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22. 敵の作戦

 試験の真っ最中に抜け出すことに、後ろ髪を引かれながら、屋上から飛び降りて、グラウンドに着地。再びグラウンドを蹴り上げて空へ。真っ直ぐ家を目指す。ホントにトイフェルは、こっちの都合なんてお構いなしなんだから! 内心に怒りがこみ上げる。憎悪じゃなくて、のべつまくなしにトイフェルに向かって、愚痴を言いたい気分だ。

 間もなく、家のある森にたどり着く。そうでなくても不気味な森なのに、曇天の下でいつにもまして気味の悪い森を、全力で駆け抜ければ、ツタのまとわりつく古めかしい洋館の我が家が見えてくる。

 格子状の門扉を開けて、庭にザントメンヒェンの姿を探してみるけれど、それらしい姿はなく、いつもどおりの雑然とした庭が広がっているだけ。引っ越してきたときには「ガーデニングするぞ!」とお父さんはガラにもなく意気込んでいたのに、お仕事が忙しくて、結局花壇なのか雑草畑なのか分からない状態だ。そんな庭を横切り、わたしは玄関の扉を開く。

「ヴェステン? いるの?」

 声をかけてみるけど応答はない。玄関ホールから家の中まで、まるで人気はなくひっそりと静まり返っている。まさか、遅かった!? 胸の内を不安が過ぎった。リビング、キッチン、お手洗い、応接室に、用途の分からない部屋まで、広すぎる我が家を隅々まで探してみるけど、ヴェステンの姿は見当たらない。

 だんだんと焦ってきたわたしは、急いで地下室の扉を開けた。いつもどおり、カビ臭い空気が鼻をつんとつくけれど、お構いなしに階段を駆け下りて、電灯のスイッチを入れる。

「ヴェステンっ! 何処っ!! 返事してっ」

 黒猫の名前を呼びながら、本棚の隙間を縫って、一番奥にある閲覧台へと向かうと、閲覧台の上にガラスのカンテラと、うずくまる黒い塊が一つ。

「何だ……無事だったんだ。もう、返事くらいしなさいよ!」

 ほっと胸をなでおろしながら、わたしは閲覧台の上で丸くなるヴェステンに近づいた。どうやら、台の上で捕虜にしたイルリヒトを監視しながら居眠りしていたらしい。ヴェステンはひどく寝ぼけ眼だった。

「ふにゃ? トーコ……学校行ってたんじゃないの?」

「そうだけど、そうじゃなくって、試験よりも一大事なんだよっ」

 わたしはヴェステンを抱え上げて、ぶんぶんと揺すってやった。すると、ヴェステンの代わりにカンテラの中のイルリヒトがぼやく。

「けっ、一大事? そんなのどうだっていいやんけ。どうせワイは、魔法書も探し出せないような、愚図やから、ザントの兄貴はワイを捨ててしもたんや。これ以上の一大事なんかあらへん!」

「ふああ。ずっとこの調子なんだ、イルリヒトのやつ。だんだん退屈になってきて、眠っちゃった」

 ヴェステンがあくび交じりに、悲観にくれて小さくなってしまった、イルリヒトに一瞥をくれる。

「あの夜、ゲシュペンストに化けてたザントメンヒェンとこいつは、生命の魔法書を追いかけてたらしいんだ」

「追いかけてた?」

 わたしが尋ねると、ヴェステンはこくりと頷き、続ける。

「誰かが、生命の魔法書を持って、どこかへ逃げていたらしい。トーコが来なかったら、今頃は祝福されしものに魔法書は渡っていたかもしれない」

「せやけど、今はもうどこに魔法書がある分からへんねん。ワイの魔力探知は、半径十キロ四方に及ぶんやけど、少なくともその範囲には魔法書はあらへんねん」

 シュルシュルと音を立てて、更に小さくなるイルリヒト。相当ショックだったみたい。ハンドボール大だったはずのイルリヒトは、今や卓球のピン球くらいの大きさになってしまっている。

「魔法書を持って逃げてた誰かって、誰のことなんだろう」

「そこまでは分からへん。あの時、あんさんが割って入らへんかったら、もう少しでその誰かを捕まえることが出来たんや」

 ジトっと、イルリヒトがわたしを睨み、「せやから、ワイはもう用済みなんや。ザントの兄貴はワイを見捨てたんや」と、再び泣き始める。その泣き声に、危うく試験の最中に家へと戻ってきた理由を忘れるところだった。

「そう、ザント! ザントメンヒェンがこっちに向かってるって!」

 わたしは学校で起きたことを、早口でまくし立てた。ハインツェルメンヒェンの襲撃。そのハインツェルを使った、ザントメンヒェンの企み。何故ハインツェルの技が効かなかったのか、ハインツェルの言った『器』ってなんなのか、分からないことはたくさんあるけれど、とにかく、ザントがここに向かっていることだけは確かだった。

