2. 転校初日
「今日から、一年Å組のみんなと一緒に勉強する、転校生の中野東子さんです! みんな、拍手」
「え、えっと、中野東子です。F市の中学から転校してきました。よ、よろしくお願いしますっ」
緊張すると、すぐに声が裏返ってしまう。それを隠すために、わたしは深くお辞儀した。第一印象っていうのは、とっても大事。初対面の相手に対する印象っていうのは、ファースト・インプレッションが大切だってこの前、テレビでやってた。
転校初日。新しい制服に何だか着慣れない心地を抱きながら、朝のホームルームに通され、紹介された。背後にある黒板には、チョークで大きくわたしの名前が書いてある。そして、担任の先生から紹介を受けた、新しいクラスメイトに、教室中の視線が釘付けになっていた。
「みんな、中野さんと仲良くするのよ!」
担任の諏訪先生が、声を張り上げた。教室中を埋め尽くすような、元気いっぱいの返事。どうやら、わたしのことを歓迎してくれているみたい。ほっと胸をなでおろすのもつかの間、
「じゃあ、中野さんの席は……あそこよ」
そう言って、諏訪先生が指差したのは、教室の真ん中にある空席。左隣の席は男の子で、通路を挟んだ反対側は女の子。それを確かめたわたしは「はいっ」と返事を返して、席へと向かった。すると、にわかに教室をどっと笑いが包み込む。あんまりにも緊張しすぎた所為で、わたしはロボットみたいに、両方の手足を交互にばたつかせて歩いていたのだ。そりゃ、みんな笑うよね。
恥ずかしさに、一気に体温が急上昇する。耳の先まで真っ赤になって、わたしは席につくなり、小さく縮こまってしまった。
「さあ、出席取るわよ!」
と先生が言っても、まだ笑い声があちこちから聞こえてくる。第一印象は、きっと最悪だ! 変な子って思われた! そんでもって、転校初日も最悪だ! ううっ、泣きたいよう、なんて思っていると、突然ちょんちょんとわたしの右肩が叩かれた。びっくりして、わたしはあたりをキョロキョロする。通路を挟んだ隣の席に座る女の子の指先が視界に入る。
「わたし、田澤綾。よろしくね、トーコちゃん」
と女の子は、にっこり笑って、出欠の声を書き分けるようにひそひそ声で、自己紹介する。綾ちゃんは、ショートカットの良く似合う、目の大きな女の子。ちょっと、色黒な肌に、笑顔が良く似合う。いきなり初対面のわたしのことを「トーコ」と呼ぶくらいだから、人見知りしない子みたい。
「えっと、よ、よろしく。田澤さん」
「綾でいいよ。仲良くしてね。そんでもって、そっちのぶっちょうづらメガネくんが……」
綾ちゃんがわたしの左隣に座る男の子を指差した。「仏頂面」の意味は良く分からなかったけれど、そう言われた男の子は、すこしだけ不機嫌そうに、わたしたちのことをにらみつける。とっても、背が高くて、メガネの良く似合う顔立ちの整った、「かっこいい」の部類に入る男の子。だけど、わたしたちに向けるメガネの奥の瞳は、冷たく尖ってる。
「阿南結宇。俺の名前」
阿南くんは、そう言ってぷいっと前を向く。右隣から、綾ちゃんが「ね、ぶっちょうづらでしょ」と、囁いた。なるほど、仏頂面っていうのは、こういう顔のことなのか。でも、第一印象でスベってしまった以上、ここはがんばって好印象を与えなくちゃ。だって、席替えするまで、わたしたちは隣同士なんだもの。
「あ、阿南くん、よろしくね」
わたしはなるべく笑顔で、可愛く言った。すると、阿南くんはまた冷たい横目で、わたしを睨み付ける。わたし、何か怒らせるようなことでもしたの? と問い質したくなるくらい、怖い目つき。そして、きわめつけに、
「知らねーよ。隣の席だからって、あんまり話しかけんな。迷惑だから」
と、冷たく言い放たれた。
な、何コイツっ!? ヤなヤツっ!!
