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24. 雨に霞む窓の外

 先生たちの対応はとてもすばやかった。不祥事や失言で日々ワイドショーを賑わせている、偉い政治家の人たちに見せてあげたいくらいだよ。数学の試験の真っ最中、全校生徒が眠ってしまうという、学校全体を巻き込んだ怪奇現象に、最初こそうろたえはしたものの、すぐに試験の仕切りなおしが実現したのは、普段「ひるあんどん」と先生たちから揶揄される教頭先生の、目の覚めるような陣頭指揮があったからだと、わたしたち生徒が知ったのはずーっと、あとのこと。

 試験が再開されるまでの間、わたしは保健室で擦り傷の手当てをしてもらった。付き添ってくれた綾ちゃんは、ひどく心配そうに何度も「大丈夫? ホントに大丈夫?」って尋ねてくるし、保健室の先生は何があったのかと、しつこく問いただしてくるため、その応対に追われて、肝心な人に肝心なことを確かめる余裕はなかった。

 そう、肝心なこと……。ザントメンヒェンがわたしに向けて言った「器の少女」という言葉。これまでも、何度かその言葉を耳にした。「器」と言えば、お皿とかコップとか、お茶碗とかをすぐに思い浮かべてしまう。でも、そういうものとは違うみたいだけど、どうやらそれは、わたしに関係があることだけは間違いない。

 器って何なのか? わたしと「器」の関係性は? 「生命の魔法書」と関係があるものなのか? なぜ、ヨハネスはわたしを助けたのか? 分からないことだらけで、パニックを起こしそうになる。もしも、その答えを知っているとしたら、それはきっと阿南くんだろう。

「生命の魔法書に至るために、この小僧が必要なだけだ」

 ザントメンヒェンが言った言葉。つまり、阿南くんは「生命の魔法書」のありかを知っているということになる。でも、阿南くんが魔法のことを知ったのは、つい一週間ほど前、ゲシュペンストに襲われた時で……うわーっ、考えれば考えるほど、ますますパニックになってくる。幾重にも紐が絡み合って、どこから解いたらいいのか分からない。とにかく、阿南くんに直接訊いてみなくちゃいけない。

 と思っているうちに、あっという間に時間は過ぎて、五時間遅れでの数学の試験が再開された。すでに、時計の針は午後四時を廻っていた。遠雷の音に導かれて、グラウンドを叩きつける雨脚はすっかり強まり、きっとザントがばら撒いた砂は、雨に流されてしまっていることだろう。ヴェステンとイルリヒトは仲良くお家に帰ったかしら。仲間のことを心配しつつ、解答用紙にペンを走らせなきゃいけない、魔女見習いの中学生はつらい。ホントに分身の魔法ってないのかしらん。

 いや、今は試験に集中しよう! そうすればすてきな夏休みが待ってる。わたしは、とにかく必死に五十分の試験時間の間、本気で数列に挑んだ。ザントとの戦いの後で全身が疲れきっていたものの、そういう時には却って、最後の百ワットみたいな集中力がみなぎる。自分で言うのもなんだけど、その五十分の集中力ときたら、十三年の人生で一番だったと思う。おかげさまで、すらすらと解答が頭の中を過ぎっていく。うんうん、きっと頑張ったわたしのために、神さまがご褒美をくれたんだよ、きっと。

「試験やめ! みんな、ペンを置きなさい。最後尾の席の人、解答用紙を集めて」

 試験監督の諏訪先生の声とともに試験時間が終わる。みんないっせいに、ふうっと息を吐き出した。ふと、隣席に目をやると、阿南くんがやりきったという達成感に満ち満ちた表情をしている。きっと、わたしもそんな顔をしていたのかもしれない。阿南くんがわたしの視線に気付き、ちらっとこっちを見て、少しだけ苦笑した。

 阿南くんは、自分が残ザントメンヒェンに攫われそうになったことに、気付いているんだろうか? 多分、熟睡していて憶えていないに違いない……。

 解答用紙をあつめた諏訪先生は、教卓の上で容姿に輪ゴムを通しながら、

「今日は、色々とハプニングがあったけど、みんなよく頑張ったわね。明日、総ての試験の結果が発表されます。ちゃんと勉強してた子は、楽しい夏休みを、サボってた子は、悲惨な夏休みを過ごすことになるでしょう。特に、居眠り大好きの中野さんは要注意した方がいいわね」

 と、クラスメイトの中から問題児を名指しして、諏訪先生はわたしの方を見た。すると、クラスからどっと笑いが巻き起こる。反対側の隣席を見れば、綾ちゃんまで笑いをかみ殺している。これって、イジメ!?