「おかしいな……ハインツェルメンヒェンは、奇妙な歌で人の心を操ることはできるけど、眠らせるような力はないはずだよ。それに『眠りの鈴』なんてのも、聞いたことがない……まさかっ!」

 ヴェステンは顔をしかめ、何かに思い至ったのか、すっくと立ち上がると、急に血相を抱えたように、

「トーコ! 学校だっ! 学校が危ないかもしれないっ!!」

 と、叫んだ。わたしは、訳が分からず頭の上にハテナマークを浮かべていたけれど、ヴェステンは気に留める様子もなく、閲覧代の引き出しを尻尾で器用に開けると、中から三枚のカードを取り出した。それは、ゲシュペンストと戦ったときに、わたしたちを助けてくれた誰かの忘れ物(?)だ。

「これ持ってっ! 急いで学校へ戻ろうっ!」

「えっ? ええっ?」

 戸惑うわたしの袖を口で咥えて、ヴェステンが急かす。仕方なくわたしは、受け取ったカードを制服のポケットにしまうと、イルリヒトの入ったガラスのカンテラを手にとって、先を行くヴェステンの後を追いかけて再び家を後にした。


「トーコも、魔女としてレベルアップしてる。低級トイフェルに過ぎない、ハインツェルの歌ぐらい魔力の低い技なら、無効化することなんて簡単だよ」

 フリューゲン・フェアファーレンの魔法で学校に戻る間、肩に乗っかった、ヴェステンが言う。

「でも、ハインツェルは低級だけど、頭はいいんだ。だから、逃げるフリをして、トーコを屋上まで誘導した。トーコが家に帰ることまで見越してね。現に、トーコは『眠りの鈴』が解けたどうかも確認しないで、家に戻ってきたでしょ?」

「うん。そうだよ。だって、ザントが家に向かってるって言うから……」

「まんまと乗せられたんだよ。もう少し賢くたちまわってよね」

 ヴェステンが生ぬるい空の風を吸い込んで、ため息をつく。ムッとしたわたしは、ヴェステンを小突いてやろうかと思ったけれど、右手は空を飛ぶためにこうもり傘をかざしているし、左手はカンテラでふさがっている。

「じゃあ、ザントメンヒェンの目的って、最初から学校にあったの?」

「おそらく。どんな目的なのかは知らないけれど、もしかしたら、トーコを学校から引き離すのが目的だったのかも。そう考えれば、トーコだけに『眠りの鈴』が効かなかった理由も説明がつくんだ」

「じゃあ、まさか……!」

 わたしが息を飲みかけたその時、左手のイルリヒトが「あれが学校やないんか?」と声を上げた。前方を見下ろせば、曇り空が重たくのしかかり、不穏な空気に包まれた、箱型の校舎がある。

(はよ)う、早う!」

 揚々とした声で、イルリヒトがわたしを急かした。主人であるザントメンヒェンが迎えに来てくれたと、カンテラの中ですっかり元の大きさに戻ったイルリヒトは、全身の炎をゆらゆらと揺らめかしている。

 わたしは、ひとまず、校庭の隅にある木陰に着地して、傘を折りたたみながら、グラウンドの向こうにある校舎の様子を伺った。どの教室も、電灯が点けられているけれど、さっきと変わりなく、まるで眠っているかのように静寂そのもの。

 不意に、曇天に遠雷が響く。地鳴りのような、お腹の底を揺らすような音。いよいよ、雨が降るな、とわたしは湿った空を見上げた。

「とにかく、校舎へ入ってみよう……。ザントが居れば、ぼくのヒゲが反応するはずだから」

 ヴェステンの提案に頷き、木陰から飛び出すと、一目散に校舎へと走る。昇降口を上がってから、自分が上履きのままであることに気付いたけど、今らもう遅い。マットでソールの泥を落として校舎に入ると早速わたしは、昇降口から真っ直ぐ伸びる一階の廊下に、倒れた人影を見つけた。

 職員室の前、倒れた人影は男子体育の先生。筋肉ダルマと陰で男子からあだ名される、筋骨隆々の先生が廊下にうつ伏せで倒れ、寝息を立てていた。

「先生! しっかりしてください」

 幅広の肩を揺すってみるけれど、先生の反応はない。あわてて、職員室のドアを開ける。何処かコーヒーのにおいがする職員室では、教頭先生をはじめとして、在室している先生たちみんなが、机に突っ伏して眠ったままだった。

「やっぱり、みんな眠ったままだ」

 ヴェステンが、わたしの肩の上で言う。ふと、手近な席を見ると、机の上が僅かに砂っぽいことに気付いた。そして、辺りをもう一度見回すと、眠る先生たちの頭や背中にも、床や座席の上までも、うっすらと砂が被っている。

