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19. 試験日程表

 放課後のホームルーム。試験日程表が配られる。夏季定期試験は、一学期の学習を総覧し、その学力の確認をするために行う、というのはほとんど建前で、先生の中には意地悪な人もいて、マニアックで擦れた問題を乱発してくる。悪意に満ち満ちたその攻撃は、まさに黒の魔法! 太刀打ちできるかは、わたしたち生徒の愛と勇気と希望……じゃなくって、どのくらい勉強したか、復習の成果だけなのだ。

 とは言っても、転校してからこっち、魔法の勉強やトイフェルとの戦いに追い立てられていたわたしの学力には、やや不安が残る。だから、試験の結果が悪くても仕方ないじゃん、とはさすがに言えない。試験日程は三日間。そして、試験まであと三日。急ピッチで追い上げて、お父さんを悲しませないくらいの点数は確保しておきたいところ。

 なのに、わたしの周りはそれどころじゃない。捕虜にしたイルリヒトは、「ザントの兄貴は、必ずワイを取り返しに来る。今日のうちにでもな」と豪語したけれど、結局あれから四日も過ぎているのに、一度もザントメンヒェンは現れていない。本当にイルリヒトを取り返すつもりはあるのか、と疑いたくなる。実際、イルリヒトはすっかりしょぼくれて、「ワイは捨てられたんや……」とぼやく始末。イルリヒトと顔をあわせれば喧嘩ばかりしているヴェステンは、「いい気味」だなんて言うけれど、わたしはイルリヒトの寂しそうな背中(いや、炎の真ん中に顔しかないから後頭部?)がとても可哀想に思えた。

 ザントメンヒェンが何を考えているのかは分からないけれど、必ず取り返しに来る。根拠はないけれど、去り際にザントメンヒェンが言った言葉は、その場限りのはったりには思えなかった。

『愚かな娘よ、イルリヒトは他日、必ず返してもらうぞ』

 試験とトイフェル、板ばさみ状態のわたしは、まさに八方塞状態。せめて、試験だけでも乗り切らなきゃ。いくら魔女見習いと言っても、普段のわたしはごく普通の中学二年生なんだから。

「うげっ! 数学と英語が同じ日にあるぜ」

「マジ!? もー最悪っ! 勉強はかどらないよう」

 試験日程のプリントを手に、教室のあちこちから嘆きの声が聞こえてくる。勉強好きの中学生なんて、そうそういるものじゃない。わたしも、試験日程表を眺めながら、思わずしかめっ面になってしまう。きっちり三日間に詰まった日程は、息抜きの余裕なんかないくらい。

 もうこれ以上悲惨な、赤紙通知を見たくないと、わたしは隣の席に顔を向けた。いつもどおりの仏頂面メガネくんが、仏頂面で試験日程表と睨めっこしている。

「おまえさ、試験大丈夫なの?」

 突然、視線はプリントに向けたままで、阿南くんが言うものだから、わたしは少しだけ驚いてしまった。

「えっ、わたしのこと心配してくれるんだ」

「別に、心配してるんじゃねえよ。ただ、あの爺さんみたいな化け物……。黒猫はなんて言ってたっけ?」

「ザントメンヒェン?」

 阿南くんの疑問に答えたのは、わたしを挟んだ反対側の隣席に座る、綾ちゃんだった。

「そう、それ。あいつがまた来るかもしれないんだろ? あの、火の玉を助けるために。試験なんかしてる場合じゃないじゃね?」

 つい先日、阿南くんはヴェステンから魔法の話を聞いた。わたしが魔女見習いで、綾ちゃんが手伝ってくれていること。祝福されしもののこと。ザントメンヒェンたちトイフェルのこと。終始、阿南くんは仏頂面をしていた。ヴェステンの話を理解しているのかよく分からない顔つきだったけど、とりあえずは信じてくれたみたい。

