26. 海へ行こう!
「ごめんね、突然押しかけるみたいになっちゃって」
と、わたしが言うと、志高さんはにこやかに笑い、まるで小鳥がこずえに泊まってさえずるような綺麗な声で、「大勢居た方が楽しいもの、全然構わないわ」と、穏やかに微笑んだ。わたしも、その言葉にほっと胸をなでおろした。
ガタンゴトンとレールのつなぎ目を踏むたびに、音を立てて揺れる列車の車窓から見えるのは、街から随分離れた、山間の景色。わたしたちの住む街から、電車に乗って二時間。この山を越えれば、一面に海が広がる避暑の街に着くらしい。そこに、わたしたちがこれから向かう、志高さん家の別荘がある。
志高つむぎさんは、わたしたちの同級生。誰もがうらやましがる「資産家のご令嬢」だ。なんでも、戦国時代から続く名家で、曽祖父の代に海運業で一発当ててからは、資産家の仲間入りを果たし、志高んのお祖父ちゃんは、県知事を務めたそうだ。でも、志高さん自身は、令嬢であることを鼻にかけたようなそぶりは一向に見せない。むしろ、良家のお嬢様らしく、いつも穏やかで落ち着いていて、誰にも分け隔てなく優しい。今日の今日まで面識のなかった、わたしにも。そういう自然な振る舞いはとても素敵だと思う。
わたしの向かいの席には、バカンスの主催でもある志高さんと、その隣にソフィ、そしてわたしの隣には和歌ちゃんが座る。志高さんの別荘へ招待されたメンバーはわたしたち以外に、通路を挟んで反対側の席に座り、他愛もない話に盛り上がる、クラスメイトや隣のクラスの子を含めて、全員で、十人にも及ぶ。それにしても、「大勢の方がたのしいもの」と志高さんは言ったけれど、大勢にもほどがあるだろう。そう思えば、こころのどこかで、申し訳なく思ってしまう。
「にゃーお」
突然、志高さんの膝の上で丸くなる、ヴェステンが鳴いた。もちろん、可愛い黒猫のフリをしているのだけど、わたしには「気後れするくらいなら、来なきゃよかったじゃん」といっているように見える。もちろん、そういったかどうかは分からない。わたしって、ひねくれ者?
「可愛い猫ちゃんね」
志高さんは目を細めた。ヴェステンが、「ふふん、どうだい。ぼくは何処に行ってもモテモテだよ」と言わんばかりに、顔をのけぞらせる。
「そう言えば、お二人は仲がいいの?」
と、志高さんはわたしとソフィの顔を交互に見ながら言った。生徒の間では、ソフィがイジメられてることを知らないひとは、あまり居ない。すなわち、裏を返せばソフィには友達が居ない、というのが失礼にも、みんなの共通した観念だった。
「わたしも驚きました」
和歌ちゃんはそういいながら、箱に入ったお菓子をつまんでいる。その向かいでソフィは、困ったような顔をして俯き、所在なさげだった。そういえば、大勢に囲まれるのは苦手だ、とソフィが言っていたのを思い出す。本当に、ソフィは大人しい女の子だと思う。
わたしは、和歌ちゃんと志高さんにわたしたちが友達になったいきさつを話した。そもそも、わたしがソフィと知り合うきっかけになったのは、幽霊騒動の時、和歌ちゃんがその名を口にしたことだった、と話しながら思い出す。
「ソフィは無口だから、みんな勘違いしてるだけだよ。ね、ソフィ」
そういって締めくくると、ソフィはますます困り顔になる。でも、すこし照れたような顔をして、頬を染めている。
「なるほど、ノルデンさんを助けたナイトなんですね」
和歌ちゃんが感心したような声をあげる。すると、ソフィの隣に座る志高さんが、やや眉を下げつつ、
「ごめんなさい。あなたがイジメられて居ることを知っていて、わたしたちは何も出来なかった。中野さんのように助けることも、友達になることも……」
と、謝罪を述べると、ソフィは顔を上げて、全力で頭を左右に振った。金色のふわふわした髪から少しだけいい匂いが漂ってくる。
「そんなこと……ぜんぜんないデス」
「ね、じゃあ、今日からわたしたちみんな友達になればいいんだよ。そうしたら、きっと青木さんたとちも、ソフィにちょっかい出せなくなる。わたしたちで、ソフィ姫を守るの」
「えっ?」
突然のわたしの発言に戸惑うソフィを他所に、和歌ちゃんと志高さんはニッコリと微笑んでわたしに頷く。
「じゃあ、わたしは、中野さんのことトーコちゃんって呼ぶわね。それから、ノルデンさんのことはソフィって」
「わたしも、ソフィって呼びますよ」
二人の笑顔にやや気おされ気味のソフィが、もごもごとしながら「でも、ご迷惑じゃ……」と言いかけるその口をわたしはふさいだ。
「友達になるのなんて、理由はあいまいでいいんだよ。前にも言ったけど、ソフィがいいやつだって、わたしは分かってる。わたし、人を見る目だけは確かだって言ったでしょ?」
「うん。ありがとう、みんな」
ソフィは少しだけまだ頬を染めたまま、嬉しそうに頷いた。それからわたしたちの話は弾んだ。お互いの趣味の話に始まって、和歌ちゃんの彼氏「新くん」の話になって、気がつけば、あの試験中に全校生徒が眠ってしまうという怪事件のこに話題は移り変わっていた。その真実を知るわたしは、さもそ知らぬフリをとて話をあわせ、ヴェステンから冷たい視線を投げかけられた。
そうしているうちに、列車は長いトンネルに入る。反響するレールの音が止むと同時に、視界が光に包まれ、木々の囲む山並みを越えた列車は、一面に海の広がる海岸沿いへと出た。