「まあ、冗談はそのくらいにして、雨も降っているし、今日はもう遅くなったから、みんな学校に残らず、はやくお家に帰りなさいね」

「はぁい!」

 先生の言葉に、クラスのみんなが声を揃えた。でも、問題児のわたしはすぐに家に帰るわけには行かなかった。そう、肝心なことを聞かなきゃ。

「阿南くん! 待ってっ」

 荷物をまとめて、さっさと家に帰ろうとする阿南くんを、教室の外で呼び止めた。「なんだよ」と、いつもながらのぶっきらぼうな言い方で振り向く阿南くん。だけど、何から尋ねたらいいのか困ってしまい、わたしがもじもじしていると、阿南くんが先に痺れを切らせ、

「なんなんだよ、用がないなら、もう帰るから」

 と、踵を返す。わたしは慌てて、阿南くんの袖を掴んだ。

「『生命の魔法書』が何処にあるのか知ってるんでしょ!? ねえ、教えてっ」

「せいめいのまほうしょ……? なんだよそれ。ゲームの話? あいにくだけど、俺はゲームなんかやらないからな、そんなもの知らないよ」

 阿南くんは、メガネの奥で怪訝な顔をして、わたしの顔を見据えた。

「ゲームじゃなくって、魔法の本だよ。わたしたちの敵が、欲しがってる本なの」

「ああ、あの喋る黒猫が言ってた、祝福されしものとか、ヨハネスとかってヤツか……。悪いけど、ホントに知らない」

「でもっ! ザントメンヒェンは、阿南くんが『生命の魔法書』のありかを知ってるって言ってた。だから、あいつは阿南くんを攫おうとして、学校中の人を眠らせたの」

「ふうん、俺を攫うためにねえ。ザントなんとかってジジイは、相当な好事家だな」

「こうずか? いや、そうじゃなくって、ホントなんだってば! だから眼を覚ましたとき、阿南くんはグラウンドで寝てたのっ」

 阿南くんはしばらく思索するように、眉間にしわを寄せて納得の頷きを返してから、急に真剣な顔をした。そして、ゆっくりと袖を掴むわたしの手を取った。

「なあ、中野……あの黒猫には言ったけど、そういう世界と無縁の俺は、綾みたく魔法をステキなものだとは思えない。あいにくだけど、魔法書なんてものは知らない。力になれなくて、ごめんな」

 そう言うと、阿南くんはくるりとわたしに背を向けて、階段の方へと姿を消した。わたしはただ呆然としながら、阿南くんを見送った。

 すっごく、怪しい……。わたしは廊下の窓から、雨のヴェールが覆う外の風景を見つめながら、直感的にそう思った。阿南くんがザントメンヒェンに攫われそうになったことを話しても、阿南くんはびくりとも眉目を動かさなかった。そして、去り行く阿南くんの背中は、その話にこれ以上触れられたくない、と言っているみたいだ。ぜったい怪しいぞ!

「トーコちゃん!」

 突然背後から、肩を叩かれる。驚いたわたしは「わひゃいっ!」とおかしな悲鳴を上げて、綾ちゃんの失笑を買ってしまった。

「そんなに驚かないでよう。それよりも、結宇と何を話してたの?」

 綾ちゃんはわたしの荷物を廊下まで持ってきてくれたらしい。わたしに鞄とこうもり傘を手渡しながら、ニコニコと微笑む。

「ああ、それは」と、わたしは綾ちゃんに、阿南くんが怪しいという話をしようとして、思わず口をつぐんだ。忘れかけていたことはまだもう一つあることを思い出す。綾ちゃんと阿南くんは幼なじみじゃない……。以前、和歌ちゃんから聞いたことだ。

 ナゾがナゾを呼ぶ、とはまさにこのことかもしれない、とわたしは綾ちゃんの笑顔を見つめながら思った。

「何でもないよ。それより、先生に怒られる前に帰ろう」

 わたしはうそぶいて、家路に就くことにした。綾ちゃんはきょとんとしながらも、わたしの後をパタパタと足音を立てながら付いてくる。

 ようやく本来の用途で使われることとなったこうもり傘を片手に、校門を潜り抜けると、あたりは雨の音とカエルの鳴き声だけがこだまして、遠くを見渡せないほど霞みかがったようにぼやけていた。

「やっと夏休みが始まるね」「たのしみだね」なんて、たわいもなく下らない話に花を咲かせながら、わたしたちは田園に伸びる道を帰る。だけど、わたしはずっと、別のことばかり考えていた。分からないことだらけだったのは、今までと変わりない。でも、どんどん分からないことが増えていって、トイフェルと戦えば戦うほど、わたしは真実から遠ざかっているんじゃないかと、気分が悪くなる。

 綾ちゃんとは、我が家のある森の手前で別れた。そして、独りになるとますます気分が悪くなってくる。わたしは、そういうのが顔に出やすいみたいで、家のリビングでテレビを見ながら、わたしの帰りを今か今かと待ちわびていた、ヴェステンにあっさりと、

