23. 老人と火の玉
わたしの力じゃ、ザントには敵わない。「ザントをやっつける作戦はあるんだ。力不足は、これで補えばいい」と、ヴェステンは言った。その鍵は、今ポケットに忍ばせている、あの魔法カードだ。だから、はったりのつもりなんかない。
「一気にカタをつけるよっ!! たたみかけろ!」
ヴェステンのかけ声とほぼ同時に、わたしはポケットからカードを一枚取り出した。あの時、わたしと阿南くんを助けてくれたカードは、真っ白になってしまった。しかし、それにもう一度魔法の銘と魔法円を書き込んだ。所謂リサイクルと言うヤツ。なんて、エコなんでしょ。そんな魔法カードは魔力の弱い魔女が、魔法触媒として使用する武器で、裏を返せば、魔力即ちわたしの精神力を殆ど消費しないでも、魔法の力を発現できる、便利なアイテムなのだ。
「行けっ! フランメ・バックラー!」
魔法カードを投げつけ、その名を叫ぶ。放たれたカードは、間合いの中間地点に突き刺さると、きらりと光り、描かれた魔法円の中心から炎の盾を発現した。すかさずわたしはこうもり傘を構え、
「フライセン! エーアデ・ランツェ!」
固定しておいた土の槍を解放する。槍は真っ直ぐ炎の盾を貫くと、二つの魔法は互いに混ざり合い、マグマの槍へと変わった。魔法の結合応用。きちんと組み合わせを考えれば、魔法の力を極限まで高めてくれる。
「先日よりは、強くなったと言うことかっ。だが、無駄じゃっ!!」
ザントは、迫り来るマグマの槍をよどんだ瞳に映しながら、ニヤリと口角を挙げ、肩に担いでいた阿南くんをその場に下ろすと、握り締めた砂を投げつけた。砂に包み込まれたマグマの槍は急速に勢いを失う。
そうなることは予測はしていた。わたしだってバカじゃない。前回の戦いを憶えていれば、自ずからそうなることは予想できた。わたしはすばやく地面を蹴ると、ザントとの間合いを詰めつつ、二枚目のカードを取り出した。
「ヴァッサー・プファイルっ!」
カードを投げつける。その目標は、ザントではなくて、失速したマグマの槍。カードに書き込んだ魔法円から、水の矢が飛び出すと、それは目にも留まらぬ速さで、マグマの槍へと突き立つ。ジュワっ、と鉄板の上に水を引っ掛けたときのような音とともに、あたり一面に水蒸気の霧が立ち込めた。
「フライセンっ! フランメ・プファイル!」
更に、ザントメンヒェンの背後へと回り込みながらも呪文を唱え、こうもり傘の先端をザントに向けて、炎の矢を発射する。
「ぐぬっ! 後ろかっ、こしゃくなっ」
ザントメンヒェンは舌打ちすると、身を翻して炎の矢をよけた。炎の矢は狙いを失い、虚空へと消える。だけど、今だ! と、心の中でわたしは閃いた。すばやくポケットから、最後の一枚を取り出し、念を込めながらこうもり傘にたたきつける。
「ヴィント・シュベーアトっ!」
こうもり傘が風をまとい、剣となる。わたしは、それを団扇の要領で振った。あたりを包み込む霧のような水蒸気が一気に退いていく。その瞬間、黒い槍がザントの背後に迫った。
三枚のカードと、わたしの魔法を組み合わせた連携攻撃。これが、ヴェステンの秘策だった。灼熱の炎熱せられた土は、冷却されることにより、土に含まれた鉄分が凝固する。さらに、放った炎の矢にザントが気を取られている隙に、ランツェの魔法が持つ追尾の能力により、敵の背後に回りこませる。
すべては、読みどおり!