「そういうわけには行かないよ。試験もトイフェルのことも、無視できない……それよりも、魔法のことはシーッだからね。他の人を危険なことに巻き込みたくないから」

 わたしは、人差し指を立てて口元へ持っていく。口外禁止を示すポーズだ。すると、阿南くんはギロリと目だけ動かしてわたしを睨む。

「何だよ、その危険なことに、俺や綾は巻き込まれても良いって言うのか? 特に綾なんて、前にトイフェルに襲われたことがあるんだろ」

「それは、そうだけど……」

「わたしは、ぜんぜん平気だよ。トーコちゃんやヴェスくんと一緒にいると楽しいし、魔法とかってステキじゃない!?」

 ニコニコと、ひまわりのような笑顔の綾ちゃんが、阿南くんに責められるわたしをフォローしてくれる。

「楽しいとか、ステキとか、綾はお気楽だよな……昔から、のほほんとしてるっていうか、お人よしっていうか。みてるこっちがハラハラしちゃうよ」

「それを言ったら、結宇は心配性すぎるのよ。昔より、髪の毛減ったんじゃない? 十四歳の誕生日には、育毛剤をプレゼントしてあげるね」

「なんだよ、それっ! 俺の家は代々、毛はふさふさなの。綾に心配してもらわなくても、大丈夫だ」

「じゃあ、育毛剤の代わりに、かつらをあげるね」

「おまえね、人の話聞いてるか?」

「うーん、多分聞いてない」

 わたしを飛び越して、二人はそう言いあってから微かに笑った。なんだか、自然な冗談が、綾ちゃんの口から漏れたことにも驚いたけれど、それにもまして、二人がお互いのことを分かっているから、言えるような科白。その真ん中から、はじき出されたような疎外感を感じたわたしは、胸の奥に何故かもやもやしたものを感じた。

「はい、それじゃあ、みんなその日程に従って、試験を受けるように! 今更あせっても、もう遅いかもしれないわよ」

 パンパンっと、手を叩き教室のざわめきを鎮めた、教壇の諏訪先生が言う。その声に、わたしのもやもやも一気に吹き飛ばされた。そうだ、まだ、ホームルームの途中だった。

「成績が悪い子には、厳しい追試験が待ってるわよ。覚悟しなさいね!」

 先生の淡いルージュをひいた唇が、にやりとする。試験というのは、裏を返せば、普段生徒に手を焼かれる先生がリベンジするチャンスでもある。幸い、先輩たちの噂によれば、諏訪先生に限っては、生徒をいじめるような問題は出さないらしい。でも、基礎を押さえておかないと、難しい問題のオンパレード。今更ながらに、ヴェステンが言ってたことを思い出す。

『魔法に限らず、なにごとにおいても、基礎は大事だよ』

 分身の魔法とかないかしら……。

 ホームルームが終わると、クラスメイトたちは三々五々、帰宅の途につく。もちろん、地獄のランニング、試験勉強をするためだ。わたしも、そそくさと帰り支度をする。ふと、その指先が机の奥で固い物に触れた。取り出してみると、参考書が一冊。裏には図書室の判子が押してある。

「トーコちゃん、一緒に帰ろう」

 と、先に帰り支度を終えた綾ちゃんが言う。とりあえず、いつザントメンヒェンがやってくるのか分からないため、わたしの家で一緒に勉強をしながら、待機する予定だった。

「ごめん、これ図書室に返してこなきゃいけなかった!」

 参考書から貸し出しカードを取り出して、期日を見せる。二週間ちょっと前に試験勉強のために、この本を借りたことをすっかり忘れていた。

「一緒に行こうか?」と、綾ちゃんは言ってくれたのだけど、期日切れの本を返しに行けば、図書室の先生からたっぷりお叱りを受けることは間違いないだろう。それを待ってもらうのは、ちょっと気が引ける。

