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25. 名探偵!?

 しとしとと降り続いた雨が上がり、灰色の雲の隙間から、長い光の帯が地上を照らし出す。それを、『天使のはしご』というらしい。やがて、日差しと言う名の天使がはしごを降りくると、田園地帯に突き抜けるような青空が広がった。ニュータウンのある山並みには、大きな入道雲がそびえ、夏の熱を帯びた風が吹き降ろし、まるでカエルと選手交代でもするかのように、木立を縫ってセミの大合唱が聞こえてくる。

 ついに、待ちに待った夏休みの到来! 日々、勉学に勤しんだわたしたち学生にとって、最大の休暇となる一ヶ月あまり、何をしようか、何をして遊ぼうか、とわくわくが止まらなくなる。わたしだって、魔女見習いである前に、ごくフツーの中学生だから、辛い定期試験が、赤点を回避して、無事にそれなりの結果で終えられた解放感も手伝って、楽しみで仕方がなかった。

 そうして、期待でいっぱいに膨らんだ夏休みの初日。わたしは、黒い帽子を目深に被り、これまた真っ黒なサングラスをかけて、旅行用の大きなリュックサックを背負い、住宅街を走る通りに立ち並ぶ、電柱の陰に隠れている。

 うん、ツッコミたいのは山々だと思うよ。わたしもわたしにツッコミ入れたいもん。だけど、そもそも、わたしにそんな格好をさせたのは、ヴェステンだった。

「尾行とは、回りから気付かれないように行わなければならない! 特に、尾行対象に気付かれることだけは、絶対にあってはならない!!」

 朝っぱらから地下室で、講師のように声を張り上げたヴェステンの傍らには、いくつもの探偵小説が積み上げられていた。わたしとイルリヒトは、若干呆れた顔してそれを見ていたのだけど、ヴェステンは一向に気に留める様子もなく続けた。

「まず、気配! それは、風のように、空気のようにあるべきだ! そう、それは忍のわざ!」

 そう言う、ヴェステンの脳裏には、赤い風車を飛ばす忍者の姿が思い描かれていたに違いない。

「でも、それは一朝一夕に習得できるものではない。厳しい修行の末に会得できるものなのだ。実際、有名な探偵も、犯人に気配を読まれて、逃げられるという失態を演じることもある」

「はいはい、質問や!」

 と、イルリヒトが話の途中に割ってはいる。イルリヒトは、わたしに付いていくと宣言して以降、ずっと我が家の地下室に居る。ザントメンヒェンとの契約は、彼が魔界に帰されたことにより、反故になったはずなのに、イルリヒトはカンテラから出ようとはしない。実際、その方がありがたかったりする。イルリヒトは、炎のトイフェルで、触れば火傷するくらいに熱い。ザントメンヒェンが砂を魔法で加工して作ったと言う、ガラスのカンテラに入っていてもらわなければ、今頃我が家は大火事になってることだろう。

「なんだよう。イルリヒト、邪魔するなよう。これから大事なところなんだから」

「いや、気になってん。ワイはトイフェルやから、白の魔法のことはよう知らんけど、姿を消す魔法とかあらへんのんか? そうしたら、気配なんてどうにでもなるやろ?」

「うぐっ……あるにはある。前にアルプが使ってた、トランスパレンツ・フートみたいな魔法があるけど、それを今からトーコに習得してもらうのは、時間の無駄だよ」

「なあに? それって、わたしが物覚えが悪いって事かしら?」

 わたしは、じとっとヴェステンを睨んだ。すると、ヴェステンは慌てて、「違うよ、とっても難しい魔法なんだ」と首を振る。

「ふうん、そうなんだ。じゃあ、具体的にどうすればいいの?」

「相手は、トーコの顔を知ってる。そういうのを、『面が割れてる』って言うらしいんだ。だから、まず帽子とサングラスを身に着ける。幸い、トーコは髪が短いから、帽子を被って、サングラスで目を隠せば、男の子に見えるよ」

「なにそれ。そりゃ、わたしは胸ないけどさ、それって女の子としてすっごくプライド傷つくんですけど……」

「そうや、そうや! トーコ姐さんほどの美人は他におらへんで。前言撤回せえ、黒毛玉!」

 がんがんと、カンテラの窓を叩いて、イルリヒトがヴェステンに文句を言う。美人だなんて改まって言われると、気後れしてしまう。自分自身そんなに自分のことが可愛いとは思ってない。むしろ、笑顔のステキな綾ちゃんや、可憐な印象のソフィの方が、ずっとずっと美人さんだ。

