表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/57

21. 可愛らしい小人

 窓の外は、灰色の重たい雲が空に張り、不穏な雲行き。雨が降るかもしれない、と思うわたしの心も、どんよりと曇っていた。

「試験時間は五十分。質問、および諸事のあるものは、挙手すること。それでは、試験はじめ!」

 試験監督の諏訪先生の合図とともに、一斉に教室中をペンの走る音が占領していく。カンニングだと誤解されないように隣席に目をやると、阿南くんもいつもの仏頂面を更にしかめて、試験に挑んでいる。その横顔に、これが期末試験において、最強の難敵であることを、否が応でも感じてしまう。

 夏休みを前にした、決戦。あれから、綾ちゃんと一緒に夜遅くまで、たくさん勉強した。もう脳のキャパをこえているんじゃないかと思うくらい。ヴェステンは、「数学より魔法の方が難しいと思うよ」なんて茶化してくれたけど、どっちもどっち。数学の方が興味をそそられない、という意味では、より難しい気がする。

「どうしたの、中野さん。ペンが進んでないわよ」

 教室をぐるりと回り、試験の様子を逐一チェックして廻る、諏訪先生の脚がわたしの前で止まる。すでに、居眠りの一件以来、問題児のレッテルを貼られたわたしとしては、名誉挽回のチャンスだ、なんて思っていた矢先だ。あわてて、問題に取り組むけれど、マニアックの粋を極めた問題群は、そのアルファベットと数値を見ているだけでも、クラクラしてしまう。

『本当に、こんな公式、人生の役に立つんだろうか』

 もしも、それを数学者に言ったら、きっと説教される。幸い、試験監督をしてくれている諏訪先生は英語の先生で、数学者じゃない。でも、名誉挽回へのチャンスを思い描く暇もなく、また、そんな数学嫌いの中学生からの懐疑への回答はないまま、わたしは解答を埋めていかなければならない。こうなると、テストといっても、半ば作業みたいなもので、それこそ、機械的にエックスだとかワイだとか、マイナスだとか二乗だとか、そういう文字を混ぜ返して、答えを導いていく。そうすれば、わたしの試験用紙からもまわりに負けないくらいの、ペンの音が聞こえてくるようになった。

 集中しているとほかの事を考えられないと、よく言うけれどそんなのは一般論で、不意に集中と集中の間を柔らかくすり抜けて余計なことを思い出したりすることがある。わたしの場合、あのザントメンヒェンのこと。もうかれこれ、一週間近くが過ぎたというのに、音沙汰なし。ついに見放されてしまったんだ、と悲観にくれたイルリヒトの炎はどんどん小さくなっていくし、こうも音沙汰がないと、わたしたちもかえって不気味に感じていた。

 逆に、一般論で言えば、悪い予感は往々にして当たる、と言うのがある。たとえば、こんな試験の真っ最中に、ザントメンヒェンが襲ってきたら、どうしようとか……。いやいや、いっそ襲ってきてくれれば、試験そのものが「おじゃん」になるかもしれない。いやいや、それじゃ悪い予感じゃないよね。なんて、ちょっとばかなことを考えていると、わたしの前を行過ぎた先生が、再び声を上げた。

「どうしたの? 具合でも悪いの?」

 わたしの少し前の席の男の子。さっきまで、必死にペンを走らせていたのに、いつのまにか机に突っ伏している。すると、まるで先生の声が引き金になったかのように、あれよあれよと言う間に、ひとり、またひとりとクラスメイトが机と仲良しになっていった。

「ちょっと、どうしたの、みんなっ!?」

 慌てる先生。もしかして、わたしが「悪い予感」にかこつけて、試験がおじゃんになればいいなんて思ったから!? いやいや、そんなはずはない。これは、もしかしなくても!

「綾ちゃん!」

 なるべく声を押し殺しながら、隣席に手を伸ばす。だけど、綾ちゃんもすっかり眠りの中。反対側の隣席に座る、阿南くんも。

「起きなさい! 試験中よ! 冗談なら、ゆるさ……」

 バタリ、とうとう先生までも崩れ落ちるようにその場に倒れこんでしまう。わたしも? ううん、わたしは眠たくなんかならない。これはいよいよ、ホントに悪い予感が的中したみたいだ。ペンの走る音に代わって、教室は寝息に包まれる。いや、教室だけじゃなくて、校内全体が夜のような静けさを纏っていた。