キラキラと輝く水面には、いくつかのヨットが風を受けている。遠目には、大きくて真っ白な入道雲。それを背景に飛んでいくカモメの群れ。それらを眺めていると、こころウキウキせずには居られない。
やがて、無人の小さな駅で降りたわたしたちは、一路志高さんの別荘を目指した。真夏の日差しはきついけれど、海から吹き上げてくる潮風はとても心地よかった。
「中野っち、中野っち」
別荘へと続く、木立がトンネル状になった坂道を登る途中で、隣のクラスの子がわたしの傍にやってくる。少し前をすっかり仲良くなった、つむぎちゃんとソフィが歩いていく。
「田澤は? 和歌が言ってたけど、誘うんじゃなかったの?」
額に汗を浮かべながら、余計なものまで詰め込んでいるに違いない大きな荷物を苦しそうに背負って、隣のクラスの子がわたしに尋ねた。すると、少し後を他の子たちと仲良くおしゃべりしていたはずの別のクラスメイトが、小走りにやってきて、
「そういえば、田澤さん、どうしたの?」と尋ねてくる。
「それが……昨日から連絡がつかなくって。何かあったのかなって思って、阿南くんにも電話で訊いてみたんだけど、いつもの調子で『知らない』って言われて、結局誘えなかった」
「ふうん。そうなんだ……。でも、トーコってば、あの田澤さんとよく仲良くなれたよね」
クラスメイトは、不思議そうな顔をする。綾ちゃんに友達と呼べる人が少ないことは、阿南くんから聞いて知ってる。和歌ちゃんからも「田澤さん」、他のクラスメイトからも「田澤」と呼ばれ、一定の距離を離されている彼女のことを、下の名前で呼ぶのは、多分わたしと阿南くんくらいだろう。ただ、わたしはクラスメイトのその言葉に、引っ掛かりを覚え眉をひそめた。
「それってどういう意味?」
「いや、あいつ小六の時に転校してきて、その時はこの世の終わりってくらい、くらーい顔してて……そう、ちょうどノルデンさんみたいな感じだったよね」
「うん、そう言われればそうだよね。昔の田澤さんって、ノルデンさんに似てるところがあるかも」
そう言って、二人はそっとソフィの後姿を見つめた。そう言われれば、喋り方も顔かたちも、体つきさえも同じように見えてくる。もっとも、ソフィは綺麗な金色の髪にブルーの瞳で、ドイツ人ハーフ。かたや、綾ちゃんは、艶やかな長い黒髪に、黒い瞳の典型的な日本人。ただ、そういう人種的な違いではなく、二人の持つ雰囲気は確かに、よく似ている。
「なんかさ、中学に上がった頃から、性格ガラって変わったよね。百八十度。田澤って、ホントはお節介焼きだったんだって、わたし驚いたもん」
「お節介焼きすぎで、先輩とかに嫌われてるけどね。まったく、困ったやつだよ、田澤さんって」
「言えてる。それに、いっつも阿南くんにべったりでさ、阿南くんも迷惑してるんじゃないかな」
「そうそう、阿南くん女子に人気あるから、阿南くんのこと狙ってる子からは、きっと恨まれてるかもしれないよね」
綾ちゃんが居ないことをいいことに、陰口まがいに言う二人に対して、わたしは少しムカムカした。大切な友達を、悪く言われると腹が立つ。
「二人とも! そんな風に言わないで!」
わたしが声を荒げて怒鳴ると、二人はびっくりして「ごめん」とわたしに謝った。謝るべきは、わたしじゃないでしょ、と心の中で思う。
わたしは、ムカムカした気分を抱えたまま、坂道をずんずん踏み鳴らして登った。やがて、視界が開けると、丘の上に白い家が建っていた。それが、つむぎちゃん家の別荘だった。広々とした別荘の庭からは海を一望できて、しかもその眺望にビルや他の建物は入らない。バカンスを満喫するには、贅沢すぎるくらいだ。
「去年から、締め切ってたから少し誇りっぽいかもしれないけど。荷物を降ろしたら、ひとまず海へ行きましょう。後で、夕飯の支度のために、お父さまの秘書が、来てくれる手はずになってるから」
と言いながら、つむぎちゃんは別荘の玄関を開けた。さすがに「魔女の家」の異名を持つ、我が家に比べたら小さいけれど、一般家庭の一戸建てに比べたら広すぎるくらい。寝室もいくつもあって、十人が二人づつに分かれても、部屋が余ってしまうくらい。いっそ、ペンションでも始めたらどうか、というのは、わたしの耳にだけ届いたヴェステンのぼやき。
わたしとソフィは同じ部屋。二階の角部屋で、ちょうど我が家のわたしの部屋と同じ位置。窓から遠く漣の音が聞こえてる。荷物を降ろして、カーテンを閉めてから、早速水着に着替える。もちろん、男子であるヴェステンは締め出してやった。
「わたし、水着はこれしか持ってなくて……」
とソフィが鞄から取り出したのは、紺色の水着。所謂学校指定の水着。それを着た、金髪のソフィを想像すると、何だか可笑しい。でも、笑っちゃダメだ。
「大丈夫、わたしも可愛いやつじゃないから!」
そう言って、わたしはバッグから、黒のワンピース水着を取り出す。実際、海へ行く機会なんそんなにないし、新しい水着を買いに行くお小遣いも、時間もなかった。お互いに随分と色気のない水着姿を見せ合って、苦笑する。まあ、体型もお子様体型だから仕方ないか。
「よしっ、じゃあ、さっさと浮き輪膨らませて、海へいこう! みんな待ってるよっ」
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