「これ、家の鍵。きっとヴェステンが昼寝してると思うから、先に帰ってて。おっつけ、わたしも帰るから」

「うん、わかった。じゃあ、ヴェスくんとお話してるね」

 鍵を受け取りながら、綾ちゃんは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。綾ちゃんはヴェステンのことをものすごく気に入っている。わたしが叱られているのを待ってもらうよりも、ヴェスと言ってもらった方が、こっちも気が楽だった。

 それから、わたしは参考書を手に、綾ちゃんは鍵を手に、教室の前で別れた。わたしは一目散に図書室へと走った。階段を昇り、夕方の日差しと風が通り抜ける渡り廊下を渡った先に図書室はある。図書室のドアをくぐると、生徒のいない放課後の図書室はやたら静かで、図書室の管理をする先生が一人で、小難しい哲学の本を読んでいた。校内の先生の中では、一番歳の若い先生で、普段は温厚そうに見えるけれど、わたしがしずしずと期日切れの参考書を返却すると、先生はやっぱりわたしのことを叱った。たっぷり三十分は叱られただろうか、

「反省してるみたいだし、次からは気をつけてね、中野さん」

 という先生の言葉で、わたしは解放された。ここ最近失敗続き。諏訪先生の授業で居眠りしちゃうし、借りた本を返し忘れるし……。きっと、先生たちの中で、わたしは問題児になっているのかもしれないと思うと、気が重い。そんな問題児にとっての、起死回生の一手は試験にある。でも、ザントメンヒェンが気がかりで、その試験さえも危ぶまれることを思い出すと、更に気が重くなる。

 はあっ、と声に混じらせて吐いたため息が、校舎の廊下で行き場を失い、ぐるぐるとあたりを巡ったかと思えば、グラウンドに面した窓の一つが開いていることに気付き、そこから外へと抜けていった。いつもなら、部活の音が聞こえる。運動部の掛け声、走る音、吹奏楽部の不ぞろいな金管の音、談笑の声。でも、試験を間近に控えた学校に残っている生徒はほとんどいない。実に静かで、ともすれば、きーんと耳が痛くなるくらいだ。

 ふと、その静けさの間を縫って、いくつかの声が聞こえてくる。聞いたことのある声だ。だけど、綾ちゃんのでも、和歌ちゃんのでも、ましてや、ホームルームが終わるや否や、わたしに「サヨナラ」も言わないで帰ってしまった、阿南くんのものでもない。

「死んじゃえば?」

 声のひとつが、ただならぬことを口走る。階段を下りた先は、倉庫教室と呼ばれる、空き部屋が続く、閑散に閑散を重ねたような廊下。その突き当りには、普段だれも使わないお手洗いがあることをわたしは知っている。声はそこから聞こえていた。あの日のように……。

「ごめんなさい」

「あんたが日本で覚えた単語は、ごめんなさいだけ?」

「ち、ちがいますっ」

「あ、ホントだ、別の単語もいえるんだ」

 小さくて今にも消えてしまいそうな声の隙間に、下品だと言っても過言でない笑い声が聞こえる。倉庫教室の廊下を進み、お手洗いが近づくたびに、その声ははっきりと聞こえるようになった。間違いない、ノルデンさんがまたイジメられているんだ。青木とかいったけ、あのイジメっこ。まだ懲りてないんだ。

「だーかーらー、あんたウザすぎるから、死ねって言ってるのよ。わかる、この日本語。ニセドイツ人さん?」

 いくらイジメがエスカレートしたからと言って、死ねだなんて、ひどすぎる。わたしは、頭がカーッと厚くなるのを覚えた。憎悪? ちがう。こんな隅っこのだれも来ないような場所で、よってたかってノルデンさんをイジめる、ズルイやつらが許せないだけ。

 白の魔法使いは正義の魔法使い……。わたしはその言葉を反芻しながら、右手をぎゅっと握り締めて、イジメの現場に乗り込んだ。

「あんたたちっ! やめなさいよっ!!」

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