「いっけぇっ」
「こしゃくなぁっ!!」
ザントメンヒェンは、その老人のような姿に違うほどのすばやい身のこなしで、空中へ飛び上がる。さらに槍は鋭角に曲がり、上昇してザントを追いかけた。だけど、すでに失速気味だった槍にそれ以上昇るだけの力は残されていない。ゆるゆると速度を落とし、そして敵を打ち据えることなく、あえなく地上に落下して、粉々に砕け散った。
「そんな……!」
「小細工をろうするから、失敗するのじゃ! ヴァイス・ツァオベリンの愚かな娘よっ、食らえっ」
上空から、ザントが叫び、シワだらけの手を袋の中に突っ込み、一握の砂を取り出すと、それをわたしめがけて投げつけた。わたしはとっさに身構えて、盾の魔法を唱えようとしたけれど、とても間に合いそうにもない。
「トーコっ!!」
目の前まで砂粒が迫った瞬間、わたしの肩に乗っかるヴェステンが飛び出して、わたしを庇い、ザントの砂を全身に浴びた。すると、ヴェステンの体は四肢と尻尾をぴんっと伸ばして、そのまま硬直して動かなくなった。
「ヴェステンっ! しっかりしてっ!!」
わたしはヴェステンに駆け寄った。つやつやの毛並みに触れてみたけれど、石のように硬い。
「ザントの砂には、大量に浴びたものを眠りどころか、麻痺させる力があるんだ」
ヴェステンの声は半ば舌もつれしていた。
「だからごめん、もうサポートは無理みたい……。よく聞いて。イルリヒトを人質に使うんだ。時代劇の悪者みたいだけど、背に腹は変えられない。それで、あいつが隙を見せたら、トーコは逃げて」
「そんなこと、出来ないよっ。ヴェスも阿南くんも置いてなんかいけない。それに、学校のみんなも……」
「今だけ、今だけトーコのその優しさを殺して。あいつの目的がなんにせよ、このままじゃ負けちゃう。負けちゃったら、ヨハネスによって世界が混沌に変わってしまう。それだけは、絶対に阻止しなきゃいけないんだ」
ヴェステンの言うとおりだ。満を持した秘策はみごとに失敗して、相手は無傷。すでに、ハインツェルとの戦いを経て、魔力を消費しまくってるわたしに、あと何回魔法を使うことができるかわからない。だけど、友達を置き去りにして、ただ尻尾を巻いて逃げ出すのはごめんだ。
「勝算は? わたしが逃げて、何か勝算はあるの?」
「わかんない……、でもトーコさえ無事なら、何とかなるって信じてる」
かすかにヴェステンが笑った。きっとわたしを勇気付けようとしてくれたんだと思う。ヴェステンはそれ以上言葉を発することなく、目を見開いたまま動かなくなった。
「なにをごちゃごちゃと小声で話しておるのじゃ? どれ、愚かな娘よ、そなたにもこの砂をかけて進ぜよう」
いつの間にか地面に降り立ったザントメンヒェンは、圧倒的余裕の勝利に緩む顔を抑えられない様子で、わたしの方に歩み寄ってきた。その手には、砂が握られており、指の隙間からサラサラと零れ落ちている。みためはただの砂だけど、それを食らえば、わたしもヴェステンのように硬直してしまう。
わたしは立ち上がると同時に、地面を強く蹴った。両手で傘を広げ、心の中で空飛ぶ魔法を唱えると、全身が軽くなる。ひょいと高らかにジャンプしてザントを飛び越えると、わたしはイルリヒトのカンテラを拾い上げた。カンテラの中で、イルリヒトは更にしぼんでいる。せっかく、ザントが迎えに来てくれたと喜んでいたのに、「用無し」と罵られ、再び落ち込んでしまったんだろう。
「ザントメンヒェンっ! 大人しくここから立ち去って。じゃないと、あなたの子分が入ったこのカンテラを、壊すわよっ!」
精一杯息を吸い込み、精一杯低い声で、ザントを脅迫する。白の魔法使いは正義の味方。でも、これは正義の味方のやることじゃない。動揺してるのはわたしの方で、ザントはあいも変わらずニヤニヤとし、目にも止まらぬ速さでわたしに駆け寄ってきた。
「人質とは、ヴァイス・ツァオベリンも落ちたものじゃ。どれ、そなたが手を下すまでもない、わしがカンテラを壊して進ぜよう。カンテラから放り出されたイルリヒトは、ワシとの契約を破ったこととなり、トイフェルとしての形を成すことが出来なくなって、永遠に消滅するがな」