「こら、中野さん! おしゃべりさんなのは悪いことじゃないけれど、転校していきなり、私語は感心しないわよ!」
わたしが阿南くんに頬を膨らませていると、諏訪先生の声がとどろく。再び教室中に、どっと笑いが巻き起こる。別に、わたしはおしゃべりさんではないんだけど、と言い訳したい気持ちよりも、集中するみんなの視線に、収まりかけた恥ずかしさがこみ上げてくる。きっとわたしの頭の上にやかんをのせたら、すぐに沸騰するかもしれないくらい。
ちらりと、横目で阿南くんの顔をみる。あんたの所為で怒られちゃったじゃん! とにらみつけたが、当の阿南くんは笑いもせず、ただ黒板の方を見つめていた。
こうして、わたしの転校初日は、大失敗に終わるかと思われた。だけど、お昼休憩になって、給食を食べ終わると、わたしの周りにクラスメイトの女の子が集まってくる。転校生に待ち受ける、質問タイム。もちろん、隣の席の綾ちゃんも。もう一人の隣の席の阿南くんは、給食を食べ終わるとすぐに、音もなく姿を消していた。
そして、クラスメイトに取り囲まれたわたしに次から次へと質問の嵐が迫ってくる。趣味の話とか、好きな食べ物に始まって、
「ね! 前はどこに住んでたの?」
「えっとね、前はF市に住んでたの」
「F市って大都会じゃん! いいなぁ! うらやましいなぁ」
あちこちから、ホントにうらやましそうな声があがる。たしかに、前住んでいた街は、ビルが立ち並び、車もたくさん行き来するような、大都会だった。十三年間、生まれ育った街だから、わたしにとっては、大都会という印象はない。むしろ、自然豊かなこの街のほうが、空気も澄んでて、うらやましいと思うのは、わたしのわがまま?
「ね、ね。じゃあ次の質問! 今どこに住んでるの?」
その質問は、綾ちゃんから投げかけられた。
「それは……魔女の家」
その答えに、みんなきょとんとする。わたしとお父さんが引っ越した、森の奥にある洋館は、この街の人から「魔女の家」と呼ばれている。わたしが、初めてあの洋館を見たときに感じた印象と、みんなが感じている印象は、どうやら同じものだったみたい。
薄気味悪い森の奥に佇む、これまた薄気味の悪い洋館。中には、お化けと戯れる魔女が住んでいて、夜な夜な、トカゲを集めては、毒草と木の実を一緒に混ぜ合わせて、秘密の毒薬を作っている……。なんて、常識的に考えても笑っちゃうような、噂話が流れていて、誰も近寄らないような家だった。
引越ししてからもう三日が経つけれど、魔女もお化けもいないのは、わたしが一番良く知っている。だけど、わたしの家が「魔女の家」と知ったみんなは、いろめきたった。
「ホントに!? すっごーい!」
すごいというのは、さっきの「うらやましい」とは違う意味。よくそんな家に引っ越してきたねって意味。
「魔女住んでた? お化けいた?」
「いないよ、お化けなんて。魔女も。普通の家だよ。なんだか、お城みたいで」
いくら、お父さんが勝手に決めた引越しで、わたしとしては不満があるとは言っても、これからずっと住む家、我が家の肩を持ちたい。
「でもでも、わたしのお姉ちゃんの友達の友達のお母さんが、あの家で火の玉を見たって言ってたよ!」
べつの誰かが言う。洋館で火の玉というのも、ちょっとおかしな話だけど、それにもまして、友達の友達のお母さんと言うのが胡散臭い。
「あ、わたしのお父さんも、お化け見たことあるって! ほら、あの家って十年くらい前まで、ドイツ人のお年寄りが住んでたんでしょ? それで、まだそのお年寄りが住んでた頃、わたしのお父さんが森で遊んでたら、突然強い風が吹いて、脚を怪我したんだって。そういうのを、カマイタチっていうらしいよ」