「ありがとう、イルリヒト……キミだけだね、わたしの味方は。とにかく、サングラスはイヤだよ。どう見たって目立ちすぎだよ!」

「そうだけど、大事なことなんだ。尾行において、最大の鉄則は、視線を読まれないこと。どうしても、誰かの後を()けていたら、その人のことをじっと見てしまう。だから、黒いサングラスで視線を隠さなきゃいけないんだ」

 と、ヴェステンは、明らかに足元の探偵小説で仕入れた知識を、もっともらしく披露する。でも、一理あるかもしれない。たしかに、わたしは尾行については素人で、失敗する可能性もある以上、ここはヴェステンの言うことに従っておいたほうがいいのかもしれない。

 そんなこんなで、わたしはストーカーまがいの格好で、電柱の陰に隠れることとなった。尾行の対象は、住宅街の道を真っ直ぐ、繁華の方へと歩いていく。その背中を見つめながら、サングラスの必要性と、ますます自分がただのストーカー何じゃないかと思えてきた。

 わたしの頭にはぶかぶかすぎる黒いキャップ帽子には、金の刺繍で「トラウト」という魚の絵が描いてある。また、サングラスは、偏光グラスと言って、どちらもお父さんの釣り道具から拝借した。そんな格好だから、予想通り目立ちすぎて、通りを行きかう人は、そんなわたしのことを横目でちらちらと見ながら通り過ぎていく。視線が痛い、っていうか、恥ずかしい! でもそんな恥ずかしい思いをしても、サングラスと帽子を脱いで、尾行をやめるわけにはいかない。

「トーコ……」

 もぞもぞと背中のリュックサックが動く。その感触の気持ち悪さに、思わず悲鳴を上げそうになるのを、口をふさいでこらえていると、リュックの蓋が開いてそこからヴェステンが顔をのぞかせる。

「トーコ、リュックの中は、狭いし、熱いよう」

「我慢してよ。猫づれで尾行してたら、阿南くんにわたしだってばれちゃうでしょ?」

 わたしは、舌を丸出しにしてへばった顔をするヴェステンに、小声で言って、その頭を左手で押さえつけた。ややあって、もう一度背中がもぞもぞして、リュックの底の方からも声が聞こえてくる。

「こら、黒毛玉っ! ワイのカンテラを踏み台にするなや!」

 そう言うのはイルリヒト。生命の魔法書の魔力を感知するために、一緒に来てもらった。ただ、犬猿の仲の二人は、ここに来てもいい争いをしてる。

「しかたないだろ、リュックが大きいんだもん! そんなことより、トーコ、阿南くん行っちゃうよ、早く追いかけなきゃ!」

「分かってる。早くリュックの中に隠れて!」

 わたしは、ヴェステンが首を引っ込めるのを確認すると、電柱の陰を出て、先を行く阿南くんの後姿を追いかけた。阿南くんは、片から鞄を提げて、どこかへと向かっているらしい。買い物かしら? それとも、友達と遊ぶ約束でもしてるのかしら? 

 そんなことを考えていると、急に阿南くんが立ち止まった。そして、通りをこちらに向かって来るブルーの路線バスに手を上げる。どうやら、そこはバスの停留所みたいだ。

「バスに乗る気かな」

 再びリュックから顔を出した、ヴェステンの言ったとおり、阿南くんはバスが停まると、それに乗り込んでしまった。わたしは慌てて小走りにバスに駆け込む。

「しゅっぱーつ」

 わたしが乗り込んだのをバックミラーで確認した運転手さんが、ドアを閉める。車内は人もまばらで、空調がよく効いているのか、とても涼しかった。阿南くんは、前の方の席に座っている。わたしは尾行に気付かれないよう、身をかがめて、最後尾の座席に腰を下ろした。