「どうしたの? なんだか顔色が優れないね」

 と見抜かれてしまった。わたしはやや誤魔化すように笑う。

「べつに、ちょっと疲れただけ。戦いに試験のダブルブッキングだったから。そういえばイルリヒトは? あれから、ちゃんと喧嘩しないで家に帰れたの?」

「もちろんだよ。ぼくはオトナだからね。あいつの挑発になんか乗らないよ」

 と、ヴェステンは可愛い男の子の声で言う。やや、その言葉に信憑性がないことは請け合いだけど。

「今は、地下室にいる。リビングにカンテラごと置いておいたら、きっとお父さん、びっくりしてしまうから、地下室に押し込んでおいたんだ。ぼくはこの通り、猫のフリをすればいいけど。にゃー」

「そうだね。イルリヒトには悪いけど、お父さんのために地下室に居てもらおう。あとで、なにか美味しい物でも作ってあげよう……イルリヒトってご飯食べるのかな?」

「さあ? どうだろ」

 ヴェステンが苦笑するのを横目に、わたしは鞄をソファに置き、制服のリボンを外す。なんだか、ホントに一日がぎゅぎゅっと凝縮されすぎだった気がする。ソファに身を沈めると、全身に疲れがどっとのしかかってくるみたいな間隔を味わった。

「ねえ、ヴェステン? 『器』って何なんだろう」

 わたしは天井を見上げながら問いかけた。ヴェステンはテレビ画面から視線を動かさず、「何、突然」とわたしに言った。夕方再放送の時代劇は終わり、今はニュースの時間。いつもどおり、事件や芸能、スポーツの話題が、右から左へと流れていく。

「ザントがわたしに言ったの、器の少女って。『器』って一体何?」

 もう一度尋ねると、ヴェステンはリモコンに手を伸ばして、テレビのスイッチを切った。部屋の中が、静かになる。

「ぼくにも分からない。前世のトーコは教えてくれなかった。ただ、祝福されしものは、ずっと前から『魔法書』と『器』を求めているって言ってた。せめて、ワルブルガ本部の図書館にアクセスできたら、そのナゾを追うことが出来たかもしれない」

「ワルブルガの図書館?」

「うん。五百年以上の歴史を持ち、この世界のあらゆる知識が詰まった大図書館だよ。地下六十階に及ぶ巨大な施設で、ぼくもその表層にしか入ったことがない」

「アクセス、できないの?」

「十三年前、ヨハネスとの戦い以降、残念ながら、秘密結社ワルブルガの本部とは連絡が取れないんだ。もっとも、ワルブルガを構成する魔女はすべて魔法空間『フェルド』に閉じ込められて、この世界から居なくなったんだから、無理もない話しだよね」

 と言う、ヴェステンの横顔が少し悲しそうに見えた。

「もしも、大図書館に行くことが出来たら『生命の魔法書』がある場所も調べられたかもしれない。でも、図書館は遠く海を越えた向こうにあるんだ」

「そっか……わたし、パスポート持ってないからなあ。でも『生命の魔法書』なら、手がかりはあるかも」

 わたしは、阿南くんのことをヴェステンに話した。ヴェステンもずっと奇妙に思っていたらしい。ザントメンヒェンがなんで、阿南くんを攫おうとしていたのか。

「あの時、ザントが化けてたゲシュペンストとイルリヒトが追いかけていたのは、阿南くんじゃないのかな? そうすれば、あんな深夜にあの場所に阿南くんが偶然居合わせたことの理由がつく」

「でも、阿南くんは、魔法書なんか知らないって言ってたよ」

「怪しいな……。トーコ、ぼくはね、メガネ男子は嫌いなんだ。メガネの奥で何を考えているか分からないからね。メガネっていうのは、ある種の仮面なんだよ。『目は口ほどにものを言う』っていうことわざがあるでしょ? だから、だれかに瞳を覗き込まれて本心を探られるのを畏れて、仮面で隠す」

 ヴェステンが、真剣な顔して講釈する。わたしは、思わず吹き出してしまった。

「なにそれっ。メガネかけてる人に失礼だよ! そういうのを『ヘンケン』っていうんじゃないの? 阿南くんがメガネをかけてるのは、視力が弱いからだよ」

「まーったく、トーコはお人よしなんだから。それが、トーコのいいところでもあり、欠点でもある。でも、疑いは持つべきだよ。さっそく、あさっての夏休みになったら、あの子のことを、色々と調べてみる必要がありそうだ」

「はい?」

「つまり、阿南くんを尾行するんだよ!」

 と言った、ヴェステンのエメラルドグリーンの瞳が、まるでシャーロック・ホームズか、明智小五郎のように鋭く光った。

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