱり、あの女の娘が刻印される瞬間の悲鳴を聞きたくなった」

「お前が、わたしのお母さんをっ!!」

 わたしの心の中で、何かがはじけた。怖い、来ないでと願っていた頭の中に「許さない」の文字が溢れかえる。全身をめぐる血液が、沸騰し始める。目の前に居るどす黒い魔物が憎い!

「さあ、悲鳴を聞かせておくれ。そうしたら、お前にも母親とおそろいの、刻印をしてやろう」

 ノインテーターが鉄鎌を振り上げた。だけど、わたしの心にそれまでの恐怖などなかった。痛みも、悲しみも、恐怖もすべてが霧散して、残されたのは……。

「許さない、お前なんかっ! お前なんかっ!!」

 自分でも驚くくらい大きな金切り声を上げる。冷静だったら、そんな声なんて上げなかったかもしれない。でも、そのときのわたしは冷静なんかじゃいられなかった。わたしの、お父さんの、お母さんの、家族の運命を変えてしまった、その張本人が目の前に居る。

 わたしの、大切なお母さんの命を奪った、真犯人が目の前に!

「トーコ……ダメだよ……トーコぉ」

 ヴェスが力を振り絞ってわたしに言った声も、わたしの耳には届かない。ただ無我夢中で起き上がり、両手を天井高くかざした。一度も口にしたことのない言葉なのに、何を言えばいいのか、どうすればいいのか、最初から分かっていたみたいに、その言葉は言霊を得て口から滑り出した。

「冥府の煉獄に鍛えられし鉄よ、我が名と魔界の王の名において、結晶せよ! アイゼン・レーゲンっ!!」

 わたしが黒の魔法を唱えると、ヨハネスがそうしたときと同じように、敵の頭上にぽっかりと闇が口を開いた。そして、そこから無数の鉄片が降り注ぐ。それでも、ノインテーターは余裕の表情を崩すことなく、踊りのステップでも踏むかのように、鉄片の雨をかわす。

「ヒャハっ! ヴァイス・ツァオベリンが、黒の魔法を使いやがった!」

「黙れ! お前をバラバラに引き裂いてやるっ!! 殺してやる! 殺してやるっ!!」

 生まれて一度も口にしたことがない言葉が、スラスラと出てくる。それが『憎悪』であることも、自分の瞳が、ノインテーターと同じように真っ赤に光って、狂気に満ちていたことも、わたしは全然気付いていなかった。

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