また、別の誰かがマユツバな噂話を言う。火の玉にカマイタチ。どうして、日本っぽいお化けばっかりなんだろう。
「あたしのおばあちゃんも、ずっと昔、あの森で土のお化けをみたって言ってたよ!」
「それ、わたしの叔母さんも言ってたよっ! 叔母さんは他にも、さっきまで晴れてたのに、突然雨が降ってきて、そうしたら変な足音が聞こえてきたって!」
「きゃーっ! 怖いねーっ!!」
みんな好き勝手に言って盛り上がって、震え上がる。なんだか、我が家をバカにされてるみたいで気分が悪い。でも、ここで怒鳴りつけたりなんかしたら、もっと都合が悪い。ムカムカする気分を必死で押さえ込んでいると、誰かが軽く机を叩いた。
「もーっ! みんな、トーコちゃんの家のこと、そんな風に言っちゃダメだよっ! トーコちゃん、怒っちゃうよ!」
と、みんなのことを綾ちゃんがにらみつけた。すると、それまでお化けだ魔女だと盛り上がってたみんなが、急にしゅんとなる。そして、「ごめん」とひとりひとり、わたしに謝った。あの家を始めてみたとき「魔女の館」だと思った身としては、ちょっとだけ胸がチクリとする。
「大丈夫、気にしてないから。ありがとう、綾ちゃん」
「そんなことより、トーコちゃんは……」
ちょっと沈みかけた空気を取り戻そうと、綾ちゃんが努めて明るい声で、質問タイムの続きをはじめた。そうして、わたしへの質問攻めが再開されて、午後の授業が始まるチャイムが鳴って、出て行ったときと同じように音もなく、どこかから戻ってきた阿南くんが「お前ら、ジャマ、さっさと席に戻れよ!」と割り込むまで、質問攻めは終わらなかった。
火の玉、カマイタチに、土のお化け、雨と足音。
だいたいそういうのは、何かと勘違いして、お化けだと思い込んだっていうケースが多い。具体的に例が示せないのは、わたし自身がお化けなんて信じてないし、出会ったこともないから。
本は好き。マンガもアニメだって観る。だけど、その中でたとえば魔女やお化けが出てきても、それは作り話だと括ってしまう。
「もうちょっと、夢を見ろよ!」
なんだか、引越しの前後からキャラが変わってしまったお父さんに、そう言われたけれど、さすがに、中学生になってまで、眼に見えないものや、耳に聞こえないものをいちいち信じられるほど、わたしは夢見がちな女の子じゃない。もしも、そんな非科学的なものがあるなら、きっとわたしたち父娘は、泣かなくてもよかった。思い出を振り切るために、引越しなんてしなくても済んだ。でも、現実はちがう。わたしは、新しいセーラー服調の制服を着て、新しい学校に転校し、そして、初夏の風にスカートの裾と髪をなびかせながら、夕方の帰り道を新しい友達と一緒に帰っている。
「結宇って、ちっとも笑ったところ見たことないんだよね。昔から、いっつも怒ってるみたいな顔してて、友達も少ないのよ」
と、帰り道の道すがら、わたしの隣を歩く綾ちゃんが言った。屈託のない笑顔が初夏の夕日に照らされている。話題は、わたしの隣の席に座る男の子、阿南くんのこと。あの後、午後の授業中も、ずっと阿南くんは仏頂面のままで、取り付くシマもない感じ。どうやら仲良くはなれそうにもなかった。そんな阿南くんと、綾ちゃんは小学校の頃からずっとクラスメイトらしい。
「それって、幼馴染ってコト?」
わたしが訪ねると、綾ちゃんはニコニコ笑いながら頷いた。
あたりは、田舎と表現するのが本当に適当なくらいの、一面に広がる田園風景。その向こうには、ちらほらと住宅があり、更にその奥にはそれなりの繁華が広がっている。そこまで行けば、それなりの街といえるのだろう。やっぱり、わたしの住んでいた街は、都会だったのかもしれないと、改めて思う。