「兄貴の砂だ!」

 と言ったのは、イルリヒト。その声にヴェステンがはっとなる。

「そうか、ザントの袋には『眠りの砂』が入ってる。そもそも、ザントメンヒェンって言うのは、『砂男』って言う意味なんだ!」

 そう言われて、わたしはザントメンヒェンが大きな袋を提げており、その中から取り出した一握の砂をわたしに投げつけてきたことを思い出した。

「じゃあ、やっぱりザントメンヒェンは、学校に居るってこと?」

 わたしがそう返した瞬間、ヴェステンのトイフェル・センサー……もとい、ヒゲがビリビリと震えた。

「上の階だっ!!」

 ヴェステンが言うや否や、わたしは踵を返し、職員室を飛び出す。そして、階段を駆け上がる。予感があったわけじゃないけれど、わたしは真っ直ぐに1-Aの教室を目指した。そう、わたしのクラス。考えてみれば、ハインツェルを追って屋上へ、そして、ザントを追いかけて我が家に戻ったのに、結局ここへ戻ってきた。

「ザントメンヒェンっ!!」

 トイフェルの名を叫びながら、教室のドアを勢いよく開け放つ。やっぱりクラスメイトたちも、諏訪先生も寝息を立てたまま。だけど、出て行ったときには居なかった人が居る。ただれた瞳、高すぎる鼻、尖った耳、大きな袋を担ぎ、老草色のツナギに身を包むお爺さん。ザントメンヒェンだ。

「おのれ、ハインツェルめしくじりおったか! もう少しで、この小僧を(さら)えたものをっ!!」

 ザントは、シワだらけの顔をわたしに向けると、小さく舌打ちをした。見れば、ザントの手は、すやすやと眠る阿南くんの体を掴んでいる。鋭く尖った黄色い爪が、阿南くんの二の腕に食い込み僅かに血が滲み出していた。まさか、ザントメンヒェンが、わたしを学校から遠ざけた理由って、阿南くんを誘拐するため? どうして? 何で!?

「その手を離してっ! イルリヒトならここにいるよ。返すから、阿南くんから手を離して!」

 困惑しかけた頭を強く振って、わたしはイルリヒトの入ったカンテラを突き出した。「兄貴っ、兄貴っ!」と、イルリヒトはカンテラの中で喜び、飛び跳ねるけれど、ザントは阿南くんから手を離さない。そして、ニヤリと笑って、

「虜囚になるような、愚劣なトイフェルなどもはや不要。すべては、この小僧から聞き出せば棲むこと。もはや、イルリヒトなど用無しじゃ」

 と言い放つと、阿南くんをひょいと担ぐと、身軽に窓からグラウンドへと飛び出した。

「逃がすな、トーコっ!!」

 ヴェステンがわたしに命じるよりも早く、わたしは駆け出していた。傘を広げ、魔法の呪文を唱えながら、ザントの逃げ出した窓から、わたしも飛び出す。

「フリューゲン・フェアファーレンっ!!」

 二階の窓といっても、底から飛び降りればただじゃ済まされない。だけど、風の魔法に包まれたわたしの体はふわりと軽く浮き上がり、そのまま、グラウンドを駆ける、ザントメンヒェンの眼前に降り立った。

「おのれっ!」

 ザントは立ち止まって、阿南くんを背負ったまま、片手で袋の中から一握りの砂を取り出す。

「緑の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、風の盾となれ……、ヴァッサー・バックラー!」

 すばやく呪文を唱えると、傘を振り上げてわたしたちの前に、風の盾を作り出す。それを見た、ザントは砂を投げる手を止めた。

無詠唱(ニヒツ・アーリエ)を使わぬところを見ると、ここでこの手の砂を投げつけるのは得策ではないな」

 その言葉の終わりとともに、わたしを守る盾が消える。だけど、わたしたちは、グラウンドの真ん中でにらみ合いの体勢となった。

「どうして、阿南くんを誘拐するの?」

「愚問。生命の魔法書に至るために、この小僧が必要なだけだ」

「それって、どういう意味?」

「答える必要はなかろう、愚かなる娘よ。未熟なヴァイス・ツァオベリンの貴様では、ワシの力には敵わないことは、分かっているであろう? さあさ、大人しく道を開けよ。さもなくば、貴様に危害を与えねばならん。しかし、それはヨハネスさまの望まれることではない」

「そういわれて、はい、そうですかって、道を開ける訳には行かないよ。それに、わたしがあなたに敵わないかどうかは、試してみなきゃ分からないでしょ!?」

 わたしは、地面にイルリヒトの入ったカンテラを置いた。そして、右手でこうもり傘を構えながら、左手でスカートのポケットを探る。


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