そう言うと、ザントはわたしの腕を強く掴んだ。そして、手のひらから、イルリヒトのカンテラを奪う。あっ、という間もなく、ザントはカンテラを投げ捨てた。「兄貴ーっ!!」イルリヒトの悲鳴とカンテラは、綺麗な弧を描きながら、グラウンドの硬い地面へと落下していく。
「手、離してっ!」
わたしは、ザントの腕を振り解くと、わき目も振らないでカンテラを追いかけた。まるで、野球選手がホームペースへスライディングするかのように、胸から滑り込んだわたしは、地面に激突寸前のカンテラを左手でキャッチした。
「大丈夫? イルリヒト……」
どうやら肘と膝を擦りむいたみたい。ひりつく痛みがわたしの顔をしかめさせる。それでも、わたしは片眼を瞑りながら、ニッと笑ってみせる。その笑顔に、イルリヒトはちょっと当惑して、
「あんさん……、なんでワイをたすけてくれるんや?」
とわたしに尋ねた。
「だって、カンテラ壊れちゃったら、魔界にも帰れないんでしょ? それって、死ぬってことじゃん。そんなのダメだよ。誰も死んじゃいけないんだ。誰かが死ねば、誰かが悲しむ。そんなの、わたしはイヤ」
「ワイが死んだかて、誰も悲しまへんのや! ザントの兄貴にも見捨てられ、魔界でも役立たずの低級トイフェルのワイなんかっ」
「そんなことないよ。わたしはちょっと悲しい。たって、一週間も一緒に居たんだもん。それに、キミが他のトイフェルみたいに悪いヤツには見えない。だから、死んじゃだめだよ」
わたしは、力強くそう言って、痛みをこらえて立ち上がった。
「あんさん……ええ人やなぁ」
イルリヒトのつぶらな瞳がウルウルしてる。
「よく言われるよ」
と、わたしは冗談交じりに返すと、右手の傘を構えた。どうやら、逃げるチャンスを自分の手で潰してしまった。きっと、ヴェステンに怒られちゃうね、こりゃ。
「ヒャッヒャッヒャッ。イルリヒトなんぞを守って、満身創痍とは愚かじゃ! 愚かな娘じゃ!」
高らかに笑い、袋の中から砂を取り出すザントメンヒェン。わたしは、鋭く敵を見据えた。
最後の賭け。わたしの持てるすべての力を振り絞って、ランツェの魔法を連発し、相手の逃げ場を失わせるしかない、と心の中で覚悟を決める。
「そなたを傷つけることは、ヨハネスさまがお許しになられない。しかし『その時』が来るまで、眠るがよい」
しゃがれた声で、ザントが言い放ち、砂を投げつけた。魔法の呪文を唱えようとするわたしに、砂の塊が迫る。間に合わないっ!! と、その時、イルリヒトが叫び声を上げた。
「カンテラの窓を開けるんやっ!!」
「えっ、あ、うん。分かったっ!」
わたしは慌てて、カンテラの窓を開いた。すると、イルリヒトが火柱に変化して、窓から飛び出す。そして、まるで深呼吸でもするかのように、ひょうと砂粒をまるごと吸い込んだ。そして、しゅるしゅると音を立てて、カンテラの中に戻ってくる。
「おのれ、イルリヒト。ワシを裏切るのか?」
ザントメンヒェンが歯軋りしながら、イルリヒトを睨みつけた。
「先に裏切ったのは、あんたや! ワイは決めたっ! あんたを倒して、トーコの姐さんに付いて行くんや!」
「イルリヒト……いいの?」
「ええんや。あんたは、ワイのこと心配して助けてくれた。せやから、ワイは姐さんを助ける!」
いつのまにか、小さくしぼんでいたはずのイルリヒトは、カンテラの中でメラメラと燃え上がっていた。
「ありがと、イルリヒト」
わたしがそう言うと、イルリヒトは少しだけ照れたように笑った。
「ワイが飛び出したら、風の槍の魔法を全力で放ってくれへんか? 炎は風の力を借りて、より大きく強くなるんや。それで、兄貴……いや、ザントメンヒェンを一気に燃やし尽くしたる!」
「うん。お願い! じゃあ、せーので行くよっ!!」
イルリヒトが頷いたのにあわせて、わたしは再び傘を身構える。ザントメンヒェンは、イルリヒトの裏切りにワナワナと震えていた。
「愚かな者どもじゃ! ええい、もうよいわ、イルリヒトもろとも、ヴァイス・ツァオベリンの娘、いや、『器の少女』もろとも、殺してくれる!」
そう言うと、ザントメンヒェンは地面を蹴って高く飛び上がった。
「器の少女!?」
ザントの言葉に戸惑うわたし。
「今や! せーのっ!」
「うんっ!」
イルリヒトの掛け声に、わたしは湧き上がった戸惑いをかき消しながら、カンテラの窓を再び開いた。そして、同時に傘を構えて、魔法の言葉を唱える。