「どうだ人間ども! この、ハインツェルメンヒェンさまの秘奥技『眠りの鈴』! さあ、たっぷりと永遠の眠りに浸るがいい! 目覚めたときには屍と化しているだろう」

 勝ち誇ったような声。どこから? わたしは周囲を見渡した。すると、小さな影がひょいと教卓の上に飛び乗る。見た目は、赤いとんがり帽子を被った男の子に見える。でも、その大きさは人というには、あんまりにも小さい。小犬か猫くらいの大きさ。まちがいない、こいつがみんなを眠らせたんだ。

 小人……ハインツェルメンヒェンは、わたしがまだ眠っていない、というかわたしには彼の言う「眠りの鈴」が通用していないことに気付かず、教卓の上で十円玉くらいのタンバリンを取り出して「ほいほい、ほほいのほい」と奇妙なリズムで踊り始めた。わたしは席を離れると、すばやく身をかがめ、机と机の間を物音を立てないように、教壇に向かって移動した。そして、教卓の前まで来ると、不意打ちよろしく、勢いよく立ち上がり、両手でハインツェルメンヒェンを掴んだ。

「きゃあっ!」

 踊りにかまけていたハインツェルメンヒェンは、わたしに驚き、可愛く悲鳴を上げ、

「は、はなせっ! っていうか、なんで寝てない人間が居るんだようっ!」

 と、わたしの手の中でもがく。さながら、鬼に捕らえられた一寸法師みたいだ。

「わたしはヴァイス・ツァオベリンだよ。キミの秘奥義、とかってやつは通用しないみたい、残念だね。さあ、握りつぶされたくなかったら、みんなを元に戻して!」

「ヴァ、ヴァイス・ツァオベリン? うわーんっ、俺さま聞いてないよっ!」

「聞いてない? 誰から?」

「ザントメンヒェンだよっ! あの爺さんが、協力してくれって言うから、わざわざ魔界から来たんだ。なんでも、ヨハネスのために『生命の魔法書』を見つけなきゃいけないのに、ヴァイス・ツァオベライの魔女が拉致したイルリヒトを取り返すために、俺さまの『眠りの鈴』が必要だって言うから!」

 小人は、聞いても居ないことをペラペラとしゃべってくれる。トイフェルと一口に言っても、色々な性格があるらしい。それにしても、拉致したとは人聞きが悪い。捕虜にしただけだよっ!

「ザントメンヒェンはどこにいるの?」

「し、知らないよっ!」

 ハインツェルの小さな瞳が泳ぐ。おしゃべりな上に、嘘がつけない性格みたいだ。わたしは、ここぞとばかりに、両手に力を込めた。握力に自信があるわけじゃないけど、小人を苦しめるには十分過ぎる。

「ぎゃーっ!! 言う、言いますっ! 今頃、ザントメンヒェンはお前の家に向かってる。ホントはお前が眠ってるうちに、イルリヒトを取り戻すつもりだったんだよう!」

「なんで、わたしを眠らせて……?」

 わざわざわたしを眠らせなくても、わたしが学校に行っていて不在であることは、分かってるんだったら、その間にイルリヒトを奪還するのも、大して変わりはないと思う。

「そりゃ『器』が必要だからさ」

 器……。そういえば、以前アルラウネがそんなことを口走っていたことを思い出す。器って何? そう聞き返したい気持ちは十分にあったけれど、今は悠長にそれを問いただしている暇はない。ハインツェルの言うとおり、ザントメンヒェンが我が家に向かっているのだとしたら、ヴェステン一人で戦える訳がない。

「とにかく、みんなを起こして!」

「それは、無理だね。俺さまの秘奥義は、俺さまが別の次元、即ち魔界に強制送還でもされない限り続く。そして、死ぬまで永遠に眠り続けるのさ!」

 そう自慢するように言うと、ハインツェルは、わたしに手をがぶっと噛み付いた。わたしは、思わず悲鳴を上げて、ハインツェルを離してしまう。

「へへんっ」

 鼻を鳴らして、ハインツェルは身軽にぴょんぴょんと飛び跳ねて、教室の外へと飛び出した。

「待ってっ!! 逃げるなぁっ!」

 わたしは踵を返して、席に戻ると、机の端に鞄と一緒に立てかけてある黒いこうもり傘を取った。今朝のこと、ヴェステンが「用心のため」と言って、学校に持っていくのを勧めてくれた。もしかしたら、ヴェステンにも何かの予感があったのかもしれない。