「結宇、悪いやつじゃないんだよ。でも、誤解されやすい性格してるから、心配になるんだよね。だから、トーコちゃんは、結宇と仲良くしてあげてね」
と、頼まれても、肝心の阿南くんに対するわたしの印象は悪いのかもしれない。努力はしたいけど、努力が実るかどうかは、わたしには分からなかった。だから、あいまいに頷き返す。
やがて田園を突っ切る道は、十字路にさしかかる。二つは舗装された道で、ひとつはあぜ道。あぜ道は、もちろん「魔女の家」に通じている。そして、残りの道のうち一つは、綾ちゃんの家がある住宅街への道、もう一つは、ぐるりと魔女の森を迂回して、神社に通じているらしい。
「じゃあ、また明日ね」
と言って、わたしはあぜ道に入る。
「ホントに魔女の家に住んでるんだね……。今度、遊びに行ってもいい?」
綾ちゃんがいきなりお友達発言をする。わたしは少しだけ戸惑った。歓迎したいのは山々なんだけど、近所から「魔女の家」とか「お化け屋敷」と後ろ指さされるような家だから。
「でもでも、お化けも魔女もいないよ。普通の家だよ」
「友達の家に、お化けも魔女も期待しないよう」
そういって、裏表のない笑顔で綾ちゃんは笑う。その笑顔につられてわたしもにっこりと笑って、力強く「うん!」と返事した。
綾ちゃんと別れて、独りであぜ道を歩くと間もなく森が見えてくる。うっそうと覆い茂った木々やツタが、やや気味悪いのだけど、新しい学校で早速友達が出来たことが嬉しくって、わたしの足はいつも以上に軽やかだった。
「そうだ、お父さん帰りが遅いって言ってたから、夜ごはんの支度しなくちゃ!」
なんて、ひとりごちながら、森の道を歩く。確かに言われてみれば、お化けとか出てきそうなくらい、薄暗い。森の道は一本しかなくて、まっすぐに我が家へと通じていた。みんなが「魔女の家」と呼ぶ、ボロボロの洋館。その門扉をくぐると、雑草だらけのお庭がある。
「ただいま」
誰もいない家の玄関を開けたわたしは、家の中に入りながら、言った。もちろん、独り言みたいなものだけど、家に帰ったら「ただいま」って言わなきゃいけないような気がする。
日当たりの悪い家の、玄関ホールはもう真っ暗だった。わたしは、壁際に手を伸ばして、電灯のスイッチを探す。でも、家が大きいように、玄関ホールもとても広い。「もてあましてる」と、わたしは思いながら、手探りでスイッチを探った。ようやく、壁に特徴的な突起を発見する。
その時……。
ガタッと、何かが落ちるような音がした。ついさっきまで、嬉しさでいっぱいだった心に、雲がかかる。火の玉、カマイタチに、土のお化け、雨と足音。クラスメイトが言った、ちょっと胡散臭いお化けの話が、脳裏を過ぎっていく。
お化けなんかいない。って言ってみても、いないものがもしいたら、それは、とっても怖いこと。怖いのは、だいっ嫌い!
「誰かいるの?」
わたしは、スイッチを押すのも忘れて、音の聞こえた方を見つめた。その視線の先、闇の中にあるのは、階段脇にある、地下室へと通じる扉。お父さんには「危ないから入るな」と言われたけれど、確かに音は、その扉の向こう側から聞こえてきた。
泥棒かな? まさか、ホントにお化けじゃないよね……。わたしは、つばを飲み込んで、ゆっくりと玄関を上がり、地下室の扉に近づいた。
まだ、ファンタジー路線に入ってない気もしますが、登場人物には注目していてください。
ご意見・ご感想などございましたら、お寄せください。