 バスが発進する。座席をぐらつかせるほどの揺れの後、車窓からの眺めが横に滑り始めた。

「なんだか、ぼくたち探偵さんみたいだね」

 リュックから顔だけ出して、嬉々とするヴェステンを押さえつけながら、「キミは、時代劇が好きだったんじゃないの?」と問いかけると、ヴェステンは「推理小説も好き」とはにかんだ。黒猫のくせに、とことん変わったやつだと、内心に思いながら口にはしない。口にすれば「ぼくはワルブルガの使いだ」という、もはやお約束になってしまった反論が帰ってくるに違いないからだ。

 やがて、二十分くらい街を走り抜けると、車内にアナウンスが聞こえてきた。

『次は、市立図書館前、市立図書館前。お降りの方は、ボタンにてお知らせください』

 図書館か……。そう言えば、この街に引っ越してきてから一度も利用したことがない。ま、普段からわたしが勤勉じゃないってことの表れみたいなもんだけどね。と思っていると、窓枠に取り付けられたランプが赤く転倒して、『次、停まります』と言うアナウンス。降車ボタンを押したのは、阿南くんだった。

「降りるみたいだよ。頭ひっこめて!」

 わたしはそう言うと、リュックを背負いなおした。バスは程なくして、市立図書館前の停留所に停車する。阿南くんに気付かれないように注意しつつ、お財布から運賃を取り出して、バスを降りた。むっとした空気が再び額に汗をにじませた。バスが行き過ぎると、すでに阿南くんは通りを横断して、市立図書館の方へ向かっている。定期試験が終わったばかりなのに、勉強するなんてすごい!

 つかつかと歩いていく阿南くんから距離をとりながら、追いかけるわたし。市立図書館の建物は、箱の天辺に、三角錐の緑色した屋根を取り付けた不思議な形をしていて、入り口付近は全面ガラス張りになっている。わたしは、自動扉をくぐる前に帽子とサングラスを取った。ヴェステンは探偵さんみたいだ、って言ったけど、わたしとしては変な人にしか見えない格好で、静かな図書館に入るのは、さすがに気が引けた。

 図書館という名前だけあって、広々としたフロアには、背伸びしても届かないくらい大きな本棚が所狭しと並べられている。我が家の地下室も相当な蔵書を誇っているけれど、さすがに本物の図書館には負けてしまう。そんな本棚が立ち並ぶ通路には、利用客の姿が見られ、学生や主婦、お年寄り、小学生くらいのちびっこもいる。中には、スーツ姿の会社員風な人もいて、その客層はどんな施設よりも幅広い。

 本棚が居並ぶフロアの奥には、書架の閲覧台がいくつも設けられ、更にその奥には予約制の勉強室があった。わたしは、ぐるりとフロアを一巡りしながら、阿南くんの姿を探すけれど、何処にもそれらしい姿は見当たらない。

「何処へ行ったんだろう?」

 キョロキョロと挙動不審者みたいに辺りを見回していると、不意に背後から声をかけられ、心臓が飛び出てしまうんじゃないかと思うくらい驚かずにはいられなかった。その声は、ヴェステンやイルリヒトのものではなかった。

「トーコ。奇遇だね、こんなところで会うなんて」

 そう言われて、振り返るとわたしの視界に、綺麗な金色の髪が飛び込んでくる。

「そ、ソフィ! び、びっくりしたあ」

「ご、ごめんなさい。驚かせるつもりなんてなかったの……」

 ソフィの顔に翳りが帯びる。そんなソフィは、可愛らしいワンピースに身を包み、大事そうに外国の児童文学の本を抱えていた。わたしは、ドキドキが納まるのを待って、笑顔を浮かべながら、

「ううん。こっちこそ、ごめん。それより、どうしてソフィがここに?」

 と、問いかけると、ソフィは可憐に微笑んで、「これを借りようと思って」と、わたしにその児童文学の本を見せてくれた。赤い布張りの表紙に、金色の装丁文字で『はてしない物語』と書かれている。作者は、ミヒャエル・エンデ。中を開くと、二色の文字で分けられた、ちょっと不思議な感じの本だった。

「本、好きなの?」

 わたしが尋ねると、ソフィは少し恥ずかしそうに俯き加減で頷いた。

「うん、好き。トーコは?」

「わたしは……あんまし、得意じゃないかなあ。えへへ」

 少し恥ずかしくって、後頭部をかきながらそう言うと、ソフィは不思議そうに小首をかしげた。だって本が好きでもないのに、本だらけの図書館に居るのは変だと思うのは、無理もないよ。