「緑の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、風の矢となれ、ヴィント・ランツェ! 固定! 緑の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、風の矢となれ、ヴィント・ランツェ! 固定! 契約の名の下に、すべての呪文を解除する、アレス・フライセン!!」
傘に刻まれた魔法の文字が強く輝き、先端の金具から、螺旋状に絡み合った二つの風の槍が飛び出したかとおもうと、その中心を貫くように、カンテラの窓から火柱が走った。
「滅せよっ!! 器の少女よ!」
ザントは上空で、袋の端を持つと、中の砂をぶちまけた。雨のように麻痺の砂が降り注ぐ。
『わたしの器を傷つけることは、許さない!』
脳裏に声が響く。それは、ザントの耳にも届いていたらしい。この声は……祝福されしもの! わたしとザントはほぼ同時に、その姿を探した。だけど、あたりにそれらしい人影はない。その代わり、ザントの頭上に漆黒の空間が開く。
『冥府の煉獄に鍛えられし鉄よ、我が名と魔界の王の名において、結晶せよ! アイゼン・レーゲン!』
漆黒の空間から、無数の尖った鉄片の雨が降り注ぐ。ザントは慌てて宙を蹴ると、身を翻した。しかし、その拍子に、ザントの背中を、風を纏ったイルリヒトの火柱が貫いた。
「ぎゃああっ!!」
更に、鉄片が全身に突き刺さり、悲鳴とともにザントメンヒェンは、灰となった。ザントの灰は、雨を呼ぶ曇天を吹き抜ける生ぬるい風に吹かれて消え去り、撒かれた麻痺の砂は、ただの砂に変わりわたしの頭上に降り注いだ。
ぽつり、ぽつり。わたしの鼻頭に、雨が落ちてくる。イルリヒトはすばやく反転すると、カンテラの中に戻ってきた。
「雨や。雨は嫌いや」
と、イルリヒトは言う。「わたしもだよ」と言いながら、わたしはカンテラの中で震える火の玉に微笑んだ。
大体にして、魔法や呪いの技なんてものは、その術者が居なくなれば効果が消えるもの。グラウンドから見上げる後者のあちこちで、ざわめきが起こる。それもそのはず、みんなが眠ってから、随分時間が過ぎている。その間に一体何があったのか、誰も知らない。
「トーコ」
硬直していたヴェステンがむくっと起き上がる。ぺっぺっと、口の中に入った砂を吐き出しながら、ヴェステンはわたしに、何故逃げなかったのかと迫った。
「トーコがあいつにやられちゃってたら、今頃どうなってたか分かんないんだよ」
「ええやないか! 結果オーライ、ザントはやっつけたんやから!」
「うるさい、火の玉になんかに聞いてないっ! 黙ってて!」
「なんやて、この黒毛玉っ! ピンチに痺れてたやつが、偉そうな顔するなやっ!!」
「言ったなっ!」
イルリヒトがわたしを庇ってくれたけど、二人の言い合いが始まりそうな予感があった。だけど、わたしはそれよりも気になることがある。
わたしが『器』? 祝福されしものはどうしてわたしを守ってくれたの? わたしを傷つけないことに意味があるの?
どうして、なんで、どういうこと。いっぱい新たな疑問が巻き起こるけれど、その答えをこの二人がくれそうにもない。
「中野……? あれ? 俺どうしてグラウンドで寝てるんだ?」
眠りの砂の効果が切れた阿南くんが、頭を抱えながら立ち上がる。そう言えば、ザントの目的は、阿南くんを誘拐することだった。そして、ザントは阿南くんが「生命の魔法書」のありかを知っているとも言っていた。もしかして、阿南くんは、何か知ってるのかも……。
「ううっ、体中が痛てえ。っていうか、試験! 試験はどうなったんだよっ!?」
阿南くんが校舎を振り返る。そうだ! 今は平穏無事な夏休みが過ごせるかの分かれ道、期末試験の真っ最中だったんだ! 危うく、ザントをやっつけたことに安堵して忘れるところだったよ!
「ヴェステン、ごめん! イルリヒトと一緒に家へ帰ってて!」
「にゃ? ふにゃ?」
わたしは慌てて、困惑するヴェステンの口にカンテラの取手を無理やり咥えさせた。そして、阿南くんを伴って、急いで雨のグラウンドを、もう一つの敵「数学の試験」が待つ、校舎へと戻った。
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