「みんな、今すぐ起こしてあげるから、待っててね!」

 綾ちゃんや、阿南くん、眠るクラスメイトたちの顔を見つめ、心の中でそう言って、わたしはハインツェルを追いかけて、教室を駆け出した。

 廊下を走る。壁の「廊下を走るな!」という張り紙が少しだけ、空しい。それでも、ハインツェルの小さな足音を追いかける。歩幅なら、小人のハインツェルになんか負けない。静かな校舎に、追うものと追われるものの足音だけが響き渡った。

 階段を駆け上って、更に廊下を走って、また階段を昇る。その先は、行き止まりで、屋上に続いている。屋上へは危険防止のため生徒たちが侵入できないように、鉄扉のノブにプラスチックのカバーが掛かっているのだけど、ハインツェルはそのカバーを壊して、屋上へと逃げ込んだらしい。トイフェルを追いかけて、初めて上がる屋上。こんな状況じゃなければ、素晴らしい見晴らしに、ぼんやりと時が過ぎるのも忘れたいくらい。右に田園地帯、あぜ道のような道路が走り、その先には住宅街。さらに、霞んで見えるのは繁華のビル群。左には、小高い山。その斜面には、ニュータウンがある。わたしの家は、田園地帯のはずれにあるこんもりとした森の中。もう、ザントメンヒェンは我が家にたどり着いているのだろうか。ぐずぐずしてらんない!

 曇天に生ぬるい湿り気を帯びた風が、通り抜ける中、わたしはハインツェルを屋上の隅に追い詰めた。

「逃げ場はないよっ!」

「くっ! おのれー、ヴァイス・ツァオベリン! 食らえっ、秘奥義その二! 『前後不覚の歌』」

 おかしなタイトルの歌。節まで、奇妙だ。

「らんらんらん、こんらん、らんらんらん」

 タンバリンを振りながら、ハインツェルは必死に歌うけれど、あいにくその歌も、わたしには通用しないみたい。

「なぜ、効かないっ! 卑怯者!」

「どっちが卑怯者よっ! 学校のみんなを人質にとってるのは、そっちの方じゃない!」

「たしかに……って、納得してどうする、俺さま! こうなれば、無垢な少女に使いたくはなかったが、禁断の秘奥義『魅惑の歌』! あんあんあん、いやーん、あんあんあん」

 その秘奥義を食らったら、どうなるのか考えただけでも恐ろしい。とてもお父さんやお母さんに話せないようなことになってたに違いない。でも、やっぱりわたしにはまるで効果がない。

「この、助平っ! 黄の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、土隆の槍となれ……」

 安堵と怒りがごちゃ混ぜになりかけた心を抑えて、こうもり傘を振り上げ、呪文を唱える。傘に刻まれた文字が、淡く光ると、傘の先端よりツララ状の土の槍が現れる。容赦なんてしないっ!

「エーアデ・ランツェ!」

 魔法の名を叫ぶと同時に、土の槍はハインツェルめがけて放たれた。ハインツェルは、おかしな歌を歌うのをやめて、すばやく矢をかわす。狙いが小さすぎるというのもある。だけど、その事態は織り込み済み。すかさず、予め、ハインツェルを追いかけている間に固定しておいた魔法を解放する。

「フライセン! ヴィント・バックラーっ!」

 解放された風の盾は、ハインツェルの逃げ道をふさぎ、盾にはじかれたハインツェルめがけて、土の槍が九十度方向転換をする。前にも言ったように、ランツェの魔法は、誘導追尾性能がある。誘導ミサイルみたいなものなのだ。ちょっと意識を集中すれば、槍を思い通り操るのなんてたやすい。やっぱり、数学より、魔法の方が簡単だ。

「ぎゃあっ!」

 風の盾に行く手を阻まれたハインツェルは、見事に土の槍の餌食になる。断末魔の悲鳴のあと、タンバリンを握り締めたまま灰になり、風に攫われていった。これで、眠らされたみんなも目が覚めるはずだ。

 でも、ほっとするのもつかの間。試験に戻りたいのはやまやまだけど、急いで、家へ帰らないと、ザントメンヒェンが……! わたしは、傘を広げると、屋上の手すりを乗り越えた。風の魔法を念じる。ふわりと体が軽くなるのを感じたわたしは、強く屋上の(へり)を蹴りだした。

「フリューゲン・フェアファーレン! ヴェステン、待っててっ。すぐ行くから!」

ご意見・ご感想などございましたら、お寄せ下さい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