「そういえば、わたしたちのクラスの、阿南くんって言う背の高い男の子見なかった?」

「ううん、見てないけど……その男の子を探してるの?」

「うん、そうなんだ」

 と言いかけたその時、再びわたしは声をかけられた。今度も、多分に漏れずびっくりしてしまう。

「あれあれ、不思議な組み合わせですね」と言って本棚の角から現れたのは、和歌ちゃんだった。和歌ちゃんは、わたしとソフィの顔を見比べながら、

「トーコちゃんと、ノルデンさんは、お友達だったのですか? 知りませんでした」

 と、いつもどおりの何故だか丁寧な口調で、さも意外そうに言う。

「そういう和歌ちゃんは、どうして図書館に居るの?」

「明後日から遊びに行くから、その前に、試験勉強用に借りた参考書をお返ししておこうと……あ、そうだ!」

 和歌ちゃんがぽんと両手を打った。愛らしい丸顔に、ぱあっと花が咲き、いいことを思いついた、という表情をした和歌ちゃんは、「トーコちゃんも、一緒に行きませんか?」と言う。

志高(しだか)さん家の、別荘です。海が近くて、とっても綺麗なプライベート・ビーチって言うのがあるそうなんです。わたしたち、明後日からそこへ遊びに行く予定なんです!」

「志高さんって、D組の資産家のお嬢様っていう……。でも、わたしその子と面識ないし、迷惑じゃない?」

「そんなことありませんよ。大勢の方が楽しいですし、志高さんはとってもいい子ですから。ね、一緒に行きましょう!」

 海……いいなあ。ほんとうはやるべきことが山積みなのに、心のどこかで、遊びたいと言う気持ちもあったのかもしれない。ついわたしは、頷いてしまい、リュックの中からヴェステンに背中を蹴っ飛ばされた。でも、わたしはそれを無視することにした。

「あの、じゃあわたしこれで……」

 わたしと和歌ちゃんの会話の外に居た、ソフィがぺこりと頭を下げて立ち去ろうとする。わたしが、待ってと呼び止める前に、和歌ちゃんが一歩ソフィに近づいて、

「ノルデンさんもご一緒しませんか? みんなで行ったほうが絶対楽しいですよ」

 と言った。ソフィは驚きのあまり、『はてしない物語』の本を落っことしてしまう。

「でも、わたしなんか……めいわくで……」

「一緒に行こうよ、ソフィ」

 ソフィの言葉をさえぎって、わたしはニコニコと笑いかけた。ソフィが僅かに潤んだ瞳で頷く。すかさず、和歌ちゃんは、ソフィが落とした本を拾い上げて、「じゃあ決まりです」と微笑んだ。

「あ、そうだ、綾ちゃんも誘っていいかな?」

 と、わたしが言いかけたその時、背後に第三の気配。存在がはっきりと分かるくらいの気配に、わたしはそれが誰だってもう驚かないぞ、と振り向いて三度心臓が飛び出しそうになった。

「なんだよ、図書館で騒いで、随分楽しそうだな……。っていうか、中野、お前ずっと俺のこと尾行してただろ、何のつもりだよ。お前の言うなんとかって本のことなら、知らないってこの前いっただろ?」

 参考書らしき厚手の本を片手に、仁王立ちしているのは阿南くんだった。メガネの奥の瞳が、きっと釣りあがってて、ちょっと怖い。

「び、びび尾行だなんて、してないわよ。やだなあ、人聞きの悪い」

 とりあえず取り繕う。すると、ソフィがわたしの隣で

「ねえ、トーコの探してた男の子ってこの子のこと?」

 と、言う。もちろん、ソフィはわたしが探偵みたいに尾行していたことなんて知らないから、慌てるわたしにきょとんとする。

「あのなあ、中野……お前の尾行ってば、バレバレなんだよ。尾行するなら、あの目立ちすぎる、キャップとサングラスはしない方がいいと思うよ」

 そう言うと、阿南くんは少しだけ意地悪に笑って、貸し出しカウンターの方へ向かった。残されたわたしは、自分が「迷探偵」であること自覚し、めちゃくちゃ恥ずかしくなって、真っ赤になった顔を両手で覆い隠して、その場にうずくまった。

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